第231話 取り戻した日常
思わぬ展開もあったけれど、先ず俺が今最初にしないといけないのは家事代行の復帰。そして美佳子の誕生日を祝う事だ。
俺が入院していたから、8月29日をちゃんと祝えなかった。9月になってしまったけど、今日こそ美佳子の誕生日会をやりたい。
だけどその前に、先ずは1ヶ月分の作業をしないといけない。果たして祝うだけの時間が確保出来るかが問題だけど。
誕生日会をやる前提で食材を買って来たけど、今日出来なかったら明日にしよう。食材の賞味期限はその前提で買ってある。
田村さんが居たから、多分きっとそこまでの惨事にはなっていない筈。うん、多分、大丈夫……だよな?
「あ、あれ? 結構綺麗だ」
意外にも美佳子の家は、玄関を見る限り綺麗だった。廊下にもゴミは特に落ちていない。
空き缶もちゃんとゴミ袋に入っていた。家事代行をどこかで頼んだのだろうか? それぐらいには片付いていた。
俺としては少し気になる部分もあったけれど、一般的な意味で綺麗と言って遜色がないレベルだ。
それはリビングに入っても同様で、ゴミは散らかっておらず仕事の書類などが広がっている程度。
先に来ていた田村さんと美佳子が、事務作業を進めていた。1ヶ月ぶりの再会となったマサツグが、全力で飛びついて来た。
「お前とは久しぶりだな」
「ニャー! ニャー!」
「ああ、野菜が欲しいのか?」
1ヶ月ぶりに抱き上げたマサツグを片手で抱えながら、仕事中の2人に声を掛けてキッチンへ向かう。
持って来たエコバッグと、背負っていたスポーツバッグを床に下す。キッチンもほぼ綺麗な状態になっていた。
シンクに美佳子が昼にでも食べたっぽい、幾つかの使用済みらしき食器が残っている程度だ。
抱いていたマサツグを床に降ろして、手を洗ってから買って来たキャベツを適当に千切ってマサツグに渡す。
食材や牛乳などを冷蔵庫に入れてから、美佳子の寝室を確認する。他は綺麗でもこっちの方が…………あれ?
ここも綺麗なままだ。前みたいに、こっちにぶち込んだ訳でも無かった。防音室も同様で、そこまで掃除はガッツリしなくて良さそうだ。
「ごめん田村さん、もしかして凄い頑張ってくれた?」
「あ、ううん。学校でも言ったけど、私はそんなに手伝ってないよ」
「昨日の夜に鏡花ちゃんが来てくれたんだよ」
ああなるほど、宮沢さんが来ていたのか。葉山さんにもお世話になったし、今度2人にはお礼をしないといけないな。
俺が微妙に気になっていた部分は、多分その後に落ちた糸くず等の細かいゴミだろう。
ある程度はゴミ処理をする様になった美佳子だけど、そういう細かい所は全然気にしないからなぁ。
とりあえずリビング以外は全部、一旦掃除機をかけておこう。その後は洗濯物のチェックと、今日作る分のご飯かな。
宮沢さんはお風呂掃除もして行ってくれたのかな? 掃除機をかけがてら、チラッと確認しておこう。
「リビング以外は掃除しちゃうね」
「うん。ごめん咲人、お願い」
「じゃあまた後で」
詳しくは知らないけど、美佳子は結構忙しそうだった。田村さんと2人で、色んな用紙を見ながら作業をしていた。
2人の手を止めてまで掃除をする程、リビングは散らかっていないので後回しで良いだろう。
なんだかこうしていると、本当に日常が戻ったんだと強く感じる。学校に通うのもそうだけど、やっぱり美佳子の家が一番落ち着く。
初めて入った時は驚愕しかなかったのに、今では一番馴染んだ場所になっている。人生ってのは本当に何があるか分からないな。
あんなに散らかった家では、色気なんて無いと思っていた筈だったのに。今では一番好きな、大好きな女性の家なのだから不思議なものだよ。
「あ、お風呂も綺麗だ。洗濯物は……明後日でも良いかな」
そちらも宮沢さんがやってくれたのか、洗濯物は全然溜まっていなかった。これなら明後日の金曜日で十分だろう。
この調子なら家事を終えた後からでも、美佳子の誕生日会が出来そうだ。ケーキは田村さんと食べたらしいから、今回は無しで夕食だけが誕生日仕様だ。
色々作る為に、食材は多めに買って来たのでガッツリ作ろうと思っている。本当ならとっくに祝っていた筈の美佳子の誕生日。
病室でささやかなお祝いはしたけど、あれだけじゃあ味気がないからね。こうなってしまったのは今でも思う所はある。
だけど悔やんでばかりでは、いつまでも先に進めないから。かつて和彦が言ってくれた様に、悪意に負けてやる必要はない。
「田村さんも、誕生日会やっていく?」
「私は当日にしたから良いよ! お2人でどうぞ」
「そう? じゃあ2人分だけ作ろうかな」
ちょっと気を遣わせちゃったかな? 田村さんを邪魔に思う事なんて無いから、居てくれても良かったんだけど。
そりゃあ2人きりも良いけれど、人が多くて困る事もないし。確かに田村さんが居たら、出来ない事もあるけれど。
ただそういう事をする前提で誕生日会をやるのではない。あくまでも美佳子の誕生日を祝うのが目的だ。
キスとかもしたいかで言えばしたいけど、今日ここでどうしてもしたい訳じゃないから。
やっと取り戻せた日常と、美佳子との楽しい日々を祝いたいだけ。駅伝大会はやり直せないけど、美佳子の誕生日会はまだやり直せる。
「よっしゃ、作るか!」
「ニャーン」
だから俺は、出来る事から取り戻して行く。そしてそれは、陸上に関しても同じ事が言える。
部長という新しい立場を任されて、更には冬の大会に向けてギリギリの調整に入っている。
こうして病院から戻ってみて、良く分かったんだ。まだまだ俺に取り戻せるものはあるって。
だってこうして俺は、いつもの様に美佳子の家で日常を過ごせているから。
ここからどんどん元の空気感に戻りながら、だけど事故があったからこそな展開になります。




