17、口に押し込まれました
「あ、カイトさんおはようございます。早朝のお散歩ですか?」
アルのいる世界から帰還した僕の到着地点は、飛ばされた森の中ではなく、屋敷の庭中央にある噴水近くだった。
きっとアルが調整してくれたのだろうと感謝しつつ、屋敷の正面玄関から中に入り、キッチンとダイニングのある部屋の扉を抜けた。
すると、油と野菜の絡んだいい匂いとともに、サーシャの声が聞こえてきたのだ。
頭にはいつもの帽子を被り、可愛い猫のイラストがプリントされたエプロンを装着して、目の前のフライパンを器用にかき混ぜている。
……余談だが、出会った頃に預かったサーシャの帽子はいまだに僕が持っている。返そうと思って何回かサーシャに話しかけたんだけど、帽子の話になった途端、露骨に話を逸らしてくるので結局返せずにいるのだ。
「おはようサーシャ。まぁ散歩と言えば散歩だったんだけど……そういうサーシャは何してるの?」
どう見たって料理をしているのはわかるんだけど、こんな時間からするものでもないし、朝食の担当は基本的に僕だし。
「……実はその……まるで昨日から何も食べてなかったみたいにお腹が空いちゃって……我慢できなくてこうしてちょっとしたものを作ってるんです」
昨日というと……確か地獄料理人の姉妹がとんでもない兵器を作り出して……
たしか味見で倒れていた人の中にサーシャもいたような?
「今はなんともないんですけどその……昨日の夕方あたりから記憶がなくって。あはは、すみません、おかしなこといって」
ちょっと姉さんたち……なんで味見させただけなのに記憶とか飛んでるんですか!?
やっぱり姉さんたちはお菓子だけに限定してほしいね。
「(……それよりも、サーシャもいい意味で遠慮がなくなってきたみたいだね)」
出会ったばかりの頃だったら、お腹が空いたからって、この屋敷にある食材やら調理場やらを使おうとはしなかっただろうし。
『家族』の中で一番遠慮しがちだったから、その分それがなくなったときの感動も一塩、だね。
「カ、カイトさん!?どうして泣いてるんですか!!」
「ん?あ、本当だ」
いつの間にか僕の頬に涙が伝っていた。最近涙もろくなって駄目だね。
「いやぁごめんごめん。サーシャがだいぶ自分に素直になってくれたのが嬉しくってさ」
「へ?あ、その……ありがとう……ございます」
……あれ?何か少し、違和感みたいのを感じたような。
なんだか笑ってるけど、どこか落ち込んでいるような……そんな感じが…
「って、きゃあああ!ちょっと焦げてきちゃってる!!」
と思ったら、今度は慌てた様子でフライパンをふたたびかき混ぜ始めた。
うーん……僕の気のせいだったのかな?今のサーシャから違和感なんてまったく感じないし……
「まぁいいか。それじゃあ僕も朝食作りに取り掛かるとしますか!」
腕捲りをしつつ、気合を入れるために声を出して僕は厨房に入った。
「……わたしは……まだ……素直なんかじゃありません……」
◆◆◆◆◆◆
「にゃふにゃふにゃふ……よし、これで準備はばっちりニャ」
『あれ、ニャスターさん、こんな朝からそんな荷物背負ってどこいくんですか?」
「ん?ミキちゃんかニャ?ボクはこれからお仕事ニャけど?」
『え、でもお店はここですし……?』
「ああそっか。ミキちゃんは新人さんだったから知らないのも無理ないのニャ~。一週間のうちの一日だけ、ボクはちょっと『出張』に行くのニャ。その日はお店がお休みにニャるから、今日は一日自由に過ごしてほしいニャ」
『そ、そうだったんですか。わかりました、それじゃあニャスターさん、わたしはこれで失礼しますね。お仕事、がんばってくださいね!」
「ありがとうニャ~」
「……さて、と。それじゃあボクも行くとしようかニャ」
◆◆◆◆◆◆
「あ、センセー!おはざーす!」
「今日もいい天気ですよね先生っ!」
「風もいい感じの強さ。今日はお昼寝に最適だよ」
「……そのわざとらしい話の逸らし方は、逆に相手に違和感を握らせるからやめたほうがいいよ?」
学園の正門前に着くなり、3-Dの生徒の中でも比較的交流のあるラルフ・マイ・マヤの三人が爽やかすぎる挨拶をかましてきた。
どう考えても自然に出来たものとは思えない笑顔に、ありきたりすぎて逆に怪しい話の振り方……
どうしてこんなことをしてくるのかは、まぁ考えるまでもないだろう。
「どんなに話を逸らそうとしても、僕の『写真集』が販売されて、僕がそれをよく思っていないっていう事実は変わらないんだからね?」
「そ、そんなこと俺たち考えてないッスよ~」
「も、もうやだなぁ先生ったら~」
「……二人とも、それ以上は墓穴をさらに深くしていくだけだよ」
目論見がばれて慌てる生徒二人と、最初っからこうなるであろうと予想していたように冷静な生徒一人。
これが僕の担当しているクラスの……いや、学年の成績上位者トップスリーである。
……やっぱりキャラの濃い人ほど、高みに登り詰めやすいのかなぁ……僕のまわりに集まってくる人がみんなハイスペックかつ変わり者なだけなのかもしれないけど……
「……はぁ、もう写真集のことに関しては諦めたからいいよ。別に僕の隠し撮り写真が載ってるってだけであって、裸の写真とかが載ってるわけじゃないだろうし」
人に見られて恥ずかしいようなことをした憶えはないから、例え隠し撮りだろうと、特に問題はないはずだ。
……姉さんたちにそういうことを日常的にされてるから、感覚が麻痺してきてるのかな?
