21.可愛いものを見ました
『ドラゴンの巣』の中は、秋の終わりだというのにとても暖かかった。
どうやらこのダンジョンは、保温性の非常に高いレッドストーンで出来ているらしく、まるでここだけ早めの春が訪れたみたいだ。
天井は鉱物なのか植物なのかわからないけど、緑色に発光している何かが張り付いている。そのおかげでランタンはもう用済みとなった。
地面は硬い岩ではなく、柔らかい草木で覆われていて、昼寝には最適そうだ。光合成とかは天井の発光物で済ましているのかな?
魔物のほうも気性が非常に穏やかで、前に行った森みたいに、向こうから襲ってくるようなのはいないみたいだ。
道中で見かけたのだって、どうみたって幼女にしか見えないドリアードとか小学生程度の慎重しかないリザードマンくらいだった。
……なんなんだこのダンジョンは。ロリコンホイホイっていう名前だって言われてもたぶん驚かないよ?
まぁでもやっぱり魔物のなのに変わりはないので、とりあえず無駄な接触は極力避けるようにして、僕らはどんどん奥地へと進んでいった。
僕の姿を見てちょこちょことついて来る子もいたけど、魔物だと割り切って、全力で振り切った。
……泣きそうな顔で僕の後ろ姿を見る様子は、僕の心を容赦なく潰しにかかってきて、精神的にやられそうです。
「……海斗、あまり顔色がよくない……少し休んでく?」
僕の少し先を歩いていた美琴が振り返りながらそう提案してきた。僕と違って、重そうな銃器やらバッグやらを背負っているにも関わらず、その顔に疲労の色は見えない。
やっぱり美琴って並の軍人より体力あると思うんだけど。普通そんな大荷物を背負って歩き回って平然としていられるなんてことないと思うのは僕だけだろうか。
「……というか、わたしが休んでもいい?」
……どうやらそんなことは僕の勘違いだったみたいだ。
よく見ると、美琴の足はガクガクと震え、まるで生まれたての小鹿のようになっていた。
顔は相変わらず無表情だから、足の動きとのギャップがありすぎて、おかしいを通り過ぎて怖い……
『なんじゃおぬしは、だらしないのぅ。まだ先は長いというのに、こんなところで休むなど……』
「そんなことを言うムラマサは、僕の腰から離れて自分の足で歩こうか」
『そ、そんな主!それはさすがにあんまりなのじゃ!!』
なんだかムラマサが美琴に嫌味を言い始めたので、とりあえず黙らせることにした。
この二人、仲が良いときと悪いときがあるからどう対応すればいいのかわかりにくいったらないよ。
というか、ムラマサがあんなこと言ったりしたら――――
「……海斗、先に進もう…」
やっぱりそうなるよねぇ!
何を意地になっているのか、美琴は震える足を引きずるようにして再び歩き始めた。歯を食いしばって、必死に前へ前へと進もうとする姿は、映画だったら涙を誘うものがあるだろう。
しかし、やっぱり体は正直なもので、ちょっとした窪みに足を取られて、美琴は難無く転んだ。
ライフルを持っていたのと疲労が祟って、もろに顔から地面に倒れこんだ。緑の絨毯がクッションになったとはいえ、あれは痛そうだ……
僕は呪詛のように謝り続けるムラマサをとりあえず無視して、倒れこんだ美琴のもとへと駆け寄る。
倒れた格好のまんま動かない美琴。まさか今ので意識を失ったのかと心配になったけど、その背中が小刻みに震えていることに気がついて、それはないと確認した。
僕は美琴の背中から鞄をはずし、ゆっくりと美琴の体を起こす。顔を手で覆って、自分の顔を隠そうとする仕草から、顔にちょっとした怪我をしたことが容易にわかった。
美琴の顔を見るために手をはずそうとするも、妙に強い力で抵抗されてしまい、結局できなかった。
「美琴、別に僕は鼻から血が出ていようとも、引いたり笑ったりなんかしないから」
というか美琴が鼻血を出しているのは日常茶飯事なので、今さら顔のどこから血が出ようともどうってことはないのだ。
僕としては今よりも、そういうときこそ恥じらいを持ってほしいと思ってるんだけどねぇ……
「…………」
美琴の回答は無言。手に込められた力が弱まったことから、了承したと考えていいのだろうか。
僕は懐から応急セットを取り出し、美琴の鞄から水の入ったビンを取り出して横に置く。
そしてゆっくりと美琴の手を持ち上げる。
「うぅ……海斗、痛いよぉ……」
いつもの冷静さなど微塵も感じられない声で、美琴は目尻に涙を浮かべながら僕の目を覗き込んできた。
どうやら額を打ったらしく、少しだけ切れた傷口から赤い血が滲み出してきている。
……正直、ドキッとしてしまった。こっちの美琴も何回か見てきたけど、今回のそれは今までの比ではないくらい、その……可愛かった。
短く切り揃えられた美琴の髪が僕の指の間をするりと抜けていく。美琴の髪って、こんなにサラサラしてたんだ……なんかちょっといい匂いもするし……
って、僕は何を考えているんだ!美琴は今、怪我をしているんだぞ!髪がサラサラなのも、いい匂いがするもの、ちゃんと毎日お風呂に入っているってだけなんだから!
