17、過去に想いを馳せました Ⅰ
―――僕は、たぶん夢を見ているんだと思う。
遠い、遠い記憶……それはたった数日という短い時間だったけど、とても楽しくて、一日一日が濃密だった。
『海斗、今度の夏休みは家族みんなで旅行に出かけるぞ!』
八年前、まだ僕が8歳だった頃のとある夕食の団欒のときに、父さんが珍しく興奮した様子で言ったのが、この記憶の始まり。
父さんは昔から僕の呪いの解除方法の研究で何かと忙しかったから、夕食を一緒に食べたりはするけど、一日中遊んでもらえる機会なんて滅多になかった。
だからこの言葉を聞いてから旅行の当日まで、僕はわくわくが止まらなくてしょうがなかった。あまりにもはしゃぎすぎて姉さんに何かされてもあんまり気にならなかった。
……大丈夫だよね?いくら姉さんでも、旅行にウキウキしてるいたいけな弟に何かするようなことはしてないよね?記憶が曖昧になってるから余計に怖いんだけど!?
……それからしばらく経って、待ちに待った夏休みに、僕らは胸躍らせながら旅行へと出掛けたんだ。
僕と姉さん、それからまだ園児だった志穂は、『びっくりさせたいから』という父さんと母さんの要望で目隠しをされた。
電車の車窓から見える風景や、テレビの中でしか見た事のない飛行機内から見る雲海が見えるかもと思っていた僕は少しだけ不満があったけど、珍しく懇願する父さんに負けて大人しく目隠しをつけて父さんの手を握った。
「さぁみんな、行くわよ」
朗らかな母さんの呼び声につられ、僕は父さんの大きくてゴツゴツした手を握ったまま前へと歩みを進めた。目隠しをしているせいでものすごく恐かったけど、姉さんの楽しげな声や志穂のはしゃぐ声なんかも聞こえてきて、そのうちへっちゃらになっていった。
それに当時の僕には大きな『お守り』があった。
「なんだ海斗、わざわざおじいちゃんからもらった刀まで持ってきたのか?」
「うん!おじいちゃんがね、【これはお守りだからいつも持っていなさい】って言ってたんだ!」
「もう、お父さんったら……また海斗にそんなホラ吹いたりして……」
当時は目隠しをしていて父さんたちの顔は見えなかったけど、たぶん呆れてたか苦笑いを浮かべていたかのどちらかだったと思う。
そう、このとき僕が『お守り』として持っていったのが他でもない、妖刀『村正』だ。
僕は小さい頃、この刀を腰に差したときにちょうど手の触れる、柄のざらついた場所が好きで、そこを触っているとなぜかものすごく安心したのだ。
今の擬人化したムラマサの話から考えるに、あそこはたぶん人間で言う手のひらのあたりだったんだと思う。
まるで人に握られているかのような感覚に安心感を持ちながら、僕は父さんの手に引かれるがままに歩き続けた。
曲がり角もなく、ただ延々とまっすぐ歩き続ける。一見退屈そうに見えるかもしれないけど、父さんや母さん、姉さんや志穂との会話が楽しくてそんなことはまったく感じなった。
それから少し、僕どころか志穂でさえまだ疲れていないくらいの距離を歩いた頃に、僕の手が父さんに引っ張られなくなった。
足元からは相変わらず固いような柔らかいような、非常に歩きやすい感触が伝わってきていた。
「あら、お久しぶりですね誠さん、真美さん。こうして直接お会いするのは、お二人がそちらに戻られて以来でしょうか?」
「そう……だな。まったく、あれからもうすでに10年以上経ってしまったのか」
「ふふっ、歳は取りたくないわね」
知らない誰かの声……話し振りからして父さんと母さんの知り合いのようだったけど、あれが誰だったのかは今でもよくわからない。どこかで聞いたこともある気がするんだけど……
それから少しだけ父さんたちは取りとめもない雑談に少しだけ花咲かせていた。
僕は目隠しをしたままそれを黙って聞いていたけど、やっぱり退屈で父さんの手を引っ張ったりして早く行こうとせがんだっけ。
「ねぇお父さん、お母さん、早く行こうよ~」
「おと~たんおか~たん!」
姉さんや志穂も痺れを切らしてわいわいと癇癪を起こし始めた。
子供にとって、親の世間話ほど退屈で窮屈なものはない。
「とっ、すまんすまん……つい話し込んでしまったみたいだ」
「ごめんなさいね&%'"ティ#$ちゃん、子供たちがそろそろ我慢の限界みたい」
「あぁ、そうでしたね!ごめんなさい時間を取らせてしまって」
「いや、俺たちも楽しくてつい話しこんでしまったからな……お互い様だ」
はははと楽しげに笑い声を上げる父さんと母さん、それから顔すらわからない女の子の声。
今思えば、あれがいったい誰だったのか、僕はもう少し気にするべきだったのかもしれないけど、当時まだ幼かった僕にそれを言うのはいささか厳しいのかな?
