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23、ピンチになりました

ぐしゃりと肉の潰れるような音が耳を突き抜ける。それが聞こえたと同時に、目の前の敵が地に伏せる。


僕は体を捻り、足元を強く蹴る。背を向ける敵の背中を袈裟懸けに斬り伏せ、その勢いのまま真横を一閃して三人を同時に斬りつける。


草陰一刀流、伍の太刀『陽炎』。集団戦のときに主力となる僕の剣技だ。


最初に肉薄した敵の半径10m以内にいるすべての標的を切り刻む恐ろしい技だ。


敵を斬ると同時に別の標的に肉薄し、斬りつけると同時にまた別の標的へ……これの繰り返しである。


無理に力を使うわけではないので、威力も体への負担も比較的小さい。しかし、剣技の速度は草陰一刀流の中でもずば抜けて速い。


たぶん、他の人が今の僕を見ると、残像しか確認することができないだろう。


10人目の肩あたりを刺し、僕の動きはようやく止まった。


かなりの回数、敵に刃を振るった。しかし、僕の体に返り血は一滴たりともついていない。


否、どこを見渡しても血どころか敵の死体すらない。見えるのは無限に湧き続ける、大剣を背負った少女を模したエレメントだけである。


『おそらく幻術の類か何かじゃろうな…』


僕の疑問を察したのか、ムラマサが今起きている不可思議な現象の仮説を立てた。


確かに幻とかだったら、今の状況にもうなずける。さっき敵を斬ったときも、肉が裂ける音はしたけど、刀からはその感触が伝わってこなかった。


まるで、空気でも斬りつけているかのような…空回りしているかのような感覚だった。


あと気にすることじゃないかもしれないけど、ムラマサはいつの間に復活していたのだろうか…


『クスクス…お兄さん、とっても強いのね♪』


絡みつくような声がそこかしこから響いてきて、頭がおかしくなりそうだ。


エレメントは皆同じ表情の…ニヤリとした嫌な顔で僕を囲んでいる。


左手に大剣を持ち、右手で自身の頬を撫でるその姿は、まるで恋する乙女のようで、逆に戦慄した。


殺気はビシビシと伝わってくるのに、襲い掛かってこない。まるで僕の動きに合わせるかのような、ゆったりとした動きが、僕の思考を惑わせてくる。


「まずいね……このままだと…」


敵の数は不明。それに比べて僕は一人。


まだまだ体力は残っているけれど、それもいつまで持つかわからない。


……そういえば、さっきムラマサは『幻術の類だ』とか言っていた。


もし、今僕の目の前にいるのが幻影だとしたら、本体はどこなんだろうか。もしかしたら本体を叩けば、すべて終わるのではないか?


いや、そもそもこれは幻影なのか?血が出なかったり、死体が残らないのはエレメントの性質なんじゃないのか?


あぁだめだ、冷静な思考ができない。一回落ち着かないと…


『クスクス……もうお遊びは終わりなの?なら、今度は私たちの番ね!!』


…どうやら、落ち着かせてくれるほど楽な戦いではないみたいだよ…


エレメントたちは、剣を地面に突き刺し、なにやらブツブツと唱え始めた。突き出された右腕の刺青が赤から蒼に変わり、全身を紫の淡い光が包み込んでいる。


この感じ……まさか魔法!?


昨日の朝に見た志穂の魔法詠唱中の姿を思い浮かべる。纏っている光の色は違うけど、それ以外はまったく同じ状況だ。


しかし、僕が魔法だと気づいたころにはもう遅く、全員が僕に向けて両手を向けてきた。


『我が願いを叶え、その身を持って敵を砕け。“エレキイール〟』


志穂のときと違いはっきりと何かを告げながら、魔法を発動させてきたエレメント。その両手からは紫電を帯びた細長い触手が、僕目掛けて飛び出してきた。


真上に飛び、何とか回避しようとしたけど、触手はまるで意識でも持っているかのように僕を追尾してきた。


「ちょ、まっ――――」


ムラマサを使って、何本かは消し去ることができたが、健闘虚しく、空中で脚を絡めとられ、僕は地面に叩きつけられ…………てない?


