26、『勝ち』にもいろいろ種類があることを教えました
『てやぁ!』
「よっ」
『そこっ!』
「ほっ」
『くらえぃ!!』
「断る!」
雨のような連携攻撃を、右にひらりと避け、左にまとりと体をくねらせ、背中に来た一撃は刀の背で軽く受け止める。
とっくに朝礼のチャイムはなり、一時間目がもうすぐ始まろうとしている。
教師生活が始まって、初めて遅刻をすることになってしまい、心の中で少し落ち込む。
そんな僕の心の傷なんて知らないとばかりに、風紀委員の生徒たちは攻撃を繰り出し続けてくる。
無論、標的は僕なので悠長になどしていられない。僕は僕で、回避をしながら、怪我をしないように攻撃をうまく受け流す。
『くそっ、なぜ当たらない!』
『これだけの攻撃をいとも簡単によけるなんて……』
『化け物め……!』
攻撃はやまないものの、弾幕は少しずつだが薄くなってきている。攻撃の隙間から見えたのは、風紀委員の生徒が一人、また一人と疲労で膝をつき始めている情景だった。
「のぅ主、なぜ先ほどから避けてばかりなのじゃ?これだけの殺意を向けられているのじゃ。いくら教師といえど、殺しさえしなければ正当防衛で済むと思うのじゃが?」
ムラマサが刀身を輝かせながら、そんな疑問を投げかけてきた。
たしかにその理屈はもっともだ。普通だったらそれで十分にこの場は切り抜けられただろう。
だけどその考えは、ここでは不正解だ。
「仮にここで風紀委員の生徒を斬り付ければ、確かにこの場での僕の勝利は確定するだろうさ。けど、それは最終的な解決にはならない……どころかさらに悪化するだろうね」
「……どういうことじゃ?」
ムラマサがわけがわからないとばかりに鍔を鳴らす。
飛んできた氷弾と炎弾を同時に斬り伏せながら、僕は独白するように言う。
「もしここで僕が風紀委員の誰かに怪我でもさせてみたとしよう。たぶん風紀委員の委員長……レオはそれすらも利用してくるだろうね。『教師が生徒に対して怪我をさせた』という事実を使って、合法的に僕を追い込んでくるだろうね」
僕の声は刃のぶつかり合う音とか魔法の発動音とかの戦闘音で、ムラマサにしか聞こえていないだろう。相手の作戦を見破っている、と言ってもこの状態ならまったく問題ない。
しかし……とムラマサが反論しようとしてくるが、僕はあえてそれを止める。いったいムラマサが何を言おうとしているのかは大体検討がつく。
「……普通に考えれば、確かにそんな無茶が通るわけがない。けど、ここは僕らのいた世界とは異なる『モスカル』っていうところなんだ。僕らの常識を基準にするのはあまりにも危険だよ」
沈黙するムラマサ。そんなムラマサを使って、僕は後方から不意打ちしてきた狙撃手の矢を一刀両断する。
斬ったときに軽く刺激臭がした。どうやら矢の先に毒が塗られていたみたいだ……
本気で殺しに掛かってきている、ってところなんだろうか。
僕はだんまりなムラマサに微笑みながら、軽くその柄を刀を握っていない左手で撫でる。
「それにねムラマサ。風紀委員と今以上に険悪してしまったら、僕の作戦の意味がなくなっちゃうじゃないか」
「あ……」
思い出したかのように、ムラマサが声を漏らす。
そう、僕の考案した作戦はあくまで『非暴力』によって達成されなければならない。
ここで早く終わらせたいがために、刃を風紀委員に向けてしまえば、僕の今までの努力と一般生徒の協力がすべて無駄になってしまう。
……まぁ僕自身がそもそも人を斬りたくないからでもあるんだけどね、この作戦。
さて、それじゃあ攻撃をまったくすることなく、戦闘に勝利するにはどうしたらいいでしょうか?
一般的には逃走がもっとも効率的な勝ち方だ。逃げるが勝ちという言葉を作った人は本当に天才なんじゃないのか、と僕は思うね!