「さて、と。それではみなさん、本日はどこまで行かれるおつもりなのですか?」
見知らぬ少女が明るい声を出してそんなことを僕らに聞いてきた。
僕は子供の盛りで、つい大きな声で目的地を叫びたくなったのだけど……叫ぶ寸前で自分たちが今日どこに行くのかをまったく聞いていないことに気づいたのだ。
姉さんたちも知らないようで、あー、とか、うー、というような呻き声は聞こえてきてもはっきりとした地名のような単語はひとつも出てこなかった。
そんなことを思っていると、不意に僕の頭に何かがポンと乗り、わしゃわしゃと頭を撫で回した。
両手で頭に手をやると、それはごつごつとしていて、それでいて安心する温もりを感じる……それが、僕の尊敬する父さんの手だということがわかり、僕は頬を緩めた。
「今日はこの子達にアイツの持ってる自慢の庭園やら豪華な屋敷やらを見せたくてな」
「前々から子供を連れて遊びに来いって言ってくれていたものだから、せっかくだし甘えてみようかなってね」
「自慢の庭園に豪華な屋敷……なるほど、あの方のことですね!」
いやはやあのお方らしいというか友人思いと言いますか……と感心しているとでも言わんばかりの声色で名無しの少女は一人納得しているようだった。
誰なのかはわからないけど、幼いながらに当時の僕はおかしな人だと思ったものだよ。
だけどこのテンション、やっぱりどこかで聞いたことがある気がするんだよねぇ……
「というわけで、お願いできるかな?」
「まっかせてください!この創ぞ`*ア%'"ィ$#の名に懸けて、お安く、しかも素早く、さらに快適に!目的地までお送り致します!!」
少し少女の名前らしき言葉が霞むように認識できなくなっていたような気がしていたけど、きっとあのときは立ちっぱなしで少しだけボーッとしていたんだと思う。
少しだけふらつく足をなんとか崩さないようにバランスを取っていると、頭の辺りに今度はひんやりとした感覚が伝わってきた。まるで氷のようにひんやりとしていたそれは、しばらくして父以外の誰かの手だということだけはわかった。
母でもないその何ともいえない心地よさはきっと――――
「さて、それじゃあこれ以上またせてしまうのもあれなので、ちゃっちゃとやってしまいますよぉ!……えーと、現在地はここで、飛ばす場所は……うん、ここで間違いないね……それじゃ、【ゲート展開!!】」
すると、今まで何も感じなかったはずなのに、いきなり真正面から涼しげな風を感じ始めた。
ほんのりと甘い香りと一緒にわくわくまで運んできてくれたかのように、疲れてきていた僕の体はたったそれだけで一気に元気を取り戻した。
「それじゃ、行ってくる」
「またねa&%'"ティナちゃん、今度は二人だけでティータイムにでもしましょうね♪」
「はい!皆さんどうかよい旅を……あ、そうだ!」
父さんの手に再び引かれて前へと歩き始めていた僕の空いているほうの腕を、何かひんやりとしたものが掴んできた。
いきなりのことにびっくりする僕をよそに、今度は頬に何かしっとりとしたものが押し付けられ、少しだけ吸われた。
「えへへ、マーキング、というやつです!」
「おいおい、この子はまだ8歳だぞ……」
「あらあら、相変わらずうちの息子は女の子に大人気ねぇ~」
「え、なになに?いま僕何されたの?」
何の話で盛り上がっているのかさっぱりわからかった僕は父さんや母さん、それから名前も顔もわからない女の子に向けてそんな言葉を発したけど、結局笑い声に掻き消されてしまった。
笑い声の端から、
「誰かが私の海斗にイヤラシイことした気配がするわ!どこのメス猫よ……海斗にエッチなことをしていいのは姉である私……わたしだけなんだからぁ!!」
という謎の叫びが聞こえてきたのは、今も昔も幻聴か何かの類だったという事にしている。
そんなことを悶々と考えているうちに、いつの間にか名も知らない少女の声は聞こえなくなり、僕ら家族は再び一直線上を歩き始めていた。