脚を捕まれ、グッと下に引っ張られる感触はあったのだけれど、僕の体はいまだに空中である。


何事かわからないうちに、脚だけでなく両腕まで拘束されてしまった。


「どうしよう…ぜんぜん動けない…」


『主~、この状況はさすがにまずいのじゃ~』


のんきな声とは裏腹に、ムラマサに言っていることは、僕の心に冷たくのしかかった。


空中でまったく身動きの取れない状況…敵は複数…誰にも伝えてないから救援はなし…


ここまでお膳立てされれば、バカだバカだと言われている僕でも分かる。


まさに、絶体絶命ってやつだね…


『クスクス…さぁ、今こそ天罰を!』


エレメントたちが叫ぶ。瞬間、僕の体全体に激しい痛みが駆け巡った。


焼けるような痺れるような、気持ち悪さすら感じる不快な痛み。


「いだだだだだだだ!痛いっ、なにこれ痛いっ!!」


思わず情けない声を上げてしまう。ふざけているようにしか聞こえないかもしれないけど、死ぬほど痛いですはい。


『わしまで巻き添えなのじゃああああああああ!?』


どうやら僕に触れていたムラマサまで一緒に感電してしまったようだ。ごめんムラマサ…


『うふふ、いいわぁ。すっごくいい!この叫び声…ああ、なんて素敵なのかしら…』


余った触手で器用に顔を覆い、頬を染めるエレメントたち。まさに現在進行形で恋焦がれる少女そのものだ。


だけどそういう反応は、こういうときにするものじゃないと思うんだよね僕。少なくとも、目の前で感電して悶えている人間を見ながらするものじゃないってことだけは確かだよ。


うん、確信を持って言える。この子たち……やっぱり変!


ようやく電撃が収まり、体への痛みがなくなった。結構なダメージを食らったみたいで、体のあちこちの感覚がなくなっている。


『うふふ、そろそろいいかしら?』


ふと、地面との距離が小さくなっていっているのに気がつく。どうやら触手を操って下に下げているようだ。


地面に着くか着かないかくらいの高度で、下降は終わった。目の前には数え切れないほどのエレメント。見た目は完全に少女である。


一体のエレメントが僕に近づいてくる。手には剣を握り締め、その双眸は嬉しそうに揺れ、口元は怖いほど笑っていた。


一歩一歩僕に近づいてくるエレメント。まったく身動きの取れない僕。


『あぅ~』


いまだに目を回しているムラマサ。


本日二度目ですよ奥さん!僕の刀はどうしてこんなに感情豊かなんでしょうか……


『クスクス…クスクス…嬉しすぎて笑いが止まらないわぁ♪』


近づいてくるエレメントは、剣を捨て、ローブを脱ぎ捨て、魔法を解いた。


体に巻きついていた触手が一本消えたけど、残りの触手はいまだに健在である。無論身動きなど取れぬわ!


自慢することでもないや…


そしてついにエレメントとの距離が零に等しくなり、体が密着した。エレメントの顔は上気し、呼吸は荒い。


まるで発情したときのフィーたちのような表情だ。


あはは、まったく洒落にならないや。


エレメントは僕の顔に手を添え、ゆっくりと、楽しむかのように自身の唇を近づけてくる。


まさか、僕の顔から食べる気なのか!?


やめて!僕の顔は空飛ぶアンパンみたいに美味しいわけじゃないんだからね!!


絶対後悔するから!お腹壊しちゃうからね!!


『……やっぱり、このまま食べてしまうというのももったいないわね…』


添えられた手がスルリと抜け、エレメントは僕から顔を離した。


奇跡だ…奇跡が起きた!僕の心の叫びが届いたんだ!!


