38、化学実験をしました
正式再会です!
大カマキリの巨大な鎌が私目がけて思いっきり振り下ろされる。
範囲が広い上に、体格に似つかわしくない素早い動き。どうにか側転気味に回避したが、私のいたところの床は、綺麗な断面を残しつつ大きく陥没していた。
隙を見せないためにも、私はすかさず足を斬りつけ、勢いそのままに細剣を魔物の装甲に突き立てる。
だが……
「ちょ、これ、どんだけ硬いのよ!? 一応本気でついたつもりよ、私!?」
「カホさん! 大丈夫ですか!」
「私は大丈夫よ! それよりもサーシャちゃんは自分たちの守りに専念してちょうだい! これだけの切れ味と速度だと風圧だけで斬られちゃうわ!」
私は敵の斬撃のあった周囲を見渡す。刃の当たったところ以外にも斬られたような跡が広がっている。
ソニックウェーブ――物体が音速を超えたときに起こる真空刃の一種だけど、どんだけよって話よね。
「これは……かなり厄介ね」
「はい。『ブラッディマンティス』……以前文献で絶滅種の一つとして見たことがありますが、まさかまだ存在していただなんて……」
私のフォローに来てくれたフィーが背中越しに敵の名前を明かしてくれた。ダメージは無いようだけど、珍しく息がほんの少しだけ上がっている。
中距離を保っていたフィーでさえ、回避にかなり苦戦しているようね。
いえ、逆かもしれないわね。鎌が巨大な分、懐にいた私のほうが小回りが利くから、最小の動きで回避することができたみたいね。そのかわり、本体に当たって木端微塵……なんてことになるかもしれないけど。
それにしても敵の名前、日本語に直したら『血染めの鎌切』じゃないの。随分と重苦しい名前を持っているようだけど、あの鎌に染みついた血の量は確かに尋常じゃなさそうね。いったいどれだけの命を奪ってきたのかしら。
さて、どう片付けようかしら。
敵の装甲は私の攻撃でさえ貫けない硬さ(そもそも細剣だからこういったことには向いていないのだけど)、攻撃範囲はショートレンジからセミロングレンジまで、ね。
こういった手合いは、まず足とか腕とかの関節部を狙うのが細剣としての定石だけど、この体躯だと相当時間を掛ける必要がありそうね。
海斗のこともあるし、せっかく階段前で掛けておいたマリネちゃんの防御魔法も切れちゃうわね。
……試してみようかしら、ね。
「フィーちゃん、援護射撃お願いね」
思いついたが吉日。私はフィーちゃんが返事をする前に、敵の懐へと武器を構えたまま突っ込んだ。
だがさすがは海斗の専属メイドちゃん。すぐに私の意図を察したのか、後ろからは正確無比な魔力付与の投げナイフの嵐が敵目がけて殺到した。
……だが、それらはブラッディマンティスの身体に当たっても軽い音を立てるだけで、地面に落ちてしまう。無論、敵の身体に傷はついていない。
魔法付与の投げナイフは、それこそ一本一本が対物ライフル並の威力となっているはずなのだけど、それすらもノーガードで弾き返してくるだなんて。
(やっぱり、装甲がかなり固いわね。こうなってくるとまるで装甲車と戦ってる気分になるわね)
実際に装甲車と生身で戦ったわけではないが、硬度でいったら同じか、下手したらそれ以上だろう。
だが、投げナイフの目的は相手にダメージを負わせるため、などではない!
「ナイスよフィーちゃん! これでも、くらいなさぁい!」
一気に敵の懐に入り込み、私は剣を構える。だが、先ほどとは違い、今度は両手で柄を握り、斬りこむように構える。
「草影一刀流、裏参の太刀『氷桜』!」
敵の腹に目がけ、細剣では本来絶対にやらない『斬撃』の雨を降らす。
十、二十、三十――何度も斬り付け、周囲には氷で出来た桜のような結晶が舞い散る。これは私が師から学んだ参の太刀『雪桜』……それを独学で昇華した技のひとつだ。
刃を高速で動かすことによって周囲の空気を冷やし、やがてそれは絶対零度の域へと達し、相手の傷を凍結させる。ゲーム風に言えば『氷属性付与』という感じね。
それでも、五十は斬りつけたあたりで私の身体が悲鳴を上げ始めた。これ以上は無理と判断し、『ラビッツステップ』で素早く後退する。
そしてそのときに見えたブレッディマンティスの腹は――無傷であった。
いや、正確には、私の攻撃で軽く凍結しているようだが、それも相手にとっては然したる問題でもないのだろう。
まるであざ笑うかのように、グロテスクな口からギャリギャリと唾液混じりの歯ぎしりの音が聞こえてくる。
――だけど、残念だったわね。あなたはひとつ勘違いをしている。
敵をあざ笑っていたのは、あなたのほうじゃない。
真に勝利の笑みを浮かべていたのは、私たちのほうだ!
