21、過去に思いを馳せました Ⅴ
「海斗ぉ?お姉ちゃんに何か言うことがあるんじゃないのかな?」
「え、いや、そのぉ……」
いきなり草むらから飛び出してきた姉さんに、【僕】は為す術もなく捕まり、現在は姉さんにマウントポジションを取られている。
顔を両手で挟まれ、嫌でも姉さんと顔を合わせる体勢にされた【僕】の顔には明らかに焦りと少しばかりの恐怖が浮かんでいる。
そういえば姉さんは昔っから、何か気に食わないことがあると僕の上に乗っかってああいう風にしてきたっけ。いろんな意味で危険な体勢だし、なにより逃走できるチャンスがほど皆無だから、ああなってしまったらもう詰みなんだよね。
……頑張れ、昔の僕。ここで泣いたり暴れたりしたら姉さんの行動はさらにアクティブになって、とてもお茶の間では放送できないような状況になるからね。
「ほら、黙ってるとわからないよ?お姉ちゃんと志穂をおいて、そこの女の子と二人っきりで、ナニヲシテイタノカナ?」
「お、お姉ちゃん……顔が怖いよぉ」
確かに【僕】の言うとおり、今の姉さんの顔は怖い。
例えるなら、般若に蛇にらみの効果を付与したような状態という感じだろうか。ある意味【僕】のほうも石化しちゃってるし。
助けたい……助けたいけど、夢の中だから干渉はできない。だからこうして少し離れたところから様子を眺めるしかできない。今は、過去の自分の無事を祈るだけだ。
……べ、別に過去の姉さんが怖いから近づきたくないとか、そういうわけじゃないんだよ?
本当だよ?
「あ、あのっ!」
などと誰となく言い訳をしていると、ちょっとキョドった声が耳に入り込んできた。声の主は、ついさっきまで沈黙を守っていたサクヤだった。
サクヤは姉さんの正面、つまり倒れている【僕】の頭側に立つ。小さな勇気を振り絞ったという様子で、両脇に置かれた手は、小刻みに震えている。果たしてそれが恐怖からくるものなのか、はたまた力を振り絞った故のものなのかはわからない。
だけど、サクヤは何かのために自分を鼓舞しているのだということだけは見るだけで伝わってきた。
「カ、カイト君は私と一緒に遊んだり、おやつを食べてくれて!だ、だから、その……えっと……どうかカイトのことを怒らないであげてください……」
最後のほうは尻すぼみになってしまってあまりよく聞き取れなかったけど……なんとなく、サクヤが【僕】のことを庇っていることだけはわかった。
別にサクヤはそのまま傍観していても、その場から離れてしまっていても問題なかったはずだ。
しかもあの姉さんが目の前にいるなんてなったら、子供なら一目散に逃げても仕方がない。現に、姉さんが現れると同時に泣き叫びながら逃げ惑う子供を僕は過去幾度と無く目撃している。
しかもそれが子供特有のいたずら心などではなく、本能からくる生命の危機なのだから誰も責めることはできない。むしろ生きて帰ってきたことを褒めてもいいくらいだ。
それを思うと、僕にはサクヤがどうしようもなく優しい子に見えてきてしまう。いや、実際に彼女は優しいのだ。偽善などではなく、心の底から慈愛の念が溢れてきているのが、まるで手で触ったが如く、わかる。
そんな、必死な様子で抗議をするサクヤに対して、姉さんは少し鋭い視線を投げ返した。
「ひっ」
サクヤから短い悲鳴が聞こえる。
無理もない。少しとは言ったけれど、姉さんの睨みは相当に恐い。それこそ、小・中学生とは思えない、ヤクザの方々も裸足で逃げ出すほどのプレッシャーを放つくらいだ。むしろこの場合、あんな短くて小さな悲鳴だけで耐えたサクヤを賞賛してもいいくらいだ。
「あなたは……そう、あなたが私のカイトを、ねぇ」
ゆらりという擬音がよく似合いそうな、どろりとした殺気を孕んだ視線。
その気迫はあたりに伝播し、近くの木々に止まっていた鳥たちが一斉に空へと飛び立った。見れば、先ほどまで草の絨毯で寝そべっていた動物たちも、いつの間にか影すら消え失せてしまっている。
もはや生命の息吹などないのではと思わせるくらい、あたりの空気は重く、そして精神を蝕んでいった。
(って、昔の姉さんってあんなに怖かったっけ!?なんかヤクザどころか、どこかの覇王とか怒りの雷猿とかも涙目で失踪しそうなほどなんですけど!?)
