2、冷やしました
「えっと、その……君はいったい誰なのかな?」
一瞬だけ真っ白になってしまった思考をなんとか取り戻し、僕はいつもの口調で目の前にいる少女に話しかけた。
その僅かな時間で、僕は目から入ってくる情報を統合していく。
顔立ちや身長からせいぜい9歳程度だろうか。柔らかそうな生地で出来た真っ黒なゴスロリ服を身に纏ったその姿は、パッと見ただけでは人形と間違えてしまうだろう。頭に被っている帽子が修道士のような頭巾なのはお洒落なのだろうか。
「あ、すみません。自己紹介がまだでしたね」
少女は少しだけ慌てた様子で身だしなみを整えた。
と言っても、軽く服のしわを伸ばしただけだけど。
「はじめまして勇者様。わたしの名前はサクヤ・パナムと申します。どうぞよろしくお願い致します」
見た目からは想像もできないくらい優雅なお辞儀をして、ゴスロリ少女――――サクヤは自身の名を語った。
その間にも僕は観察を続けていく。少しだけ犯罪チックな気がしないでもないけど、状況が状況だからここは割り切るしかないかな。
髪は……少し変わった感じだ。ストレートなんだけど、髪の色が黒と金で、なんだか不思議な魅力を感じる。
瞳も綺麗な紅を携え、思わず吸い込まれそうな感覚に陥った。
……なんだか、不思議な少女だなぁ。
「あ、あの……わたしの顔に何かついていましたか?」
「え……あ~その……」
サクヤが両手を胸の前で組み、不安そうな面持ちで僕の顔を見上げてきた。
さすがに露骨にじろじろと見すぎてしまったみたいだ。
って、初対面の女の子をじろじろと見るなんて、僕は思春期真っ盛りの男子か!?それともちょっと特殊な性癖を持つ大きなお友達か!?
……考えたら僕、まだ高校生の思春期男子じゃないか。
そんな問答を頭の中で済ませ、僕は体を屈めて少女の目を見た。
どこまでも透き通っているかのような瞳に僕の顔が映し出されている。
「ごめんね。さすがに初対面の人にじっくりと見られたら怖いよね」
「え、あ、いやそんなことは!その…むしろよかったというか…えと……」
「え?」
「はっ!?えとえと!今のはちょっとした言葉の綾と言いますか!その、ふ、深い意味は――――」
むぅ……うまく聞き取れなかったから聞きなおそうとしたら、なんだか大変なことになってしまった。
サクヤの顔は真っ赤になり、腕をパタパタと振りながらあっちへ行ったりこっちへ行ったりと忙しなく動き回り始めた。
――――チラッ
……ん?
今一瞬、何か黒くて尖ったものが見えたような……
「ひゃうっ」
ゴツンという鈍い音と共にサクヤの動きが止まった。
頭を抱えて蹲るサクヤの前には、白くて大きな柱が天井まで伸びていた。
どうやら暴れまわった末、あれに頭をぶつけてしまったらしい。少し離れたところからスンスンと小さく鼻をすする音が聞こえてくる。
僕は軽く頭を掻き、痛みに震えるサクヤに歩み寄った。
「大丈夫?ほら、打ったところ見せて」
「うぅ……痛いでずぅ……」
ゆっくりと顔を上げたサクヤのおでこには、赤々とした小さなタンコブが出来ていた。重傷ではないものの、これはなかなか痛そうだ。
泣くまいと必死に堪えているものの、サクヤの目尻には大粒の涙が溜まっていた。
僕はサクヤの顔に当てていた手を背中に回して、軽く背中を摩ってあげた。文字通り、子供をあやすように優しく、慈しみを込めて。
「よしよし、痛かったね」
「あうぅ……ふえぇぇん」
僕が撫でたことで気が緩んだのか、サクヤは目から涙を流し始めたと思うと、小さな泣き声を上げて僕の服に縋り付いた。
ぎゅっと握り締められた襟がしわをつくり、流れた涙がそこをどんどん濡らしていく。
早く治療してあげないとという反面、お屋敷にいる子供たちもこんな風になっちゃったときがあったっけ、と少し前のことをなつかしく感じている自分がいたことは秘密だ。
人肌に暖かいサクヤの背中を撫でつつ、そんなことに僕は思いを馳せた。
◆◆◆◆◆◆
「ひゃぅ…」
「少し沁みるけど、我慢してね」
少し落ち着いたところで、とりあえずサクヤを部屋に備え付けられているソファーに座らせた僕は、軽い治療をすることにした。
と言ってもインデックスが開けないのでグラムを取り出すことはできない。
今できることはせいぜい冷たい水で濡らした布を傷に当ててあげるくらいだ。
けど、タンコブの治療にはグラムを付ける以外はこれしかできないので致し方ない。
擦らないように、ただタンコブに当てるように心がけるものの、冷たい水はそれなりに沁みるようで……
「大丈夫サクヤ?なんかものすごい力で僕の服を握り締めているみたいだけど……」
「だ、大丈夫でひうっ……だ、だいじょうぶ…です…」
なぜだ……なぜ治療をしてあげているだけなのに、胸を締め付けるほどの罪悪感を感じているんだ僕は!
