エピソード 1ー3 冒険者志望の普通の女の子
冒険者ギルドのマスターからスカウトされたリスティアは、孤児院食堂でのお仕事を早々に切り上げ、冒険者ギルドへとやって来た。
理由はもちろん、冒険者になれば、憧れのお姉ちゃんになれるかもと思ったからだ。
リスティアはあくまで、自分は魔法が得意で、身体能力が高いだけの普通の女の子だと思っている。だけど同時に、人間から見たらそれらが規格外であることも理解しつつあった。
であれば、そういった面を活かして、冒険者として有望な普通の女の子として、女の子達にお姉ちゃんと憧れられるような存在を目指そうと思ったのだ。
という訳で、リスティアはギルドのフロアを歩く。
涼しげなブラウスとスカート。黒い髪を後ろで無造作に束ねている。わりとラフな格好の、けれどとんでもなく可愛いリスティアの出現に、ギルドがざわめいている。
けれどリスティアはそんな空気に気付かず、てくてくと受付にむかった。そうして、ちょうど手が空いていた受付嬢。胸のプレートにモニカと書かれている女性の前に立った。
「こんにちは~」
「いらっしゃいませ。今日はどういったご用件でしょうか?」
「今日は、冒険者ギルドに加入するために来ました」
「……え? 依頼ではなく、ギルドに加入……ですか?」
「うんうん、そうですよ~。……えっと、そういえば、あのおじいちゃん。ギルドマスターだって話だけど、名前を聞いてなかったなぁ~」
リスティアは頬に指を添えて、ギルドマスターとのやりとりに思いをはせる。だから、受付嬢の頬がひくついたことに気付かない。
「そのおじいちゃんというのはもしや、アンドレア様のことでしょうか?」
「あ、あのおじいちゃん、そんな名前なんだね。――今、いますか?」
「マスターはまだ戻っていませんが……?」
「そっかぁ……。まだ戻ってないのかぁ……」
リスティアはあの後、わりとすぐにフロアでの仕事を切り上げてやって来た。おじいちゃんあらためアンドレアも、まさかこんなにすぐに来るとは思わなかったのだろう。
「あの、さっきから、おじいちゃんおじいちゃんって、どういうつもりですか?」
「……ふえ?」
モニカはアンドレアを、お爺様と慕っている。そんなアンドレアを、いきなり現れた小娘がおじいちゃんと馴れ馴れしく呼んでいる。
それに腹を立てているなんて想像出来るはずもなく、このお姉さん、どうして不機嫌そうなんだろう? と、リスティアは小首を傾げた。
「……それで、貴方はなにが出来るのですか? 見たところ普通の女の子のようですが、冒険者は普通の女の子がなれるような職業ではありませんよ?」
「――えっ?」
リスティアは、驚きに目を見開いた。
普通の女の子は冒険者になれない。つまりは、普通の女の子でしかない自分は、ギルドのメンバーになることができないということ。それじゃ、あたしが冒険者になって、みんなのお姉ちゃんになる夢がいきなり潰えちゃうよ! と思ったからだ。
「えっと……その、普通の女の子でも、冒険者になる方法は、ありません……か?」
リスティアはおっかなびっくり、モニカの顔色をうかがいながら尋ねた。
◇◇◇
一方のモニカは、尊敬するアンドレアに馴れ馴れしい娘にイラついていた。
だから、接客態度がとげとげしくなっているのだが、個人的な感情でギルドのルールを曲げたりしない良識は持ち合わせている。
だから――
「……ギルドの試験に合格すれば、メンバーになることが出来ますよ」
モニカはその事実を淡々と告げた。
ちなみに、アンドレアは身寄りのない子供なんかを保護し、ギルドメンバーとして仕事を与えることがある。それが噂になっていて、軽い気持ちで子供が来ることもある。
だからモニカは、少女がそういった類いの家出娘だと思い込んでいた。
そして、そういった相手には、テストがあると強く言うことにしている。そうすれば、その手の相手は大半が逃げ帰ってくれるからだ。
けれど――
「わぁ、試験に合格したら、冒険者になれるんですね!」
推定家出娘は、そんな風に顔を輝かせた。その様子は、完全に冒険者の仕事を舐めきっているようにしか見えなかった。
毎年、食べるに困って冒険者になった子供の大半は死んでいる。けれど、そうしなければ、食べるに困った子供全てが死んでしまう。
それを少しでも減らすために頑張っているのに――と、モニカは苛立った。
……そうですね。まずは現実を教えて上げた方が、この子のためにもなるでしょうと、モニカは容赦しないことに決めた。
