~クリスマス番外編~ 『聖夜に輝く男の涙』 後編
(なぜだ……)
その言葉だけが僕の頭の中を支配していく。
目の前にいる大勢の観客も、ステージ横に併設された実況席で観客を煽っている双子の姉妹も、何もかもどうでもよく映ってしまう。
あの予選、僕と孝は作戦通りに動いた。わざとらしすぎず、控えめすぎない、ちょうどいいバランスを保ちつつ、僕らは完璧に女子を演じきった。
僕の狙い通り、他の女装した男子たちは決勝に残るまいと、男らしさをアピール。そして女子も、女装した男子なんだと思わせるように男子のふりを演じて見せた。
このとき、観客はおそらく、『男子のふりをしているのが女子だろう』という考えになる。なにせ女子は、女装男子と思われて予選敗退すると、あとで主催者から特典がもらえるという話だ。それは観客の人たちも承知の話らしいから、先ほどのような考えになるに違いない。
だからこそ、僕らはあえてその裏を掻き、女子の振りをして見せた。男子のふりばかりされた観客たちは、この僕らの演技を見て、『こいつらは確実に女装をした男子だ』と思うに違いない。
……そう、確信していたのに。
冷たい汗が頬を伝い、ぽたりとステージに落ちる。その感覚に意識がふっと戻った僕は、過呼吸になりかけて朦朧とする意識をなんとか保ち、隣に立ち尽くす孝の様子を見る。
孝は、|美人な≪、、、≫顔立ちのまま、唖然とした様子で、お祭り騒ぎしている観客を見下ろしていた。
孝も僕の作戦には完全に同意していた。僕一人だけでやっていたら、ただ僕がバカやっただけの話なのだけど、今回の作戦は孝も全面的に賛成していた。孝も孝なりに考えて、僕の作戦に参加していた。だからこそ、この作戦の信頼は確固たるものとなっていた。
だというのに、結果は僕と孝だけが予選を突破という、これ以上ないくらい、まさに最悪の状況と化してしまった。
いったいどうして、こんなことになってしまったんだろうか。
「孝、孝ってば! しっかりして!」
小声でそう声を掛けながら孝を肘で小突く。
すると孝は不意にビクッと身体を震わせ、直後、少しだけ荒い息を吐きながら、顔色を真っ青にした。
「っ! わ、わりぃ。動揺のあまり、少しばかり遠くて綺麗なところに逝きそうになってた」
「それショック死寸前じゃないか! そこ逝っちゃいけないところだからね!?」
観客に気付かれないように呼吸を整えようとしているみたいだけど、上手く空気が吸い込めないようで、詰め物をした胸を激しく上下させる。
これはかなりの重傷みたいだ。予想外とはいえ、僕の作戦が原因だから、多少罪悪感があるけど、今回ばかりは誰の責任というものでもない。
言い逃れのようでちょっと情けないけど、今日ばかりは本当にどうしてこんな結果になったのか読めない。
いったいどうして。
『いやぁ、まさか決勝に残ったのがたったの二人になるとは思いませんでしたね』
『予選は観客の皆様に、誰が女装をしているのかを見極めてもらうというものでしたが、まさか女装を見破られなかったのがたったのこの二人だけだったとは』
『『これは驚きです!』』
姉妹の揃った声がスピーカー越しに聞こえてくる。本当に楽しそうで、だけどあまり驚いた様子ではない。
まさかこの二人、こうなることを予想していたっていうのかな。
……いやいや、まさかそんなわけがないよね。
どうやら僕も孝同様、少しばかり気が焦っているみたいだ。そのせいで、何もかも悪い方に考えてしまっているみたいだ。
『さてさて、今私たちの目の前には、予選に使った投票箱がございます』
『この中に入っている紙には、女装していると思われる人の番号と、任意によるコメントが書き込まれています』
『そして女装だと思われた数が多い人から順に落選していき、計15人が落ちる計算となっています。まぁ、結果に関してはこの通りですので』
『ここからは、私たちが選別したコメントの数々を読んでいこうと思います』
確かに、僕らの演技が終わった直後に、観客は一斉に後方に列を作り始めていた。あのときは何事かと思ったけど、あれはあの投票のための記入を行っていたということか。
僕と孝は、ステージ脇から出てきたスタッフの生徒が用意してくれた椅子に座り、ほっと一息つく。
座るという行為は、こういう緊張する場の場合、とても気持ちが落ち着くものだと、僕は思っている。実際、僕の心拍数は、椅子に座ったおかげで少しずつだけど落ち着きを取戻しつつある。
孝も本当の意味で一息つけたようで、ようやく顔に生気が戻り始めていた。青いを通り越して土色になり始めていた孝だったけど、青くらいにまで回復したらしい。
それにしても、観客たちのコメントか。なんだか不安な気もするけど、これはちゃんと聞いておいたほうがよさそうだ。もしかしたら、何か今回の作戦の落ち度がわかるかもしれない。
『さてさて、それではさっそくいってみましょう! 任意ということで無記入の方もいますが―――』
『ほとんどの人がコメントを残してくれていますね。あの短時間でどうしてこんなに書けたんだってくらいぎっちり書いてくれた人もいますね』
『うわ、確かにすごい。なんだかこれ、熱意以上に闇を感じますね』
闇を感じるコメントって一体なんなんだろうか。
何に関してそんなに書いてあるのかかなり興味があるけど、好奇心猫を殺すとも言うし、ここはあえて何も気にしない方向で行くとしよう。なんだか首を突っ込んではいけない気もするし。
『というわけで、さすがにこの量をこの短時間で捌き切ることはできないので』
『私たちのほうで、決勝に進出したおニ方に関する、ちょうどいい文章量のものに絞らせていただきました』
『不満がある方もいるかもしれませんが、こればかりはどうしようもないので我慢してくださいね』
ブゥー、と観客の一部からブーイングが出るものの、実況席に乗り込むような野蛮なことをする動きはなさそうなので、少しだけ安心した。
そもそもコメント云々でブーイングが出るというのも、学園のお祭りにしてはやや大げさなんじゃないかな。あまりそういうことに詳しくないから何とも言えないけど。
でも、僕らとしてはその絞り方は助かる。おかげで、作戦の穴を見直す絶好のチャンスが回ってきたぞ!
僕は平然とした顔のまま、聴覚を研ぎ澄まし、一字一句逃さないように注意を払う。孝もなんとなく状況を察したのか、落ち着きを取り戻した顔で耳をそばだてた。
『さて、お二人に向けて書かれたコメントは次のようなものとなっておりました』
『えーと、ですね―――
【海斗先輩マジ天使。家に連れ帰りたい。いや、意地でも連れ帰る】
【男はみんな嫌いだけど、海斗さんなら私……いいかも】
【ふおおおぉぉぉ、可愛すぎるぅ!!】
【あんなに可憐な女性がこの学園に二人もいただなんて……】
【俺、男なのに、あの二人見てたらなんか胸がドキドキしてきた】
【孝お姉さま、ス・テ・キ♪】
【孝様、あぁ、なんと凛々しいお姿なのでしょうか。こんなものを見せられてしまっては、私、もう辛抱たまりませんわ。こうなったら、我が財閥の全勢力をもってしてでも、あなた様をわたくしの家に私の婿として迎え入れてみせますわ!】
【海斗君を私の部屋のベッドに縛り付けて、私が毎日お風呂に入れてあげたり、ご飯を食べさせてあげたりして、夜はもちろん一緒に寝て……はっ、私ってば天才!? こんなの、ラブラブカップル以外の何物でもないじゃないの!!】
などのコメントが特に目立っていましたね』
……しまった、下手に耳を澄ましていたから、いつものノイズキャンセルが全くされなかった。そのせいで、聞きたくもないコメントまで完全に頭の中に入ってきちゃったよ。
お持ち帰り・変態・ホモ疑惑・強制婿入り・拉致監禁……どう聞いても僕らにとって何の得もないコメントばかりだったじゃないかちくしょう!
