エピソード 3ー4 シミを消す普通の方法
「こ、これは……夢?」
鏡に映る自分の肌を見て、リリアンヌはぽつりと呟いた。
「夢じゃないよ。言ったでしょ、肌のシミが消えるエンチャントを施したって」
「ま、まさか、本当にそんな魔法があるなんて……」
にわかには信じられないが、証拠まで見せられては疑うことも出来ない。手渡されたネックレスには、間違いなくシミを消すエンチャントが施されている。
「こ、これを譲っていただく訳には……?」
「譲るもなにも、リリアンヌへのプレゼントだよ」
「えぇぇぇっ!?」
リリアンヌははしたない声を上げてしまった。
淑女としてはあるまじき行為だが、事情を知って責めることの出来るものはいない。むしろ、良くその程度に抑えたと褒められるかもしれない。
それほどまでにありえない。
さすがに胸に輝くブローチほどではないけれど、一般的なアーティファクトと同ランクのネックレスをぽんとあげるなんて、いくらなんでも常軌を逸している。
リリアンヌはいまのがリスティア冗談で、次の瞬間にでも悪魔のような取り引きを持ちかけられるのではないかと警戒したのだが……リスティアは微笑んだまま。
「……本当に、これをいただけるんですか?」
「うん。あたしをお姉様と慕ってくれるリリアンヌへのプレゼントだよ」
「それは嬉しいですが……」
「……もらってくれないかな?」
寂しそうに訊かれてしまった。そんな顔を見せられたら断れるはずがない。リリアンヌはありがたく頂戴いたしますと受け取った。
「ありがとうございます、リスティアお姉様。この恩はいつか返させていただきます」
「それはドレスを選んでくれるだけで十分だよ」
「そ、そうでした」
ドレスを選ぶので恩を返せると思った訳ではない。リスティアのドレスを選んでいる最中で、リスティアが下着姿だったことを思い出したのだ。
恩返しは後で父に相談すると決め、いまはリスティアのドレスを選ぶことにした。
「それでは、まずはこちらをお召しになってください」
まずはコルセットを着用してもらい、元から細い腰を更に引き絞る。そしてパニエを履いてもらって下準備は完了。白いドレスを着用してもらった。
「よく似合ってますわ」
白いドレスは、リスティアの黒髪とマッチしているし、パニエで広がるドレスの裾は、スレンダーなリスティアの腰のラインを強調している。
だけど――
「王都ではこういったデザインが流行っているの?」
リスティアは少し困った顔だった。
「お気に召しませんか? でしたら、こっちのドレスはいかがでしょう?」
今度は方向を変えて大人びたデザインを薦めてみる。けれど、リスティアの顔に浮かんだのは、困ったような表情だった。
これは、良くない流れだと考えたリリアンヌは、「リスティアお姉様は、どういったデザインがお好きなのですか?」と尋ねた。
「あたしは、こんなデザインのドレスが好きかなぁ」
リスティアがどこからともなくドレスを取り出す。
最初はその怪奇現象に驚いたが、それは一瞬だった。どこから取り出したのかよりも、そのドレスの品質の方が驚きだったからだ。
「そ、その光沢のある生地は一体……?」
公爵家の娘であるリリアンヌも見たこともないような、艶やかで光沢のある生地だった。
「これは、強化シルクだよ」
「強化……シルク、ですか?」
なにを強化したのかも疑問だけれど、シルクという言葉自体、耳にするのは初めてだった。
「蚕という虫が紡いだ糸を編んであるんだけど、魔法で能力を強化した蚕に、黒鉛から取り出したグラフェンを混ぜた桑の葉を食べさせているんだよ」
「む、虫が紡いだ糸? それに魔法で強化に、黒鉛に、グラフェン……ですか??」
虫が紡いだ糸というのも驚きだが、その後に続いた説明は意味が分からなかった。
「ちなみに、蚕の餌にグラフェンを混ぜると、強度が50%ほど増すの。それに魔法でも強化しているから、強度や光沢、それに手触りは格段に良くなっているよ」
「そ、そうなんですね」
よく分からない。よく分からないけれど、その生地が素晴らしいと言うことは分かる。そしてそんな生地のドレスを持っているリスティアに驚いた。