「それに……あんな結果だったとはいえ、あの戦いで負けたのは僕のほうだし、今さらグダグダ言ってても仕方ないし」
本当は売り出される前に阻止できてればよかったんだけど、失敗してしまったものは仕方ない。
「センセー、さすがだぜ……」
「なんだか……そういうの、カッコいいです!」
僕の言葉を変な風に解釈したらしく、なぜか二名の生徒が尊敬の眼差しを向けてきている。まるで『仲間にしますか?』的な選択画面が出ていそうな感じだ。
無論、パーティーには加えません。
「いえーい、この天然たらしがー」
マヤのほうは僕に何かを投げつけながら超棒読みで心外なことを口走っている。
なんだこれ、豆?
なんで豆なんか投げられてるんだろう僕……節分の季節にはまだ早いと思うんだけど?
「あ、間違えて今日のお昼ご飯の炒り豆投げちゃった」
どうやらこの豆はマヤのお昼ご飯だったらしい。
へぇ、意外とヘルシーなもの食べてるんだね。野菜もしっかり摂るなんて感心感心―――――
「まぁいいや。わたし炒り豆嫌いだったし、ちょうどよかったかも」
「おいこら待てぃ!」
嫌いだったのかよ!それって、たまたまじゃなくてわざとじゃないのか!?
「ほらほら先生~、野菜の炒め物に海草、小魚もあるよ~」
口をにやけさせながら自分の弁当を差し出してくるマヤ。素手で魚を鷲掴みにしてジリジリと迫ってくるので、とりあえず逃げることにした。
「あ、こら先生~、好き嫌いはしちゃいけないんだよ~」
「好き嫌いをしてるのは君のほうでしょうが!!」
両手におかずを持ちつつ想像以上の速さで追いかけてくるマヤに戦慄しつつ、僕とマヤは朝の学園の正門前を駆け回る。
朝練なのか、空には何人かの生徒が箒に乗って駆け回っている。その何人かは下で起きている騒動に視線を向けている。
もちろん騒動の中心は僕とマヤなんだけどね……
「……へ?」
足元が少し光ったと思ったら、不意に右足が前に進まなくなる。
右足を出そうとしていた僕の体はそのままバランスを崩して地面に体を打ち付けた。
……下が芝生でよかったよ。
「な、なんで足が動かなくなったんだ?」
何とか体を仰向けに起こして右足のあたりを見る。
僕の右足のあたりに不自然に絡まりあった草と、魔法特有の蛍のような光の玉がちらほらと舞っていた。
「先生油断しすぎ~」
「マヤがやったの、これくはっ!?」
問いただそうとしたところに、マヤの強烈なのしかかりが加わって強制中断させられた。
そのまま馬乗りになった体勢で、マヤは僕の言おうとした質問に対して答えてきた。
「先生の足に絡まってる草はわたしが魔法で作った足掛けのトラップ。簡単だけどこういうときにはけっこう利くんだよね~」
マヤの少し後ろには一本の魔導杖が転がっている。どうやら魔法を使ったあとに投げ捨てたらしい。
……バットじゃないんだから何も捨てなくてもいいじゃないか。
「というかマヤ、そろそろ降りてくれない?その、みんなの視線が痛いです……」
朝から女子生徒と庭でこんな体勢になっていれば、否が応でも視線を向けるというもので、そんな状況に僕とマヤが現在進行形でなっているのだ。
当然通学中の生徒や部活の指導中の先生とかの視線が僕のところに集まってくる。
……やばい、恥ずか死にそう!
「う~ん、確かにみんなの視線はわたしたちに向けられてるみたいだけど、まぁ別にわたしは気にしないし~」
「僕が気にするの!」
どうしてこの子はこんなにも自由奔放なのさ!少しはまわりのことも気遣おうよ。
というか僕を気遣ってくださいお願いします!!
「それじゃあ先生、あ~ん」
「へ、ちょむぐぅ!?」
口の中に魚を掴んだ状態のマヤの手が突っ込まれた。
もしかしたら口にそれを押し込まれるんじゃないかな~とは思ってたけど、まさか手ごとくるとは予想外だったよ!
