第182話 咲人の目指す未来
そしてやって来た金曜日。俺の机の上にはまだ書き切れていない進路調査票が置かれている。
どうにも決め切れないと言うか、今もまだ心が揺れていた。料理人を目指す道、陸上を追い続ける道、食品関連企業を目指す道。
美佳子との生活を思えば、管理栄養士も有りだ。一旦は進学で良いのだけれど、じゃあどんな大学のどの学部に行きたいかだ。
料理人や管理栄養士を目指すなら、専門学校も選択肢に入る。そして料理人を目指すにしても、和食なのか洋食なのかとか、具体的なビジョンがまだ無い。
やりたい事と目指すべき道が、俺にはまだ絞り切れていなかった。
「あ、あれ? 東君? 部活は?」
「田村さん。いやまあね、これがね」
「進路希望? まだ出してなかったの?」
放課後になって殆どの生徒が教室から出て行き、残されたのは僅か数名だけ。日直としてゴミ捨てに行って来たらしい田村さんが、俺を見て不思議そうにしている。
まだ残って進路希望調査を書いているのは俺だけだ。他の皆はどうするか、決まっているのが羨ましい。
一哉はとりあえずに大学行くと言っていた。一見理由が適当に見えてしまうけど、迷わず決めている所は素直に凄い。
その時が来たら考えれば良いと言うのは、実に一哉らしい考え方だ。ただお気楽なのではなく、実際に何とかする人間だから出来る生き方だ。
多分美佳子に近い在り方だと思う。そして今日の部活は自主練習となっている。だからこうして、自分の席で頭を抱えていられる訳だ。
「まだ悩んでてさ。田村さんは何て書いたの?」
「わ、私? えっと、大学に行くよ」
「就きたい職業も決まっている感じ?」
「う、うん。Vtuberの運営企業に行きたいなって。は、配信者じゃないよ!? 運営の方ね!」
なるほどねぇ、好きな業界を目指す訳だ。田村さんらしい選択をしている。運営サイドを目指して、経済学部に行くらしい。
しっかりと将来設計が出来ていて羨ましいな。一哉とは真逆で行先が定まっているタイプだ。
どちらでもない俺は、今も悩み続けている。様々な選択肢の中から、第1から第3希望まで選び切れていないまま。
陸上も料理もどちらも好きで、どちらかを捨てきる事は出来なかった。料理なんて趣味でやれば良いと言ってしまえば、そんなの陸上だって同じ事だ。
趣味で駅伝大会に出る人なんて沢山居る。じゃあ料理人一本にするなら専門学校だけど、そっちに行くと大学の駅伝は諦めねばならない。
「陸上と料理、どっちも好きでさあ。決まらないんだよ」
「東君って料理も出来るの? 良いなぁ、得意な事があって」
「そうでも無いよ。他に出来る事が無いだけ」
他人に誇れる程かと言うと、そこまでではない。確かに陸上で良い成績は出せているけど、結局は高校生のレベルでしかない。
フルマラソンを完走したのではない。料理にしたって、料理教室を開いたり飲食店が経営出来たりするレベルじゃない。
料理に関してはそもそも、調理師免許すら持っていないのだから。改めて考えると両方が中途半端で、将来設計と言う意味ではあまりに曖昧だ。
配信者になってお金持ちになりたい、なんて小学生みたいな夢よりはマシって程度だ。それよりは多少なりとも現実的なだけで。
「東君の話だと、陸上も続けながら調理師免許が取れれば良いんだよね?」
「まあ、そうなるかな。そこをどう両立するかが難しくて」
「調理師免許って、最近だとコンビニのバイトでも取れるよ?」
「…………え? マジ?」
専門学校を経由する方が色々とスムーズなだけで、コンビニのアルバイトでも試験を受ける資格を得られるらしい。
ただしコンビニの場合は、店内調理が豊富な店舗に限られるとか。揚げ物があるだけの店では無く、店内調理のお弁当とかがあるタイプだ。
その上で1日6時間以上の勤務を週4日、この条件で2年間続ければ試験を受ける事が出来る。
他にも『調理業務従事証明書』を発行出来るバイト先であれば、大体の所で条件がクリア出来るそうな。
だったら何とかなるのか? 一旦は大学に進学するとして、在学中に条件を満たせば行けるか?
ただ週4でバイトは、陸上との兼ね合いが厳しいか。なら卒業後に? 何であれ、ある程度の道筋は出来たんじゃないか?
「てか田村さん、やけに詳しいね?」
「あっ、その、私……資格を取ったり調べたりするのが好きで」
「そうだったんだ! ありがとう、助かったよ!」
後は大学の学部だよなぁ。もし飲食店を開きたいなら経済学部か? 進む大学は……箱根駅伝に出たいなら東京の大学だけど、美佳子と距離が出来てしまう。
じゃあ地元の大学となると、体育会系が強い美羽大学か。その場合は実家から通えるから、1年から2年の間に調理師免許を狙えるか?
どう考えても相当ハードにはなると思うけど。無理だと思ったのなら、それはその時考えれば良いか。ここは一哉を見習おう。
俺の目指すスタイルだけど、アスリートが飲食店を経営している実例はある。決して両立は不可能ではない筈だ。
後は美佳子が言っていた実業団入りも視野に入れて、将来を考えて行けば今より形になるんじゃないか?
「よしっ、何とか書けそうだ!」
「そ、そっか。頑張ってね」
「本当にありがとう!」
そこからはスラスラと進路希望を書く事が出来た。第1志望を美羽大学への進学で、第2志望を東京の体育大学。
最後に第3希望として、調理師の専門学校を書いて完成だ。以前よりも具体的になった目指す道。俺が目指す将来の姿が思い浮かんだ。
走れる料理人、それが俺の目指す未来。美佳子と共に生活しつつ、走って作って生きて行く。
全てが思い通りには行かないとしても、目標がフラフラしているよりは良い筈だ。またしても田村さんに感謝する理由が増えてしまったな。
これはこれで、何かしらのお礼をしないとな。ご飯を奢るとかで良いかな? 好きな食べ物とか今度聞いておこう。
田村さんに再度お礼を告げてから、俺は進路希望調査票を持って職員室へと向かった。
高校生の時点で将来設計をしないといけないの、結構ハードだよねぇと今でも思います。