「試験をお望みになるのなら、私が相手をいたしますが、いかがいたしますか?」
提案した瞬間、ギルド内で聞き耳を立てていた者達が苦笑いを浮かべる。
実のところ、モニカは幼い頃からアンドレアから剣の稽古を受けていて、今では中堅の冒険者と同程度の戦闘力を持っている。なので、普通の女の子がモニカに勝てるはずがないのだ。
ただ、加入のための試験というのは、新米冒険者としてやっていけるかどうか。つまりは、最低限の適性があるかどうかを測るだけで、試験官に勝つ必要はない。
けれど、モニカが試験をする場合はそれを相手に教えず、相手に自分の実力を思い知らす。そうして、それでも心が折れなかった者だけを合格にするという方式をとっている。
実際、モニカが合格にした冒険者は、他と比べて一年後の生存率が高かったりするのだが、それに気付いている者はごくわずか。
一般的なモニカの評価は、見た目は良いが無愛想な受付嬢であり、試験基準は非常に厳しい、外れに分類される試験官だと認識されている。
だから、育ちの良さそうな娘に合格できるはずがない。あの女の子、可哀想に――という空気がギルドを包んだのだが、当の本人は「ぜひお願いします!」と嬉しそうだ。
……良いでしょう、お爺様を馴れ馴れしく呼んだ罪、償わせて上げましょう! などと、少し目的を見失いつつ、モニカはリスティアを連れて訓練室へと移動した。
ギルドの裏手にある、訓練などをおこなうための広場。冒険者を初めとしたギャラリーの集まるその広場で、モニカは冒険者志望の少女と向き合っていた。
「武器は互いに木剣、そこにあるのから好きなのを選んでください」
モニカがそう告げて、並べられている木製の武器を示すと、冒険者志望の少女は迷わず細身の木剣をつかみ取った。
……さすがに、自分の筋力くらいはわきまえているようですね――と、モニカは考えながら、普段使っている細身の木剣をつかみ取った。
「さて……これから試験を開始しますが、まずは貴方の剣術の腕前を見せていただきますので、好きに斬り掛かってきてください」
「は~い。それじゃ、最初はゆっくりめで、少しずつ速くしていきますね~」
冒険者志望の少女が無邪気に言うものだから、ギャラリー達から苦笑いが上がった。
しかし、本来なら失笑となりそうなところなのに、ギャラリー達はどこか微笑ましい気持ちで見守っているような節がある。冒険者志望の少女が、非常に愛らしいからだろう。
……お爺様も、私よりも、こういう娘が孫ならよかったとか言いそうですね――などと、当たらずとも遠からず。そんな予想をしたモニカは、少女に八つ当たり気味に嫉妬する。
「御託は良いので、早く掛かってきなさい」
「はーい。それじゃ……行きます――っ」
少女が愛らしく宣言した瞬間、その輪郭がぶれた。
「――なっ!?」
少女が自分めがけて飛び込んできたのだと一瞬遅れで気付いたモニカは、とっさに回避行動をとりながら、視界の隅から迫り来る木剣を、自らの木剣で弾き返した。
そのまま一度飛び下がり、モニカは油断なく木剣を構えながら――舌を巻いていた。
先ほどの少女の攻撃は、一流と呼ぶにはほど遠い。せいぜいが、駆け出しの冒険者としてはかなり速い――レベルの一撃だった。
なので、いつものモニカであれば、危なげなく対処できる攻撃でしかなかったが――
いかにも普通の女の子という立ち振る舞いで、更には最初はゆっくり行くと宣言までしてみせた。それが原因で、試験だというのに、周囲はもちろんモニカの気も完全に緩んでいた。
――そして、そこに放たれたのは最速の一撃。下手をすれば、いまの一撃で沈んでいてもおかしくなかった。まさか、この子は、そこまで計算して……とモニカは戦慄する。
あらためて少女を見れば、試験の最中だというのに自然体にしか見えない。
完璧にリラックスしているのか、はたまた、あえてそんな態度をとっているのか。先ほどの一撃を見れば、それが後者――モニカを油断させるための演技であることは明らかだ。
モニカは、少女の深謀に感嘆した。
本音を言えば、この時点で駆け出しの冒険者としては十分すぎるほどの実力と、柔軟な対応力があると判断できていた。けれど、モニカはアンドレアを慕っているだけではなく、かつては超一流とまで言われたアンドレアの弟子でもある。
冒険者志望でしかない娘の策略にはまって引き下がれば、アンドレアの名声に泥を塗る。そんな真似は出来るはずがない――と、モニカは考えた。
