30、香りを見つけました
どれくらい走り回っただろうか。抜け出した頃と違って、あたりは石畳だけではなく、明らかに上物だとわかる絨毯が敷かれ、壁に取り付けられた蜀台も金製で、ところどころに贅を散りばめられているのがわかる。
わしは今、廊下の隅にある異様なほど大きい石柱に身を潜めている。さすがにずっと気配を消していると、気力がどんどん削られてしまうのじゃ。
……ここに来るまでに、牢屋以外の部屋もいくらか見つけた。妙な封がされているものもあったが、見逃すわけにもいかぬと思い、封ごと扉を切り刻んで侵入した。じゃが、そのどこにも主の姿はなく、あったのは今手元にある少量の水菓子くらい……
(どういうことじゃ……いくら広いとはいえ、ここまで探しても見つからぬとは)
己自身、焦っているのはわかった。主がいないせいでわしは相当冷静さを欠いているようじゃ。
「むぅ……このままでは出来ることもできなくなってしまうの」
冷静さを欠いたとき、それはすなわち死を意味するのじゃ。わしは刀じゃから死ぬということはないが、万が一捕まったりなどして、封印でも施されてしまえば、主の救出どころか、わしが救出してもらう立場になってしまう。
そうなっては笑い話にもならぬ。わしは主だけの刀じゃ……他のものに辱めを受けるなぞ、絶対にあってはならぬのじゃ。
「そうじゃ、先ほど拝借したこの水菓子でも食べるとするかの」
思い立ったが吉日、わしは懐から赤く熟れた果実を取り出した。
なんというものかはわからぬが、瑞々しそうでうまそうじゃ!
「腹が減ってはなんとやらじゃ……いただくのじゃ!」
たまらず齧り付く。
その途端、口の中に弾ける甘みが五臓六腑に染み渡っていった。
林檎のようでいて、どこか桃のような風味、そして蜜柑のようなほんのりと心地よい酸味……
「うむ、なんと美味な果実じゃろうか!こんなことならもっとくすねてくれば―――――」
そう言おうとした途端、まるで全身に雷撃を食らったかのような激しい刺激が流れた。
辛味……そう、まるで唐辛子のような強烈な刺激が口内から鼻や耳……そして胃袋から全身へと響き渡る。
「かかか、辛いのじゃぁぁあああ!!み、水!水を飲まねば!!」
い、いかん、あまりの辛さに意識が持っていかれそうじゃ。早急に対応せねば……やられる!
わしはすぐさま先ほど果実をくすねた部屋にあった水筒を懐から出す。中身は琥珀色をした美しい水……
明らかにただの水ではないと思ってはいるものの……この辛さの前ではそんな疑問は些細なことなのじゃ!
栓を抜き、勢いよく口の中に流し込む。口の中に広がる、香り豊かな水……それらが口の中に残る辛さをどんどん洗い流していく。
(なんじゃこの水……毒物ではないようじゃが、まるで喉が焼けるようじゃ……ま、まさか!?)
そう思ったころにはもう手遅れじゃった……
カランと音を立て、透明な水筒が床に転がる。視界は歪み、四肢には力が入らずフラフラとおぼつかぬ。
そしてそのままわしは、あろうことか石柱にもたれ掛かるようにして座り込んでしまったではないか!
くっ、足に力が入らぬ……こんなに足を伸ばしておったら、敵に見つけてほしいと暗に言っているようなものじゃというのに。
ぶはっと息を吐く。先ほど呑んだ琥珀色の水の香りがあたりに仄かに漂った。
「うぅ~……しまったのじゃ、綺麗な色をしておるからなんじゃと思っておったが……まさか酒だったとはぁ~」
わしはこう見えて、酒の類にはめっぽう弱いのじゃ。じゃから酒だけは呑まぬようにいつも気をつけておったというのに……わしとしたことが、注意を怠ったのが運の尽きよ……
すまぬ主……こんな情けない自分の刀を見たら、其方もさぞかし残念じゃろうて……
ぬ……いかん、眠気が急に出てきたのじゃ……
まずいのじゃ、このまま眠ってしまえば、敵に見つかってしまうというのに……なぜじゃ、なぜ躰はこうも言う事を聞いてくれないのじゃ!