そして、その生地を重ねた不思議なデザインにも興味を惹かれる。ドレスを見慣れているリリアンヌでも、そのドレスを着たときにどのように広がるのか想像がつかなかったからだ。
「よ、良ければ、そのドレスを着て見せて頂けますか?」
「うん、もちろんかまわないよ」
リスティアは頷くと、コルセットもパニエも着ずに、ドレスを身に着けてしまった。
もともと細いリスティアだから、コルセットはまだ理解できるが、パニエも付けずにどうするのだろうと見ていたのだが……
「凄い……」
リリアンヌはそう呟かざるを得なかった。さすがにスカートの広がりはパニエを履いているときほどではないが、パニエが必要はないほどに立体的なデザイン。
不思議な生地にギャザーを多くとったデザインだが、ゴテゴテとすることなく、リスティアの美しさを引き立てている、絶妙なバランスのドレスだった。
「あたしは、こういうデザインのドレスが好きなんだけど……こういった系統で、夜会に着ていけそうなドレスはあるかなぁ?」
リスティアの問いかけに、リリアンヌは苦笑いをこぼす。父からは、リスティアにふさわしいドレスを用意するように言われていたが、それは不可能だと理解したからだ。
「こういった系統もなにも、そのドレスがふさわしいですわ」
「え、本当に?」
「ええ、本当です。そのドレスがダメなら、夜会に出席できる女性はおりません」
「そっか……安心したよぅ」
呟くリスティアは、少し嬉しそうに微笑んだ。その様子から察するに、どうやら本当に心配していたらしい。本当に不思議な人ね……とリリアンヌは思った。
その後、夜会でのマナーなども軽くレクチャーをしたが、リスティアはそのほとんどを理解していた。ということで用件を終えて帰宅するリスティアを見送ったリリアンヌは、父――ウォルター公爵のいる執務室へと顔を出した。
「お父様、お呼びと聞きましたが」
「うむ。リスティア嬢はどうであった?」
「そうですわね……リスティアお姉様は、規格外の普通の女の子でしたわ」
「くくっ、やはりそういう感想か」
ウォルター公爵の機嫌は良い。けれど、リリアンヌの心は晴れない。リリアンヌは「お父様、申し訳ありません」と頭を下げた。
「……む? なんだ、どうかしたのか?」
「実は――」
リスティアに似合うドレスをいくつか用意したものの、結局はリスティア本人が持っていたドレスを選ぶこととなったと打ち明けた。
「ふむ……それで、リスティア嬢の機嫌はどうだったのだ?」
「あたくしにとても優しくしてくださいましたし、悪くはなかったと思います」
「そうか、ならば問題はなかろう。リスティア嬢は面倒見の良い性格のようだからな」
「面倒見の良い性格……ですか?」
「うむ。彼女について色々調べたのだが、年下の子供を可愛がる傾向にある。お主と引き合わせれば、きっと気に入ってもらえるだろうと思っていた」
たしかに気に入られたとは思う。だけど……と、リリアンヌは、少し咎めるような視線をウォルター公爵へと向けた。
「その物言い……もしや、ドレスを選ぶというのは建前で、あたくしとリスティアお姉様を引き合わせるのが目的だったのですか?」
「ドレスを選ぶ必要があると考えたのも本当だ。ただ、縁を結ぶのが真の目的だったのは否定しない。もうすぐ隣国に嫁ぐお前には、必要な人脈だと思ったのだ」
「……あの方は何者なのですか?」
縁を結ばせるのが目的だというのなら、正体を自分に教えなかったのは、意識させないためだろう。そう思ったリリアンヌは、リスティアの正体について思いを巡らす。
真っ先に思い浮かべたのは、隣国の王族。続いて、この国の王の血を引く平民の子。どちらにしろ、やんごとない人物だと想像しつつ、ウォルター公爵の答えを待った。
「彼女は普通の女の子だ」
「……お父様?」
ここに来て隠す必要はないはずだと非難の視線を向けるが、ウォルター公爵は「そういうことになっているのだ」と付け加えた。
「追及するなと言うことですか……? ですがそれでは……」
隣国に嫁ぐリリアンヌにとって必要な縁。であれば、正体を知らなくては意味がない。そう思って困惑するリリアンヌの胸もとを、ウォルター公爵が指差した。
「そのブローチの能力は覚えているな?」