「優奈ちゃん、やっておしまい!」
「了解! やぁぁぁぁぁああ!」
鎌の間をすり抜けるようにして、優奈ちゃんが雄叫びとともに薙刀を構えながら急降下してくる。その切っ先は朱く燃え盛り、その姿はさながら火の鳥、鳳凰を思わせる。
周囲を焼き焦がすような一撃が、爆炎とともにブラッディマンティスへと襲い掛かる。
狙いはもちろん、私が凍結させた腹部だ!
先ほどまでビクともしなかったブラッディマンティスの甲殻に亀裂が走り、それは走るように大きくなり――
そして苦痛の咆哮とともに、自慢だった彼の腹部の甲殻は見事なまでに砕け散ったのであった。
「なっ!?」
「こ、甲殻が……」
守りに専念していたマリネちゃんたちから驚愕の声があがる。
いいわねこの感じ、間接狙い続けるなんていう姑息な手なんかよりもよっぽど華があるわ!
と言っても、理屈を知っているとちょっとだけ興ざめなのよね。
『熱膨張』
誰しも一度は聞いたことはある言葉よね。
この世の(モスカルにおいても言えるかは不明だが)物体は、熱を加えると必ず膨張する。それは液体や個体、金属・非金属、硬さも関係ないわ。
それはつまり、逆――冷却による収縮もありえるということ。
だけど、本来硬いものを膨張させたり収縮させると、相当な負荷がかかるもの。それの極値とも言えるような熱の変動が急激に起こればどうなるか……
ま、当然耐えられなくなって『崩壊』するわね。ガラスのコップに熱湯を注ぐのと同じ原理よ。
私は『氷桜』によって相手の装甲を過度に冷却し、甲殻を収縮させた。そこに、絶対的な熱量を持つ優奈ちゃんの一撃が加わったことによって、予想通り、面倒だった装甲は見事なまでに砕けました、ってね。
いやぁそれにしても、まさかおじい様の剣術を刀以外の、それも本来斬撃に適さない細剣で使っちゃうだなんて……これで死んじゃったらきっとお叱りを受けるわね。
「ま、お叱りはこれに勝ってから、ってね」
私は剥き出しになったカマキリの腹深くに細剣を差し込み、城を壊さない程度の『バーストブレイド』を数発打ち込むのであった。
「うっへぇ……ベッタベタだわ。もう全身血まみれよ!」
「でもそのわりには生臭くないですね。むしろなんだかフルーツみたいな香りがしますし」
体中に着いた赤い液体をフィーちゃんから借りたタオルで拭いつつ、私たちは一時の休息を取ることにした。
結論から言うと、魔物は全滅、巨大カマキリは爆砕させた。
一応死んだふりをしてるやつがいないかだけは警戒しているものの、私たち以外の『気』は感じられない。おそらくここに倒れ伏している魔物はすべて絶命しているのだろう。
「それにしても、最後のアレは、一体どういう理屈なのでしょうか。あんなに硬かったブラッディマンティスの甲殻がああも豪快に砕け散ってしまうなんて」
「はい。私の場合、原理はわかるのですが、ああも派手にとなると、ちょっと……」
私たちのタイミングを見計らってか、それまで魔物からのドロップ品などを整理していたサーシャちゃんとマリネちゃんがちょこちょこと私たちのほうへと近づいてきた。何かしらこの可愛い子たちは。
さっきのあれとは、熱膨張を利用して敵の甲殻を砕いたことだろう。サーシャちゃんのほうはあれとして、マリネちゃんのほうは熱膨張の原理までは知っているようね。さすがに薬師ともなると、そういったことにも詳しいわよね。
そんなマリネちゃんでもあのときの爆砕加減にはいまいちなっとくできないところがあるらしい。
……正直に言うと、私でもわからない。
熱膨張というのは確かに強力だ。だが、あれほどに分厚いものをとなると、いくら私や優奈ちゃんの攻撃が強烈だったとしても、あそこまで激しいものになるとは考えにくいのだ。
原因があるとすれば、カマキリ自身のほうかしらね。
「そういえば以前、ブラッディマンティスについての記述の中に、爆薬に混ぜると多大な効果を発揮する貴重な素材を手に入れることが出来ると聞いたことがあります」
「それよ!」
フィーちゃんの一言に指を鳴らして相槌をする。さすがはフィーちゃん、やっぱり海斗や私たちにとっていなくてはならないメイドね!