確かに姉さんは人間離れしているけれど、ここまでだった記憶はない……
これが夢の見せた過剰表現だというのならまだいいのだけれど。もしなんらかのショックによって失われていた記憶とかだったら、僕としては永久に封印しておきたいな。だってあれ、どこからどうみてもラスボスなんだもん。しかも何チャラフィールドとか張って完全武装のチートキャラなんだもん。
まずい、このままだといろいろと惨劇が繰り広げられてしまう。何か、何かこの状況を覆せる方法はないのか……
ガサガサ……ガサガサ……
緊張した場に、草木の揺れる音が静かに響く。
誰も気に留めない、ただ草と草がぶつかり合う音。だけど僕には、その音が救世主の近づいてくる音に聞こえた。
音はやがて大きくなっていき、草の動きもそれに伴って激しくなっていく。
さすがに不審に感じたのか、【僕】やサクヤだけでなく姉さんまでもが音の方向に警戒し始めた。
そして……救世主は現れた。
「ふえぇぇん、おねぇたぁぁあん!」
草むらから勢いよく飛び出してきたそれは、構えていた姉さんの胸元に勢いよく突っ込んでいった。
短いこげ茶の髪に、やわらかそうな幼児服……まだまだ幼い、僕の妹の志穂だ。
構えていたおかげか、志穂がまだ幼く力がなかったおかげか、姉さんはなんなく志穂をキャッチし、慣れた手つきですぐにあやしにかかった。
「あらら、どうしたのしほぉ。お母さんたちと一緒にいたんじゃなかったのぉ?」
先ほどまでの殺気が嘘だったかのような猫撫で声に、思わずサクヤは目を見開いてその光景を眺めていた。
そりゃそうだよね、さっきまであんなにラスボス感出してたのに、ほんの一瞬でシスコン全開のバカ姉になっちゃうんだもんね。慣れてる僕でさえたまに引くレベルの変わり身だもんねぇ。
しかし、今も昔も弟や妹にはめっぽう優しい面は一緒だったんだね。これで弟妹にも容赦ない存在だったら、それこそ魔王の名を名乗るべきだと思うんだよね。まぁ僕には嫉妬云々の関係でたまに恐い顔になるけど。
「ぐすん……おねーたんがいなくなっちゃったからさがしにきたんだけどね、ヒック、どこにいっちゃったかわからなくて……」
あれま、どうやら志穂、ここまで何の手掛りもなしに来たみたいだ。ちゃんと姉さんのところまで来れたからよかったけど……これだけ広い屋敷、どこかで迷ったりなんかしたら大変だったよ。
志穂もそれを直感で常に感じ取っていたのか、あるいは姉さんにあえてホッとしたのか、声を上げて姉さんの胸元で泣き出してしまった。小さな手で姉さんの服をぎゅっと掴み、顔が沈み込まんばかりに姉さんの体に頭をぐりぐりと押し付ける。
これにはさすがの姉さんも苦しいのか、少しだけ顔をしかめた。しかし声にも出さないし、表情にも僕だからこそわかるくらいにしか出さない姉さんは、ある意味姉の鑑なのかもしれない。
そんな風に油断していたせいだろうか。僕はサクヤが思わぬ行動に出ていたことに気づくのに遅れてしまった。
「あ、あの!よかったらこれ……」
まだ恐怖心が抜けきっていないのか、サクヤは震える手に何かを乗せて、姉さんへと近づいた。ただでさえ先ほどまであんなに強い気迫に飲まれていたというのに、この子は相当肝が据わっているのだろうか。
そんなサクヤに姉さんは少し訝しげな視線を送ったが、すぐにその手の中にあるものに気がついた。
「これは……?」
「えっと、さっきわたしが焼いたクッキーの残りです。もしよければ、そこの子にあげてください。もしかしたら……」
泣き止むかもしれない。言葉には出さなくとも、その意図ははっきりと伝わってきた。