「もちろん、忘れるはずがありません。あらゆる状態異常の無効化に、自己修復機能。芸術品であることを考えれば、無銘シリーズである可能性が高いと」
「うむ。そして、その鑑定結果の最後の一行を覚えているか?」
「最後の一行ですか? たしか、普通の女の子が片手間に作ったとかいう、謎の一文が書いてあったと思いましたが……って、まさかっ!」
「真相は分からんが、出品者は間違いなく彼女だ」
真実へと至る情報を手に入れ、リリアンヌが目を見開いた。
普通の女の子が片手間に作ったと注釈のある、恐らくは無銘シリーズの出品者で、普通の女の子を自称する明らかに普通じゃない女の子。
そして無銘シリーズの作者は、千年前に姿を消した真祖の末娘だと言われている。
「リスティアお姉様が……真祖?」
「追及してはならんぞ。彼女は普通であることにこだわっているようだからな」
「なるほど……」
リリアンヌ自身も、公爵の娘と知られたら、周囲の人間の反応は一変する。リスティアのように普通に接してくれる人間はいままでいなかった。
自分の正体を隠したいという気持ちは良く分かった。
「……それにしても、噂とはあてにならないものですね」
真祖と言えば、種族間が争う戦場にいきなり現れて両方を打ち倒す等などの逸話が多く、暴君のようなイメージだったが、リスティアにそういった面はなかった。
純粋で可愛らしかったし、あたくしにも優しくて――と、そこまで考えたらリリアンヌは、とんでもない事実に思い至ってしまった。
「お、おっお父様、大変です!」
「なんだ?」
「あたくし、リスティアお姉様からこのネックレスをいただいたんです!」
「なに、ネックレスだと?」
リリアンヌが、服の中にしまっていたネックレスを取り出す。
「おぉ……なんと美しいデザイン。して、どのような効果があると言っていた?」
「それが、シミが消えるエンチャントだと」
「……シミ?」
「ええ、シミです」
「そう言えば、リリアンヌよ。今日は肌が綺麗に見えるが……」
「ええ、このネックレスのおかげです」
「……な、なるほど。それはまた凄まじいが……」
ウォルター公爵は少し残念そうだ。それを見たリリアンヌは、ウォルター公爵が、リスティアと自分を引き合わせた、本当の、さらに本当の目的に思い至った。
ウォルター公爵は、リリアンヌがリスティアに気に入られ、隣国で生き延びるために役立つ、あらたなアーティファクトを授けられることを期待していたのだろう。
知り合う前に知らされなくて良かったわ――と、リリアンヌは思った。もし最初から知っていたら気兼ねして、お姉様などと呼べなかっただろう。そう思ったからだ。
「しかし、シミを消すエンチャントとはな。これを彼女はどこで手に入れたと言っていた?」
「いえ、それが……初めは目の錯覚かと思ったのですが、あたくしの目の前で制作したように見えました」
「目の前で……どういうことだ?」
いぶかしげな視線を向けてくる。そんなウォルター公爵に対し、リリアンヌはかくかくしかじかと、目の前でネックレスが出来上がったように見えたと打ち明けた。
「なるほど、恐らくは魔法で形状を変化させたのだろう」
「そのような魔法があるのですか?」
「聞いたことはあるが、普通は一瞬では出来ないはずだ。しかし、真祖は第七階位まで使いこなすと伝えられている。時間を短縮する魔法を併用しているのだろう」
「なるほど……それで同時にエンチャントも……」
「お主の目の前で作ったというのなら、同時に施したのだろうな。一体どれだけの技量があれば、そのような芸当が出来るのか。まさに規格外。さすがは普通の女の子だな」
「本当に……」
凄すぎて言葉が出てこない。現時点でそんな風に判断したのは、リスティアの凄さを一部しか理解していなかったからだ。
「ところで、リリアンヌよ。そのネックレス、私にも貸してくれぬか?」
「まぁ、お父様ったら。お顔のシミを消されるのですか?」
「ないとは言わんが、エリーゼにも触らせてやれば喜ぶと思ってな」
「お母様ですか。他の人には秘密にと言われたのですが……お母様なら大丈夫でしょう」
もし家族にも教えるのもアウトであれば、使用人達が聞いているところで贈ったりはしてこないだろう。そんな風に判断し「お父様から渡してください」とネックレスを首から外し、ウォルター公爵の手のひらに乗せた。
