エピソード 3ー6 交換条件
言うまでもないことだと思いますが、無自覚吸血姫はハッピーエンドなので、あれとかそれとかこれも大丈夫です。ご安心ください。
王都の表通りにある教会の前。セラフィナはソワソワとドロシーを待っていた。
ドロシーが見つけたというお菓子が本当にアイスクリームに匹敵するのなら、セラフィナ達は現状を打開することが出来るかもしれない――と言うのも、もちろんある。
けれど、なにより浮かれているのは、いままでずっと辺境伯の娘として強く振る舞っていたセラフィナにとって、こんな風に友達と待ち合わせをするという行為が初めてだったから。
だから、まだかな、まだかな――と、セラフィナがソワソワしていると、不意に服の袖を引っ張られた。
ドロシーかと思って視線を向けるが、そこにたたずむのは平民の女の子だった。
「えっと……あたしになにか用かしら?」
「なにを言っているんですか、セラフィナ様」
「……え? その声は、ドロシーなの? でも、その髪の色は?」
ドロシーはウェーブの掛かった金髪だが、いまはブラウンのセミロングになっている。
「変装ですよ。と言うか、セラフィナ様こそ、そんな格好じゃ目立つじゃないですか。ちょっとこっちへ来てください」
「え? えっと……え?」
いつもからは想像できないような行動力があるドロシーに、セラフィナはあれよあれよと物陰へと引っ張り込まれてしまう。
そうして、貴族風のドレスの上からローブを被せられてしまった。
「はい。これで、貴族だって分かる人はいないと思います」
「あ、ありがとう。でも……ずいぶんと準備が良いのね」
「ええ、まぁ……慣れていますから」
ドロシーの言葉に、セラフィナは少し驚いた。ドロシーは平民を馬鹿にするような傾向にあるので、平民が暮らす街に抜け出すことに慣れているなんて思わなかったのだ。
「さぁ、セラフィナ様、急いで向かいますよ」
「え、え?」
ここに来てドロシーの押しが強くなっている。セラフィナは思わず圧倒されながら、慌ててドロシーの後を追いかけた。
そうしてドロシーの後を追いかけて歩くことしばし。気がつけば、ずいぶんと寂れたところへとやって来てしまっていた。
「ねぇ……ドロシー。本当にこんなところにお菓子を出すお店があるの?」
「ええ。あたくしも最初は驚きました。でも、こんなところにあるから、いままで他の貴族に見つからなかったんだと思います」
「そっか……そうよね」
街で噂になれば、たちまち裕福な者達に知られることとなり、貴族の耳にも入ってくる。こんな場所にあるからこそ、いままで噂にならなかったというのはあり得る話だ。
そんな風に考えていると、ドロシーがおもむろに足を止めた。
「……どうしたの?」
「あの角にあるお店がそうです」
「あそこに……至高のお菓子が」
人通りのない裏通り。角の向こうに、一見お店とは分からないような入り口がある。隠れた名店と言われればその通りかもしれないと、セラフィナはお店に向かって歩き始めた。
だけど――セラフィナの前に、フードで顔を隠した男達が立ちはだかった。
「おいおい。お前みたいに綺麗な嬢ちゃんが、こんな路地裏でなにをやっているんだ?」
「……貴方達には関係ないでしょう?」
いかにも柄の悪そうな男達が三人。セラフィナに下卑た視線を向けてくる。
目的を目前に、なんて運の悪い――と、セラフィナは内心で舌打ちをして、ローブの下で、腰に吊している護身用の剣を探る。
「用がないのなら、そこを通して欲しいのだけど」
「はっは、悪いがそれは出来ないな。嬢ちゃんみたいな上玉、逃がす手はねぇからよ」
「――そう、悪党という訳ね。なら、それ相応の覚悟をなさい!」
言うが早いか、セラフィナは地を這うように三人に迫り、ローブをひるがえして剣を引き抜きざまに振るった。その一撃が、先ほどの受け答えをした男の肩口を切り裂く。
パッと赤い飛沫が舞う。セラフィナは身をひるがえしてそれをかわし、返す刀でもう一人を斬りつけた。致命傷――とはいかなかったが、二人はうめき声を上げて動きを止める。
あっという間に二人に手傷を負わせたセラフィナは、残りは一人――と、最後の男に剣を突きつけた、その瞬間。
「セ、セラフィナ様ぁ……」
背後から泣きそうな声が上がった。嫌な予感を覚えて恐る恐る振り返ると、ドロシーが新手の男に羽交い締めにされ、首にナイフを突きつけられていた。
「ド、ドロシー。貴方、ドロシーを放しなさい!」
「はんっ、放せと言われて放すやつがいるかよ。まずはお前がその物騒な剣を捨てろ。一瞬で二人も切り倒しやがって」
「人質をとるなんて最低よ、この卑怯者!」
誰かに気付いてもらいたくて、セラフィナは大きな声を上げる。だけどその直後、男がドロシーの顔にナイフを押しつけた。
