第227話 2人で再び歩む道
和彦が約束通りに優勝をして見せた。それまでの流れを見ていた俺は、昔を思い出す事が出来た。
陸上を始めた初心を完全に想い出せた。こんな風に俺もなれたら、そう思った幼い頃の気持ちが蘇った。
それでも幼い頃の様に、純粋な気持ちだけで動く事は出来ない。色んな経験をする前に抱いた気持ちと、母親を失った後ではまた別物だ。
今度は俺が事故に遭って、辛い現実を思い知って。そして色んな人が、俺を応援してくれていて。
また昔とは違う形で、自分の生き方を見直す機会が訪れた。あの時と同じ様に和彦が居て、今では美佳子が隣に居てくれている。
「ねぇ美佳子、俺はもう大丈夫だから」
「え? 急にどうしたの?」
「美佳子や和彦達のお陰で、俺は立ち直れそうだよ」
まだ恐怖は無くなっていない、だけど連続でまた事故に遭うとも思わない。今回が特別だったのはもう分かっている。
そもそも犯人は美羽市の人間では無かったのだから。もちろん絶対に大丈夫とも思ってはいない。
2度ある事は3度あるとも言うのだから。だけど今の俺だったら、3度目があったとしても耐えられるかも知れない。
美佳子や父さんが悲しむから、起きて欲しくはないけれど。でも本当に大丈夫そうな気がしている。
だって東咲人は、諦めが悪い。心が弱くてリーダーには向かないけど、簡単に諦める事が出来ない。
俺は美佳子が付き合ってくれるのなら、数年掛かってもリトライする気で居たぐらいだ。それが本当の、東咲人という存在だ。
「皆のお陰で元気になれそうだから、美佳子もまた配信をして欲しい」
「えっ、でもそれは……。咲人がまだベッドの上なのに……」
「俺の事なら気にしないで。俺は美佳子が、楽しそうに配信をしている姿が好きだから」
初めて観た時は良く分からなかった、Vtuberというコンテンツとリスナー達のリアクション。
俺も最初は、美人なのだから顔出しでやれば良いのに。そう思う時もあった。だけどこれは、そういう話ではないんだ。
美佳子の個人的な事情だってもちろんあるけど、それ以上にファンの気持ちが良く分かったから。
例えばアニメに出ている声優さんが、美人だからって実写でやれば良いとは思わない。アニメはアニメであって、実写は実写だと思うから。
ドラマに出ている俳優さんや女優さんに、アニメでやれば? とも思わない。多分きっと、そういう事なんじゃないかな。
Vtuberという架空の存在だからこその良さ、そこに皆がハマっているのだと分かった。
「俺は美佳子の配信を観て、元気を貰う事が出来る。リスナーの皆だって、きっとそう」
「それは……」
「美佳子が言った2人でって、俺が一方的に甘える事ではないよね?」
美佳子が言ってくれたのは、2人で一緒に歩いて行こうと言う意味だった筈だ。だったら俺は、美佳子の足枷になってはいけない。
きっとそれは、2人で歩むとは言わないと思うんだ。ただの依存で、頼り切りになってしまうだけ。
そうじゃなくて、俺が美佳子の支えにならないといけない。お互いに支え合える関係性じゃないと、2人で一緒に進む事は出来ないと思う。
美佳子がこうして支えてくれるなら、今度は俺もちゃんと支えないと。和彦の真似をして動くのではなくて、東咲人としての支え方で。
俺らしいやり方で、美佳子を応援して行きたい。それに側に居てくれなくても、俺達の繋がりはちゃんとあるから。
2人で作りに行ったペアリングは、今も左手の薬指に嵌められたままだ。奇跡的に破損する事なく、今も銀色に輝いている。
「もう変な意地は張らない。俺は思った通りの事を言う」
「咲人……」
「ちゃんと素直に言うよ、園田マリアの配信が観たいって」
心配してくれるのは素直に嬉しい。だけどそれで、美佳子が止まってしまうのは違うと思う。
いつもの様に、自由に楽しく過ごす美佳子でいて欲しい。確かに俺は、美佳子を庇って怪我をした。
でもそれは俺が勝手にやった事で、美佳子の責任じゃない。俺の事を気にして、配信をしなくなるなんてダメだ。
俺はこれまで、美佳子に沢山のモノを貰って来た。物理的にも、精神的にも。その全部に応えられたとは思っていない。
だけど少しぐらいは返したいし、出来る事からやって行きたい。だから今は、俺の正直な気持ちを伝えておきたい。
心の底から美佳子を、応援しているのだと伝えるんだ。改めてしっかりと、言葉にしておきたいから。
ヘビースモーカーで酒乱で家事スキルが全滅していて、だけど人気Vtuberな貴女が俺は大好きだって。
「こうして殆ど毎日来てくれなくても、いつも通り配信をしてくれるだけで俺は大丈夫だよ」
「本当に、大丈夫なの? 辛くないの?」
「辛くないって言うと嘘になるけど、園田マリアを観ていたら楽しい気持ちになれるからさ」
それこそが美佳子の魅力であって、園田マリアのパワーなんだと俺は思う。観ている人に元気をくれるのが、園田マリアの配信なのだから。
きっと待っている人は多いだろうし、俺も観たいと思っている。美佳子に甘えて良いのは分かったけど、甘えすぎはちょっと違うかなって。
頼りたい時は頼るけど、今はもうその時じゃなくなった。たっぷり休んで落ち着けたから、そろそろ俺も気持ちを切り替えていかないと。
なるべく早く日常に戻って、また元気に生活をする事。それが俺の一番最初にやらないといけない事だ。
そしてそれは、美佳子だって変わらない筈だ。もう俺を気にして、立ち止まって欲しくないから。
「じゃあボクに、勇気を貰って良いかな?」
「俺に出来る事なら、何でもやるよ」
「咲人は死なないって、安心を頂戴。ボクだって、不安なんだからね?」
今の俺は上半身しか動かせないから、ちょっと不格好だけど2人でお互いを抱き締め合う。
いつもより長めに抱き合った後に、自然な流れでキスをした。そっちの方も、心なしか普段より長めだ。
これで美佳子の不安が、完全に消えるのかは分からない。だけどこれで少しでも、美佳子の力になるのなら。
やる事も置かれた状況も違うけれど、俺達はお互いに再スタートを切る事になった。
前話の後書きに書き忘れたのですが、ボールカウントを昔のスタイルにしています。
やっぱりボールよりストライクを先に言う実況解説の方が、ピンと来ません? 今のMLBスタイルは未だに聞き慣れないです。
懐古厨おじさんと言われたらそれで終わりですけども。
そしてここからは、本格的アッパー展開のお時間でございます。僕だった咲人と、和彦の真似をしていた咲人、今現在の咲人。
その全てが融合し、前に進み始めました。結局は美佳子の前だと、和彦の仮面が外れてしまう未熟さ。その東咲人を受け入れた咲人君。
ここからが本当のスタートを切った、東咲人と篠原美佳子の物語です。




