第223話 再び灯り始めた灯火
俺の病室に設置されたテレビには、準々決勝に挑む高峰学園の選手達が映っている。
真剣な表情で入場を果たし、相手チームと向き合う。そして挨拶を交わして、それぞれのベンチへと移動して行く。
誰も彼もが高い熱量を持っているのが、画面越しにも伝わって来る。絶対に勝つという闘志を感じられた。
見ておけと言い残した和彦は、その宣言に相応しい活躍を3回戦で見せた。試合終了後には、ヒーローインタビューに選ばれたぐらいだ。
そして今日は準々決勝で、ここを越えれば準決勝だ。本当に宣言通り、優勝をして来るかも知れない。
そうなったら俺は……俺は……約束を破るなんてしたくは無い。和彦が勝手に言った事だけど、俺だって同じ事をやった。
なのに俺は応えないなんて、筋が通らない。自分はやるのに相手が求めたら無視する。そんな事を和彦相手にやりたくはない。
「ねぇ美佳子、俺はまた頑張れるかな?」
「ボクは出来ると思うよ。だって東咲人は、努力の出来る子だからね」
「そう、なのかな」
何かが出来る様になる事は、凄く嬉しいし楽しいと思う。例えば料理なんてモロにそうで、美佳子が喜んでくれるのが嬉しい。
今まで作って来なかったメニューに挑戦し、レパートリーが増えるのが嬉しい。そしてそれは、陸上にだって同じ事が言える。
走れる距離が大きく伸びた時、以前よりもタイムが縮んだ時、喜びと達成感を得られるんだ。
それは決して馬場和彦の真似をしたから感じるのではなく、他でもない俺自身が感じたモノ。
和彦みたいになれたと、喜んでいるのはその奥にある俺の心。その為に頑張るというのは、もう出来ない事だろうか? 東咲人には、出来ない事だろうか?
「色んな人が会いに来てくれて、俺を励まして行くんだ」
「そうだよ、咲人は1人じゃないんだよ」
「うん、それが嬉しかった。こうして美佳子が居てくれるのも」
甘えて良いって、葉山さんが言っていた。お前は陸上を辞めないと、阿坂先生は言っていた。
そして陸上部の先輩達や、一哉達も待っていると言ってくれている。そして和彦は、俺が約束を果たすと信じているだろう。
俺がどんな選択をしても、きっと美佳子は尊重してくれる。だったら俺は、またもう一度歩めるかも知れない。
今度は和彦の真似じゃなくて、俺自身の生き方で。東咲人が進む道を、俺なりの歩き方で進めるかも知れない。
失ったものもあるけど、だからこそ持っている大切なモノの多さに気付けた。その有難さを、十分過ぎる程に感じた。
「ほら咲人、和彦君だよ」
「うん。流石、やる気満々だ」
「走る時の咲人も、あんな表情だけどね」
自分の事だから良く分からないけど、そうなのだろうか? 前に夏歩からも言われたな、似ているって。
それは俺が、和彦の真似をしているからだと思っていた。だけどそれは、本当にそうなのだろうか?
美佳子の前で見せて来たのは、本当の俺だった事も多々ある。1年目の夏なんて、特にそうだった。
まだ付き合ってなくて、篠原さんと呼んでいた頃。観に来てくれたのが嬉しくて、良い所を見せようとして張り切っていた。
だからあの時は、和彦の真似が出来ていなかった。後でちょっと喜び過ぎたかなって、反省したぐらいだ。
だからあの時見せた俺の表情は、素のままの東咲人だった。好きになった女性を目の前にして、はしゃいだ俺自身。
「夏歩にも言われたけど、俺と和彦って似ているの?」
「うーん……そうだねぇ似ているかも。でも咲人の方が柔らかい感じかな。和彦君はもっと勢いがある感じ」
真似をしている内に、似て行ったのだろうか? もう今更真似なんてしなくても、和彦の様な精神が俺にも宿っている?
真似をして来たのも、無駄では無かったのだろうか? もしそうであるなら、俺はまたやり直せるのか?
画面の向こうに居る和彦の様に、俺は俺としてまた走れる? これまでに積み重ねたモノは、全部消えて無くなった訳じゃない。
それは体力も筋力も、そして精神力も。美佳子に対する気持ちだって、それは俺が抱えているものだ。
馬場和彦では、篠原美佳子に恋をしない。だってアイツが好きなのは、今も三浦夏歩のままだから。
今日までの想いは、全部俺に生まれた気持ちだ。東咲人自身が、篠原美佳子を好きなんだよ。
「美佳子はさ……今みたいな俺でも、好きでいてくれるの?」
「当たり前じゃない、ちょっとした変化で嫌いになるわけない。むしろ今の方が、年相応で可愛いかも」
「そ、そうなの?」
ちょっと思っていた回答とは違うけど、美佳子が良いなら今の俺でも良いんじゃないか?
葉山さんが言っていたのは、もしかしてこう言う事なのかな? 確かに美佳子が、今は凄く頼もしい。
弱った俺の心を支えてくれている。例えるなら前から引っ張ってくれるのが和彦で、後ろから抱き抱えてくれているのが美佳子だ。
美佳子がくれる温かさが、俺の冷え切った心を変えて行ってくれている。今はこうして、寄りかかる時なのかも知れない。
マグロはずっと、泳ぎ続けないと死ぬ生き物だ。だけど俺は、マグロと違って立ち止まっても死なない。
肩肘張らずに、美佳子に甘えていても良いのかも知れない。普段から美佳子が言っていた、充電という発言の本当の意味はこういう事なのかも。
少しずつだけど、日が経つにつれて俺の中で変化が起き始めている。入院した当初程、暗い気持ちが湧かなくなって来た。
和彦の熱気と、美佳子の温かさ。2種類の熱が、俺という存在を包み込んでくれている。
一度は冷え切った俺の心に、何かが灯る様な感覚が少なからずしていた。炎とまではいえないけど、灯火ぐらいはある様な何かだ。
「ほら咲人! 和彦君が打ったよ!」
「うん、やっぱり凄いや」
画面の向こう側から、聞き慣れた幼馴染の声がした様に感じた。どうだ! 見ていたか咲人! そんな声が、確かに聞こえた気がするんだ。
今の咲人君は、以前と少し違う話し方で美佳子と会話をしています。
事故前なら『ああ』と言っていた状況で『うん』と答えていたり、語尾が柔らかくなっていたり。
東咲人本来の姿のままで、美佳子と接し始めた。それは彼なりの甘えを見せ始めたからです。