特に最後の二つ! 明らかに危機的な状況に陥っちゃっているんですけど僕ら!?
孝のほうも、僕のほうも、意味は違えど相当危ない。夜道に気をつけろどころか、年中警戒態勢を引かなきゃいけないような状態じゃないか。
孝なんてショックのあまり泡を吹いて意識を手放しちゃっているし。これ、本当に黄泉の国へと旅立っちゃったりしてないよね?
だ、だが落ち着け、落ち着くんだ。冷静に考えてみればこれくらいどうってことないじゃないか。
だって僕は変態担当の姉さん、お持ち帰りが得意な優奈、拉致監禁が当たり前の美琴にいつも振り回されているんだよ? 今更こんなことで驚いていてどうするっていうのさ。
それはそれでどうなんだって自分でも思うけど、しょうがないじゃないか。だってこれが僕の日常なんだからさ。
だから、目元から涙が止めどなく流れてきているのも、ただあくびで流れ出ただけなんだ。悲しくて泣いているわけでも、絶望に打ちひしがれているわけでもないんだ!
……それにしても、まさか女子のフリをしたことがかえって逆効果になってしまっただなんて。裏の裏を掻かれたというわけか。
いや、そもそもこの女装大会って、匿名でみんな参加しているはずなんだけど、どうして僕らの名前が挙がっていたんだろうか。
まさか、僕らだけ名前を公開された上、決勝までの切符が確定されていた、なんてことは――――
ははっ、か、考えすぎだよね。いくらなんでも、そんなことあるわけが……ないよね!?
そう確信しつつも、僕はなぜか、ステージの前で騒いでいる生徒たちの顔を見ることができなかった。言い知れない不安が、募り、顔を上げることを本能が許してくれなかった。
『まだまだコメントはありますよぉ―――と、言いたいところでしたが、どうやら時間が押してきてしまっているようですので、残念ですがここで締め切らせていただきます』
『集計したコメントについては、審議の上、新聞部発行の暁ヶ丘新聞に掲載させていただきます』
顔を上げられずにそのままステージの床を見つめていると、実況の子がなんだかとんでもないことを言っているのが聞こえた。
(今月の暁ヶ丘新聞は、絶対に見ないようにしておこう)
心の健康のためにも、僕はそう深く誓ったのだった。
場所は変わって、楽屋に戻ってきた僕と孝。
決勝の準備があるとかで、その間ここで待機していてほしいとのお達しだ。
一旦はステージから離れることができたけど、逆に言えば、この楽屋を出るときは、次こそ僕らの最期ということだ。
「…………」
「…………」
重苦しい空気が僕と孝の間に流れる。お互い、神経をすり減らしたせいで気力が不十分なうえ、タイムリミットが迫ってきているとあって気が気でないのだ。
このまま決勝まで進んだら、僕らは互いに優勝を譲るために醜い争いを繰り広げることになろうだろう。
昨日の敵は今日の友とはよく言うけど、今回はその逆の境遇に陥っているというわけだ。
確かにあの場で孝を犠牲にするように動けば、優勝から逃れることができるかもしれない。
だけど、これには不確定要素が多すぎる。一歩間違えれば僕が逆に優勝する羽目になるかもしれないし、審査員には確実に姉さんが参加してくるに違いない。下手したら『二人とも優勝』なんていうバカげたことを仕出かす可能性も否定できない。
そもそも、この企画だって、姉さんやクラスのみんなが一枚噛んでいる大がかりなものだ。他の参加者はどうか知らないけど、僕と孝は少なくとも完全に嵌められた側だ。
そう考えたら、優勝するしない以前に、この企画に巻き込まれることに対する怒りがふつふつと沸いてきたよ。
鏡越しに孝の顔色を窺うと、鏡の中で孝と目があった。その目には赤黒い怒りの炎が静かに燃えているのが見えた。どうやら孝もこの短時間で僕と同じ結論に至ったみたいだ。
「孝」
「海斗」
僕らは互いの名前を言い合い、僕は自分の背中右手を、孝は自分の胸元に両手を入れる。そして再び抜いたときには、お互いの手にはそれぞれ、ある物が握られていた。
濃い紫色の鞘に納められた僕の愛刀『村正』、料理のお供として使われる孝の愛用のブレード付二丁拳銃『マッドクッカー』。
ここまでされて、黙って従うなんてバカのすることだ。
孝は目線をこちらに向けたあと、扉のほうをにらみつけた。
「いくぞ海斗、こうなったら、何が何でもここから脱出するぞ」
その目には普段滅多に見せない殺気が籠っている。普段は怖がられないようにと努めてその手のものを封印している孝がそこまでするということは、それだけ本気ということなのだろう。
僕は村正を腰に差し、同じように扉のほうを見据える。ただの木製のドアだけど、今はなぜかそれが僕らを閉じ込める大きな鳥籠の扉のように見えて仕方がない。
本当は女装を脱ぎ捨ててから脱出したかったけど、決勝戦が始まるまでもうあまり時間がない。姉さんたちに感づかれていない今しか、もうチャンスは残っていない!
「孝、家に帰って、僕ら流のクリスマスをしよう」
「そうだな。適当にチキン買って、朝まで対戦ゲームと洒落込もうじゃねえか!」
僕の部屋だといろいろと危ないから、孝の部屋にでも逃げるとしよう。そこで、この前買ったばかりのゲームをやりまくって、ぐうたらなクリスマスを過ごす。
そんな近い未来の情景を思い浮かべながら、僕らは楽屋の扉からこっそりと外を窺いつつ、脱出を始めるのだった。
このプレハブがあるのは、おそらく学園のど真ん中にある生徒会館――食堂や文化部の部室があるここの、中庭だ。実際、ステージから見た景色は、コの字型をした会館に中庭を背にするような形で設営されていた。
そしてここはそのステージの裏側。だとするならば、どこか抜け道を見つけるしか、ここから脱出する方法はない。
「チッ、なるほどな。あの果歩さんがここまで無警戒なのも妙だとは思ったが、すでに閉じ込めてあるんだから警戒する必要なんてないってことか」
孝は僕の分析を聞くなり、短く舌打ちして毒づいた。
確かにその疑問は僕も持っていた。姉さんはああ見えて、穴のあるような行動をしない、かなりの慎重派だ。僕らが脱出するという考えも頭の中にあったに違いない。
その上で誰も見張りに立てないということは、つまりそういうことなんだろう。
「で、どうするよ。四方八方囲まれたこの場所から、どうやって脱出するよ。適当な窓でも割って脱出するか?」
「うーん……」
できれば大きな音や痕跡は残しておきたくない。音で察知されることに加え、痕跡によって脱出ルートをある程度絞られてしまう。
だけど、ここは文字通り袋小路だ。唯一の抜け道も邪魔なステージと観客のせいでぴったりと埋められてしまっている。
仕方ない、気は乗らないけど、ここは窓ガラスを叩き割るしかないか。
そう思った瞬間、僕らの背後に人の気配がして、ガラリと生徒会館の窓の一つが開け放たれた。
しまった! もうばれたのか!