お、落ち着くんだ新井海斗。こういうときこそ、冷静になるんだ。
ここでちゃんと治療をしてあげないと、あとで痛みが悪化してしまうかもしれない。
ほんの少しだけ心を鬼にして……あ、そうだ!
「このまま当て続けるのもなんだし、とりあえずこれを頭に巻いておこうか」
そうすれば手で当てるより楽だろうし、擦れたりもしないから痛みもだいぶ和らぐはず。
思ったが吉日とばかりに、僕は再度布を冷水に浸し、今度は四角く折りたたんで湿布のようにする。
そして傷口にそれを当てがい、新たに用意した布で湿布を固定する。
「んっ、と。ちょっとこのままだと巻きにくいなぁ……ごめん、ちょっと頭巾をはずしてもらってもいいかな?」
「ふえぇ!ず、頭巾をですか!?」
目を見開いたかと思うと、その小さな手を頬に当てて急に俯いてしまった。
その頬は心なしか、ほんのりと赤くなっているような気がした。
「えっと、別に無理してはずさなくてもいいんだけど、ね?」
なんだかまずい地雷を踏んでしまった気がして、慌てて言葉を付け足すものの、朱に染まったサクヤは硬直したままだ。
……ど、どうしたらいいんだろうか。
まず頭巾をはずさないまま、頑張って布を頭に巻くべきか。それともサクヤの様子を見たほうがいいだろうか……
そんな風に頭の中で思案していると、サクヤが顔を赤くしたまま、
「わ、わかりました……」
と呟いて、両手で頭巾の端を持った。
何か言おうとしても、僕の口はまったく役に立たず、ただパクパクと空気を噛むだけだった。
サクヤの手にさらに力が加わり、それに合わせるかのように顔の赤みもさらに増す。
「そ、その、ちょっと変かもしれませんが……笑わないで、くださいっ!」
大声とともに頭巾が剥ぎ取られ、僕の顔にふわりと覆い被さった。
ほんのりと甘い香りがしたのは、たぶん気のせいではないのだろうけど、そのあたりを追求しすぎるといろいろと危ないので、手で軽く掴んで剥がす。
なんだろう。変な寝癖でもついていて恥ずかしかったのかな?
そんなことを考えているうちにも、視界はゆっくりと広がっていき――――
「あ……」
僕は息を呑んだ。
雲居から縫うようにして差し込んでくる白い月光に照らされたサクヤ。
黒と金という綺麗な組み合わせの髪を持つその小さな頭に生えていたのは、ぴょんと跳ねたアホ毛などではなく――――
――――天に向かって伸びる二本の真っ黒な角だった。
「ほぇ~………」
あまりの衝撃に思わず間の抜けた声が開いた口から漏れ出る。
「う…うぅ……やっぱりその、変です…よね?」
少し寂しげな顔でえへへと笑うサクヤ。
それを見てはっと意識を取り戻した。危ない、もう少しでなんか見えちゃいけないものが見えてたよ。
何か声を掛けたほうがいいと頭の中で思うものの、僕の体はなぜかまったく動かなくなっていた。
その所為で、視線もサクヤに固定されたまままったく動かせない。
「……綺麗だなぁ」
誰だ、今の拙い感想を言ったのは?まったく、呆れて物も言えないよ。感想っていうのはもっと細かいところにも気を配ってだね――――
……少しして、それが自分の口から発せられたものだとわかり、顔から火が出るほど恥ずかしかった。
「え……き、綺麗だなんて……そんなこと言われたの、生まれて初めて……」
「(まぁ、サクヤが嬉しそうにしてくれたから、結果オーライなのかな?)」
自分の両頬を押さえながらくねくねと身悶えるサクヤを見て、自分の発言の愚かさを感じつつも後悔の念はどこかへ消え去った。
それにしても、黒い角…か。
『ねぇサクヤ、君はいったい何者なの?』
そう聞こうとしたが、結局その質問が最後まで伝わることはなかった。
「……あちゃ~」
僕は右手を自分の目頭に当てて首を軽く振った。
「い、痛い…痛いよぉ……」
いつの間にか床に突っ伏して再び痛みに喘ぎ始めるタンコブさん。
どうやらさっきの踊りの際に湿布が床に落ち、それに足を取られてすっ転び、今度は床に頭を打ってしまったようだ。
しかも押さえている場所からして、さっきぶつけた場所と同じ場所をまた打ってしまったらしい。
想像しただけで恐ろしい痛みだけど、ここまで運が悪いとは……
「とりあえず、さっき僕が寝かされていたベッドにでも連れて行きますか」
これだけのケガだと、もうソファーじゃ対処しにくいし、寝かせるような体勢にしたほうがいいだろう。
見た感じ内出血はしていないみたいだけど万が一ということもある、運ぶ際には細心の注意を払おう。
「ふえぇぇゆうじゃざまぁ~いだいでずぅ……」
……これだけ泣けているのなら、たぶん大丈夫だろうけど。
さっきの比じゃないほどに泣きじゃくるサクヤを優しくお姫様抱っこして僕はベッドへと向かった。
「(……これはもう、見た目だけなら完全に犯罪者だよね……)」
泣きじゃくる少女を無言でベッドに連れて行く男……駄目だ、どんなに優しい目で見てもこれは完全にアウトコースだ!