「……ぬ?」
「どうなさいました?」
「いやなに、急に身体が軽くなったと思ってな」
「身体が軽く、ですか? たしかに、顔のシミは消えていますが」
「いや、これはそんなレベルではない。まさか――」
ウォルター公爵は目を見開き、ばっと襟元を引き開いた。
親子とは言え、年頃の娘の前でいきなり服をはだけるなんてと呆れる。そんなリリアンヌを前に、ウォルター公爵はわなわなと震えはじめた。
「……お父様?」
さすがに不審に思って尋ねる。そんなリリアンヌに向かって、ウォルター公爵はただ一言。
「……ない」
「え、なにがですか、お父様」
「昔、剣術の稽古で負った傷跡が消えている」
言われて気付く。ウォルター公爵が若かりし頃に負ったという傷跡が綺麗に消えていた。だけど、それが意味するところは……と、リリアンヌは目を見開いた。
「まさか……ネックレスの効果、ですか?」
「他には考えられん。これを受け取ったとき、リスティア嬢はなんと言っていたのだ?」
「えっと、たしか……肌のシミが消えるエンチャントを施した、と」
「ふむ。なぜ肌のシミが消えるかは言っていたか?」
言われて、リリアンヌはリスティアとのやりとりを思い返す。
「いえ、言ってなかったと思います」
「……そうか。もしかしたら……再生のエンチャントが施されているのではないか?」
「再生のエンチャントですか? しかし、治癒系のエンチャントで古傷は治らないはずです」
この国に出回る、一般的な治癒が施されたエンチャント品と、アーティファクトに位置づけされる治癒のエンチャント品の違いは、その回復速度のみ。
アーティファクトであれば、裂傷が数秒で消えるほどの能力があるが、古傷などは癒やされない。それが一般常識となっている。
「そうだ。だが、古傷が治った。シミが消えたのも、同じ理由ではないか?」
「……アーティファクトより、優れたエンチャントが施されていると言うのですか?」
そんなことはありえない。ただし、それを言うのであれば、リリアンヌの胸襟に輝くブローチもありえない存在だ。そしてアーティファクト級かどうか以前の問題で、普通はエンチャントを一瞬で付与すること自体がありえない。
ありえないことを為し遂げた以上、アーティファクトを凌駕するエンチャントを一瞬で施したと言うことも否定は出来ない――と、リリアンヌはそんな非常識に思い至ってしまった。
「まさか……本当に?」
「分からんが……鑑定してみるべきだろう。もし想像しているとおりのエンチャント品であれば、お前の未来に大きな助けとなるであろうからな」
「それは……そうですね」
あらゆる状態異常を無効化するアーティファクトを所持しているだけでも、リリアンヌが謀殺される可能性は格段に低くなっている。
その上、古傷をも再生するような、規格外な再生能力を持つアーティファクトを所持するとなれば、リリアンヌの安全性は確実に高まるだろう。
もし本当にそんな効果があるのなら、あたくしはリスティアお姉様にどんなお礼をすれば恩を返せるのかしら――と、リリアンヌは頭を悩ませた。
なお、実際は古傷どころか、あらゆる傷――それこそ心臓を潰されても再生するエンチャントが施されている。
リリアンヌがその事実を知るのは数年後。暗殺者に短剣で心臓を刺し貫かれた後で、色々と大騒ぎになるのだが……それはまた別の物語である。
評価やブックマークありがとうございます。
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また、おかげさまで新作の『無知で無力な村娘は、転生領主のもとで成り上がる』順調な滑り出しとなっています。いまは連続更新をしていますので、もしまだ読んでない方がいらっしゃいましたら、ぜひぜひ読んでください!
幸せな生活から一転、不幸な出来事で自分の無力さを知り、それでも足掻き、転生領主と巡り逢って成り上がる女の子の、チートな人達に振り回されながら頑張る日常の物語です。
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