「この一帯は俺らの縄張りだから、そんな声を上げても無駄だが……万が一と言うこともある。それ以上大きな声を上げるようなら、この女の顔がどうなっても責任は持たんぞ?」
「くっ。このぉ……」
いかなセラフィナとはいえ、狭い路地で前後を挟まれていて、人質まで取られていてはなにも出来ない。どうやってこの状況を打開するか必死に考える。
その直後――
「セ、セラフィナ様。あたくしを見捨てて逃げてくださいっ」
ドロシーの悲痛な声が響いた。
「なにを言うの。ドロシーを見捨てて逃げるなんて、出来るはずないでしょ!?」
「セラフィナ様の性格は良く知っています。ですが、ここで二人とも捕まっても、なにもなりません。せめて、セラフィナ様だけでも逃げてください!」
覚悟を決めているのか、ドロシーは必死な口調でまくし立てた。
たしかに、このままだと二人とも捕まって終わりだけれど、セラフィナ一人なら正面の敵を打ち破って逃げることが出来る。
二人とも捕まるか、一人だけでも逃げるか、単純な計算ではある。けれど、ドロシーは年頃の女の子で、連れ去られてしまえば、死よりも辛い目に遭わされる可能性は高い。
だとすれば、ここで自分だけ逃げると言うことは、ドロシーを見殺しにするも同然で、辺境伯の娘としての矜持があるセラフィナに、そんな決断を下すことは出来なかった。
だから――
「あたしが捕まるから、ドロシーだけは見逃して」
「セラフィナ様、ダメです!」
ドロシーが声を上げるが、セラフィナは首を横に振ってその意見を却下した。
「おいおい、俺達がそんな要求を呑むと思っているのか?」
「あたし達をどうするつもりかは知らないけど……無事に返すつもりはないのでしょう? ドロシーが無事に帰れないのなら、あたしが投降する意味はないわ。だから――」
ドロシーを助けてくれないのなら、貴方達を皆殺しにする――と、そんな殺気を込めて、背後から忍び寄っていた男の鼻先に剣を突きつけた。
「――なっ、俺に気付いていたのか!?」
「気付くもなにも、貴方はまだ斬っていなかった。背後を警戒するのは当然でしょ?」
セラフィナは当然のように言い放ったが、実際は冷や汗を掻いていた。背後から迫っていると察知していた訳ではなく、状況的にそうだろうという、ただの勘だったからだ。
だけど、セラフィナはそれを悟らせない演技で、路地の壁を背負うように移動する。そうして、あらためてドロシーを人質に取る男に視線を向けた。
「さあ、どうするの? あたし一人で満足するか、皆殺しにされるか……選びなさい!」
「……良いだろう。お前が素直に捕まるというのなら、この女を逃がしてやる」
「なら、あたしがまずは剣を地面に置くから、ドロシーを放しなさい。その後は、ドロシーが貴方から離れるのに合わせて、あたしが貴方の方へ行くわ」
「……なるほど。この女が逃げ切れる位置に移動する頃には、お前は剣を取り返せない位置にいるという訳か。良いだろう。それで手を打ってやる」
セラフィナの脅しが効いたのか、男は素直に交渉に乗ってくる。そうして、ドロシーの拘束を解き、自分のすぐ横に立たせた。
拘束は解かれたけれど、男がその気になれば、ワンアクションで再拘束が可能で、更には斬り殺すことだって出来る距離。
下手なことは出来ないと、セラフィナは素直に剣を足下に置いた。
「セラフィナ様……どうして」
どうしてそこまでしてくれるのかと聞きたかったのだろう。
ドロシーは平民を蔑む傾向にあり、セラフィナの意思を曲解し、トラブルの原因になったことも少なくはない。ドロシーは決して、貴族の娘として素晴らしい人物ではなかった。
けれど、ほかの者から見放されたセラフィナの側に残ったのは、そのドロシーだけ。大切な友人を護ろうとするのは当然のこと。
そんな思いを込めてく――
「大丈夫よ、ドロシー。貴方は必ず助けてあげるから、いまは言うとおりにして」
セラフィナは精一杯の微笑みを浮かべた。
「よし、なら一歩こっちに来い。それにあわせてお前も、一歩だけ下がれ」
男が指示を出す。それに従い、セラフィナが一歩前に。そして、ドロシーも素直に一歩遠ざかってくれた。そしてそれを数度繰り返し――ついに、ドロシーは逃げることの可能なほどに距離をとり、セラフィナは剣を取りに戻れないほどに前に出てしまった。
だから――
「ドロシー、逃げなさい!」
叫ぶと同時、セラフィナは先ほどまでドロシーを拘束していた男に躍りかかった。そうして、母にもらった短刀を懐から引き抜いて、男の太ももを刺す。
「があああああっ!?」
痛みに絶叫する。そんな男を突き飛ばし、少し離れた位置にいたドロシーに駆け寄った。
「セ、セラフィナ様!?」
「良いから、逃げるわよ!」
慌てふためくドロシーの腕を掴んで、急いで逃げるように促す。そして一目散に離脱したのだが、ドロシーの動きが鈍い。
「ドロシー、速く逃げないと追いつかれるわ!」