バッと振り返って後ろを警戒する。もうこうなったら、ここは力尽くで黙らせるしかないか。
しかし僕の動きは振り返った時点で完全に硬直してしまった。
孝も顔を驚愕の色に染め、窓を開けた人物の顔色を凝視していた。
「えと、あの、こんなところでどうかしましたか?」
窓を開けた人物がおどおどとした調子で声をかけてきた。小柄な体型に、セミロングの髪、そしてその目元は僕や姉さんにそっくりなその女の子は……。
「志穂っ!?」
「きゃっ! え、その声……え、えぇ!? も、もしかして、お兄ちゃん!?」
叫んでから、思わず口を塞いだ。しまった、今の僕は女装したままだったんだ。しかも、今の反応からして、志穂はさっきの予選を見ていなかったみたいだし、女装していることは隠せたはずだったんだ。
まさか自分から墓穴を掘ることになるなんて……
「えと、その、お兄ちゃん? その、恰好は……」
「やめて! 何も言わないで! こんな姿の僕を見ないでくれぇ!!」
僕はさっきまで隠れていた草むらに顔から突っ込んで必死の抵抗をする。後ろから似合ってるし可愛いとか志穂が励ましてくれているけど、それはむしろ傷口に硫酸です。
「ご、ごめんねお姉ちゃ……お兄ちゃん。なんだかいろいろ大変なことなっているの、かな?」
「うん、とりあえず今、実の妹からお姉ちゃんと言われかけて心が粉々に砕けて大変かな」
もう溶岩があったらダイブして自然に還りたい気持ちだよ。いや、むしろこんな僕を早く溶かして消してくださいお願いします!
「何やってんだ海斗、ほら、脱出口が出来たんだ。さっさと逃げるぞ」
悲しみの涙を流している僕の背中を容赦なく孝が叩き、そのまま志穂の開けた窓からするりと中へ入った。
なんだか孝が少しだけ慌てているような気がしたので、耳を澄ましてみると、ステージのほうが先ほどよりさらに騒がしくなっているのが聞こえてきた。時間的に、僕らがいなくなったことがばれ掛けているのかもしれない。
僕も慌てて建物の中に入り、志穂を連れて足早に建物の脱出口へと向かう。
「あ、あわわ。い、いったい何がどうなっているの!?」
志穂の脳内はすでに混乱し始めているようで、僕に連れられて走ってはいるものの、もう目を軽く回し始めてしまっている。
志穂からしたら、この状況は夢の中であってもおかしくないような事態だ。混乱するのも当然と言えば当然だ。
走りながらはうはうと言っている志穂を見ていると、可愛い半分、兄として今後が少しだけ心配にもなります。来年は僕らと同じ高等部になるけど、急な事態にも対応できるような胆力もこれから養っていかないといけなさそうだ。
「……おし、ついているぞ海斗。裏口のほうは誰も人影がいないみたいだ。あそこから近くの茂みに一度抜けるぞ」
孝の隣を走りながら周囲の警戒にあたる。時間的にもう完全に脱走がばれていてもおかしくない。ここからはさらに警戒を強めたほうがよさそうだ。
窓から見える範囲には確かに人の気配はない。後方からも追手はいない。
「わかった。裏口から茂みまでの距離は?」
「目測7……いや、10mってところか」
10mか。結構距離が開いているようだ。
僕と孝だけならまだいいけど、志穂はそこまで素早い動きができるわけじゃない。
……仕方ない。志穂には悪いけど、ちょっとだけ我慢してもらうとしよう。
「よいしょっと」
「ふえ?」
僕は手首を支点にしてくるんと志穂の身体を傾け、空いていた左手で膝あたりを、支点にしていた右手で腰のあたりを支え、志穂を持ち上げる。いわゆるお姫様抱っこという体勢だ。
志穂の身体は小柄なため、この体勢でも十分な速度が出せる。志穂は嫌がるかもしれないけど、これも平和なクリスマスのため、どうかここは目を瞑ってほしい。
「あ、あぁ、憧れのお姫様抱っこ……おに、お兄ちゃんにお姫様抱っこされちゃったぁ。私、このまま天国に逝けちゃうかもしれない」
志穂は何かをぼそぼそと言ったあと、ふっと脱力してしまった。意識は一応あるみたいだけど、なんか顔を真っ赤にしてうわ言を言っている。顔は蕩けているからたぶん風邪云々ではなさそうだ。
というかこれ、もしかしてこの状況を喜んでくれている? ははっ、まさかそんなわけが……
でも、嫌がってはいないみたいだし、たぶん大丈夫だろう。
孝が呆れたような視線を向けてきたけど、事が事だからか、何も言わずにいてくれた。
そのまま僕らは一気に足に力を込めて加速、突っ込むようにして裏口の扉を鍵ごと蹴破り、そのまま目の前にあった緑化用の低木林へと駆けこんだ。
僕はそのまま志穂を抱えたまま茂みの影に隠れ、孝は身を隠しつつ、すぐさま周囲の警戒にあたる。
「……どう?」
おそるおそる孝へと声を掛ける。
「……クリア。とりあえずこの林の周辺に人の気配はしねぇな。たぶん、まだプレハブのほうでも捜索しているんだろうよ」
その言葉に少しだけ張りつめていた気が緩む。さすがの姉さんも、あそこで志穂が窓を開けて脱出口を作ってくれる、ということまでは予想できていなかったみたいだ。
あのとき使った窓はちゃんと内側から施錠もしたし、たぶんしばらくは大丈夫だろう。さすがに破壊された裏口を見られたらこのあたりにまで捜査の目が入りそうだけど。
僕は腕に抱いていた志穂をゆっくりと草むらに座らせる。しばらくの間、恍惚とした表情のままでいたけど、やがて夢から覚めるみたいにはっと目を見開き、ぶんぶんと首を左右に振り始めた。
「さ、さっきまでのは、夢? いやでも、ちゃんと温もりは感じたし、でも、あれ?」
はわはわと腕を動かしたりきょろきょろと周囲を見渡したりと挙動不審だけど、これ本当に大丈夫なんだろうか。お兄ちゃん、ちょっとだけ心配になってきたよ。
「志穂、とりあえず落ち着いて」
ぽんぽんと志穂の肩を後ろから叩き、現実に連れ戻そうとすると、ビクッと志穂の肩が震えた。
そこまで驚かれると思わなかったので少しだけ悲しくなったのは、僕の中だけの秘密だ。
「あれ、お兄ちゃん……だよね?」
「そうだよ。ちょっと姉さんの女装コンテストに巻き込まれたせいで、こんな格好しているけど」
「あ、そうだったんだ。あれ、じゃああそこにいる美女さんも……」