曲がり角どころか高低さすら全くないということもあり、疲れるようなことはなかったけど……今思えばあの道もかなり変だったんだということがわかる。たぶん、僕らの家から歩いてきた道は普段歩くような場所では少なくともなかったということなんだろう。
「む、もうあの女の気配はしないわね……あ、それよりもお母さん、私たちがこれから行くところってどんなところなの?」
僕の二歳年上……つまり当時の僕と比べ、姉さんはもう10歳になっていた。だけど、前半の独り言は明らかに小学校高学年の言うようなセリフではないと今でも思う。
しかし後半に姉さんが言ったこと……これからいったいどんなところに行くのかということは過去の自分も、そしてこうして記憶上の過去を夢見ている僕も気になっていた。
あと少しすればわかることだろうに、人間というのはわからないことをすぐに究明したがるから不思議なものだよ。
すると母さんは相変わらず朗らかに笑い、まるで綿飴のように柔らかくそれでいて優しさを感じる口調で言葉を紡いだ。
「ここで答えを言っちゃうのもいいけど……せっかくここまで来たんだから、自分の目で確かめてみなさいな。さ、みんな目隠しを取ってもいいわよ!」
その言葉を待ってましたと言わんばかりに僕は頭の後ろで結んでいた目隠しを一気に解いた。
ちらりと横目で姉さんを見ると、もうすでに自分の分の目隠しは取っていたが、まだ紐の解き方がわからない志穂の分も解いてあげているようで少しだけもたついていた。
そこで待ってもよかったのだけど、当時の僕はもう興奮しすぎてそういう気配りができなくなっていたのだろう……左手に黒い目隠しを握り締め、刀の鞘が腰や太ももに当たるのも気にすることなく、一気に駆け出した。
待って、と叫ぶ姉さんも無視し、足よ動けと言わんばかりにとにかくがむしゃらに走り続ける。
あたりが何にもない、薄ぼんやりとした謎の空間だというのに、僕は何も恐怖することなく、ただ出口だと思う場所へと走り続ける。
……たまに不安になって後ろを振り返っても、遅いながらもみんなついてきているので安心して僕は前へと走り続けた。
そしてついに出口だと思っていた光の中に突っ込み……僕は足を動かすことを忘れた。
そこは青空……突き抜けるほど蒼い空に千切れ雲が気持ち良さそうに浮かんでいた。小さい頃に夢見た空を飛びたいという衝動に苦しいほど掻き立てられる。
そして目の前に広がるのはどこまでも続いているんじゃないかと言わんばかりの花畑……白、薄桃、黄、赤、紫、緑……言葉にできる色だけでは物足りないくらい、さまざまな色を持った何かが僕のことを香りとともに歓迎してくれた。
さらに驚いたのは、見た事もないような動物があちこちで気持ち良さそうに昼寝をしたり駆け回ったりしていたことだった。しかも一緒にいるのは姿形から大きさ、おそらく性別までバラバラなもの同士というのが大半を占めており、とても賑やかで穏やかな光景が広がっていた。
「おぉ……相変わらずここは自慢の庭園と言うだけあるな」
「すごいわねここは……前来たときよりも立派になっている気がするわね」
「わぁ~!すごい、すごい!!あんなに動物さんがいるよお姉ちゃん!」
「あ、ホントだ……みんな仲良しさんなんだね♪」
ようやく追い着いたみんなも、僕の後ろで感嘆の声を上げていた。
それが、今目の前に広がっていることの現実さを教えてくれているかのようで、僕の口元が思わず弧を描くように広がった。
打ち震える体がもう我慢の限界だとでも言わんばかりに、僕の体を刺激してくる。
はなっから、幼い僕を止める術なんてものは存在していなかったんだ……
「あ、こら海斗、少し待ちなさい!」
「あらあら、あの子ったらあんなにはしゃいじゃって、ふふっ」
駆け出した僕を止めることはもう誰にも止められない。
歓声を上げながら、僕は夢と希望に溢れた草原へと体を投げ出した。それこそ、歳相応の童として、恥や外聞なんて気にしない、無垢な気持ちで……
少しだけ過去編入ります。長めになるかもしれませんが、どうかご容赦くださいまし!
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