「おそらくあたしが攻撃した時点で甲殻に亀裂が入ったんだと思います。で、その隙間から私の攻撃で生じた高温の炎が内部に入り込んで――」
「爆発性のあるその素材とやらと反応して内部爆発を引き起こした、と」
コクッと優奈ちゃんがうなずく。なるほど、通りで思ってたより派手だったわけね。
でも逆に言えば、あの爆発がなかったらもう少し長期戦になってたかもしれないってことよね。ある意味幸運だったというか、そうじゃなかったときのことを考えるとゾッとしないわね。
……でもこれだけの爆発素材、もしや利用できないかしら。
「ねえフィーちゃん、その爆発素材って、具体的になんなのか、とかわかるかしら」
「え……うーん、たしか『体液』だったと思います。全身を巡っていて、半透明なのが特徴だとかなんとかで。えと、それがどうかしましたか?」
「いえね、それってこれからの作戦のどこかで使えないかしらと思ってね。もし集められるものなら少し採取しておこうと思って」
「なるほど、さすが果穂さん!」
優奈ちゃんがぴょんぴょんと跳ねて子供のように喜び、フィーも目から鱗と言った様子で驚いて見せた。別にそう言った反応を狙って言ったわけではないので少しだけ照れ臭いわね。
しかしそれと比べ、サーシャちゃんとマリネちゃんの表情はいやに暗いというか、なにやら気まずそうな面持でいた。
「どうしたの二人とも、採取が苦手ならもちろん無理をする必要はないわよ。確かに結構グロテスクだものね」
「い、いえそういうことじゃなくて! あ、えと、確かにそういうのが苦手というのもありますがそうじゃなくてその……」
サーシャちゃんがわたわたと否定してくる。やっぱり反応が可愛いが、なんだか歯切れが悪い。採取が苦手なのは間違っていないらしいが、それが主だった理由ではないと。
「ええと……盛り上がってるところに水を差すようで本当に申し訳ないのですが……」
と、マリネちゃんがおずおずと手を挙げてくる。
いったい何かしら。採取用の瓶がないとかかしら。それくらいならいくらでも代用品を用意することはできるから大丈夫だし――
「その、ブラッディマンティスなんですが……先ほど果穂さんが木端微塵にしてしまったので、体液の採取は正直難しいかと……」
…………
……
「だから力加減しましょうって言ったじゃないですか! なんであんなにバンバン撃っちゃったんですかぁ!」
「だ、だってつい気分が高揚しちゃったんだもん! それに城が壊れないくらいには手を抜いたし、数撃ったのはちゃんと息の根を止めるためだったんだもん!」
「お、お二人ともその辺で! こんなところで揉めてたら無駄に体力を消費して危険です!」
「あわわ……喧嘩はその、あうぅ……」
「仕方がなかったとはいえ、なんだか申し訳なさが……」
結局、ブラッディマンティスの体液は木端微塵になった影響で、部屋中にまき散らされてしまっていた。たぶんこの部屋に火を放ったら、城ごと砕けるかもしれない。
床の血だまりは他の魔物の血も混ざって何が何やらという状態になってしまっており、私の考えた案は、皮肉にも過去の私の行動によって揉み消されることとなったのだった。
一応、私たちがつい先ほどまで使っていたタオルにはブラッディマンティスの血液が大量に染みついているので、これだけは捨てずに持っていこうということになった。
はぁ……海斗や志穂がいなくてよかったわ。いくらなんでもこんな情けない姿を見られたらと思うと、姉として色々と思うところがあるところだったわよ。
あ、でも海斗とか志穂とかに「もう、お姉ちゃんはしょうがないな」とか苦笑い気味に言われるのも……案外、悪くない、かも……
などとちょっとだけ邪なことを考えつつ、私たちは城のさらに奥へと足を踏み入れるのだった。
ということで、微妙なところで止まっていた果穂ルートも一段落し、なんとか再会することができました!
みなさま、大変お待たせしてしまい、本当に申し訳ありませんでした!
次回は志穂ルートの予定です。
感想・評価、鋼の聖女に挑みつつ待ってます!
ナイトメアの鋼の聖女はホントに鬼だと思います。そりゃあ称号も手に入りますわな。