「美女さん?」
そう言われ、志穂の視線を追って、ちょっと笑いかけた。
「あ? なんだよ海斗、変な顔になってんぞ」
きりっとした顔のまま、美女さんこと孝は周囲を警戒しつつ、こちらに振り返った。
なるほど、僕のほうは声を変えていないからすぐ志穂に僕だってバレたけど、孝は骨格を強制的に縮められているうえ、変声機なんてものまで装備させられているんだ。これを初見で男だと、ましてあの孝だと見破るなんて無理にもほどがある。
「いや、志穂が孝のことを美女さんなんて言うからさ」
「え! じゃ、じゃあやっぱりこの人って、孝さん!?」
口に手をあてて、まさに驚きましたという感じで志穂が後ろに仰け反った。志穂は昔から感情豊かだからなにかとわかりやすいし、おもしろい。
「あー、そっか。そういえばずっとこれつけてたんだっけか。慌ててたせいか、すっかり忘れてたぜ」
どこか言い訳くさいことを言いつつ、ピンッとチョーカー型の変声機を片手で外した。
「すまん師匠、すっかり言い忘れていた」
「わわっ、いつもの孝君の声だ。すごいね、全然気づかないくらい美人さんになってたよ!」
きらきらとした表情で孝のお菓子作りの師匠こと、志穂が孝へと鋭い一撃をお見舞いしていく。
あちゃあ、言葉の刃に貫かれた孝が沈んじゃったよ。これは完全に轟沈判定だよ。
またうわ言みたいに違うだの俺はこんなんじゃないだのと面倒なので、適当に頬を引っ叩いて正気に戻す。
叩くときに触ったけど、たしかにこいつの肩、プロテクターみたいに硬い感触があった。これじゃあ確かに動かせるところも動かせなくなるよ。
孝は少し赤くなった頬を擦りながら、不機嫌そうに僕の顔をつねってきた。
「いつつつ、おい海斗、少しは手加減しろ! あと、なんで師匠までここに連れてきたんだ?」
「いふぁいいふぁい! あいたたたぁ、孝のほうこそ、少しは力加減を調整してよ! 頬が取れるかと思ったじゃないか!」
まったく、すぐに暴力で解決しようとするのは、孝の悪い癖だ。ぎりぎりまで言葉での対話を心掛けて、どうしてもってときだけ力を使うのが、日本人の美徳ってもんじゃないか。
それに志穂をここに連れてきたのだって、ちゃんとした理由が……
あれ、そういえばなんで僕は志穂をここまで連れてきたんだろうか。別に志穂はこの件に全くかかわっていないし、あのままいればこうして寒々しい木々の中に紛れる必要もなかったんだし。
「おい海斗、まさか理由もなしに師匠を連れてきたのか?」
「うっ……その、なんか無意識で連れてきちゃってたみたいで」
孝は完全に呆れたようで、大きなため息を吐いてウィッグを被った頭をガシガシと掻いた。見た目は美人だけど、行動が完全にヤンキーだよ、孝。怒られるだろうから言わないけどね。
でも、孝が呆れるのももっともな話だ。理由もなしにすれ違った妹を抱えて外にある茂みに駆けこむ兄とか、傍から見たらもう手遅れだよそれ。
本当に、さっきとは別の意味で、誰も見ていなくてよかったと思うよ。
「ごめんね志穂、なんか妙なことに巻き込んじゃって」
僕はほにゃっとした感じで僕の事を見ていた志穂の頭を軽く撫でる。よく、ライトノベルとかの主人公は誰かれ構わずこういうことをする傾向にあるけど、僕がこういうことをするのは動物と、志穂に対してだけだ。
たまに美琴とかにもやったりするけど、基本は志穂だけだ。異論は許さないよ!
志穂は少しの間、目を細めて気持ちよさそうに撫でられ、手を放すと名残惜しそうに小さく声を上げた。ちょっと可哀想になったのでまた撫で始めると、今度は猫撫で声まで出し始めた。なにこの可愛い生き物。
「お兄ちゃん、私別に気にしたりなんてしてないよ。むしろ、学校でもこうして撫でてもらえたり、お姫様抱っこしてもらえたりして、私は嬉しかったよ」
えへへ、と人懐っこい笑顔を向けて僕の手に自分の手を添えてくる。
あぁ、我が家の癒し担当は、僕の心を本当に癒してくれるよ。
その癒される傷をつけていったのも、我が家の最高責任者担当なんだけどね。
「ん? おい海斗、シスコン爆発させるのもそろそろ終わりにしろ。そろそろ動かねぇとやばそうだ。果穂さんがこっちに勘付き始めたみたいだぞ」
「誰がシスコンだ!」
「なんでそこにだけ反応すんだよ」
まったく、僕がシスコンだなんて、失礼しちゃうな。僕はただ、家族が大事なだけであって、そういった感情を持ち合わせているわけじゃないんだから。
ん? ちょっと待つんだ。
さっき、最後の方で孝のやつ、なんて言った?
「ねぇ孝、ごめん、最後のほうがうまく聞き取れなかったんだけどさ。なんか姉さんがこっちに気付き始めたとかそんな風に聞こえたんだけど、気のせいだよね?」
「……海斗、お前の耳はばっちり、健常者のものだよ」
「ねえ嘘だと言ってよ孝! 姉さんがこんな短時間でこっちに気付くとか、ありえないでしょ! ねぇ!」
「俺たちもなんだかんだのんびりしていたような気もするけどな」
くっ、まさか姉さんがもうこっちの動きを察知しただなんて。昔から勘が鋭いことは知っていたけど、隠れられたからって油断しすぎていた。
「お兄ちゃん、お姉ちゃんから逃げてるの?」
いつの間にか志穂は立ち上がって茂みの中から歩いて出て行ってしまった。
い、一体何をするつもりなんだ。ただ単に校舎に戻りたくなった、というような雰囲気には見えない。
なんだか、とても嫌な予感がする。
「ここから南、生徒会館裏口からまっすぐ行ったところに、あまり使われていない生徒用の並木道があるの。少し歩きにくいし遠回りになると思うけど、そこを道なりに行けば、正門まで気づかれずに行けると思うよ」
こちらに振り返らず、ただ淡々と告げてくる志穂の背中に、僕は嫌な感覚を覚えた。
これは、漫画とかでよく見る自己犠牲囮フラグ! 自分の危険を顧みずに味方を守るために囮として乗り込むときの様子とまるっきり同じじゃないか!
「志穂! 何を考えているのか知らないけど、バカな真似はよすんだ!」
孝の制止もお構いなしに僕は志穂へと叫ぶ。ダメだ、行っちゃ駄目だ! 志穂が僕たちのために犠牲になる必要なんてこれっぽっちものないのに!
