第169話 咲人と田村と感謝の心
直接的な方法では田村さんへのお礼が出来ないので、その代わりに俺は良く話し掛ける様にしていた。
どうにもまだクラスに馴染めていないらしい彼女に、俺がしてあげられる現実的な返礼になると思ったからだ。
俺の周りに居る友人達には、性格が悪い奴は居ない。俺が田村さんとも仲良くしていれば、一哉達も話すようになるだろうしな。
少々出過ぎた真似かも知れないけれど、これぐらいなら許されるだろう。周囲と馴染めていないクラスメイトに、声を掛けるぐらいそう珍しくない。
「おはよう田村さん!」
「ぴっ!? お、おはよう、ござます」
「昨日のマリアの配信観た?」
自分の席に向かうついでに、田村さんの近くを通って挨拶をする。そのままの流れで、軽く園田マリアの話題を振って会話を続けた。
まだ俺に慣れて貰えていないっぽくて、若干のぎこちなさはあるけど笑っては貰えている。
恐らくは自分から話し掛けるのが苦手なだけで、共通の話題があれば普通に話せる人の様だ。
学校という空間では、そう珍しくないタイプだ。どこのクラスにも何人かは居る大人しい生徒。
だけど話してみれば、大体の人は色々と話してくれる。意外とノリが良かったりもするんだよな。事実として田村さんは、話を始めると結構明るい。
「あ、友達が呼んでるから行くね」
「う、うん。またね東君」
「また!」
一哉が自分の席から俺を呼んでいるので、教室の中央辺りにある田村さんの席を離れて窓側後方へ移動する。
入り口から教室に入って一番奥、窓際の一列の後ろから2番目が一哉に充てられた席だ。
風を一番感じられる場所だから、エアコンが使用されないこの時期に最も美味しいポジション。
もちろん苗字があ行の俺は、窓際の1番前の席だ。席替えをするまでは窓のすぐ目の前に居られるので、エアコンが使われ始めるまでは満喫させて貰う。
それでも結局、5月後半ぐらいからはそれでも暑いけどさ。夏服になってもハンディファンやうちわが手放せない。
「どうしたんだ、一哉?」
「それはこっちの台詞だ。最近妙に田村と仲良くないか?」
「え? 普通だろこの程度」
園田マリアを応援する者同士、仲良くしているだけだ。田村さんは言うなれば、同志とも呼べる存在だ。
そして同時に、俺の恋人をひたむきに推し続けてくれた人でもある。しかしだからと言って過剰な接触はしていないし、クラスメイトや友達の範疇を超えていない。
妙になんて言われる程、奇妙な行動をしているつもりはない。学校での会話量で言えば、今も変わらず一哉がダントツ1位である。
田村さんと話している時間は、一哉と比べたら明らかに少ない。女子に限定しても、部活が同じ澤井さんより接触機会は少ないぐらいだ。
だと言うのに、わざわざこんな風に呼びつけてまで聞く様な事か? お前だって色んな女子と会話ぐらいするだろ。
「いやだって、咲人にしては積極的に接しているだろ」
「俺は1年の時だって、こんな感じだったろ」
「そうなんだけどよぉ……何か妙な熱意を感じるんだよな」
確かに田村さんは、俺の中で特別な存在と言える。美佳子を応援してくれている大切な古参ファンだ。
その前提があるから、お礼をしたいという強い思いがある。それがどうやら変な誤解を生んでしまっているらしい。
俺が田村さんに向けているのは、ありがとうの気持ちだ。恋愛感情やそれに近しい感情ではない。
どうもそっち方面の勘違いを、一哉はしているらしい。下手に事情を明かせないからこそ、生まれてしまった誤解だ。
美佳子がイコール園田マリアだと知っていれば、俺が田村さんと仲良くする理由が分かる。
でもそれを知っているのは、一部の限られた人間だけだ。特にこの学校には、その辺りの事情を知る者は俺以外に居ない。
「勘違いするな、俺は感謝しているだけだ」
「感謝? なんで?」
「プライベートな理由だよ。ともかく、田村さんは凄く良い人なんだよ」
一哉はどうやら、俺が浮気をしている可能性を疑っていたらしい。そうではないと知ったら、それ以上の詮索をして来なかった。
お前には俺が浮気をする様な男に見えていたのか? という点については、もう少し話し合う必要がありそうだなぁ?
何を理由にそう思ったのか、もうちょっと詳しく教えて頂こうか? 俺よりも普段の行いがアレな一哉が、浮気を疑うとはどういう了見か。
俺が今更美佳子を裏切って、同級生に手を伸ばす訳ないだろうが。そんな気があったのなら、澤井さんや夏歩の時点でとっくに行動している。
「そもそも一哉に浮気を疑われたくないんだが?」
「おい咲人、まるで俺に見境が無い奴みたいに言うな」
「胸に手を当てて、よぉぉぉく聞いてくれるか?」
これまでにどの様な言動をして来たか、よくよく思い出して欲しい所だ。一哉は悪い奴ではないけれど、女性にだらしない所があるのは否定出来ない事実である。
その一哉と仲が良いからと言って、俺も同様の価値観とは限らない。どちらかと言えば、俺は必要以上に女子との接点を求めていない。
何の関わりも無い女子とも仲良くなりに行くのは一哉の方であり、俺は気の合う人が周りに数人居ればそれで満足だ。
その1人に田村さんが加わっただけで、それ以上でもそれ以下でもない。ただ園田マリアを応援してくれる人に、感謝を込めてお礼をしたいだけなのだから。




