第229話 咲人の退院と陸上部
俺はどうやら回復力が高かったらしく、入院生活の後半では殆ど松葉杖が必要なくなっていた。
それでもやっぱり激しい運動は、予定通り10月までお預けなんだけど。リハビリは順調だったし、9月に入ってすぐに退院が出来た。
父さんは家事が下手だから、1ヶ月ぶりに帰った自宅では少しだけ苦労した。それを思えば、美佳子の家は大丈夫だろうか。
田村さんが出入りしているから、致命的なレベルにはなっていない筈だけど。美佳子は大丈夫って言っていたけど、不安が残る言い方だった。
念の為に朝から美佳子の家に行く事も考えたけど、それじゃあ全く信じていないみたいだから辞めておいた
それより先に、先ずは学校に復帰しなければ。既に夏休みは明けており、俺は皆から1週間ほど遅れての登校だった。
「お母さんじゃん! お帰り~!」
「松下さん、先月はお見舞いに来てくれてありがとう」
「よお咲人! 待ってたぜ!」
松下さんや一哉達、クラスの皆が教室に入るなり迎え入れてくれた。この光景を見る事で、俺は日常に戻れたのだと思った。
入院生活も最初の頃は、地獄の様な気分だった。だけど仲の良い友人達がお見舞いに来てくれて、美佳子や和彦達が居てくれて。
そうして舞い戻った学校は、やっぱりいつも通りに続いていた。帰って来たんだと、心から思えた。
またこの教室で、進級するまで皆と過ごせるんだ。俺はまだ、失っていないものが沢山ある。
そう思えるだけで、心強く感じた。やっぱり俺は、1人じゃないんだ。色んな人達が俺の周りに居てくれている。
「東君、今日から部活も復帰なの?」
「……何か、澤井さんを久しぶりに見た気がする」
「2週間ぶりぐらいかな?」
陸上部の面々は、何度かお見舞いに来てくれていた。それでもやっぱり練習があるから、毎日という訳にはいかない。
1年の頃から毎日の様に顔を合わせていた、澤井さんをこんなに見なかったのは初めてかも知れない。
ちょくちょく来てくれていた一哉とは、それなりに会っていたけれど。そして澤井さんの問いへの答えはイエスだ。
見学とウォーミングぐらいしか、俺はまだ出来ないけど。しかも阿坂先生の監視付きでの運動になる。
お前みたいなのは目を離すと無茶をする、私の前でのみ運動を許可すると有難いお言葉まで頂いた。
私に隠れてトレーニングをやるなよと、しっかり釘を刺されましたとも。全て見透かされている様で何よりです?
「そっかぁ。じゃあ楽しみにしておくね」
「え? 何が?」
「ふふっ、秘密だよ」
何やら意味深な言葉を残して、澤井さんは他の女子達の所へ行ってしまった。何か放課後にあるのだろうか?
もしくは部活の方で何かある? 特に予定変更があるだとか、聞いた記憶はない。あ、もしかしてトレーニング器具が新調されたとか?
夏休みの後半は全く学校に来ていないので、そういう変化があったとしても不思議ではない。
学校のトレーニング器具は、いい加減型が古かったしね。体育会系の部活動に所属する生徒なら、大体の人が思っていた事だし。
新しくして欲しいという要望は、各部活動から出ていた筈だ。いよいよ学校が動いてくれたのかな?
「やあ、東」
「東君、お帰りなさい」
「柴田に田村さん、2人もありがとう」
2人は相変わらず仲良しコンビで居たんだよね。入院中にも2人で何度か来てくれていた。
順番にクラスメイト達が声を掛けに来てくれて、お礼を返しているだけで朝の隙間時間は終了する。
1限目から授業が始まり、俺は学校生活に完全に戻った。昼休みになったら一哉達とお昼を済ませて、午後の授業を眠気と共に過ごした。
ここまではいつも通りの日常で、何も変化なんて無かった。せいぜい入院して休んでいた分の、課題を提出した程度だ。
それ以上の何かがあるなんて、俺は思ってもみなかった。復帰した陸上部に顔を出すまでは。
「あ、あの、先輩? 今なんて」
「だからこれからの男子陸上部は、副部長が坂井でお前が部長だ東」
「い、いや、何で、俺、ですか?」
「1年の頃から駅伝に出て、成績も優秀だったろう? 全員が納得しているぞ」
今日から男子女子の両方で、部長と副部長が交代する日だったらしい。副部長が一哉で、俺が部長?
いや言いたい事は分かるけど、俺はそんなリーダーとか向いていない。馬場和彦の仮面を失った今では、尚更適正がないと思う。
だけど何故か、皆がこれで納得している。そして女子陸上部の部長は澤井さんだった。それがあの言葉の意味だったのか。
驚く俺を楽しみにしていたって事ね。ちょっと意地悪が過ぎませんかね? 澤井さんは物凄く良い笑顔で、俺の方を見ていた。
どうにも決定事項らしく、誰も嫌そうな顔をしていない。同級生も後輩も、そして先輩達もそうだった。
恐らく3年生で1番仲が良い、王子様系女子の森下先輩が実に良く似合う仕草で俺の肩を叩いた。
「アンタなら大丈夫だよ、東」
「先輩……」
「皆で話し合って、アンタが良いって皆が決めたんだ」
陸上部に復帰するなり決まった、部長という肩書。まだ体が完全に治っていないのに、男子陸上部を引っ張る役目を貰ってしまった。
でも不思議と嫌な気分はしない。押し付けられたとは思わなかった。以前の俺だったら、尻込みしたかも知れない。
和彦の真似をしているだけの東咲人なら、プレッシャーに負けたかも知れない。だけど今の俺は、受けても良いかと思っている。
リーダーなんて向いていないし、ちゃんと引っ張れるかも分からない。でも皆が、俺にその役目を求めている。
だったら一旦やってみようかなって。駄目だったら誰かに変わって貰えば良い。そう考える余裕が出来たのは、事故で色んな想いをしたからかな。
一度全部壊れたからこそ、新しい俺がここに居る。見栄を張る事を辞めた俺は、肩の荷が下りた様な気がしていた。
未だに咲人君は自己評価が実力とマッチしていません。
そして咲人君がリーダーに向いてると知っている人が、次回で主観を担います。
誰に感情移入しているかによっては、ちょっとしんどいかも?