「お兄ちゃん、私ね――――」
「ちょっと、お姉ちゃんのところに行ってくるね」
「し、志穂ぉぉぉ!!」
生徒会館の開け放たれた裏口へと駆けていく志穂の背中を追いかけようとするが、腕を孝に掴まれてしまい、前へ身体が進んでいかない。
「は、離せ孝! 志穂が、志穂がフラグの犠牲になっちゃう!」
孝は何も言わない。ただ黙って、志穂の走り去っていった方角とは真逆の方向を向いている。
くそ、なんて薄情な奴なんだ! こうなったら僕ひとりでも戻って姉さんと戦ってや――――
「いい加減現実に戻ってこい、このバカ」
「あいたっ!?」
脳天にバットで思いっ切り殴られたような衝撃が走り、視界がぐらぐらと波打つ
ついで、びしばしと頬を叩かれる。揺れる視界の中で見えた孝の顔は、呆れを通り越して、もはや悟りを開いた顔になっていた。
「ほらいくぞ、南のほうに、目立たないが確かに道のようなものが見えた。さっさとそこから抜けるぞ」
「え、あ、うん」
大股で林の影に隠れながら南のほうへと歩いていく孝の背中を僕も同じペースでついていく。
僕、さっきまで何を言っていたんだろうか。志穂が姉さんのところに行ってくるなんて、ただ姉妹として会いに行くだけの話じゃないか。自己犠牲も何も、今回の脱出劇は犠牲者が出るような血生臭いものじゃないし。
……最近、そういう作品に感情移入しすぎていたから、その影響かな。少しその辺も自重しないと、イタイ人になりかねない。
「ごめん孝、なんかさっきまでいろいろとおかしくなってたみたい」
「気にするな。過ぎたことを悔やんでも仕方ないだろ」
そういう孝との距離はなぜか少しずつ離れて行っているようで、僕は少しだけ心が寒かったです。
志穂の言うとおり、確かに南のほうに、もう手入れのされていない並木道が人知れず存在していた。コンクリートはそこらじゅうにヒビが入り、まわりの草も生え放題で、ほとんど林の中と変わりない状態だ。
だけど道がある程度舗装されている分、これなら林の中より動きやすそうだ。視界も暗い分、こういった隠密行動にはうってつけだ。
でもこんなところ、僕でさえ知らないのに、志穂ってばいつの間に見つけたんだろう。外から見てもここが道だって判別するのはなかなか難しいと思うけど。
ま、大方猫でも追いかけて、その拍子に見つけたとか、そういうことなんだろうな。
「さて、と。だいたいどのあたりまで来たのかな。もうそろそろ正門が見えてきてもいいと思うんだけど」
かれこれ30分くらいは歩いただろうか。光は差し込んできているけど、歩く先にはまだ仄暗い林が続いている。
後ろから追ってくる気配はないし、ここにいるってことはどうやらばれていないみたいだけど、捜索の手がここまで伸びてこない保証はどこにもない。できるだけ早く、ここから抜けなくては。
「風の流れからして、あと少しで開けた場所に出そうだ」
ということはゴールが近いということだろうか。それにしてはゴールらしき光は未だに見えないけど……
さらに歩くこと5分ほど、僕らの前の視界がついに広がった。
だけどそこは正門付近ではなく、まだ道の途中だった。朽ちた木製のベンチや錆びた金網のごみ箱などがあるあたり、ここは休憩所やお昼どころだったのかもしれない。
「もう手入れはされていないみたいだが、ちゃんと整備されていた当時は、たぶん過ごしやすい場所だったんだろうな」
孝も僕と似たようなことを思っていたのか、そんなことをぼやきながら、塗装の剥げたベンチを感慨深げにそっと撫でた。
その瞬間、ぞくっとするような殺気が突如として現れ、僕は駆ける勢いをそのままに、孝を思いっきり引き倒した。
僕と孝は絡まるようにして硬いコンクリートの地面を転がる。ようやく勢いが収まり、すぐさま立ち上がると、視界の先に、投網が覆いかぶさった、先ほど孝が撫でていたベンチを捉えた。
さっきまでの静けさと、いきなりのこの奇襲と来ると、偶然とはさすがに考えにくい。
やられた。どうやら僕らは見つかっていなかったわけではなく、最初からこの広場に誘い込まれていたってわけだ。
「づっ! ちくしょう、完全にしてやられた」
孝と僕はすぐに背中合わせに立ち上がり、どこから攻めてこられても大丈夫なよう、周囲に注意を最大限払う。
すると相手は特に隠れることなく、やけにあっさりとその姿を現した。足音は三人、影の形からして女子、そのうち一人は長物を持っているようだ。
ただ歩いてきているようで、それでいて隙のない動き。この感じ、僕の予想はおそらく間違っていないだろう。
「どうして、この場所がわかったの、姉さん、美琴、優奈」
僕の問いかけに対して、一番背の高い影がクスクスと笑う声が聞こえ、そのまま僕らのほうへと歩いてきた。雲間から太陽の光が広場に差し込み、影を照らし出していく。
僕らの前に歩み出たのは、やはり、僕らをこんな格好にさせた張本人である姉さんだった。
「うふふ、さすがは海斗、影だけで私たちのことを見分けられるなんて、これこそ、姉と弟……いいえ、それすらも超越した愛のおかげね!」
「いや、僕と姉さんの間には家族としての愛しか存在してないからね。そんな境界超越した覚えは一切ないからね」
姉さんは平常運転、いつでも楽しそうだ。まるで僕らのこの脱走劇でさえ、楽しんでいるように見える。
そしてそんな残念な姉さんの後ろから、得物の一つである棒、いわゆる棍を持つ優奈、そしてぱっと見なにも装備していない美琴が笑顔のまま歩み出てきた。
しかし優奈はともかく、美琴のあの笑顔は、まずい。美琴がああいう不自然な笑みを浮かべているときは、大抵とんでもなく怒っているときでしかない。
つまり、美琴さんは僕らが女装コンテストをボイコットしたことに相当ご立腹、というわけなんだね、
……やっばい。姉さんも手ぶらだけど、姉さんの場合はあの拳が最大の武器になるし、美琴はたぶん制服のそこかしこに仕込み武器があるに違いない。
「……海斗、わたし、審査員席でずっと待ってたんだよ? 海斗が私のコーディネートした服で、その愛らしい姿を見せてくれることを今か今かとずっと待ってたんだよ? それなのに、どうして? どうしていなくなっちゃったりしたの? ねぇ、答えてよ海斗、ねぇってば!」
「え、えと、あはは……」
やっばい! 美琴がいつになく本気で怖い! いつも怒っても淡々と喋るのに、どうして今日はこんなにも感情的なんですか!?
なんか目の焦点も合ってない気がするし……あれ、これってなんていうヤンデレゲームだったっけ?
「あたしもちょーっと怒っているんだよ海斗。 確かにやりすぎちゃったかなって思ったりもしたけど、それとあたしたちから逃げたことは全くの別物だからね! というわけで、おとなしく捕まりなさい、あたしに! 主にあたしに!」
優奈は優奈でなんだかいつもより興奮しているような気がする。怒っている様子ではないけど、こっちからは別のベクトルでの危機を感じる。なんか最後のほう、妙に強調していたし。
優奈の得物は、優奈の身長のわりに結構長さがある。だけど、あれを自由自在に操れてしまうというのだから、恐ろしい話だ。
「海斗、たぶん気づいているだろうが、一応注意しておけ。追手はこの3人だけじゃないみたいだぞ」
背中越しに孝が警戒する声色で僕に忠告してくる。先ほどから気配を探っていた僕も、一応気づいていたけど、どうやら林の中にまだ数十人が待機しているみたいだ。
姉さんたちほどでないにしろ、もしかしたら中には生徒会執行部、通称学園警察の連中の混ざっているかもしれない。今すぐ戦うということなら全員を相手にしても勝てるだろうけど、さすがに姉さんたちの相手をしながらとなると勝機はあまり望めない。
まともに戦ったら、この戦い、負ける可能性がある。
こうなったら已むをえない。
視線は姉さんたちに向けたまま、僕は孝に逃走の合図をしようと左手を伸ばし、
「心配する必要はないわよ、海斗」
姉さんの言葉によって止められてしまった。
……完全に向こうのほうが上手だ。こっちの手をいくつも読んでいるどころか、僕らの考えていることまでお見通しだなんて。
姉さんは微笑みながら、僕のほうへと、一歩、また一歩と近づいてくる。
「彼らに手出しはさせないわ。あなたたち二人は、私たち三人が自らの手で捕らえるわ」
「ちなみに孝は捕まったのち、とあるルートへと流される予定だから、覚悟しておきなさい」
「……海斗はもちろん……ふふ、今から楽しみ」
「「ひぃっ……」」
姉さんたちの狂っているとも言えるその言葉に、僕たちは思わず声を上げてすくみ上がる。あの孝でさえ、背中越しにわかるほど震えているのがわかる。
逃げることは出来ない。後戻りしようにも、背後にも敵の気配がするあたり、完全に包囲されているみたいだ。
もう逃げも、隠れもできない。帰ることもできず、助けを呼ぶこともできない。
ならば、答えはもう、一つしか残っていないじゃないか。
僕は再び、孝のほうへと合図を出す。今度は逃げるときとは逆の手で。
「お、おい。本気でやるっていうのか」
「何を弱気になっているのさ、らしくないよ。引くことができないのなら、もうあとは押しとおるしか道がないじゃないか。それとも、ここで諦めて、あのステージか、それ以上に恥ずかしい事態になるかもしれない場所に戻るっていうのか?」
「……あぁったくちくしょう! わーったよ! やるしかないんだろ、やるしか!!」
「あぁ、やるしかないんだよ!」
今の姉さんたちは正直、動物的本能が拒絶するくらい怖いけど、それは捕まったときのことを考えているからだ。ここさえ乗り切れば、その先には明るいクリスマスパーティーが待っているに違いない!
