第179話 もうすぐ予選が始まる
5月が終わり6月に入って、県予選がすぐそこまで近付いていた。4日後の日曜日に開催され、全国の舞台に行ける高校が決まる。
そんな緊張感を維持しつつ、朝練を終えた俺達陸上部のメンバーは教室に向かっていた。
2年2組の陸上部員は俺と一哉と澤井さん、そして2年から同じクラスになった柴田だ。あまり口数が多くない柴田とも、だいぶ仲良くなれたと思う。
何と言うか、雰囲気で何を思っているのか察する事が出来る様になって来た。無言だからってイコール不機嫌ではないのは既に分かっている。
だいぶ慣れて来た柴田を含めた4人で教室に入ると、既に田村さんが着席していた。
「おはよう田村さん」
「おっ、おはよう東君!」
「あれ? 東君って田村さんと仲良かった?」
「最近の咲人はずっとこうだぞ」
そう言えば、澤井さんには言ってなかったな。これも良い機会だし、彼女も巻き込んでしまおう。
異性である俺よりも、面倒見が良い同性の方が安心感もあるだろうし。去年は恋愛絡みで手伝ったのだから、今度は俺の手伝いをして貰っても良いだろう。
澤井さんと仲良くなっておけば、大体の女子との繋がりも出来るからな。1年生の時から澤井さんは、良くクラスメイトの女子達を気遣っていた。
最終的にはクラスの仲介役みたいな存在と化していた。その点で言えば、一哉の女子バージョンとも言えるか? 一哉ほど異性に積極的ではないけれど。
「同じ配信者のファンだったんだ」
「へぇ~そうなんだ? 東君の好きな配信者って誰?」
「園田マリアって名前のVtuberだよ」
一瞬迂闊だったかとも思ったけれど、良く考えれば一哉達はVtuberにそれ程詳しくない。
大手企業所属のキャラなら知っていても、VBクラスの中堅事務所になると微妙なラインだろう。
ただ美佳子と会った事のあるメンツの前で、あまり積極的に話さない方が良いかも知れない。
ある程度声質を変えて配信をしているけど、もしかしたら気付かれるかも。仮にバレたとしても、ベラベラと言い触らす様な友人達ではないけれど。
いっそ変に隠しておくよりも、一哉と澤井さんには話しておくか? この件については美佳子と相談しておこう。
なんて考えている間に、早くも澤井さんが田村さんと会話していた。流石だな、期待通りの行動を取ってくれている。
「ねぇ、それってどんな子なの?」
「あっ、えっと、こ、このキャラなんだけど」
「わっ、可愛いね! こんな感じの絵、少女漫画で見た気がする」
「そっ、そうなの! 絵師さんが漫画家の人でね」
どうやら上手く馴染めている様だ。澤井さんが善人なのもあるけど、田村さん自身も話してみると結構面白いからな。
色んな事に詳しかったり、独特の感性をしていたり。俺としては、もっと堂々として居れば良いのにと思っている。
性格的に自信満々な生き方が苦手なのは分かるけどね。ただこのままひっそりと過ごすだけで終わるのは勿体ないと思う。
気付き難いだけで、魅力的な女子だと思う。もう少し積極的になれたら、結構モテそうな気がしている。
小動物っぽい可愛さと言うか、守ってあげたくなる系って感じか? そう言う方向性での人気が出そうだ。
「Vtuberって一杯居るから良く分かんねぇんだよな」
「それは分かるぞ一哉。俺もそこまで詳しくはない」
「俺、『いまなんじ』ならたまに観る」
意外にも柴田は大手企業の配信を観ているらしい。Vtuber業界ではトップクラスの大手企業の1つ、『いまなんじ』は海外にも進出していて所属配信者も凄い人数だ。
美佳子が運営しているVBとは全然規模が違う。美佳子と出会っていなければ、そんな事すら知らないままだっただろうな。
予想通り一哉も俺に近い立ち位置だったらしく、声でバレる可能性は低そうだ。澤井さんもどちらかと言えば、俺達に近い認識だった。
これはバレる可能性があるとすれば、一番高いのは柴田かも知れない。要するに柴田を美佳子と会わせなければ解決か?
いやまあどっちにしろ美佳子に相談はしないと。明かすにしろ黙っておくにしろ、俺1人で決める事じゃない。
「えっ、あの、えっと、柴田君も、Vtuber観てるの?」
「ああ。俺、FPS好きだから」
「あ、じゃ、じゃあ、FPS上手い人観てるの? マーリンとか?」
思った以上に3人が田村さんと会話していた。これで少しはお礼が出来ただろうか? まだちょっと仲良くなっただけに過ぎないとしても。
それに柴田は俺より詳しいみたいだから、より会話が弾みそうな予感がある。実際に今も、大手企業Vtuberの会話で盛り上がっている様子だ。
駅伝大会の事も大事だけれど、田村さんの件も上手く行って欲しい。やっぱりクラスに馴染めないと、行事とかで困るだろうしな。
自分から話し掛けるのが苦手だと言っていたし、これで少しでも良い方向に向かって欲しい。
残念ながら俺は、美佳子みたいに相談事に応えるのが上手くない。皆の力を借りないと出来る事は限られる。
「ねぇそうだ田村さん、良かったら日曜日一緒に応援行かない?」
「えっ? な、何の話?」
「東君と柴田君が出場する駅伝大会だよ」
「へっ!? そ、そうなんだ?」
澤井さんが上手く巻き込んで、田村さんも応援に来てくれる事になった。趣味が合いそうな柴田とも仲良くなる良い機会になりそうだ。
俺としては全然大歓迎だし、柴田も嫌そうな素振りは見せていない。やっぱり一哉達を巻き込んだのは正解だったな。
この調子で進んで行けば、田村さんもその内クラスに馴染めるだろう。予選を前にこの空気、良い追い風が吹いてくれていると思って良いのかな?
泣いても喚いても勝負は4日後、あとは実際に走るだけだ。絶対に良い結果を出すぞ。