窓に映る化け物の視線が妙に気になる自分を宥めつつ、僕は治療のためにサクヤをベッドに寝かせた。
「一応言っておくけど、疚しいことはこれっぽっちもないからね!」
誰にというわけではない言い訳をうるさくない程度に叫んで、ひとつ大きなため息を吐いた。
とりあえず湿布療法で痛みを和らげるしかない……そう判断し、僕は新しい布を桶に入った冷水に浸した。
「うっ……ちょっと寒くなってきちゃったなぁ……」
ひんやりとした部屋の空気が僕の肌を撫でていき、思わず体を震わせる。
「治療のためとはいえ、さすがに服を破きすぎたかな……」
剥き出しになった左肩周辺を見ながら、苦笑いしている自分が桶に映った。
さすがに肌着は身に着けているとはいえ、やっぱりこれだけでは少々寒さが堪えるね。
そんなことを思いつつ、最後に布の端を軽く結んで、僕はサクヤの治療を済ませた。
「すぅ…すぅ……」
泣き疲れてしまったのか、いつの間にかサクヤはベッドの上で穏やかな寝息を立て始めていた。
頭に巻かれた即席の包帯が、あまりにも不恰好で少々申し訳ない気持ちになりつつ、僕はその寝顔についた涙を軽く指先で拭ってあげた。
「さて、と。今何時だろう……腕時計がないと、時間の感覚が狂いそうだよ」
拉致された日はたまたま自室に腕時計を置いてきてしまっていたから、時間を知りたくても知る術がない。
外からは月明かりが差し込んできているけど、場所によっては一年中夜なんて場所もあるらしいから、あまり当てにはならないだろう。
……だけどこれ以上やることもないし、少し疲れも出ているから、ここは寝ておくのが一番だろう。
そもそも今の状況はおそらく監禁。サクヤがどうやってここに入ってきたのかとかはわからないけど、おそらく自力での脱出は難しい。
何があるかわからないし、やはり寝ておくのが一番だろう。
「よし、そうと決まればさっさと寝るとしますか」
ベッドはサクヤが使っているから、とりあえずさっきのソファーでいいだろう。
「ん?」
そう思い立ち上がろうとして、服の裾に違和感を感じた。
見ると案の定と言わんばかりに、サクヤの小さな手が裾をしっかりと握り締めていた。
その様子に思わず笑みが零れ、僕は軽いため息をゆっくりと吐いた。
「(ま、ベッドの脇に寄りかかって寝る分にはセーフのはずだから。うん、さすが僕だ!この手の展開で『一緒に寝る』などというバカな選択をしないあたりに人生経験値の多さを感じいぃぃぃ!?)」
余裕な感じを醸し出しつつゆっくりと腰掛けようとして、僕の思考は一気に吹っ飛んだ。
なんとサクヤが腕を持ち上げたと同時に、僕の体まで一緒に放られてしまったのだ!
裾を支点にして空中に舞う僕の体。まるでスローで見ているかのような不思議な感覚に襲われる。
そしてかなりの勢いをつけて、僕の体はベッドに沈んだ。どうやらちょうどサクヤの寝ている隣あたりに着地したようだ。
……嫌な汗が止まらない。
僕は素早くベッドから降りようと体を捻る。しかし体は僕の命令をまったく聞いてくれなかった。
具体的に言うと、サクヤの掴んでいる僕の腕がまったく動かない。
「んふぅ……ゆうしゃさまぁ……」
「ちょ、痛たたたたぁ!?」
さらに追い討ちとばかりにサクヤが寝返りをうち、その拍子に僕に全身で抱きついてきた。腕だけでなく、足を絡め、全身を密着させてきた。
……おまけに、全身の骨を折らんとするくらいの、とんでもない力で。
「(角があるからなんとなく予想はしていたけど……まさかこれほどの怪力の持ち主だったなんて…)」
安眠とは掛け離れた眠り方をし始める僕の体に涙が止まらない。
子供に抱き枕代わりにされることはあっても、こんなに生と死の境目を旅するような経験は生まれて初めてだよ……
幸せそうに眠るサクヤを見ながら、僕は冷たくなり始めた自身の手をぎゅっと握り締めた。
今回の題名には二重の意味が込められています。無意識だったのですが、なぜかうまい具合に被ってくれたました。
もう受験まで一ヶ月を切ってしまっているので来週あたりでまた止めることになってしまいそうです。どうか温かい目で見守っていただけるとありがたいです。
感想・評価、『虎柄の毘沙門天』を聞きつつ待ってます。
……寅丸星ちゃんは作者のお気に入りキャラの一人です。