だけど今回はその作戦を使えないので、もっと地味で、しかも相手からしたら屈辱でしかないもうひとつの作戦を決行することにした。
否、その作戦は今をもって完遂された。
「ほらムラマサ、見てごらん」
「む?…………なっ!?」
どうやらぼんやりしていたらしいムラマサが正気に戻って、驚愕の声を上げた。
あたりに広がる光景に驚きすぎたのか、するりと僕の手から抜けて、ムラマサはふたたび擬人化モードになった。
警戒心が人一倍強いムラマサには珍しい行動ではあるけど、僕はあえてそれを止めるようなことはしない。
僕も、ふぅっと一息つきながらあたりを見渡す。もう攻撃の手は止んでいる。
僕を中心にして広がるのは、様々な色をした円。先ほどまで僕を執拗に攻撃してきた風紀委員たちが例外なく倒れているのだ。
「……主、こやつら死んでおるようじゃぞ?」
倒れている一人に近づき、その背中を突きながらムラマサはあまり心配していなそうな声色で生死確認をしてきた。
「いや、ちゃんと生きてるよ。まぁあれだけ魔法やら特技やらを放ち続けていたんだから、しばらくの間は動けないと思うけど」
僕は傍に倒れていた男子生徒に近づいて、脈を確認する。ドクドク、と少し乱れた振動が、人差し指と中指に伝わってくる。
症状としては、マラソンで全力疾走した直後に似ているだろうか。ものすごく苦しそうだけど、小一時間もすれば歩けるくらいには回復するだろうね。意識もかろうじて残ってるみたいだし。
一通り確認したムラマサは僕のほうに向き直り、青ざめた顔で自分の体を抱きしめた。
「まさか……主の実行した『作戦』というのは?」
「え?いや、ただ限界まで疲労させて行動不能にするだけの、作戦名もないような簡単な戦略だけど?」
相手のほうは攻撃を一度もされることなく地に伏せる羽目になるから、プライドの高い人からしたら斬られるより苦しい、とかなんとか師匠が呆れ顔で言ってたなぁ。
これが僕が対人戦をするときの基本スタイル。逃走か、スタミナ切れを誘発させるか……
ひどく情けないものではあるけど、人を傷つけたくない僕にとってはこれがもっとも合うからしょうがないよね?
真っ青なムラマサが座り込んで、なにやらぶつぶつとささやき続けているけど、いったいどうしてしまったのだろうか……
「……戦国時代の戦において、もっとも恐れられたのは『疲労』じゃった……まさかそれを自らの手で引き出すことができるとは……やはり主は優しくも恐ろしい人物なのじゃ……」
◆◆◆◆◆◆
「大変なことになってしまいましたね……」
自分と僕の分のお茶を淹れながら、エルはその端整な顔を歪ませた。
悲痛、という表現がぴったりなその表情に、僕は慌てて立ち上がって両手を振った。
「エルがそこまで気にする話なんかじゃないって。確かに忙しいこの時期に、こうも作戦が早く進んじゃったのには驚いたけど、まだ想定の範囲内だしさ」
どうして僕はこんなに必死になっているのか不思議に思いながらも、この状況がまったく問題ないことを伝えようと言葉の端々を繋いでいく。
だけど、エルの顔は暗いままで、僕はどうしようもない何かを感じてふたたびソファーに腰掛けてしまう。
何をそこまで気にしているのだろうか。ここまでの作戦は順調だったし、特に問題はなかったはず。
他の生徒が被害に遭うこともほとんどなくなったし、いい傾向だと思うんだけど……
「主は本当にバカがつくほどの『にぶちん』のようじゃの……」
僕の隣に座って遠慮の欠片も見せることなく出されたクッキーを頬張っていたムラマサが、ため息をついてお茶を啜った。
『にぶちん』というのがどういう意味を持っているのかはわからないけど、なんとなくバカにされているんじゃないのかなとは思った。
なのでとりあえずムラマサのほっぺたを軽く引っ張ってみた。驚くほど柔らかく、むぃ~んとのびた。
むにゃ~、とよくわからない奇声を上げるのでとりあえず離してあげると、怨めしげに僕を睨んだあと、僕の膝に頭を乗せて唇を固く結んだ。
どうやらふて寝するらしい。ふて寝の原因である人間に膝枕を強要するというのも不思議な話ではあるけど、いつものことと割り切って僕はそれを受け入れた。
ふと視線を上げると、僕の向かいにいつの間にかエルも座っていた。紅茶の入ったポットはテーブルの真ん中に置かれ、おかわりをされるのを待ち望んでいるかのようだ。
エルの視線は、早くも寝息を立て始めたムラマサに釘付けだ。大きな目を細め、人差し指を口元に置きながらムラマサを見つめる姿に、幼い子供を重ねてしまったのは必然なんだろうか?
