第239話 選手として、部長として
通常通りのトレーニングが解禁された俺は、先ずは4kmを以前通りのタイムで走れる様になる事を目指す。
そこまで戻さないと、話にならない。予選が来週に迫っているけど、そっちは皆を信じて俺は自分との戦いに集中する。
1度走り出してみただけで、自分の衰えを感じられた。頭の中での俺の動きと、実際の動きがマッチしていない。
父さんから貰った腕時計を見ると、思った以上に体力が落ちているのが分かる。いつもなら通り過ぎている場所に、まだ辿りつけていない。
だけど今の俺は、変に焦らず現状を受け入れている。何故かと言えば、俺と同じ様に怪我や故障から復帰した人達の動画や記事を見たからだ。
そこには俺にとっての、輝かしい希望に満ち溢れていた。まだまだやり直せるって、人生の先輩達から教わった。
「ふっ……ふっ……」
俺の様に2ヶ月や3ヶ月のブランクから、短い期間で復帰した人達が何人も居た。彼らの独白や経験は、とても参考になった。
特に参考になったのは、ウォーキングや軽いランニングも間に挟むというトレーニング方法だ。
殆どの人達がこのやり方を推奨していて、焦らず着実にトレーニングを積み重ねる大切さを訴えていた。
先人達の知恵をお借りする事とし、今は必要以上にタイムを気にしない。俺は俺なりに、今出来る事をやろう。
例えば下校時は電車に乗らずに、ウォーキングをしながら帰宅したり、ランニングをしながら帰ったり。
そうやって低負荷の運動を、生活の一部に組み込む形で日々の生活に追加する。無理なハードトレーニングではなく、しかし無意味でも無い負荷をかける。
「……ふぅーーー。やっぱりタイムが落ちてるな」
走り終わって腕時計を見ると、タイムはかなり落ちていた。でもこれは想定の範囲内で、どうしようもない程ではなかった。
事故で2ヶ月のブランクは出来たけど、9歳の頃から積み重ねて来た成果までは完全に失われていない。
だから俺は、まだまだやり直せる。焦る気持ちもあるにはあるけど、呑まれない範囲で留められている。
それに駅伝大会のメンバーも、俺を信じて待ってくれている。周囲の人達に恵まれたから、腐らず日々を過ごせているんだ。
美佳子と2人で歩む様に、皆と共に目標を目指す。今までで一番の一体感を感じていた。
「やっぱここだったか、咲人」
「何か用か? 一哉」
「勝本先生が練習メニューを見直したいってさ」
そういう事なら行かねばならない。副部長である一哉と2人で、体育教官室へと向かう。いつもの様に一声かけてから入室した。
俺達を待っていた勝本先生と3人で、今後の練習メニューを調整する。学年が変わった時点で、何度か行われて来た細かな調整。
3年生が抜けてから、浮き彫りになって来た部分。2年生と1年生に足りない部分について、どう修正を入れるか話し合う。
陸上競技は多種多様で、色んな種目が含まれている。競技性の複雑さは、陸上部が一番ではないだろうか。
駅伝とトラック競技の長距離走については俺が、トラック競技の短距離と中距離については一哉が分担して意見を出す。
そしてフィールド競技を含めて、陸上部全体の現状を見て勝本先生が顧問として提案していく。
他の高校はどうか知らないけど、うちの陸上部はこうして生徒の意見を良く聞いて貰える。
「俺が見た限りは、そんな感じっすね」
「うーん、坂井もそう思うか。どうやら全体的に、体力と筋力面で強化が必要か」
「基礎トレを増やしますか?」
どうしても肉体的な完成度が、3年生は俺達よりも1年分高い。そうなると必然的に、体力や筋力のある選手が減ってしまう。
そんな事は分かっていたから、これまでにも対策をして来た。それでも先生の想定には、まだ届いていないらしい。
特にフィールド競技の方に課題が多く、槍投げや砲丸投げ等の投擲種目が若干の問題を抱えていた。
条件はどの高校も同じとは言え、だからと言って油断は出来ない。3年生が抜けたと言っても、優秀な選手がいなくなるのではないから。
基礎能力の向上は俺だって望むところだし、全員で基礎固めを改めて見直すのは歓迎だ。
「詳しくは今日中に考えておくから、近日中に新しい練習内容に変える」
「分かりました」
「OKでーす」
これからの陸上部を底上げする為の、新メニューが始まる事に決まった。その事を部員達に報告しつつ、部長としての役割もこなす。
後輩達の様子を確認したり、駅伝メンバーとの確認を行ったり。高校生になって初めて、駅伝大会の予選に出られない。
だけど俺の意思はしっかりと、全国優勝に向いている。それはメンバー全員が同じであり、皆がやる気に満ちていた。
緊張しがちで本番に弱い所がある、後輩の島津拓海にも声を掛ける。大丈夫かと、軽めに問いかけておく。
中学の駅伝大会でも同じ様にしていたなと、懐かしい気持ちになった。中学では部長じゃ無かったけど。
「東先輩、俺、大丈夫ですかね?」
「そんなに心配するなって。タイムは問題無し。自信を持てば良いよ」
「そ、そうですかね?」
ガタイは良いのに気は小さいのが、拓海の特徴だった。俺よりも背が高い180cmで、良く鍛えられた体をしている。
顔はどちらかと言えば厳つい方だけど、その中身はこうだ。高校生になっても、そこは変わっていないままだ。
走れば成績を出せる奴だから、信頼しているし実際タイムはかなり良い。去年の俺と殆ど変わらないタイムだ。
変に緊張しなければ区間1位も有り得る。ただこの調子であるなら、当日も声を掛けてやった方が良さそうだ。
中学時代を思い出しながら、俺は拓海の激励を続けた。




