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第219話 諦める辛さ

 美佳子(みかこ)がまだ自宅で美沙都(みさと)と仕事をしていた頃、咲人(さきと)の病室を1人の青年が見舞いに訪れていた。

 やって来たのは美羽(みう)高校の卒業生、今は一緒に美羽大学に通う宮沢鏡花(みやざわきょうか)の恋人。果物の詰め合わせを手にした葉山真(はやままこと)だった。

 咲人とは違うタイプのアスリートで、体育教師を目指して教育学部に通う容姿に優れた大学生だ。

 やや女性的な顔立ちに、それなりの背丈。かつて美羽高校で最もモテていた過去を持つ彼がやって来たのは、咲人を心配しての事だった。


「やあ(あずま)君、久しぶり」


「葉山さん、すいませんわざわざ」


「良いんだよ。知らない仲じゃないしね」


 そんな挨拶も兼ねた雑談から、先ずは始める真。当たり障りのない話題から、少しずつ咲人の様子を探っている。

 彼はかつて、その道では有名なサッカー選手だった。中学時代から全国大会を経験し、咲人と同じく推薦入学で美羽高校へと入学。

 生い立ちは全く違うものの、似ていると言えば似ている。そして真は咲人と違って、今はサッカーをやっていない。

 類似競技のフットサルはやっているが。何故そうなったのか、それはかつての真が咲人と似た境遇に置かれた経験があったからだ。


「東君、今悩んでいるんじゃないか?」


「……え?」


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 事情を知る和彦(かずひこ)でもないのにどうして、そんな疑問と困惑が咲人の中に生まれる。真が言う様に、咲人は今実際に悩んでいる。

 東咲人本来の弱さから、立ち上がる勇気を持てないでいた。和彦と美佳子の存在が、ギリギリ辞める方向へは傾かせていない。

 でも心の中にどうしても残っている、諦めるという選択が。1ヶ月の入院生活が終わっても、更にもう1ヶ月は激しい運動が出来ない。

 実質的な完治まで、2ヶ月も掛かってしまう。10月から調整に入っても、冬の予選は11月の中旬になる。

 かなりの遅れと、重いハンデがのしかかる。0からのスタートではないが、厳しい状況なのは変わらない。


「俺も昔、東君の様に怪我をした。君ほど大きな怪我ではないけどね」


「そう、だったんですか?」


「高1の冬だったよ。右足首の靭帯断裂だ」


 咲人と全く同じ立場、期待の新1年生でありながらの退場。後遺症として長時間全力で走る事が出来ず、サッカーの試合時間に堪えられない。

 それでも続ける事は不可能では無かったが、リハビリの辛さと心に受けた傷があまりにも大きかった。

 思う様にプレー出来ないという辛さから、最終的にはサッカー部を退部した。その当時の辛さや想いを、咲人に聞かせる真。

 そしてその内容は、咲人が今感じている気持ちや感情に似ていた。もちろん全てが同じとは言えない。

 でも真がこんな話をしに来たのが、咲人には良く理解出来た。今咲人の周りで、一番咲人の気持ちが分かる人物は間違いなく真だった。


「俺と君では条件が違う。君はまだ、やり直せる」


「それはっ!」


「東君を妬んでいるのではないよ。たださ……辞めた後は、すげぇ辛いって知っておいて欲しい」


 真にだって続ける選択も出来た。途中で交代する選手として、継続する道だってあった。

 だけどそれは、真が望む姿では無かった。全力を思う様に出せない環境は、猛烈なストレスを感じさせられた。

 だから真は辞めてしまったが、辞めた後には別の辛さが襲い掛かった。夢を諦めたからこその後悔と、楽しそうに部活を続ける元チームメイトの姿。


 それらは真の心に大きな傷を残してしまった。真が語る辛さは、あまりにリアルで咲人の心に強く響いた。

 完璧なイケメンだと思っていた人に、そんな過去があったなんてと。そしてそれは、きっと自分も同じだろうと。

 間違いなく似た様な後悔をする自分が、咲人には容易に想像が出来た。そしてそれが、耐え難い苦痛だと言う事も。


「でもそんなの、どうやって乗り越えたんです?」


「えっ!? あ~まあその……最高に凹んでいた時に、鏡花に出会ってさ」


「宮沢さん、ですか?」


 葉山真が再び立ち上がれた理由、それはかつて教室の隅に居る様な平凡な女子との出会い。

 言ってしまえば、ただ魅力的な女の子に絆されただけとも言う。だけどそれは、非常に大きな意味を持つ。

 人は孤独では生きられない。そもそも生物として、その様に出来ている。独身で生きる事と、単独で生きる事は別の話だ。


 前者は誰でも出来るけれど、後者は無人島にでも行かねば成立しない。人間社会で暮らす以上は、必ず誰かに支えられている。

 ただそれを理解出来ずに、勝手に単独で生きているつもりになってしまう人が居るだけで。

 そして自分を支えてくれる存在というのは、かけがえのない価値がある。友情や愛情、家族愛などがその象徴だ。


「あの時の俺には、鏡花が居た。そして東君には、篠原(しのはら)さんが居る」


「美佳子が……」


「女性を頼るなんて、恥ずかしいと思うかも知れない。情けないと思うかも知れない。だけどそれは勘違いだ。女性ってのは、凄く頼りになる」


 俺達男性が思っているよりも、ずっと頼りになるんだぞと真は咲人に伝えた。時には甘えても良いのだと、悩める咲人に訴えかける。

 それは和彦や美佳子の影響を受け始めていた今の咲人にとって、大きな後押しとなった。

 真の言う在り方は和彦の様な、一番前で引っ張るリーダー像とは違っている。だけどそれで成功した人も居て、自分らしく生きている。

 辛い過去を乗り越えて、こうして咲人の前で笑っていた。だったら自分が歩む道は、東咲人が進む方向はどうするのか。

 その答えが少しずつ、明確になりつつあった。灰色だったこれからのビジョンに、僅かながらの色彩がつき始めていた。

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