僕らは己の拳を握りしめ、先ほどまでの腰ぬけた姿勢ではなく、堂々と、腰を落とした臨戦態勢へと移行した。
刀や拳銃は使えない。今回あれを用意したのは、あくまで道を切り開くため。この戦いでは殺傷能力が高すぎる。素手での戦いしか残されていないのだ。
「あら、逃げずに私たちと戦うっていうのね」
姉さんが楽しそうに笑みを浮かべる。まるで友達が遊ぼうと言ってくれたときのような、無邪気な笑顔だ。
優奈は少し残念そうに、美琴はすでに悪魔に魂を捧げたんじゃないかってくらい赤黒い狂気に満ちた笑みを口元に浮かべる。
姉さんたちが構えを取る。もう、いつ戦いのゴングがなってもおかしくない。
しばしの静寂が、僕らの間に流れる。
そして、突如として突風が吹き、地面を覆っていた粉雪が一気に舞い上がる。
その瞬間、僕らと姉さんたちは地面を蹴り出し、互いに肉薄した。
「孝、バラバラに戦うと、どちらかが挟み撃ちにあって危険だ。この広場の狭さを利用して、隙を見て一網打尽にしよう」
姉さんたちに聞こえないくらいの小声で、孝の耳元に作戦を告げる。
舞い上がった雪のおかげで消音効果も得られたはずだ。姉さんたちには気取られていないはず。
孝はこくっと無言でうなずき、僕と呼吸を合わせるように動きを調整し始めた。
そんな僕らに初撃を浴びせようと、雪煙を突き破って突っ込んできたのは、姉さんや優奈ではなく、普段後方支援担当の美琴だった。
拳を突き出すように繰り出してきた一撃。一瞬、それを捉えてからカウンターを決めようと思ったが、コンマ一秒で僕はその行動をキャンセルし、前宙の要領でその攻撃をかわした。
孝も危険と察したのか、バックステップでその攻撃を回避した。
バヂンと、何かが弾けるような音が僕らのいたあたりから響いてくる。
「スタンロッドか……」
僕らのいた場所に振り下ろされている警棒のような形をした金属の棒。しかしそれは青白い光を帯び、バチバチと電気の弾ける音を出し続けている。
スタンロッドとは本来、警察が使っている金属製のいわゆる警棒というものだ。しかし美琴のはそれに、強力なスタンガンを仕込んだ特別性で、服越しに当てても相手を一撃で昏倒させることができるというとんでもない代物だ。
「ちょっと、よそ見しちゃ嫌よ!」
ブンッと足払いをするように優奈の棍による一撃が襲い掛かる。思わず反射でその攻撃をジャンプで避けた―――けど、これが命取りだった!
「チェストォォオ!!」
飛び掛かってきた姉さんのラリアットにより、地面に押し倒され、そのまま絞め技に持って行かれた。
姉さんの腕が、足が、全身が、僕の関節に絡み付き、締め上げていく。
「どう海斗? お姉ちゃんの寝技は強力でしょ?」
ぐぅ、悔しいけど、姉さんの寝技は確かに強い。修行中、あらゆる面で拮抗していた僕らだけど、寝技だけはなぜかどうしても姉さんに勝つことができなかった。
ぎりぎりと姉さんが僕の身体を締め上げていく。鈍い痛みが徐々にその強さを増していく。
まずい、このままだと、やられる!
「バカ野郎! 自分でバラけるなとか言いながら、なにいきなりリタイア仕掛けてるんだ!」
「あ、しまった!」
優奈のガードを抜けた孝が僕のところへと駆けてきて、なぜか僕へと殴り掛かってきたってちょっとぉぉお!?
「あら、これは危ないわね」
僕の孝の拳が炸裂する瞬間、姉さんがスルリと寝技を解いて後方へと退避していった。なんとか拘束が解けた僕も、孝の攻撃を転がりながら回避した。
「な、何するんだよ孝! こんなときに仲間割れなんてしている場合か!」
「違うわバカ! あれはただ、お前ごと殴って果穂さんにダメージを負わせるっていう作戦だったんだ」
「それはどっちみち僕も負傷するじゃないか!」
孝め、なんて卑劣な攻撃なんだ。女子を殴るわけにはいかないという紳士なのか、単に僕を殴りたいサディストなのか、もはやわからないよ。
「得物が使えない今、背中合わせで戦うのはやっぱり厳しいか」
「あぁ、だが、各個撃破はこのスペースでこの人数じゃあちょっと厳しい。せめて、なにか使えるものがあればいいんだが……」
と、そこで孝が何やら意地の悪い笑みを顔全体に浮かべた。
なんだかとてつもなく嫌な予感がする。
「なぁ海斗、5分以上、時間を稼いでくれ」
「は?」
「作戦がある。5分、いや、3分以上経過したら、この広場の真ん中にあの三人を誘導してくれ」
な、なんてむちゃくちゃな作戦なんだ。3分間もあの三人を一人で相手にして、しかも、その後に三人を一か所に集めるだなんて……
姉さん一人でもあのザマだったのに、そこに棒術の達人と電撃少女まで加わったりしたら、僕は生きて帰ってこれる気がしない。
……だけど、このまま戦っていても、いずれ敗北する。無理無茶なんて、女装をした時点ですでに突破しているようなものだ。
「勝算は?」
「お前の頑張り次第、とだけ言っておこう」
真顔でそんなことを言ってくる悪友に、心底ため息が出るけれど、同時に頼もしくもある。
それは逆に言えば、僕さえなんとかなれば確実に成功させるという考えの現れなのだから。
「あとで、チキン奢ってよ!」
「ああ、一番安いやつ買ってやるよ」
それだけ言って、僕は姉さんたちの前に躍り出て、孝は後方に残してきた。
「あら、海斗一人で出てくるなんて、何かの作戦かしら?」
「さぁね。僕も具体的な作戦は一切知らないよ」
「そう。いいわ、海斗一人のほうがいろいろと手が出しやすいから私としては歓迎よ?」
姉さんはペロリと舌なめずりし、どこから喰らってやろうかというような様子で僕のことをくまなく見渡してきた。
真ん中には姉さん、左には優奈か。さて、ここからどう戦っていくべきか。
武器を持っている優奈からなんとかするべきなんだろうけど、ここはやっぱり――――
「……海斗、覚悟」、
上から奇襲を掛けようとしてきている美琴からなんとかするとしよう!
