おしゃべり
今回でこのエッセイは終了したいと思う。
他にも色々類似案件はあるが、キリがないのでこの辺で閉めておく方が無難と判断したからだ。
僕が言いたいことは、最初に述べた通り価値観の押し付けがウゼェということだけである。
それさえ世の中から減ってくれれば満足だ。
いくつか具体例を挙げて心当たりのある人間に矯正を促してみたが、どの程度効果があったかは知る由もない。
なので最後に書く内容も自己満足と言っていいだろう。
さて、今回の内容だが、おしゃべりについてだ。
僕はおしゃべりが嫌いだ。
おしゃべりな"人"ではなく、おしゃべり(雑談)自体が嫌いだ。
……まあ、おしゃべりな"人"も嫌いだが。
必要最低限の会話は構わないのだが、雑談などは正直無駄だと思っている。
喋ると意外に体力を使うし、頭も使う。長時間のお喋りに付き合わされる場合、それは労働に等しい。
多くの女性はおしゃべりが好きだ。
だからこれについては共感を持たれないことも多いだろう。
逆に男性の場合、別におしゃべりは好きではないという人も結構いると思う。
しかし、そんなことを言いながらも、なんだかんだ雑談を好む者は多いのだ。
例えば男性は、社会に出るとキャバクラにハマる人が一定数いる。
キャバクラとは女性が客席について接待を行う飲食店のことだが、基本的にはおしゃべりの場である。
酒も必須だが、喋らなければ意味が無いと言っても過言ではないだろう。
僕から見れば、何故お金を払ってまで良く知りもしない女性と話したいんだ、なんて思ってしまう。
きっとキャバクラを好む人はかなりの女好きなのだろうけど、それでも会話(と酒)の為だけに高いお金を払う気が知れない。
女性の場合でも、ホストにハマる人は一定数いる。
彼女達の中には、キャバクラで稼いだ金をホストに貢いでいる者もいる。
おしゃべりの為に、おしゃべりでお金を稼ぐ……。信じられない行為だ。
でも、おしゃべりが好きだからこそやれているのだろうな。
僕は喋るという行為を軽視しているワケではない。
ただ、会話自体は重要な行為だと思うが、それを楽しみにするという感覚が僕には無いのだ。
コミュニケーション能力が欠如していると思われるかもしれないが、そんなのはクソ喰らえである。
喋るという労力を、もっと別のことに使った方が世の為人の為になると心から思っている。
そんな僕だからこそ、食事は一人でするのが好きだし、余暇を過ごすのも一人が基本だ。
しかし、好き好んで僕が一人でいるのに、気を遣っていると勘違いした輩が話しかけてくることが多い。
「そんな一人で飯食っても寂しいだろ?」とか「本なんか読んでないでみんなで一緒に喋ろうぜ」だとか言ってくる陽キャどもには本当に困り果てている。頼むから僕を一人にしてくれ。
以上、色々と例を語ってきたが、他にも類似ケースは山ほどあるだろう。
あまり深く物事を考えない人間は、「自分が正しい」「当たり前」「気を遣っている」などと思い込んで価値観を押し付けてこようとするが、踏み込む前に立ち止まって考える時間を設けて欲しい。
自分の中で常識と化しているものも、人によってはそうでない場合もあるのだ。
良いことをした気になっているかもしれないが、逆に嫌な思いをさせている可能性もあると思えば、少しは躊躇ってくれると信じている。
僕は陽キャが嫌いだが、同じ人間だとは思っているので、その辺はどうかお願いしたい。
こんなことを書いておいてアレですが、自分は割とおしゃべりする方です。
仲の良い友達とする雑談は悪くないと思っています。
ただ、キャバクラなど、わざわざ自分から喋りに行くというのはやはり嫌いです。




