19、研究室に入りました
仮想と現実の融合……そんな言葉が部屋に入った途端に思い浮かんだ。
部屋の壁や床はまるで僕らの世界に戻ってきたかのような、コンクリートとゴム床でできた真っ白な部屋。
しかし一転、部屋の奥にはまるで御伽噺に出てくる魔女の使っていそうな、大きな鍋のようなものが置かれ、黄緑色の煙を吐き続けている。
戸棚に置かれた薬品もおどろおどろしい色をしたものもあれば、見た事があるようなものもたくさんあって、初見の驚きと既視感の安心さで混乱しそうだ。
部屋の中にもいくつかドアがあることから察するに、『研究室』と呼ばれる部屋の中には他にもいくつか別室があるみたいだ。
「ようこそ、わたしの研究所へ!……なんて、えへへ」
僕から少し離れた先で、マリネは両手を広げて、部屋を自慢するかのように振舞った。
照れるくらいならやらなければいいのに、とはさすがに言えなかったけど、その身長やぶかぶかの白衣と相まって微笑ましさを感じた。
とっ、いかんいかん。この人はこんな容姿だけど、いちおう僕、どころか姉さんより年上なんだった。
「ところでマリネ先生はここでいったいどんなことをしてるの?」
「えっと、基本的には新しい薬の研究とか、既存の薬を注文に応じて精製したりとか、かな。あと時間ができたときとかは新しい魔法の開発とかもやってるよ?」
なんかさらりとすごいことを言っているような気がするけど、気のせいじゃないよね?
薬の量にもよるけど、一人で作っているとしたら相当なことだと思うんだけど。
それに新しい魔法の開発って……薬学の担当者っていったい何者なんだか。
「カイト君、こっちこっち!」
いつの間にか大鍋のところにまで移動していたマリネさんが大きすぎて通りきっていない裾をぶんぶんと振り回していた。
まさかぶかぶか装備がここまで可愛いだなんて……
……じゃなくって!
あ、危なかった……危うく頭の中が煩悩で埋め尽くされるところだったよ。
マリネさん、恐るべし……!
「あれ?どうしたのカイト君、そんなところで頭を抱えたりなんかして?」
「い、いや、何でもないよ、うん!なんでもないはず!」
まさかマリネさんが可愛いと感じる煩悩と闘っていただなんて、ちょっと恥ずかしくて言えない。
不審に思われないうちに、僕は駆け足でマリネさんのところへと向かった。
……近づいてわかったけど、この大鍋はかなりの大きさだったみたいだ。
マリネさんどころか、僕の身長もゆうに超えてしまっている大鍋。中からはボコボコと何かが弾ける音が忙しなく聞こえてくる。
熱さはない。むしろまわりより冷えていることから、加熱による反応ではなく、薬品同士の吸熱反応みたいだ。
いったい何を反応させているんだろうか……
「ふふっ、この中で何が起こってるのか、気にならない?」
まるで僕の心を読み透かしているかのような発言に背筋がゾクッとした。そんなに顔に出やすいのだろうか、僕は。
「うん。でも、ちょっと危なそうな気もするから、今日のところはいいかな?」
「そう?別に落ちたりしなければ大丈夫だけど、まぁカイト君がそういうなら……」
ちょっとしょんぼりした感じがして申し訳なくなったけど、ちょっと今日のところは遠慮させてもらおう。
だって、鍋の縁からなんかムカデの足みたいなやつとか、緑色だけど人の手みたいなやつがはみ出しているんだもん。
あ、今ちょっとピクッって動いたんだけど!?人間としてやっちゃ駄目なことはさすがにしてないよね!?
ねぇ!!