横っ飛びで回避し、再び地面に振り下ろされるスタンロッド。一体何ボルトの電圧を持っているのか、地面にまで放電の影響で電流の蒼い軌跡が見えた。
そしてすぐさま一文字、袈裟、撫で、突きと、次々電撃の刃が僕の身体に襲い掛かってくる。なんとか紙一重で躱していくものの、避けきれず、服に少しずつ掠っていく。
スタンロッドの当たった場所は焦げて黒ずんでいる。皮膚に当たってしまったら、まず無事では済まないだろう。
「……海斗、おとなしく捕まって。そうすれば私が一生、動けないあなたのことを何から何まで世話してあげるから」
「動けない前提なのは、さすがにどうかと思うよ。あと、それっておとなしく投降してもひどい目に遭うってことじゃないか!」
そう叫びながら僕は美琴に飛び掛かる―――と見せかけて、身体を縮めて下から美琴の右手をサマーソルトキックで狙う。
「あうっ!?」
美琴からしたら、まるで僕が消えたかのように見えたであろう先ほどの動きにより、完全に流れは僕のものとなり、美琴はなす術もなく、右手に僕の一撃を喰らった。そう、スタンロッドを握る、右手に。
思わず武器を放してしまったその隙を僕は逃さず、スタンロッドを奪い取る。これだけでも戦局はだいぶ有利になった。
「もう、おとなしくしてなさいったら!」
地面を転がるような身軽な動きとともに、今度は優奈が棍とともに突っ込んできた。
タンッと飛び上がった優奈は、転がる姿勢をそのままに勢いよく僕に棍を振り下ろしてくる。
僕はすぐさま美琴から奪ったスタンロッドのバッテリーを地面に投げ捨て、ただの金属の棒と化したそれで優奈の一撃を受け止める。
しかし優奈は棒術の達人だ。攻撃を受け止められたら、それさえも利用して戦うことを得意としている彼女にとって、この程度のことはむしろ願ったり叶ったりなのだ。
優奈はそのまま受け止められた場所を軸に、ぐるりと回り、僕の背後を取ってきた。
優奈はこれでもらった、と思ったのだろうけど……
「優奈、僕は君の幼馴染なんだ。こう来ることくらい、最初からわかってたよ」
「え、きゃっ!?」
優奈は着地と同時に、その場に盛大にすっ転んでしまった。
優奈の足もと、そこにはさっき僕が地面に投げ捨てた、と思わせて地面に転がしておいたスタンロッドのバッテリーが転がっていた。
実は優奈の戦い方にはいくつか特徴があって、初手の動きによって、ある程度動きを予測することができるのだ。今回は前転を織り交ぜた遠心力による攻撃だったから、受け止められたあと、その動きのまま僕の背後を取ると、すぐに予測することができたのだ。
……そろそろ三分、美琴や優奈が戦線に復活する前に、なんとか姉さんをこっちに集める必要がある。
姉さんの優奈と美琴はまだよかったけど、姉さん相手にこんな短期決戦ができるとは思えない。
「あら海斗、かかってこないのかしら? 私はお姉ちゃんだから、先手は海斗に譲るわよ?」
うふふと不敵にこちらを笑う姉さんの顔には、余裕の二文字が浮かび上がっていた。
僕は今、孝の指定したこの場からできるだけ動きたくない。下手に動くと、地面に倒れている二人が復活したときに本当に取り返しがつかなくなってしまう。
だけど姉さんのあの態度からして、たぶんこっちの作戦は姉さんに筒抜けだったようだ。
このまま待っていたら先に倒した二人が復活してしまう。だけど、こちらから攻めたら、もうチャンスは戻ってこない。
……仕方がない。こうなったら、なりふりなんて構っていられるか!
「姉さん」
姉さんのことを呼びながら、僕は右手の力を抜く。握られていたスタンロッドがカランカランと乾いた音を出しながら地面に落下した。
その行動に姉さんは「?」と首を傾げつつも、僕の不審な行動に眉根を寄せる。
僕は軽く深呼吸し、肺に空気を入れる。
そして両腕を大の字に広げ、満面の笑みを浮かべて、優しい口調で魔法の言葉を紡ぐ。
「姉さん、大好きだよ!」
ズグンと姉さんが、まるで何かに撃ち抜かれたかのように不自然に仰け反る。
そのまま地面に不時着し、僕に向けて土下座するかのような体勢になる。
そしてきゅっと腰と上げ、弾かれるように僕へ向けて一直線に走ってきた。
「私も大大大大好きよぉぉぉおお、海斗、愛してるわぁぁああああああ!!!!」」
暴走特急よろしく、地面を跳ね、コウモリのような体勢で飛び掛かってくる姉さんを、僕は真正面から抱きとめた。
この技は、実は僕がまだ幼い頃に、たまたま姉さんのことを同じように呼んだときに見つけた現象だったりする。幼い頃の僕は純粋に姉さんに好きだと言いたかっただけなんだけど、姉さんはそれを深く捉えすぎてしまい、今のような奇行に走ったことがある。
それ以来、この技は二度と使うまいと思っていたのだけど……やっぱりこの技はもう使いたくないな。なんだか姉さんを弄んでいるようで、嫌いだ。
あと、姉さんが重度の変態に堕ちるのが嫌だ。
「はぁはぁ……あぁ、海斗の柔肌、ぷにぷにほっぺ……もうこれ誘ってるよね! キスしていいんだよね! ねえ!」
「い、今だ孝! お願いだから早くしてくれぇ!!」
「な、なんだ!? あ、いや、でかしたぞ海斗! これでも……くらえぇい!!」
何かが孝の叫びとともに何かが僕らの頭上に投げられた。
それは孝の手と糸かなにかで繋がっており、空中で開いた途端、勢いよく僕らに覆い被さり、僕らを否応なく地面へと押し倒した。
姉さんに抱きつかれていた僕は、姉さん、ついで優奈、美琴とともに毛糸のように絡まりながら地面の上をもがく。
「こ、これは、網!?」
姉さんたちの隙間から見えたのは縦横に張り巡らされた網糸の影だった。孝は奇襲で、おそらく美琴が投げたのであろう投網を回収して、逆に利用したみたいだ。
僕まで巻き添えになったのは腑に落ちないけど、この戦い、僅差で僕らの作戦勝ちだ!
「うぅ、なによ、これ。全然動けないじゃないの! でも、いいわ! 海斗に抱きついていればあたしはそれで満足するし」
「あ、あぁ……海斗が、海斗がすぐ目の前にいる……あ、海斗の匂い……ぷばっ」
「あぁ、この密着具合、お姉ちゃんの知らない間に、海斗ったら随分と大きくなったのね。これは、興奮するわね!」
……やっぱり訂正。僕だけは明らかに囮になってるよ。完全に敵の餌食になっちゃってるよ!
ちょ、おい孝! なに呑気に高笑いしているのさ! さっさと僕のことをここから助けてくれぇ!!