くっ……だめだ。美琴のことが頭から離れない。今までこんなことはなかったはずなのに、どうしてこのタイミングでこんなことになるんだ。
……落ち着くんだ僕。今はそんな自己嫌悪に陥っている場合じゃないだろ?
小さな傷とはいえ、ここは異世界のダンジョン。変な病原体が入り込んできても困る。
「そ、それじゃあ美琴、早めに済ましちゃうから少しだけ我慢してね」
僕はできるだけ平静を装って美琴に治療の旨を告げる。
すると、美琴は普段は絶対に見せることのない笑顔で、
「ひぅ……うん、優しく……してね?」
誰この子!?なんでこんな眩しい笑顔なの!?若干痛みに対する恐怖が混ざってるのも相まって、破壊力がハンパじゃないよ!!
あのクーデレの皮を被った、ストーカー兼覗き魔兼匂いフェチという変態三冠王を達成している美琴とはとても思えない……
どっちが素なのかわからない……それともどっちも素なんだろうか。
どちらにせよ、せめて通常時も今の10分の一程度の常識を持っていてほしいものだよ。
………はぁ、治療しよ。
美琴の笑顔に頬が緩みそうなのを必死に堪えつつ、僕はケガの応急処置に取り掛かった。
応急セットから取り出した清潔なガーゼを水で濡らし、ケガのまわりを綺麗にしていく。
消毒は家とかでケガとかをした分ならしなくてもいいんだけど、ここは外で、しかもダンジョンなのでちゃんと消毒もしなくてはならない。
というわけで新たに用意したガーゼに消毒液を染み込ませて額の傷に当てる。
「ひぐぅ……!」
案の定というか、傷に消毒液が染み込んだ痛みで美琴が小さめの悲鳴を上げた。
いつもなら痛くても決して顔に出さない美琴が、今は年相応……ではなくもっと幼い子くらい、痛みに対して素直な反応をしている。
こういう反応をする美琴は見た事がないので、僕のほうまで変に緊張してくる……
ああもう、なんだか調子が狂いそうだよ!
傷口の処理に使ったガーゼを隅に置き、今度は包帯と大判のガーゼ、それと肌に優しい紙で出来たテープを取り出す。
このあたりの医療グッズは僕が異世界から持ってきていたものなので、あまり在庫がない。
かと言って出し惜しみなんかして美琴に何かあっては笑い話にもならないので、躊躇なく使っていく。
「(グリムを屋敷に置いてくるだなんて……迂闊だった)」
僕の部屋の机に並べてあるであろう超安価の万能薬に想いを馳せつつ、僕は美琴の額の傷の手当を続ける。
あの緑色の薬……絶対に薬草レベルで売っていいような代物じゃないと思うんだけどなぁ。この前も普通に道具屋のおばちゃんがリンゴと同じ値段で売ってたし。
いったいどこからあんな冒険後半で手に入るようなものを仕入れてきているんだか。
「……よし、こんな感じかな」
包帯の結び目などをテープで止めて僕の治療は終了した。
傷口にガーゼを当てて、帯状に包帯を巻いただけの簡単な治療だけど、とりあえず出血とケガの悪化は防げたみたいだ。
しかし打ち身の痛みだけはどうしようもなく、美琴は今だに目尻に涙を浮かべたままだった。包帯で覆ったケガの部分を触っては顔を顰め、触っては涙を出しての繰り返しだ。
「ああもう、そんなにケガを弄らないの!」
「ふぁ……」
傷口が開いてしまうのを恐れた僕は、美琴を無理やり膝枕して落ち着かせた。
あまりやりたいとは思わないんだけど、美琴はこれをやるとどんなに荒ぶっていても一発で落ち着くのだ。
それはまるで母親に抱かれた赤子のように、いい意味で一気におとなしくなる。
……まぁ、問題点があるからあまりやりたくなんだけどね。
僕はインデックスを漁り、適当に氷の小塊を取り出して、水筒代わりにしていた薄い皮袋に詰めていく。
そうして完成した氷嚢を、美琴の傷あたりにそっと乗せる。
「気持ちいい……」
氷嚢を乗せた途端、美琴の顔は見る見るうちに穏やかなものになっていった。
このときのコツは、氷のみで氷嚢を作らない事。必ずある程度の水を入れることによって、柔らかさと冷たさを瞬時に作り出すことができるのだ。
美琴の呼吸もようやく落ち着いてきて、体からもゆるゆると力が抜けてきているのが太ももに掛かり始めた重さでわかった。
そして穏やかになった呼吸は一定のリズムを繰り返すようになり、美琴のお腹もそれにあわせて小さく上下し始める。
まぁとどのつまり―――――
「すぅ……すぅ……」
「寝ちゃったか……」
安心しきった美琴の寝顔を見ながら、僕は苦笑いしている自分の姿が容易に想像できた。