「気持ち良さそうですね……」
しばらくの沈黙のあと、エルの口からそんな一言が出た。
少しウトウトしかけていた僕はハッとなって、慌てて目を擦った。
「そ、そうだね。今日は朝から魔法やら斬撃やらをはじくことになったから、きっと疲れちゃったんだろうね」
言ってから、僕は自分の浅はかさを呪った。
恐る恐るエルのほうを見ると、その顔には暗い影が差していた。
朝の出来事が原因で、だなんて言えばそれを気にしているエルがこうなるのはわかっていたはずなのに……
ふたたび沈黙が部屋の音を支配する。今度のは一秒一秒が心臓を締め付けるように長く、苦しい。
「……カイト様……やはりこんなことはやめにしませんか?」
ようやく搾り出せた、というようなエルの弱々しい声には、悲壮と諦観、優しさ……複雑な感情が混ざり合っているように感じた。
「今までだってカイト様は危険な目にあえて遭い、生徒を守ってきました。それは学園長としては本当にありがたいことで……わたしにはとても悲しいことでした。しかし、それでもカイト様なら大丈夫……と必死に自分に言い聞かせながら今日まで過ごしてきました」
「…………」
何も言い返せない。いや、何も言葉が思い浮かばない。
まるで波に揺られる帆船のような、決して流れには逆らえないような不安さが僕の心を染めていく。
「しかし、今日の出来事でわたしの心はこれ以上ないくらいの悲しみで覆われてしまいました。命を奪う死神と化してしまった生徒に襲われるカイト様を、見ていることしかできなかった自分が嫌いで、すぐにでも焼け焦げてしまいたい気分です……これ以上は……これ以上わたしは、もう耐えられそうにありません」
膝の上に置いたエルの手にひとつ、またひとつと雫が落ちては弾けた。
俯いたエルの顔は見ることができないが、泣いている……それだけは嫌でも理解させられた。
僕は膝の上のムラマサをそっと下ろし、エルの隣にしゃがみ込む。
エルの長い髪が重力に引かれて滝のように下へと流れている。静かな嗚咽が、震える背中と相まって、とても儚く感じた。
僕はその背中を擦ろうとして、やめる……何か、それはしてはいけない気がした。
かわりに僕はエルの手をやさしく自分の両手で包み込む。
驚いたようにエルが顔を上げる。翡翠の目のまわりは赤くなり、涙がとめどなく流れ続けている。
「カイト……さま……」
「大丈夫。これはエルの命令なんかじゃなくて、僕が独断でしている『地固め』だ。僕の子供たちが楽しい学園生活をするための、ね?」
「で、でもこんなの!あまりにも危険で―――――!」
不安げな、親に縋る子のような声を出すエルの手を、僕は自分の胸の前に持っていった。
驚きを隠せない様子のエルに、僕は諭すようにゆっくりとした口調で続ける。
「ほら、僕の心臓はちゃんと動いてる。あれだけの襲撃にあっても、かすり傷ひとつないんだよ?あの程度の危険、僕にとっては食後の運動レベルなんだって」
「食後の運動レベル……」
その瞬間、エルは「ぷっ」と吹き出し、やがて「あははははは!」という笑い声へと変わっていった。
僕としては複雑な気持ちではあるのだけど、エルを泣き止ませるという目的が達成されたから、まぁいいかと自分の中で完結させた。
やがて笑い疲れたのか、エルは少々荒い息遣いをしながらソファーにもたれ掛かった。
「もうカイト様ったら。あんな死闘を食後の運動だなんて……わたしを笑い殺す気ですか!?」
「いや、本気で言ったんだけどなぁ……」
そう言うと、また小さくエルは笑い転げた。
まったく、こういうところはあの王様の娘なんだなって思うよ。王族の気品なんてまったく感じられないよ!
「はぁ…はぁ……わかりましたカイト様。この件に関して、もうわたしからとやかく言うのは止めます」
もう笑えないとばかりに息を切らしながら、エルは僕の望んだその一言を言い放った。
しかし!と身を乗り出して僕の肩を掴みながら、エルはものすごい形相で僕の目を見つめてきた。
「決して自分の身を省みないような危険な行為だけはやめてください!それだけ!それだけは約束してください!!」
さっきまで泣いていた少女とは思えない迫力に気圧され、僕はコクコクとうなずくしかできなかった。
そんな僕の反応をみたエルは「ならばよし、です」と言って、空になったカップにお茶を注いで、優雅な仕草でカップを傾けた。
これでよかったんだろうけど、なんか逆に僕が押し切られたような気分なのはなぜなんだろうか。
僕はそんな謎を胸に抱きながら、エルを眺めることしかできなかった。
「ところでカイト様、今度はわたしにもその……ひ、膝枕をしてくれませんか!?」
「えぇ!?べ、別にいいけどなんで?」
「その……先ほどムラマサ様がカイト様の膝枕で安眠されている姿を見てつい「いいなぁ…」と思ってしまいまして……」
さっきムラマサを見つめていたのはそういうことだったのか……
僕はエルの腰掛けるソファーに座り、ポンポンと自分の膝を叩いた。
やっぱり平和が一番!ということで今回も人は斬らせませんでした!
やっぱり痛いのは書いていても、読んでいてもつらいですから……ね。
※ついにこのときがやってきてしまいました。本試験まで残り一ヶ月を切ってしまいました。ツナ缶は本日より1月と3月にある本試験に向けて全力で勉強に打ち込まなければなりません。なのでしばらくの間投稿ができなくなってしまいます。
具体的に申しますと、来年の1月23日までは完全に投稿を停止し、それから二月の中旬くらいまで一週間おきくらいの投稿になります。
完全に投稿スピードが終わるのは公立の入試が終わってからになるのでしばらく先となってしまいます。
しばらく投稿ができないことが歯がゆくて仕方ありませんが、明るい未来のために……どうか暖かい目で見守っていただけると幸いです。
とりあえず23日には一度戻るので、よろしくお願いします!
感想・評価、試験勉強に集中しつつ待ってます!