◆◆◆◆◆◆
姉さんたちとの死闘を勝ち抜いた僕と孝はその後、なんとか冷静さを取り戻してくれた姉さんたちと対話。
その結果、僕らの女装コンテスト出場はなかったことにしてくれる、という結果になった。
こうして僕らは晴れて自由の身となり、ようやくX,masフェスを楽しめる! と思っていたのだけど……
「はぁ、まさかこんな日に強制下校させられるとは」
「仕方ないよ、あんな人気のない林の中で電撃放ったり、棒ふりまわしたり、奇声を上げたりなんてしてたら、先生が黙っているわけがないよ」
「……ごめんね海斗、やりすぎた」
「あたしもその、ちょっとテンション上げすぎたわ」
「私、生徒会長なのに! 学園の生徒の頂点なのにぃ!」
「あはは……お姉ちゃん、まったく反省してないね」
この通り、みんなで仲良くお家に帰宅中である。
あのあと、先生が何人か騒ぎを聞きつけて駆けつけてきて、そのあとこっ酷く叱られてしまった。やれ危険な物を所持しているだの、やれお祭りだからといって不純異性交遊はするなだの、僕としては心外なところまで怒られに怒られまくった。
そして、その罰が、残りのイベントに参加することなく、まっすぐ自宅に帰宅すること。停学処分とかにならなくて嬉しい反面、まったくクリスマスイベントを満喫できなかったことに対する無念が募る。
ちなみに志穂自身は無関係と判断され、処分はとくに言い渡されなかったのだけど、
『みんなが帰るなら私も帰る』
と言って、僕らの制止も聞かずに、結局一緒に帰ることになった。
志穂も、普段は融通が利くけど、いざ自分の維持を通すとなると、てこでも動かなくなっちゃうからなぁ。
「うーん、でもやっぱり、スカートなんかよりこっちのほうが断然動きやすいなぁ」
「まったくだ。もうあんなガッチガチの装備はこりごりだ」
ぐぐぅっと僕と孝は揃って身体を伸ばす。もう僕らの格好は女子の服ではなく、ちゃんといつもの男子制服に戻っていた。孝も、いつもどおりの目つきの悪い悪友の姿に戻っていた。
「もう少しあの格好の海斗を堪能したかったのに……」
なんか姉さんがぶつくさと文句を言っているけど、そんなものは無視に限る。これ以上女装に関わる話はしたくないし、女装ももううんざりだ。
「あ、そうだ姉さん。ひとつ気になってたんだけどさ」
「あら、なにかしら」
「いや、大したことじゃないんだけどさ。姉さんたち、どうやって僕らの居場所を突き止めたのかなぁって。志穂の話だと、あそこはもう使われていない古い並木道だって聞いたんだけど」
僕はさっきから背中に寄りかかってくる姉さんに、戦っている間ずっと気になっていたことを聞いてみた。
すると姉さんは、ああそのことか、という感じで声を上げて、何でもないというような調子で
「志穂が教えてくれたのよ」
とだけ言って、また僕の首元に顔を埋めてきた。
だけど僕としてはまったくもって、なんでもない話じゃないんですけど。
志穂はてっきり僕らの味方だと思ったけど、まさかあれも姉さんの作戦のうちだったなんて……
僕は志穂のほうを恐る恐る見る。志穂も姉さんの話を聞いていたようだけど、僕の予想とは裏腹に、志穂はあたふたとした調子で両手を振ってその話を否定してきた。
「お、お姉ちゃんのことだから、『並木道にはいないよ』なんて言ったら、まっすぐお兄ちゃんたちのところへ行っちゃうと思ったから、あえて『並木道のほうに行ったよ』って言えば、逆にいかないんじゃないかなぁって……その、えと、ごめんね」
なるほど、僕や孝同様、志穂もいろいろと裏を掻きすぎて、逆に墓穴を掘ってしまったってことだったのか。その墓穴は残念ながら僕らのものだったみたいだけど。
「……はぁ、女装大会がなかったことにされてしまった」
「結構落ち込んでいるわね。ま、あんなに海斗の女装にこだわっていたんだし、仕方ないのかもしれないけど」
女装コンテストは、僕らの不祥事というか、諸々の件で、設備から投票結果、賞品の何から何まですべて『なかったこと』にされた。僕としてはとても嬉しいことだけど、美琴としては大変遺憾な話だったみたいだ。
慰めてあげたい気もあるけど、それを言ったら、いつまた僕が女装する羽目になるかわからないので、心を鬼にして、黙っていることにした。
(今年のクリスマスは、本当にひどい目にあった)
思い起こすだけで憂鬱になりそうだったので、気晴らしに空を見上げてみる。
まだ午後の4時くらいだというのに、もう空は少し暗くなり始めていた。
と、思っていたら、鼻に冷たい感触が伝わってきた。
「あ、見てお姉ちゃん! 雪だよ!」
「あらホント。今年は珍しく、ホワイトクリスマスね」
志穂の言うとおり、ちらほらと雪が降り始めていた。昼間はあんなに晴れていたっていうのに、まさかこのタイミングで振ってくるなんてねぇ。
……今年のクリスマスは本当にひどいものだった。朝から逃げるために走り回ったり、いきなり女装させられたり、脱走したり、電撃を躱したり、抱きつかれたり、怒られたり……
おまけにこの冷たい雪だ。このままじゃ、今日の寝るまで何か不幸なことがあるかもしれない。
そんな流れはすぐにでも断ち切らなければ。
「ねぇみんな、今日はあまり楽しめなかった分、今からうちでクリスマスパーティしない? どこかでケーキとオードブルを買ってきてさ」
だから、これはそのための提案であって、別にこのままみんなと別れるのがおもしろくないっていうわけじゃないんだ。
うんそうだ、そうとしか理由がない。
「お、そうだな。それじゃあ帰りになんか買っていくとするか」
「あ、それなら私、いいケーキ屋さん知ってるわよ」
「私も、実はおいしい惣菜屋さん知ってるんだ、あとで寄っていこ?」
「じゃああたしは飲み物でも買っていくわね」
「……クリスマスにおこたでアイスも絶品」
みんなもすっかりその気になったみたいで、各々でもうすでに準備の話題で盛り上がり始めていた。
もうクリスマスは夜しか残っていないけど……いや、だからこそ、みんなで思いっきり楽しまないと。
そうだな、僕は家に先に帰って、何か簡単な料理でも作るとしよう。
それからゲームやみんなの寝床も用意して……
それで、今夜は嫌なことを全部忘れられるくらい、思いっきり騒ぐとしよう。
僕はクリスマスの灰色の空をにらみつけ、べーっと舌を出して威嚇する。
お前みたいな最悪のクリスマスは、これから始まる最高のクリスマスで塗りつぶしてやる!
本当のクリスマスは、これからが本番なんだ。
ながらくお待たせしてしまい申し訳ありませんでした。もうクリスマスから三か月ほど経ってしまいましたが、ようやく後編が書き終わりました。
書き終わった感想は、とりあえず、こんな短編は軽い気持ちで書くものじゃありませんね。二万字以上書くのに半日も掛かってしまうなんて、さすがに疲労が半端じゃないです。
ですが、その分、自分としてもちょっとおもしろい視点で書くことができたなぁ、と満足もしています。
書いていてきついところもありましたが、終始楽しかったですし(笑)
感想・評価、布団で泥のように眠りつつ、待ってます。
あ、なんか肩凝りが今までにないくらい大変なことになっている気がぁ!?