僕が膝枕をあまりしたくない原因はこれだ。美琴は僕に膝枕をされると必ず眠ってしまい、僕も身動きが取れなくなってしまうのだ。
別に嫌というわけじゃないんだけど、しばらくの間動けなくなってしまうので、極力しないようにしてきている。
「だけどまぁ……」
僕はまるで幼子のように眠る美琴の髪を撫でながら、らしくない想いを感じていた。
こんなのも悪くないかな、と。
「お願いじゃ主ぃ~それだけは……それだけはやめてほしいのじゃ……あうぅ……」
「……ムラマサも、謝りすぎたせいで疲れて眠っちゃったのか……」
ちょっと悪いことをしたかな?今度何かお詫びをしてあげないといけないかもなぁ。
でも腰からはずしたわけじゃないし、何かムラマサを傷つけるようなことはあの一言以外は言ってないと思うんだけど……
◆◆◆◆◆◆
「以上が、わたしが受けた報告です」
わたしは最後にそう添えて、お辞儀をして話を区切った。
「なるほど。そこまでカイトと風紀委員とやらの関係は厄介なものになっておったのか」
なんとかベッドから引きずり降ろ………快く椅子に座ってもらったお父様は、いつもはあまり見せない難しそうな顔つきで唸った。
頭に大きなたんこぶをつくっていなければきっと威厳があったのでしょうが……
無論、あのたんこぶをつくったのはお父様の自業自得です。決してわたしが持っていた魔導杖で叩き落としたとかそんな野蛮な理由で出来たわけではないのであしからず。
「……エルはだんだん母さんに似てきているような気がするのぉ……」
ぶつぶつと何か言っているのが聞こえてくるけど、きっと何か難しいことを考えているのでしょう。
……それにしても、今回の案件に関してはお父様も少々厄介に感じているようね。
風紀委員とカイト様のここ二、三週間ほどの戦いは日々エスカレートしてきている。生徒や教師陣から理不尽な犠牲者が出ることはなくなった。
けど、それでも、やはりカイト様が一人で肩代わりするにはあまりにも荷が重過ぎる。
どんなに学園が平和になっても、カイト様がつらい思いをしているのなら、やはりそれは正しくないことなのだとわたしは思う。
けどつい先日、カイト様に似たようなことを伝えたけれど、軽く受け流されてしまった。
大丈夫だ、とカイト様は仰っていた。けれど、やはりわたしはカイト様が苦しい思いをしているのではと思うと、居ても立ってもいられない衝動に駆られて……
「はぁ……わたしはどうしたらいいのでしょうか……」
……もしかしたら、お父様もカイト様にそれとなく伝えてくれるかもと、ほんの少しだけ期待したけれど、すぐにその想いは消えてなくなってしまった。
なぜなら、お父様もきっとカイト様と同じような考えを持っているはずだから……
「これは、カイトに任せるのは得策じゃろうな」
やっぱり……
だけど、それはわかっていたこと。わたしもカイト様の行動にはもう口出ししないことに決めていた……
……とても……とても不本意ながら、だが。
問題は、それとはまた違ったことのほうだ。
「エル、お前はまだ若い。それこそ、カイトと余裕でイチャイチャできるくらいにの」
なっ!?お父様ったら、急にいったいなにを!わ、わたしとカイト様がイ、イチャイチャだなんてそんな……
しかし、お父様の稀に見る真剣な眼差しに、わたしは喚きそうになった口を閉じた。
お父様はそんなわたしの様子を見て、ふたたび話を続けた。
「この書類に、風紀委員の装備一新の動き……それから対人戦闘の導入というのが記されている」
「はい……って、え、あれ?」
あの書類には紙が黒く見えるほどびっしりと風紀委員の動向が書かれていて、『これは危険だ』という漠然としたものしか、わたしは思い浮かんでこなかった。
しかし、今お父様の言った言葉だけを繋げると……
いや、そんなまさか……!
「……きっと、お前の考えているとおりじゃ」
お父様はとても悲しげな目で、窓辺に輝く星々を眺め、
「彼奴ら風紀委員は近いうちに、全勢力をもって、カイトの命を狙いにくるだろう」
そう、重々しく言い放った。
その言葉がわたしの胸に深々と突き刺さったのは言うまでもない。
「……まだたんこぶ痛い……」
「自業自得です、まったく……」
目に浮かんでいた涙のほうは、私情によるものだったみたいで、わたしは心底呆れた。
美琴の普段とのギャップをうまく表現できたかわからないですが、可愛く表現できていればなぁ、と思っています。
感想・評価、いろんな締め切りに追われて泣きそうになりつつ待ってます!