それに、とサクヤは付け足して姉さんの耳元で囁いた。
「お姉さんの負担も軽くなるのでは、と思いまして」と。
これにはさすがの姉さんも驚いたのか、志穂を抱いたまま、目だけ大きく見開いてサクヤの顔を見た。僕もまさかの出来事に驚きを隠せず、思わず口が開きっぱなしになってしまった。
さっきも言ったが、姉さんは本当に『つらい』『悲しい』と言った感情をめったに顔に出さない。それは、僕や志穂が不安にならないための配慮らしいのだけど、僕としてはもっと頼ってほしいと思っている。
今でさえ、姉さんのそういう負の感情を顔から読み取るのは難しい。生まれたときから一緒にいるけれど、姉さんのそういう方面での感情の機微の判断は本当に難しいのだ。
だけどそれを、まだ会ってから間もないサクヤが成し遂げてしまった。それはとてもすごいことであり、同時に少しだけ羨ましくもあった。
姉さんは少しだけ悩んだ素振りを見せた後、そっとサクヤの手からクッキーを一枚だけ摘み、泣き止まない志穂の口元に近づけた。
すると志穂の嗚咽がとまり、少しだけクッキーを見た後、満面の笑みでクッキーにパクついた。
姉さんに抱かれる形でクッキーを食べる志穂と、それを見てより一層穏やかな顔になる姉さん。
もうあんな黒々とした空気は微塵もなく、あたりには僕とサクヤの二人だけだったときと同じ、のどかな風が優しく吹いていた。いつの間にか消え失せていた動物たちも同じような場所で再び昼寝の楽しみを謳歌していた。
「……その、さっきはごめんね。初対面なのにあんなにきつく当たってしまって」
クッキーを食べ終えご満悦な様子の志穂をあやしながら、姉さんは本当に申し訳なさそうな声色でそうサクヤに謝罪した。
いつも初対面の人に親の仇みたいな当たり方してるくせに、というツッコミはさすがに野暮だろうか。
「い、いえその……お役に立てたようで何よりです」
サクヤはサクヤで相変わらずキョドって俯いてしまったけど、その表情はどこか嬉しそうに緩んでいた。
「『よかった……二人がなんとか仲直りしてくれて』」
僕と【僕】は声をそろえて、すべてが丸く収まった現状に安堵の気持ちを曝け出した。
今回の騒動の解決にはまったく役に立たなかった僕らだけど、今も昔も、まわりのいざこざに巻き込まれて胃を痛めていることに変わりはないようだ。そこのところはどうか未来のほうで解決していてほしかったものだけど……
まぁ、今が無事に終わったから良しとしますか。
「ねぇねぇ、よかったらお姉ちゃんと志穂も一緒に遊ぼうよ。そのほうが絶対に楽しいよ!」
【僕】は姉さんたちのそばに駆け寄り、さっきからずっと言いたかったのであろう言葉を大きく叫んだ。両手を大きく広げ、満面の笑み。何も知らないかのような【少年】の声が庭園にスーッと響き渡る。
もうすっかり毒気を抜かれた姉さんや、元気を取り戻した志穂に僕の誘いを断る理由もなく、二人も眩しいほどの笑顔で大仰にうなずいた。
これにはサクヤも驚いたものの、すぐにパアァと顔を明るくし、ではではと新たな遊びを提示し始めた。
……本日は晴天なり。緑の箱庭に鳴り響くは無垢な童の歌かな……
体を空全体に任せ、ゆったりと空を眺めながら、僕は大きく息を吸って、吐き出した。
復活&久々の長編投稿となりました!
なかなか現実世界の生活が忙しくて描いてる暇がありませんでした。申し訳ありませんでした!
またしばらくの間は投稿ができると思うので、どうかよろしくお願いします!
感想・評価、まらしぃさんの素晴らしい演奏に耳が蕩けそうになりつつ待ってます!
その手……明らかに人をやめてますね?