エレメントは僕から体を離し、何かを考えるような素振りを見せた。小さな手を口元にあて、唸るようにして下を向く。


あれ……このポーズ、どこかで見たような…


しばらくすると、エレメントは何かを閃いたようで、明るい表情になった。


どうか、穏便に済む案でありますように…


『…わかったわ!お兄さんを私一人で独占すればいいんだわ!!』


……それって、今の状況と何が違うのだろうか…もうすでに束縛されて独占されているも同然だよね。


だめだ、やはり現状は打破できそうにない。


体の痺れはだいぶなくなってきたけど、どんなに力を込めても触手はビクともしない。


あと余談なんだけど、触手の何本かが僕の服の中で蠢いていて、ものすごく気持ち悪い。なんか先端からヌルヌルする液体が出てきてるし…なんか生温かいし…


そんな僕の気持ちを完全に忘れ去り、エレメントはどんどん自分の妄想の中へと入り込んでいく。その口からは妄想の断片が、独り言として出てきている。


その独り言が、全部僕の肉体を食べる算段だから、まったく聞き捨てなら無いんだけど……


『クスクス…そうと決まればまずは…あなたたちが邪魔ね』


指をパチンと鳴らすエレメント。すると、それを合図にするかのように、まわりを囲んでいたほかのエレメントが、煙のように掻き消えた。どうやらあれらは全部幻影だったってことだ。


つまり魔法を発動していた人もいなくなったわけで――――


「よっと。やっと体が動かせる!」


僕の体も自由になった。地面に着地すると同時に、エレメントとの距離をとる。


ちょっと離れた先から『しまった…』と、予想以上に可愛い反応が返ってきた。


この子、ひょっとしてアホの子なのかな?


『う~む…ぬ?おお!主よ!体が妙に軽くなっておるのじゃ!!』


ようやく起きたムラマサと、霧の先でちょっとだけオロオロしているエレメント…


なんだろうか…このデジャヴ感は…


『うふふふ…まさか私を罠に嵌めるなんて……もっと欲しくなってきちゃった』


「いや、罠になんか嵌めてないんだけど」


というかただの自爆です。本当に…


もう幻影は作れないのかな?エレメントは何か魔法を唱えるわけでも、特殊な動きを見せるわけでもない。


エレメントは先ほどよりも少し速い動きで、地面に転がっている大剣を掴み、今度はしっかりと構えてきた。


……どうやらここからが本番みたいだ。


『クスクスクス!私の妙技、特とご覧あそばせ!!』










◆◆◆◆◆◆








~海斗邸 屋外休憩所~



「ん?」


「どうかしましたかタカシ様?」


「あぁいや、なんでもない」


今なんか街のほうから爆音が聞こえてきたような…気のせいか。


(タカシ)はカップに入ったハーブティーを飲み干し、今のことを忘れることにした。


あぁ、やっぱりイリアの淹れてくれた茶はうまい。すっきりとしていて、それでいて香りを損なわせていない。


「はぁ…嫁さんになってくれたら、どれだけいいか…」


「嫁っ!?」


ガタンッと勢いよく立ち上がり、狼狽するイリアを見て、「やっちまった…」と心の中で嘆いた。


俺も海斗のこと言えた義理じゃないな。たまに本音がポロッと出て困る。


なんとか訂正しなければ。


「あ…いや…その…」


…だめだ…いつもは冷静に対処できるんだが、イリアにだけはなぜかうまくできない。


「あー」だの「はぅ」だの二人で繰り返し言い続けている姿は、端からみればどんな状況なんだろうか。


少なくとも俺だったら近づきたいとは思わないな。


そんな状態に自分たちがなっていると思うと、少し笑いがこみ上げてきた。


「と…とりあえず今のことは忘れてくれ!」


こうは言ったが、内心惜しいと感じてたりもする。ぐずぐずしてないで、さっさと告るなりすればいいんだろうが……意外とできないもんなんだな…


イリアも納得して、ようやく落ち着いた空気が舞い戻ってきた。


ちなみに今はイリアと庭で茶を飲んで、のんびりと午後を満喫している。


午前中は子供の面倒を見て、昼は海斗が帰ってこないせいで癇癪かんしゃくを起こした果穂さんたちを宥めて……


俺、頑張ってるよな?少しくらい休んだって、バチは当たらないよな?