「ごめん、なさい。脚を挫いてしまったみたいで。あ、あたくしのことはかまわず、セラフィナ様だけ逃げてください!」
「――っ。そんなの、出来るはずないでしょ!」
そう叫んだものの、セラフィナはこのままじゃ不味いと焦る。
不意を打って逃げたとは言え、無傷な男が残っている。それに、他の男達も手傷を負わせただけで、無力化させた訳ではない。急がないとすぐに追いかけてくるだろう。
全力で逃げることが無理なら、どこかに隠れてやり過ごすしかない。そう判断したセラフィナは、ドロシーに肩を貸して、近くの路地裏にその身を滑り込ませた。
だけど――
「――あうっ!?」
脇腹に鋭い痛みが走った。
一体なにがと視線を下ろすと、自らの脇腹に小さなナイフが刺さっていた。そして、そのナイフを持っているのは――
「はぁ……さすがはセラフィナ様と言いますか、まさかあの状況から切り抜けるなんてね」
セラフィナが命懸けで護った親友、ドロシーだった。
「ド、ドロシー、どう、して?」
「どうして? あはっ、あははっ、呆れたぁ。ま~だ、分からないんですか?」
ドロシーはその顔に見たこともないような狂気を張り付かせて笑う。
「なんの、ことよ?」
分からない。いや、分かりたくないのかもしれない。そんなセラフィナに対し、ドロシーは容赦のない嘲りを向けてくる。
「しっつもーん。ここにセラフィナ様を連れてきたのは、誰だったでしょう~? それにぃ、セラフィナ様の実家がピンチになったのもぉ……ね?」
「まさ、か……」
護衛も連れずに、こんな場所に来たのはドロシーの意見を聞いたから。そして、セラフィナやその実家が窮地に立たされているのは、ドロシーが父親に曲解した意見を伝えたから。
そして、似たようなケースは一度や二度じゃない。
それらはドロシーの欠点だと思っていたけれど――もしそれが、意識的におこなわれていたのだとしたら。そんな風に考えるセラフィナの前で、ドロシーが邪悪な笑みを浮かべる。
「ようやく分かったようねぇ。そうよ、いままでのは全部、ぜぇんぶ、貴方やジュノー辺境伯を孤立させるためだったのよぉ~?」
「まさか……っ」
「そうよぉ。あたくしのお父様は、隣国と手を結んだって、わ、け」
ジュノー辺境伯は、隣国との国境線を維持している。その切り崩しと考えれば、全ては合点がいく。つまりは、セラフィナはずっと騙されていたのだ。
「それなのに『あたしが捕まるから、ドロシーだけは見逃して』とか。どれだけお人好しなのかしらぁ。ほんと、笑っちゃうわ!」
「くっ、この……」
ドロシーに掴みかかろうとするが、身体が上手く動かない。セラフィナは、自分の身体がいつの間にか痺れはじめていることに気がついた。
「まさ、か……麻痺の毒……いや、このまわりの早さは、エンチャントね」
「あはっ、今度は早く気付いたわね。オークションに出品されたとかいうアーティファクトなら解除できるでしょうけどぉ……さすがにそんなものは持ってないでしょ~?」
「この――っ」
セラフィナは力を振り絞って、脇腹に刺さるナイフに手を掛けた。その瞬間、ドロシーが焦ったような顔をする。
「ちょ、ちょっと、セラフィナ様? それを抜いたら、血があふれてしまうわよ?」
「うる、さい。あたしは、ここで捕まる訳には……行かないのよっ」
裏切り者が国内にいる。その情報を誰にも伝えることなく捕まることは出来ないと、歯を食いしばってナイフを引き抜こうと力を込める。
その寸前、セラフィナの手を、ドロシーの手が包み込んだ。
「止めてください、セラフィナ様。そんなことをしたら、出血多量で死んでしまいます!」
「だから、なによ。ここで捕まるよりは……マシよ!」
ここで行方不明になってしまえば、後はドロシーが好き勝手に報告してしまうだろう。だけど、ここでセラフィナが血痕を残せば、ドロシーにも疑念が向くかもしれない。
「セラフィナ様……親が隣国に内通している以上は、あたくしはそれに従うしかありません。ですが……あたくしは、セラフィナ様に死んで欲しくないんですっ!」
「……ドロシー?」
ドロシーが泣いているように見えて、セラフィナは思わずナイフを握る手の力を抜いた。
その瞬間――
「な~んて、言う訳がないじゃないですかぁ~。あはははははははっ」
狂気を張り付かせ、狂ったように笑うドロシーに、手を捻りあげられてしまった。そうしているあいだに麻痺の効果が全身に広がり――セラフィナはその場に倒れ伏した。
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早いお店では今日くらいから販売しているので、興味がある方はぜひ手に取ってください。といっても、かなりエッチな方向にぶっ飛んでいるので、無自覚吸血姫とはだいぶ毛色が違いますが。