……もちろん、それはモニカの勝手な思い込みだ。けれど、アンドレアは不治の病で衰弱し、周囲からも老いたと評されるようになった。そのことを悲しんでいたモニカは、自分がアンドレアの評価を下げる訳にはいかないと冷静さを欠いた。
「先ほどの一撃は見事でした。ですが、私には届きませんでしたね。さぁ……これからどうするつもりですか?」
なんでもない風を装い、挑発するように言い放つ。少女の心を折ろうと思ったのだが――
「それじゃ、少し速くするね~」
「……へ?」
あっけらかんと宣言した少女に対して、間の抜けた声を返してしまった。そして次の瞬間、少女が宣言どおり、先ほどよりも速い速度で斬り掛かってきた。
「――っ!」
辛うじて木剣で弾き返すが、さっき不意を突かれたときにこの速度で斬られていたら、きっと対処できなかった。その事実が、更にモニカの冷静さを失わせる。
「つ、次は、こちらから行きますよ!」
モニカは宣言をするなり、少女に向かって剣を振るった。一つ、二つ、三つ。まずは軽く遅めの攻撃を続けざまに放って、少女の油断を誘う。
そして、少女がその速度に慣れてくるであろう瞬間、本気の一撃を放った。
自分がやられたのと同じ手法。これで、意趣返しが出来た――と思ったのだが、その華奢な身体のどこにそんな力があるのか、少女はなんの苦もなく、その一撃を受け止めてしまった。
「――なっ? 嘘、でしょ?」
「……ふえ?」
動揺するモニカに対して、少女は小首をかしげた。
理性が残っていたのは、その反応を見るまでだった。少女の人を食ったような態度に、モニカは完全にぷっつんしてしまった。もはや絶対に負けられないと、目的を見失ったのだ。
そうして、モニカは唯一使える魔法、自己強化の魔法を掛けて身体能力を上昇、リスティアに対して全力で斬り掛かった。モニカが本気になったことを感じ取ったギャラリーがざわめくが、モニカは無心で攻撃を加えていく。
その動きにすら、少女はついてくる――が、モニカも華奢な身で、パワーやスピードはそれほど優れていない。その本領は、アンドレアから引き継いだ技術にある。
三度同じ連携を繰り返し、そして四度目。相手が熟練者であればあるほど引っかかりやすいフェイントを混ぜ、必殺の一撃を繰り出した。
その瞬間――
「なにをやっておる!」
広場にアンドレアの声が響いた。
もちろん、いつもであれば、いくら慕っているアンドレアの声が掛かろうとも、試合中に取り乱すようなことはなかった。
けれど、今のモニカは冷静さを欠いていて――更には、アンドレアに対して後ろめたいことをしているとの自覚があった。だから、一瞬、気をとられた。
その瞬間、少女の剣がモニカの首筋に突きつけられていたのだが、動揺したモニカは反応することが出来なかった。
そして――
「――しまっ!?」
モニカは木剣を止めることが出来ず、少女の脇腹を全力で打ち抜いてしまった。嫌な手応えが手に伝わると同時、少女は広場の端っこまで吹き飛んでしまう。
一瞬、広場に静寂が降りる。
「――嬢ちゃん!」
真っ先に我に返ったアンドレアが、少女のもとに駆け寄った。それを切っ掛けに、一気に広場が騒がしくなる。
「しっかりしろ、嬢ちゃん!」
「おい、誰か回復薬を持ってるやつはいないか!」
「治療魔法を使えるやつを呼んでこい、大急ぎだ!」
さすが冒険者と言うべき速度で、皆が行動を開始する。だけど、そんな状況でも、モニカは動くことが出来なかった。
「あ、あぁ……なんて、なんてこと――っ」
モニカはへなへなと、その場に膝をついた。
さっきの手応えはヤバかった。確実に骨を折り、臓器をも傷つけている。下手をしたら助からない。そうでなくても、再起不能にしてしまったかもしれない。
無謀な少女に現実を教えつつ、ギルドマスターに馴れ馴れしい態度をとったことを懲らしめてやる――程度の気持ちだった。
それがいつしか我を失い、取り返しのつかないことをしてしまった。
少女の未来と、ギルドマスターの積み上げてきた名誉。どちらも大切なものだったのに、自分の迂闊さのせいで同時に失ってしまった。
もはやこうなったら、自分の命を持って償うしかない。そんな風に考えたそのとき――
「ふえぇ……びっくりしたよぅ」
自称普通の女の子が、むくりと起き上がった。そんな、ありえない――あるはずのない光景に、広場がぴしりと凍り付いた。




