第215話 もう一度、最初から
俺はただテレビを観ていた。それ以外に出来る事もないから。開幕した夏の甲子園は、物凄い盛り上がりを見せている。
応援に行っている人達や、選手達は真剣そのものだ。その場に居なくても球場の空気が分かる。
俺だってスポーツをやって来た人間だから、その熱量が想像出来た。今頃夏歩はあのスタンドに居るのだろうな。
咲人の分も応援して来るからって、昨日の内にメッセージが来ていたから。本当だったら俺は、今頃この会場で和彦を応援していただろう。
そんな日常すらも、俺は奪われたのだ。一瞬にして色々なモノを、こうして失ってしまった。
「咲人、起きてたんだね」
「美佳子」
「ごめんね、事務所の仕事ですぐ来れなくて」
今まで俺は、美佳子の前で出来るだけ弱音を吐かない様にして来た。そんな姿は見せたくなかったから。
隠して隠して、隠して隠して。本当の事を知られたくなくて、ずっと言い出せずにいた。
俺が今まで、美佳子に打ち明けられずに居た本当の俺。東咲人という人間は、本当は凄く弱くて、臆病で情けない人間だ。
一歩踏み出す勇気は、本当の俺にはない。ただ昔からずっと、和彦ならこうするって真似を続けて来ただけだ。
今の東咲人は、ただの馬場和彦の模造品に過ぎない。小さい頃からアイツは凄くて、和彦みたいになりたくて。
でも野球には向いてなかったから、一番得意だった陸上を選んだ。アイツの様な、皆のヒーローになりたかった。
「咲人?」
「俺は……俺は……」
「咲人!? どうしたの急に!?」
涙を流し始めた俺を見て、美佳子が驚いている。知らなかっただろうけど、本当の俺はこんなにも弱い。
強がって和彦の真似を続けられなくなったら、こうして弱い本当の俺が出て来てしまう。
もう取り繕う事も出来なくなって、こうして情けない姿を晒している。きっと美佳子は、俺がまた再び立ち上がる未来を想像していただろう。
こんな風に、泣き出す様な人間とは思って居なかった筈だ。でももう自分でも止められない。
きっと俺は、幻滅されてしまうだろう。だから余計に辛くて、惨めでたまらない。虚構の東咲人は崩れ去り、本当の俺がここに居る。
事故のせいで今まで被っていた仮面は、粉々に砕けてしまった。もう俺には、自分を装う余裕がない。
「また頑張ろうって、思えなくて、立ち上がる勇気が持てないんだっ」
「咲人……」
「俺は結局、和彦になろうとしてなれなかっただけの存在なんだ!」
もう隠せていないのだから、黙っている意味もない。俺は正直に話した、本当の東咲人を。
小さい頃からリーダーで、ヒーローだった和彦みたいになりたかった。俺って言い方を使い始めたのも、和彦の真似をしただけだ。
昔の俺は僕と言っていたし、いつも和彦の後ろをついて行っていた。色んな事をやる様になったのも、殆どが和彦の影響だという事も。
自発的にやり始めたのは料理ぐらいで、これは父さんが苦手だったからだ。それ以外の多くは和彦が根底にある。
中学時代の喧嘩だって、今思えば原因が良く分かる。俺の中の和彦は、あそこで諦める男じゃなかったからだ。
俺の思う馬場和彦らしくないからと、その本人と揉めたのだ。なんとも勝手な話じゃないか。
「本当の俺は、こんなに弱い臆病な男なんだ……母さんの事も、今回の事も。俺は怖いんだ、また失うんじゃないかって」
「良いんだよ咲人、怖がっても」
「この間にも皆とは差が開いていくし、どんどん気力がなくなるんだ」
彼女に抱きしめられながら、ただ弱音を零すだけの俺。なんて情けない姿か。やっぱり無理だよ和彦、俺はお前じゃない。
馬場和彦と同じ事は出来そうにない。俺にはお前ほどの強さが、最初から備わっていないんだ。
生まれながら持っていたものが、全然違い過ぎる。お前はいつも、どこに行っても皆のリーダーでヒーローだ。
でも俺はそうじゃない。馬場和彦の真似をして、必死に足掻いているだけの贋作だ。
自分に和彦を憑依させる余裕を失えば、この通り簡単に瓦解してしまう。
「じゃあ和彦君を目指すのを辞めればいいよ」
「……えっ?」
「次はここから、東咲人を始めよう。もう一度、最初から。今度はボクと」
もう一度俺を始める? それはどういう意味だろう。こんなダメな俺を始めて、何になるのだろう?
弱くて情けなくて臆病で、踏み出す勇気を持てない俺を今から? もう一度始めるっていうのは?
俺が理解出来ずにいる間も、美佳子は俺を抱き締めている。正面から抱き締められたから、美佳子の胸元には涙の跡が残ってしまった。
こんな俺を、美佳子は見捨てないというの? こんな情けない俺でも、構わないって言うのか?
和彦の仮面を被れなくなった俺でも? 本当にそれで良いと言うのだろうか? 本当の東咲人でも、良いって言うの?
「ボクを捨て身で庇ったのは、東咲人だからでしょう? 母親の死に責任を感じていた、東咲人の意思だ」
「あれは、だって、必死で。美佳子を、守りたくて」
「東咲人は優しい男の子。その本質は変わらない。それに今は、ボクが居るから。怖いなら、ボクが一緒に進むから」
本当に良いの? こんな俺でも。変わらずに居てくれると言うのか? 和彦を目指さずに、俺のまま進んで本当に良いのか?
俺は東咲人のままで、あり続けても良いの? 美佳子はこんな俺でも、まだ恋人として隣に居てくれるの?
「咲人の恐怖も、咲人の辛いも、咲人の悲しいも、全部ボクが受け止めるから。だから2人で、歩んでみない?」
「今度は、美佳子と……」
少し思考がクリアになった時、ちょうど試合が大きく動いたみたいだ。テレビの方から歓声と興奮した実況の音声が耳に入って来た。
高峰学園が3回の裏、7番の和彦がスリーベースを打ってランナーが2人帰ったみたいだ。やっぱり凄いよ、和彦は。
こうしてちゃんと、何処に行っても大活躍を出来ている。だけどもう、そんな和彦を目指すのを辞めて東咲人として前に進む。
こうして一緒に居てくれる、美佳子と2人で。俺にそんな事が出来るだろうか? なあ、和彦はどう思う? 俺なんかに、そんな事が出来るかな?
このエピソードに関する後書きが長くなったので、活動報告に詳細を書いておきます。
バイオ9ですよ奥さん! なお7とヴィレッジの一番良いセットを買ったのにやっていない模様。RE4は250時間超えでやり込んだのになぁ?
ちなみにユミアのアトリエもコンソール版とSteam版を買ったのに序盤で止まっています。だってWEB小説を書いてたら楽しくて。
書くのが楽しいからヨシ! いや流石にそろそろユミアのアトリエをクリアまでやりたいなぁ。