「あ、それじゃあこっちの部屋はどうかな?」
鍋に立て掛けられていたハシゴに腰掛けていたマリネさんが、今度は窓際にある両開きの扉に走りよっていった。
ちょこちょこと走る姿がまた可愛い――――――
「てっ、ちょ!?カイト君、いったいどうしたの!?どうして高速で壁に頭を打ち付けているの!?」
「あはは、いやぁちょっと僕の中に棲んでる妖精さんがまた悪さをしているみたいで、せっかくの機会だから物理的に抹消しておこうかなぁ~、なんて……はは……」
「ものすごい出血しながら何を言ってるの!?」
どうやら額の皮膚が裂けたみたいで、だらだらと血が流れてきた。額には細かい血管がたくさんあって、ちょっと怪我しただけでもとんでもない大怪我をしているみたいに見えるんだっけ、たしか。
実際の出血量も大したことないらしいし、別に問題ないだろう。
あはははは、なんだか意識が朦朧としてきたり、手足が震えてきてるけど、これも大げさな反応ってだけだよね。
「【彼の者の傷を癒せ!】『ヒール』!」
「……あ」
駆け寄ってきたマリネさんが何かを高速で唱えたと思った途端、額の痛みがなくなり、意識もはっきりとした。
しかし傷が回復しても体の反応までは落ち着かせることができなかったらしく、僕はみっともなく床に両膝をついた。
「だ、大丈夫カイト君っ!?」
「え、あぁうん。大丈夫……たぶん……」
「たぶん!?」
「い、いやぁもうマリネ先生のおかげでばっちりだよ!気分もいいし、本当にありがとうございます!!」
なんかマリネさんの顔があまりにも泣きそうだったので、必死に元気アピールをする。
……手に木製の魔導杖を握り締めながら、涙目で僕の顔を覗き込まれちゃったら、誰でもそうすると思うよ?
「よ……よかったぁ~」
僕の言葉に安堵したのか、マリネもその場に崩れるようにして座り込んでしまった。
呼吸は荒くないけど、どう見ても顔色が悪い。
「ご、ごめんね。私、ちょっと人より燃費が悪くて、ほんの少しだけ魔法を使っただけでこういうふうになっちゃうんだ」
「そんな……それなのに僕なんかのために……」
まさか自己嫌悪から起こした自傷行為がこんな形で人を苦しめることになるだなんて……
今後はもっと自分の行動によって引き起こされる事を完全に把握するぐらいの勢いでやっていかないとダメかもしれないなぁ……
「大丈夫だよカイト君」
項垂れる僕の頭にそっと柔らかい……おそらくマリネさんの手がおかれ、僕の髪をゆっくりと撫でた。
顔を上げると、とても穏やかな、まるで聖母のような笑みを浮かべながらマリネさんは僕の前に座っていた。
「これでもわたしは魔法学のスペシャリスト。燃費が悪い分、魔力の自然回復もものすごく早いからまったく問題ないんだよ」
確かに、さっきまで死人のように青白かった顔も、今はすっかり元通りの血色に戻っている。
指が白くなるほど魔導杖を握り締めていた手も、今は僕の長い髪をすいている。
「それに、魔法学だけじゃなくて、薬学だってすごいんだからね?これくらいの体調不良、わたしの手に掛かればどうってことないんだから!」
座りながら胸を突き出してふんぞり返るマリネさんは、まるで親に自慢話をする子供のようで……
「「ぷっ……あははっ…!」」
思わず噴き出してしまった。
自分の行動がおかしかったのか、マリネさんも僕と同様に笑った。
短い笑いだったにも関わらず、僕らの心の中は先ほどと違ってとても温かく、朗らかなものへと変貌していた。
やっぱり笑うっていうのは、人間にとって重要なことなんだね。改めて感じたよ。
「んぇ?」
不意にひんやりとした感覚が両頬して、我に戻る。
「えへへ、やっと笑ってくれたね」
両手で僕の顔を挟みこみながら、マリネは先ほどとは違い、まるで太陽のような暖かさをもった微笑みを浮かべていた。
その目はとても澄んでいて、吸い込まれるような感覚に僕は襲われた。
え、何?どうしてそんな目で僕を見るの?
なんでちょっと泣いてるの?
「カイト君、私と出会ったときから優しい顔はしていたけど、声を上げて笑ってはくれなかったから、本当に嬉しいんだ」
僕の頭や髪を慈しむようにして撫でながら、マリネはそんなことを言ってきた。
その表現にはまるでずっと前から一緒にいたかような、そんな感覚があった。
……僕は、まだ何か気づいていないことがあるのかもしれない。
「本当に、本当に嬉しいのニャ……カイト君……」
◆◆◆◆◆◆
「さ、入って入って!」
「わ、わかったからそんなに引っ張らないで」
僕の傷が完全に塞がったとわかったあとのマリネは、とにかく元気だった。
だって、さっき僕を案内しようとしていた扉まで僕を引きずっていくんだもん。摩擦のせいで、僕の通った床だけものすごく綺麗になってたし。
……まさかこんな小さな体にそんな力があっただなんて……
人間、やっぱり見かけだけじゃないんだね。
「ほら、見てよカイト君!ほら、ほら!」
「わ、わかったから少し落ち着いて、てっうわぁ!?」
さてここで問題です。
無理やり僕は薄暗い部屋へと連れて行かれました。
僕はマリネの催促にしたがって、引きずられて痛んだ体に鞭打って、なんとか首を上げます。
その瞬間、僕が見たものとはいったいなんでしょうか?