そもそもこんなに俺が疲れた原因は、海斗にだってあるんだ。というか大半はあいつが原因だ。


…なんか怒りが沸々と湧いてきた…帰ってきたらとりあえずシメるか。


それにしても、あいつはいつになったら帰ってくるんだ?いつもは昼ごろに帰ってくるはずなんだがな。


…まぁ、あいつのことだ。どっかでなんかに絡まれてるだけだろ。


たとえば…触手とか?


「さすがにそれはないか」


「?なにがないのですか?」


「いや、こっちの話だ」


疑問符を浮かべるイリアだが、わざわざ言うようなことを考えていたわけじゃないからいいだろ。


(それにしても、イリアと過ごしていると、やっぱり気が楽になるな…)


初めて城で出会ったときは可愛い程度にしか思っていなかったが、一ヶ月いっしょに過ごしていろいろと分かったこともある。


実は辛い物が大好物だったり、ものすごく負けず嫌いだったり。真面目な性格だけど、ものすごく初心で、可愛いものに目がなくて……


こうして改めて考えてみると、イリアは俺のタイプと完全に一致している。


(もうどこに惹かれたのか、わからなくなっちまったな…はは…)


心の中で苦笑いしつつ、俺はゆっくりと息を吐いた。


俺はイリアにハーブティーのおかわりを頼みつつ、読んでいた小説の続きを読み進めることにした。


霧の立ち込めた心地いい午後を満喫しながら。









◆◆◆◆◆◆








「と…とりあえず今のことは忘れてくれ!」


そう言ってタカシ様はそっぽを向かれてしまいました。


わたし(イリア)はつい条件反射で「はい!」と元気良く返事をしてしまいましたが、内心は残念な気持ちでいっぱいになります。


あそこで「忘れたくありません!」とでも言えれば、もしかしたら……などと考えてしまいます。


わたしはタカシ様の専属メイドです。主にこのような邪な気持ちを抱いてしまうのは、決してあってはならないことです。


しかし…タカシ様と過ごしていくうちに、わたしのこの気持ちはどんどん膨れ上がってしまっています


お城で初めてお会いしたときは、カッコいい方だなとしか思っていませんでした。


しかし、専属メイドになって、カイト様のお屋敷で共に過ごすうちに、タカシ様のいろんな顔を見ることができました。


子供と遊ぶときに見せる困っているようで、どこか楽しそうなお顔。カイト様のお姉様や妹様の行動に頭を抱えて困り果てるお顔。甘いものを食べたときの幸せそうなお顔。


そして、時折わたしに向けてくれる、とても優しい笑顔。


タカシ様、あなたはひどいお方です。あなたを見ているだけで、わたしの胸は跳ね上がり、呼吸が苦しくなります。


あなたの髪に触れたい。あなたの胸に顔をうずめたい。あなたに抱きしめられながらあなたを抱きしめたい。


頭の端からどんどんどんどん邪な考えが生まれてきます。消しても消しきれません。


わたしはメイドで、タカシ様はご主人様。決して結ばれることのない関係です。


で、ですが…少しだけ…ほんの少しだけ、妄想の世界であなたを抱きしめさせてください。


「あ、イリア。お茶のおかわりを頼んでもいいか?」


「ふぇ?………は、はい!ただいま!!」


ハーブティーをタカシ様のカップに注ぎながら、タカシ様を横目で見ます。


穏やかな表情で読書に勤しむタカシ様。その後ろは霧で覆われてしまっていますが、それとも相まって、とても素敵です。


ソッとハーブティーの入ったカップを置き、ゆっくりと椅子に腰掛けて、目を閉じます。


わたしの午後は、こうしてゆっくりと過ぎていくのです。


タカシ様と共に。


カイトの戦闘場面と、タカシとイリアの甘酸っぱい場面。あえて混ぜてみましたが、いかがでしたか?


書いてる最中「リア充爆ぜろ!」という単語が、頭の中を飛び回って大変でした。


感想・評価、ケーキを焼きつつ待ってます♪



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