息が苦しい、けど魚を咀嚼したくても、マヤの手が突っ込まれているのでそれもできない。
「うわぁ、人の口の中って、結構あったかいんだぁ」
マヤはそのまま魚をすり潰すように指を動かし始めた。まわりからはどよめきの声が上がり始め、僕のほうも息が苦しいので左足だけをバタバタと動かす。
両腕はマヤの足の下なので動かしたくても動かせないのだ。
……僕、これでも勇者なんだけどなぁ。女の子一人に押さえ付けられるなんて、いろいろとまずいと思うんだけど?
「……そろそろいいかな?」
ぬるりと口から異物が取り除かれる感覚。口に残った魚を一気に飲み込み、すぐさま新鮮な空気を肺に送り込む。
「エホッケホッ……あ、危なかった……」
もう少しで窒息するところだったよ……走ったあとで口を塞がれると本当に死に掛けるんだね……
あぁ……なんかまだ口の中にマヤの指が動いてる感触がするんだけど……
口の中をずっと撫でられてるみたいでものすごく気持ち悪いや。
あとギャラリーのみなさん、顔真っ赤にするくらいなら見なきゃいいでしょうが!どうして顔は隠してるのに目のところだけ指で隙間作ってるのさ!
「……レロッ……あれ、先生の唾液ってアムッ……甘いんだね…」
「……マヤ、まず落ち着こう。深呼吸をするために、まずはその咥えた手を口から離そうか!」
馬乗りの体勢のまま、なんとマヤは僕の唾液が大量についた手を自分の口に咥えて舐め始めたのだ。
先ほどと変わらない無表情、しかしその顔はほんのりと赤みが差していた。
僕の声なぞどこふく風、マヤはそのまま指の根元まで口に押し込み、舌を自身の指に絡める。
なんというかその、非常にまずい気がします。
このままこの状態が続けば、いずれ矛先はマヤの指から僕に向きかねない。なんとしても脱出しなくては。
……馬乗りになられた体勢で、左足一本でどうやって抜け出せばいいんだろうか……
「じゅる……あれ、もう味しなくなっちゃった……」
指をしきりに舐めていたマヤはほんの少し残念そうな顔になり、その口からゆっくりと指を引き抜いた。口と指の間で銀色の橋が架かっている。
先ほどからほとんど変わらない、しかしどこか熱をもった視線が指からふたたび僕へと向けられた。
そしてゆっくりとマヤの体が僕の顔へと近づいてきた。
「マヤ!いったい何をする気か知らないけど、とりあえずストップ!」
「ん~ムリぃ~、もう我慢できそうにない~」
「ムリぃ~、じゃなくて!ああもう、誰かこの子止めてください!!」
必死に叫ぶも、まわりに僕の声は聞こえず、ことの顛末を今か今かと目を輝かせながら見守ってきている。
そんな手で顔を覆ったまま見守られてもぜんぜん嬉しくないからね!?見ている暇があるんだったら助けてよ!
ほ、ほら、このままだと学園の先生が一人大変なことになっちゃうよ?どうなっちゃうかわからないんだよ?
どうしてそんなに危機感を持ってないのぉ!?
そんなことしている間にも、マヤの体はどんどん近づいてきてるっていうのに!!
あぁ、もうおしまいだ。きっと僕はこのままマヤに想像もできないことをされるハメに……
せめて、その光景を見ないために、目だけは瞑っておこう。
「すぅ……すぅ……」
……あれ?何も起きない?
堅く瞑っていた目をゆっくりと開けてみる。
「寝てる……のかな……」
僕の体の上で静かな寝息をたてている薄紫色の髪が特徴的な双子の妹のほう。
眠ると同時に僕の体の拘束も解けたらしく、体をゆっくりと起こす。
マヤの頭を膝に乗せてその頭を撫でながら、僕は思いっきりため息をついた。
安堵からくるため息は、人を心の底から脱力させるという。まだ始業のチャイムも鳴っていないというのに、僕はその場に倒れてゆっくりと目を閉じた。
「あ、危なかった……」
息を吐くように、そんな言葉が僕の口から漏れ出て、まわりからも感情の読めないため息が出た。
「セ、センセー!?」
「マヤちゃん!これはいったいどういう……」
正気に戻ったらしいラルフとマイが騒動の中心に駆け寄ってくるのが見える。
このまま意識を手放したい気持ちになったけど、仕事云々でそういうわけにはいかないので、とりあえず起き上がることにした。
……この大惨事、よう説明したものか……
「…むぅ…ステーキはこんなにもうまいのか~……ぬへへ…」
マイペースすぎる寝言に、僕はため息したつくことができなかった。
「はぁ……さすがに人生、濃すぎるよ……」
ちょっと作者の遊び心が暴走して大変なことになってしまいました。
今回はちょっとした余興のような話になりました。うまいこと今後の展開に繋げていけるといいなと思っています。
感想・評価、ゲーム内の家が全焼して涙しつつ待ってます!