え、答え?
う~ん、ちょっと早いけど……それじゃあ正解はこちら!!
『ぐるるるるる……』
『シャーッ』
『コロス……ダイスキ……デモ……コロス……』
「えへへ、どう?可愛いでしょ?」
「おうふ……心臓が弾けるついでに燃えるかと思った……」
僕の目の前には人と動物を掛け合わせたような生物――――狼・蛇・鳥の特徴をそれぞれ持っている―――――が各々のしたいことをしている。
そう、正解は『魔物のむれ』でした!
「コマンド選択、『逃げる』!」
「あ、何で逃げるの!?」
『わふ!』
『…………』
『ニガサナイ……ゼッタイニ…!』
「しかし回り込まれてしまった、だと!?」
というか最後の鳥っぽい娘、怖すぎなんですが!?よく見たら翼のところに巨大な刃物がついてるし!
「もう、見ただけで逃げるなんて、失礼なことしちゃダメだよ!」
「いやごめん、つい反射的というか……」
習慣として、人の体を持つ魔物は必ず逃げるようにしてるんだよね。
なんか殺人をしているみたいで、ただでさえ感じてる罪悪感がさらにまして心が折れそうになるんだよね……
いくら魔物だからって、やっぱり殺すのは忍びないし……
あと、魔物ってほとんど女性の体でその……ほぼ裸だから見るのも恥ずかしいというか……
「カイト君、まさかそんな理由で逃げてただなんて……さすがだよ!」
「な、なんでわかったの!?」
まさか本当に心の中を見透かす能力でもあるんじゃ……!
「え、いやだって、今カイト君自身が言ってたし……」
ここでまさかの悪癖発動!
最近は意識して思ったことを口走らないようにしてたのに!ちょっと気を緩めただけでこのザマだよ!
あと、女性の裸に恥ずかしがってるだけなのに、なんでさすがとか言われてるの僕?ふつうだったら蔑むような視線を食らってもおかしくないと思うんですが……
「よかったねみんな。魔物として怖がったんじゃなくて、女性の体に恥ずかしがって逃げたってわかって!」
ちょ、何言ってるのさマリネさん!そんなことわざわざ言う必要なんかないじゃないか!
『くぅ~ん』
『シャー……』
『ソ、ソンナコトイッテモ……ダ、ダメナンダカラネ!』
魔物娘のほうも、顔なんか赤らめないでよ!僕のほうまで恥ずかしくなってくるじゃないか!
あと鳥っぽい娘はずいぶん口達者なんだね……話してる内容がアレなのは気にしないほうがいいのだろうけど……
「あ、ちょ、カイト君!そんなに見ちゃだめだよ!!」
「わわっ!?」
いきなり慌てた様子でマリネさんが僕の目に両手を当てて目隠しをしてきた。ま、前が見えない……
しかし、ここで慌ててはいけない。
見えないときは、ラッキースケベが起きないように、あえて何もせず、棒立ちになるのが最善……と。
これがフラグを全力でへし折る姿勢です!
『チッ!』
今どっかの創造神の舌打ちみたいなのが聞こえてきた気がしたけど、空耳に違いない!
「フェンちゃんにクーちゃんにロウちゃんも、いつまでも裸でうろつかないの!風邪引いちゃうでしょう!!」
僕に目隠しをしたまま、マリネさんは名前らしきものを呼んで指示を飛ばしていた。
そっか、いくら魔物とはいえ、さすがに全裸で歩かせるようなことはしてなかったか。
少しだけホッとしたよ。
……それにしても、どうしてこの部屋には三匹……いや、三人だけとはいえ魔物がいるんだろうか。
侵入してきた……っていうことはなさそうだし。
服を着せたりしている、ということは、恐ろしくも実験に使っているなんていうことではないみたいだけど。
それにあの娘たちも、発言などはともかくとして、敵意とかはぜんぜんなかった。
いったい、どういうことなんだろうか……
「あの、ところで僕はいつまで目隠しされているんでしょうか?」
「まだ!まだみんな着替え終わってないからまだダメ!」
どうやらまだダメなようです……
考え事は、棒立ちになりながらするとしますか。
ちょっと話の展開が早すぎた気がしますが、とりあえず脱線はしていないのでこのまま進めます。「早いよ!」と思った方、すみません……
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