頼む……頼むわしの躰よ……わしにはまだ……やることがあるのじゃ……じゃから。
頼む……どうか、動いて……おく……れ……
~少女泥酔中 Now Sleeping~
「くか~、すぴ~……はっ!?」
心臓がどくんと跳ね、わしはすぐにその場に飛び起きた。
あたりには誰もいない……場所は、どうやらあの石柱の影からまったく動いていないようじゃ。
わしはあたりの状況を確認したあと、思わずその場にしゃがみこみ、顔を覆って羞恥に悶えた。
(まさか酒に酔って、挙句、主の捜索を放り出して眠りこけるなぞ……これでは本当に主にあわせる顔がないのじゃよぉぉぉ……)
あまりにも情けない失態に、自分の首を絞めてしまいたくなる衝動に思わず駆られた。
こんなのでは『妖刀村正』なぞ、恥ずかしくて名乗れるのじゃよ……
あぁ、ため息が止まらぬ。どうしてわしがここまで情けない姿を晒しておるというのじゃ……わしはもっとこう、威厳と美貌に満ちた完璧な刀であり女であったと思うのじゃが……
「これもきっと、主と長い間距離を開けたせいじゃの。このままではわしの中の『主ぱうわー』が底をついてしまうのじゃ」
このままでは主だけでなく、わしまでも動けない身になってしまうのじゃ。
これはさらに気合を入れていかねばな!
幸い、しっかり眠ったおかげで疲労は完璧とは言えぬがほとんど回復したようじゃし、これなら主の捜索に支障をきたすようなことは早々起きぬじゃろうて。
「……にしても、どうしてあれほどまでに無防備じゃったというのに、わしの周りに敵の気配がないのじゃ?いくらわしでも、完璧な睡魔に囚われている状況じゃ反撃もできぬのじゃが……」
そう思ったとき、はたとわしは立ち止まり、自分の両手を顔の前まで持ってきた。
じゃが、そこにはあるはずのわしの可愛いおててはなかった。目の前には相変わらず、無駄に広く薄暗い廊下があるのみ。
そこでわしは初めて、自分の躰が透明になっていることに気がついたのじゃ。
足も胴も、服までもが透明になり、わしの存在は、少なくとも目視での確認は不可能となっておった。
「……なんということじゃ、これは、夢にまで見た『透明人間』という状態なのではないか?」
ためしに腕を刀状態にしてみる。が、あたりに刀の姿はなく、何もない空間がただただ広がっているのが見えた。
じゃが腕があるであろう場所に触れてみると、そこに冷たい刀と化した腕の感触が確かに伝わってきた。
「ふむ、視覚的に見えなくなっているだけ、ということじゃろうか。気配を探れるものには見つかる危険性があるが……これでかなり探索が楽になったの!」
本当は主がいるときになって、あんなことやこんなことをしたかったところじゃが……なんと口惜しいことか。
透明になった理由はなんとなく判っておる。おそらく、あの琥珀色の酒を飲む前に食ったあのひどく辛い果実じゃろう。
あの全身が痛むような感覚……あれがおそらく、躰を透明にさせる副作用なのじゃろう。なかなかきつい副作用じゃったが、ちゃんと対応と覚悟をしておれば、これほど優秀な隠密道具もないじゃろうて。
あの部屋は別段封もされておらんかったし、こじんまりとした質素な部屋だったのじゃが……はて、どうしてそんな部屋にあんな強力なものがあったのじゃろうか。
『ぶえっくし!んん?だれか俺の噂でもしてんのか?』
『あれじゃないの?隠れてお酒飲もうとしているのがバレたんじゃないの?』
『ライラってば、インビジブルフルーツまで持ち出す始末ですからね』
『さすがにバレたんじゃー?』
『なっ!?おおお俺は別に酒なんて……』
むぅ、まぁ考えていても理由なぞわかるわけもないし、しょうがないの。
なんにせよ、この透明化は今のわしにとっては絶好の能力じゃ。いつ効果が消えるかわからぬし、効果があるうちに捜索を再開するとしようかの。
そう思い立ったわしは、気配だけを軽く消し、石柱の影から出た。つい癖で物陰から物陰へと動いてしまうが、今のわしは透明……敵地で隠れずに堂々と歩けるというのはなんとも不思議な感覚じゃのう。
じゃがおかげで、隠れていたせいで見えなかったところも鮮明に見えてきたのじゃ。空間把握は敵本陣を攻める際に重要なことじゃからの。そういう意味でもこの透明化の恩恵は助かるのじゃ。
しばらく歩調を速めながら捜索を進めていく。扉があれば罠を警戒しつつしらみ潰しに捜索していく。たまに下女のような格好をした者もおったが、透明化のおかげで気づかれることなく捜索を進められた。
じゃが箪笥の中からベッドの下までくまなく探したが、主の姿は欠片ほども見つけられぬ。
