第249話 父と息子とお嬢様
特にトラブルも無く12月に入って、順調に全国大会へ向けた体作りが進んでいる。タイムの方もほぼ理想的な伸び方をしていて、このまま油断せずに己を磨くのみ。
本日の家事代行も終わって21時半に帰宅したら、リビングに光が灯っていた。この時間なら父さんは風呂に入っている筈だけど、何かしているのだろうか?
それとも今日は早く帰って来たから、既にビールでも飲んでゆっくりしているのかも知れない。
晩御飯なら朝の内に作り置きして冷蔵庫に入れておいたから、夕食は勝手に食べているだろう。俺も早く食べて、風呂に入ろうかな。
「ただいま父さん……は? え? 何で?」
「おう咲人、お帰り」
「いやだからその、子猫はどうしたんだよ?」
おうじゃないよ、何で小さな猫を抱いている? しかもケージとか飼育に必要な一式まで、いつの間にかうちのリビングに設置されていた。
全く意味が分からないし、状況の変化が受け止め切れない。家に帰って来たら父親が、多分アメリカンショートヘアっぽい子猫を抱いていた。
何がどうなってこうなったのか意味不明だし、買って来たのなら唐突過ぎるだろう。
美佳子じゃあるまいし、そんなポンと買って帰る理由が分からない。猫を飼いたいなんて父さんが言っていた記憶だって全くない。
小型犬なら飼っていたけど、それだってかなり前だ。いきなり猫を飼い始める理由にはならない。
「取引先の人に貰ったんだよ。猫なら散歩も要らないしな」
「だからって、何で?」
「最近は咲人も家にあんまり居ないだろう? 家で父さん1人じゃないか」
子供みたいな理由で、大人の財力を発揮して来たのか。いやまあ父さんが買った家だから、どうするかは父さんの自由だけども。
それにしたって急にまた、あっさりと飼い始めたな。2人しかいない家で犬は確かに厳しいし、だから猫って発想も分からなくはない。
ただ案外父さんも1人だとか、そんな事を気にするんだなって意外に思った。母さんを亡くしているからか、俺が思っているより寂しいのかな。
再婚してくれたって別に、俺は困らないんだけどなとこれまでも言って来た。多少は気まずいかも知れないけど、本当の母親じゃないと拒絶するつもりは無い。
ああでもそうか、父さんは母さん一筋だもんな。今の俺ならなら、父さんの選択が理解出来る。
だから猫って選択だったのか。どうやっても俺が結婚すれば、父さんは1人だ。いつかはこうして、ペットを飼うつもりだったのかな。
「ニアちゃんだ。生後6ヶ月の雌だぞ」
「そこは翔子じゃないんだ」
「嫁の名前をペットにつけたら変だろう?」
言われてみれば、それもそうか。何か勝手にそんな事をしそうと思っていたけど、案外そうでもないらしい。
それで言えば昔飼っていた犬も、和名じゃなかったしな。ニアと名付けられたこの新たな家族は、灰色と黒の縞模様をしている子猫だ。
今は父さんの腕に抱かれて眠っていた。きっとマサツグの様に、新しい家を探索して回り疲れてしまったのだろう。
1年ぐらい前に見た光景だから、簡単に想像が出来る。可愛らしい寝顔でぐっすりと眠り続けていた。
正直マサツグのお陰で猫の良さも分かったので、俺としてはウチでも猫を飼う事に異論はない。
大きくなったらマサツグと会わせてみても良いかも知れない。友達になれたら良いんだけど。
「あ、でもエアコンとかどうすんの? 俺どんなに急いでも、帰って来るのは夕方だよ?」
「朝からつけておけば良いんじゃないか」
「まあ電気代払うのは父さんだし、俺は構わないけど」
確か生後6ヶ月ぐらいなら、半日以上の留守番も出来るんだったかな? それでも暫くは美佳子の家に直行せずに、一旦帰宅してから行くようにするか。
猫の居る生活は結構楽しいからね。父さんに聞く限りでは、ワクチン等もちゃんと終わっているらしい。
沢山の猫を飼っている知り合いの社長さんから、ニアを譲って貰ったらしく結構血統は良いみたいだ。
そんなお嬢様がやって来たわけだけど、こうして見ているとアメショも悪くないな。
もうちょっとしたら冬休みに入るし、出来るだけ面倒を見られる時は見てやろうかな。
「犬も良いけど、猫も良いよね」
「定年で退職したら、また犬も飼うつもりだぞ」
「俺も大人になったら犬を飼おうかな」
ここで寂しいなら再婚はしないの? なんて野暮な問い掛けはしない。だって俺にも、父さんの気持ちが分かるから。
もし俺が将来、結婚してから美佳子に先立たれたら。俺は父さんと同じ選択をする未来しか見えない。
ずっと美佳子の事を想い続けて、誰とも再婚をしないだろう。誰かを好きになる経験なんて無かった頃は、再婚しない父さんの気持ちが分からなかった。
だって絶対にその方が生活は楽だし、収入だって2人分になる。幾ら父さんの年収が高い方だとは言っても、億万長者と言える程ではない。
だけどこれは、そういう事じゃ無かったんだ。誰にも代えられない、たった1人の大事な異性。
それが父さんにとっての、母さんだったから。俺にとっての美佳子と、同じである様に。
「それより咲人、早く風呂を済ませてしまえ」
「あ、うん行って来る」
「洗濯機は回しておいたからな」
新しい家族を迎えた我が家は、少しだけ温かみが増した気がする。切っ掛けは父さんの寂しさだったとしても、それは悪い事じゃない筈だ。
何より俺が父さんの気持ちを理解出来た事は大きいと思う。父親がこうなのだから、俺は絶対に浮気をしない男であろう。
母さんに先立たれても、ただ1人の女性を愛し続けている父さんの様に。
※244話の訂正漏れを忘れていたのでやっておきました。学校のマラソン大会→駅伝の地方大会
基本的に5章は友情の話ではあるのですが、父親と息子の話でもあります。あとマサツグの彼女は絶対に出そうと思っていたので、こういうエピソードにしました。




