第255話 Fiance
俺が18歳になった日、誕生日の4月10日。土曜日の夕方から俺と美佳子の婚約式が始まった。
日本の結納式をもう少しライトにしたものが婚約式で、参加する際には特別着飾る必要はない。
俺は父さんが誕生日プレゼントとして買ってくれたスーツ姿で、美佳子は大人びた紅いパーティドレス姿だった。
少し色が濃い紅のワンピースと、同じ生地に花柄のレースが入ったケープを羽織っている。
この日に合わせて髪型を変えた美佳子は、染めたての鮮やかな金髪をショートカットにしていた。
セミロングとロングの間を行き来していた今までと違い、髪を短くした美佳子は普段以上にカッコ良く見える。
会場となったホテルにある教会の扉の前で、俺と美佳子は入場待ちをしていた。
「さっきも言ったけど、凄く綺麗だね」
「咲人だって、大人っぽくてカッコイイよ」
「あ、ありがとう」
これから俺達は名前を呼ばれ、入場したら婚約を正式に結ぶ。今までに親戚の結婚式なら出た事はあるけど、こういう形で式を行う側になったのは初めてだ。
そもそも婚約式が一般的にはあまり浸透していないから、どういう気持ちで構えていれば良いのか未だに分かっていない。
結婚式は今以上に緊張をするのだろうか? 婚約式の段階で、これ程までに緊張してしまうなんて思わなかった。
リハーサルや打合せではもう少し気楽だったのに、いざ本番となると緊張感が段違いだ。
駅伝やインターハイとは全然違うプレッシャーを感じる。大切な式だからこそ、失敗出来ないという意識が強いからだろうか。
「咲人? そろそろ入場だよ?」
「あっ、ご、ごめん! 行こうか」
「ふふ、そんなに緊張しなくて良いから」
何度もプランナーさんから教わった、エスコートの姿勢を取る。俺が軽く突き出した左肘に、美佳子が軽く右手を乗せた。
丁度そのタイミングで入り口の扉が開いて、俺達はゆっくりと進んで行く。俺や美佳子の友人達と、お互いの親が俺達を温かく迎えてくれている。
今から俺は皆の前で、美佳子と正式に婚約をする。結婚の発表ではないけど、将来結婚しますと宣言する場だ。
重要な式であるのは変わらないし、緊張に負けている場合ではない。今までに行ったリハーサル通りに、ただ決められた事を行うだけだ。
会場の一番奥に用意された舞台に向かって、俺達は真っ直ぐ歩んでいく。到着したら司会も兼ねている神父さんの正面に立ち、婚約式を進めていく。
「それでは先ず、皆様にお顔を見せてあげて下さい」
美佳子と2人、軽く神父さんに会釈をしてから後ろを振り返る。その先には30人を超える人達が、テーブル席に座っていた。
俺は友人達と父さん、そして美佳子の両親と軽く視線を交わす。全員が温かな表情で、俺達を見守ってくれている。
「本日婚約する事になりました東咲人さんと、篠原美佳子さんです」
2人で今度は皆に向かって会釈をした。会場の皆から拍手が送られて、何だかとてもむずがゆい。
改めてこうやって皆と向き合うと、ちょっと照れ臭いな。それから親の紹介に移って、一番前にある親族の席で父さんと美佳子の両親が起立する。
そちらも会場から拍手が送られて、主役の紹介は終了した。ここからは婚約式のメインであり、神様の前で婚約を誓う事になる。
もちろん俺は神様の実在を信じてはいないけど、こういうのは無神論者かどうかの問題じゃない。
神に誓ってという誓約が、どれだけ重いかというのが大切なポイントだ。神父さんの方に向き直った俺達と、会場の全員に向けて婚約式の意味が伝えられる。
仏教でもある様な、婚約をする者としての教訓が語られた。そして聖書の一部が読み上げられて、神様の前で婚約を誓う時が来た。
「聖なる愛にならい、今後の交わりを神の御前で、清く正しく保つ事を誓いますか?」
「誓います」
「誓います」
ただの言葉のやり取りに過ぎなくて、反故にしようと思えば可能だ。けれど俺は破るつもりなんて一切ない。
これまでの日々で、俺にとって美佳子がどれだけ必要な人か分かったから。俺に足りない部分を美佳子に補って貰って、美佳子の足りない部分を俺が埋める。
そうやって同じ時間を過ごして来て、今では一緒に居るのが当たり前だと心から思っている。
美佳子の方も、深い愛情を何度も向けてくれた。結婚して夫婦になったとしても、俺達らしい生活をするビジョンがハッキリと見えている。
だから俺達は今日この時をもって、正式な婚約者として誓約を果たす。神様が本当に居るなら、祝福してくれるだろうか?
「主の御前で、今若い2人が婚約の誓約を致しました。愛するイエス・キリストの聖名によって、お祈りいたします。アーメン」
祝福を貰った事で婚約が成立し、美佳子とお互いにプレゼントの交換を行う。結婚式ではないから、指輪の交換でなくても良い。
とは言っても、俺の方は今度こそちゃんとした婚約指輪だけど。まだバイト学生だから、何十万もする様な指輪ではない。
今の俺には、5万円の指輪が限界だった。だからこそ結婚指輪は、社会人としてちゃんと働き良い物を買うと決めている。
その為には先ず大学へ行って、順番にステップアップだ。有難い事に幾つかの大学から、陸上選手として勧誘が来ている。
自分の未来をどうするのか、今まで以上に真剣に考えて行かないといけない。これからの進路だって、凄く大事だと良く分かっている。
でも今は、この瞬間を大切にしたい。俺にとって世界で一番大切な女性と、正式に婚約者となったこの時間を。
かつて路上で拾ったお姉さんが、今では俺の婚約者として隣で笑ってくれているから。
これにて5章は終了となり、次回から6章になります。
6章の内容は、『ヤニカスで酒カスで汚部屋暮らしの限界配信者なお姉さん(31)は好きですか?』のファンディスクです。
3年生編はそれほど長く書かずに、6章の半分か3分の1ぐらいに留めるつもりです。
そして高校を卒業してしまえば、遂にアレが解禁となります。今更敢えて何がとは言いませんが。
また本作は6章で完結となります。これからもう少しの間だけ、お付き合い頂けたら幸いです。
追伸:左手首の腱鞘炎が深刻化しており、ネトコン13期間中に女性主人公の青春モノを投稿するのは諦めました。
サメ映画風のホラーも書きたかったのですが、左手の指まで痛む有様になって来たのでやめます。