気配を感じ取ろうにも……妙に粘着質な別の気配にかき消されて主どころか他の者の気配まで感じ取れぬ。
透明とはいえ、警戒だけは厳にしておかぬと、不意打ちを受ける可能性があるの。
「ぬ、この部屋は……」
そうしているうちに、いつの間にか目の前には巨大な扉……それこそ、今まで見てきた扉が模型であったかのような、まるで自分が小さくなったような感覚に陥るほどの恐ろしく巨大で重厚な扉じゃった。
「まったく、ここはいったいどうなっておるのじゃ……まさか鬼でも住んでいるというのか?」
自分で言っておいてなんじゃが……意外と冗談になっておらぬから正直笑えぬのじゃ。
しかし、これだけ分厚そうな扉……さすがに切り刻んで進むにはちと厳しそうじゃな。やれば出来るかも知れぬが、わしの腕が死ぬほど悲鳴を上げることになるじゃろうな。
……いやじゃなあ、痛いのはあの辛さだけでもうこりごりなのじゃ。
(……ぬ?いや待つのじゃ、あれは……)
大きすぎて気づかんかったが、よく見ると扉の真ん中あたりに本当に小さくじゃが、隙間が開いておる。人一人がやっとこ通れるくらいじゃろうか、それくらいの隙間分くらい、扉が開いておる。
……罠じゃろうか。
これだけ重厚な場所ということは当然、何かしら重要な何かがあるということじゃろうし、それを封もせずに小さくとはいえ開けっ放しにするなど、どう考えても罠じゃろう。
じゃが、それはすなわち、この先に主がいる可能性もある、ということ。
つまり、わしに選択の余地なぞないというわけじゃ。
(……罠であることを大前提に、最大限に警戒して行くとするのじゃ)
胸の中でそう自分に言い聞かせ、さらなる緊張感を与える。
わしは全身全霊を込めて気配を消し去り、同時に敵の気配察知に集中する。
今のところは敵の気配を感じぬ……が、相手も気配を消し去っている可能性は十分にあり得るでの。警戒するに越した事はないのじゃ。
一瞬の油断がすべてを水の泡にする。そう思いながら、わしは扉の中に入り、さらに奥へと進んで行く。
扉の先にあったのは、なぜかまた廊下……じゃが、先ほどの廊下よりさらに豪華で、それでいて妙な不気味さを孕んでいおった。
(主の気配は感じられぬ……が、何か手がかりがあるやも知れぬな)
忍び走りで廊下を駆け抜ける。ここは云わば敵の口の中も同然。封をしてある扉を開けるのは後回しにして、まずは入れそうなところから入るようにしたほうがよさそうじゃ。
途中、食堂のようなところも目に入りはしたものの、中に4人ほど何者かがいたから飛ばした。いくら透明になっているとはいえ、この状況であの中に飛び込んで行くのは自殺行為以外の何ものでもないのじゃ。
この部屋も違う……この部屋も、違う。
こっちの部屋は衣装部屋といったところじゃろうか、妙に煌びやかな服が満載じゃのう……ほほう、この着物なんてなかなか……はっ、いかんいかん、集中せねば。
(あと封が解除されている部屋は、ここだけかの)
長い廊下の突き当たりにあった部屋じゃったが、一番小さな扉で、わしらの屋敷の扉よりちょっと豪華というくらいじゃった。
じゃがここだけは他の部屋と違い、雰囲気に違和感を感じる。
どこか懐かしいような、それでいて胸が苦しくなるような……
この感覚、もしや……
(……ごくり)
意を決して扉の淵に手を掛ける。音を立てないように、慎重に躰を中に滑り込ませる。
ようやく全身が入り、扉の中を見渡す。
主の姿は……やはりというか、そこにはなかった。
あるのは大きな寝台や家具、それから明らかにこの部屋には不釣合いな無骨で巨大な鉄格子。
「主はいない……じゃが、どうやらあながち間違いでもなかったようじゃの」
わしは気配を消しつつ、部屋の真ん中に置かれた寝台まで近づき、そこに綺麗に畳まれていたボロ布をそっと手に取った。それは引きちぎれ、ところどころ汚れてはいたものの、はぐれた主が着ていた服だということはすぐにわかった。
主はここにいた。それだけが今のわしにわかったことじゃった。
じゃが、それでもわしにとっては、主がここにいるのだという安心感を少しでも感じ取ることができ、そしてこうして主の残り香のついた宝具を手に入れることができた。
(待っていてほしいのじゃ主……何があっても必ず見つけ出すのじゃ……)
わしは主の服を顔に押し当てながら、そう改めて決意したのじゃった。
窓の外では、けたたましく雷鳴が轟いておった。
ぎりぎり間に合いました……一晩で書いたのでなかなかしんどいところもありましたが、どうにか間に合わせることができてよかったです!
感想・評価、『やる気のないダースベイダー』を聴きつつ待ってます!
あぁ~、やる気が削がれていくぅ~




