第150話 和彦の後悔
馬場和彦が通う高校は、高峰学園と呼ばれる野球部が有名な高校である。
東咲人達が暮している美羽市の中で一番の強豪校であり、プロ野球選手を輩出した事でも有名な学校だ。
甲子園にも何度か出場しており、野球をやるなら高峰とまで言われている。和彦も当然この高校を目指して受験をし、スポーツ科に推薦で入学した。
咲人と同様に中学時代から活躍していた選手でもある事から、高校に入ってもその高い実力をもって1年目からベンチ入りしていた。
その辺りは咲人と同様であり、似た者同士と言っても良いだろう。彼は夢であった甲子園出場に沸き立ち、希望を胸に球場入りした。
高峰学園は順調に勝ち進み、ベストエイト入りを賭けた試合に臨んでいた。後攻である高峰学園は9対7の2点差を追っている。
そんな状況で訪れた9回の裏、その先頭打者の代打として和彦が選ばれた。
「馬場、行けるな?」
「はいっ!」
「落ち着いていけ。お前なら打てる」
8回の時点で監督から代打出場の打診を受けていた和彦は、やる気と緊張が入り混じった高揚感に包まれていた。
そのせいで焦って空振りをしない様に、深呼吸をしながらバッターボックスへと向かっていく。
右打ちの和彦は軽く素振りをしてから、ホームベースの隣に立つ。左手に持ったバットで軽く弧を描き、両手で構えてピッチャーを見る。
初球は低めのスローカーブで、際どい位置だったがストライク判定となる。第2球は外角高めのストレートでボール判定。
1ストライク1ボールとなり、まだピッチャーも和彦も余裕がある状況だ。3球目に投げられたのは、中央付近から内角に向かうシュート。
和彦はバットを振るも、打球は詰まってファールに。2ストライク1ボールで、和彦は追い詰められた。
しかし4球目はしっかりと見て、2ストライク2ボールになった。そして迎えた5球目、外角低めのストレートを和彦のバットがボールをしっかり捕えた。
流し打ちで高く撃ち上がった打球は、そのままの勢いで飛翔しライトスタンドに突き刺さった。
「「「わあああああああ!!!」」」
『9回裏、先頭打者のホームランです!』
『馬場選手は1年生ですが、良く球を見ていましたね』
9対8の1点差となり、甲子園球場は盛り上がる。逆転を狙う高峰学園側の応援が更に勢いを増し、和彦の活躍を口々に称える。
念願の甲子園出場にホームランと、最高の気分でベースを周っていく和彦。彼は3塁ベースを軽く踏んでから、ホームベースへゆっくりと向かう。
大きな歓声に迎えられながら、和彦はホームベースまで戻って来た。代打として出場し、本番でしっかりと結果を出した事実が和彦の胸の内に広がっていく。
そして自軍のベンチに向かって行くと、興奮した先輩達が和彦に良くやったと口々に褒める。
「良くやった馬場!」
「ナイス!」
「後は任せろ!」
1人の高校球児として、最高の瞬間を迎えた。そう思っていた和彦は、高峰学園側の観客席に向かって手を振り返す。
応援に対する返礼のつもりで観客席に目を向けたその時、和彦の脳裏に2人の幼馴染の顔が浮かんだ。
そして思い出してしまった、自分が野球にこれまで打ち込んで来た根っ子にあるもの。幼い頃に交わした、大切な幼馴染との約束。
何故自分がこうまでして、甲子園に行きたがったのか。それは東咲人と三浦夏歩に見て欲しかったからだ。
いつも応援してくれていた、2人の幼馴染が凄いと言ってくれたから。だから頑張る活力が湧いていたのだ。
2人と拗れてからは、逃げる様に2人を避けて野球に集中した。それでも何とか、誤魔化せていた。つい先ほどまでは。
「おい、どうした馬場? 浮かない顔をして」
「い、いえ、何でもないっす」
「そうか? なら良いんだが」
本来なら明るい表情で自慢げにしていたって良いぐらいなのに、暗い雰囲気を漂わせる和彦。
怪訝に思った先輩が声を掛けた事で、和彦は現実に意識を向ける。今は大事な試合の最中で、プライベートの事を考えている暇はない。
無理やりに自分の意識を切り替えて、和彦は先輩達の応援を行う。会場を包む熱気はどんどん上がっていくが、和彦の心は冷たい水底に沈んでいる。
それでも試合中だからと、周囲には悟られない様に明るく振る舞う。試合は進みランナー1塁3塁の1アウト、全員が帰れば逆転勝利となる。
バッターボックスに立った3年生が、初球を捕えて鋭い打球が宙を舞う。ホームランかと思われた打球は、勢いが足りずスタンドには入らなかった。
しかし十分過ぎる程深くまで飛んだお陰で、1塁ランナーが3塁まで到達し、ホームベースを目指す。
結果的に逆転のスリーベースヒットとなり高峰学園のベストエイト入りが確定した。
「行くぞ馬場!」
「は、はい!」
先輩に呼ばれた和彦は、逆転の一打を放ったチームメイトの下へと集まって行く。皆が盛り上がっている状況でも、和彦の心はここには無い。
どう考えても嬉しい筈なのに、冷めた心に火が灯る事は無かった。勝ったのに負けた側の様な心情の和彦は、作り笑いで周囲に合わせる。
皆で勝利を喜ぶ空気の中で、和彦の思考は泥沼に浸かっていた。それでもどうにか、相手チームと挨拶を済ませて勝者として校歌を歌う。
その後は監督や親達の奢りで食事に向かうも、和彦の心は晴れないままだ。見事に甲子園のベストエイト入り、盛り上がる先輩や同級生達。
彼らを冷静に見ていた和彦は、自分の過ちに気付かされた。本当はこんな風に、幼馴染と笑い合いたかったのだと。
(ああ……そうか……俺が全部悪いんだ……俺が自分で、咲人が差し伸べた手を払ったんだ……)
仲良さげにしている皆を見ていて彼は理解した。自分にとって、咲人と夏歩が何よりもの支えであった事実を。
一番に喜んで一番に褒めてくれる2人の幼馴染こそが、和彦にとっての宝物であったのだ。
だが大切な関係を失ったと言う事実は、今更になって覆し様がない。頑張る理由を失って、今更なんと言えば良いのか分からなくて。
目的を失った和彦は、次第に心を閉ざして行った。思春期であるからこその、悲しいすれ違い。
時にはそれが、大きな後悔に繋がる事もある。そしてそれは、馬場和彦という少年にとっては致命的なダメージとなってしまったのだ。




