第149話 咲人と和彦
ここから151話まで、挫折を味わった人の話になります。
特にスポーツ関連で何らかのトラウマや苦い想い出がある方はご注意下さい。
美佳子のご両親への挨拶は、俺が春休みに入ってから行く事になった。つまりその日までには、心の準備をしておかないといけない。
だが一旦その件は後回しにして、お祝い会の翌日に和彦の下へと訪れていた。アイツは駅伝大会を観てくれただろうか?
いつもドアの前までは来ているみたいだけど、返事をしてくれた訳ではないから分からない。
俺の話を聞いた和彦が、何を思っているのかも分からないままだ。聞いてはくれているのだから、何かは感じてくれている筈だ。
嫌ならわざわざドアの前まで来ないだろう。煩わしいとは思われていないと思う。多分だけど。
「和彦、また来たぞ」
「…………」
「駅伝大会、観てくれたか?」
美羽高校としては順位が上がったけど、俺の成績は芳しくない。区間3位でも十分だと考える人も居るだろうけど、俺はそこで胡坐を掻かない。
勝負事である以上は、やっぱり1位を目指すべきだ。和彦だってそう思うだろと、問いかけてみたけど返事はない。
分かっていた事だから、その程度の事で怒りはしない。何か理由があって塞ぎ込んだ相手に、乱暴な言葉を向けようとは思えないんだ。
ここでいい加減にしろと、怒る人も居るだろう。でもそれは、俺達の関係性ではない。喧嘩ぐらい何度もしたんだ。
それに簡単に切って捨てられる程、俺達が積み重ねて来た時間は軽くない。だから声を掛け続けようとした時、背にしていたドアが開いた。
「和彦?」
「……入ってくれ」
「お、おう」
固く閉ざされていたドアを、和彦が自ら開けて俺を招き入れた。これは大きな進歩と考えて良いのか?
両親が相手でも会話すらしない程に病んだ人間が、口を開いたのだから成果と見て構わないのだろうか?
こうなった時の対応を、美佳子に聞いておけば良かった。何の助言も受けていないから、後は俺の話術に全てが掛かっている。…………いやそれは流石に困るぞ。
せめて夏歩だけでも、この場に連れて来たい。俺1人で責任を負える程に、俺は立派な人間じゃない。そんな大層な経験も知識もないのだから。
「あ~その、久しぶり? って変な話だけどさ」
「……ごめん」
「い、いや謝る様な事じゃないって、ははは」
和彦の顔を見たのはほぼ1年振りで、少しだけ懐かしい。和彦は高校の物と思われるジャージを着ている。
中学の時のジャージではないし、恐らくはそうだ。中学のジャージは紺色だったけど、和彦が着ているのは明るい緑色だ。
お互いに違う学校に在籍しているのだと、改めて思わされる。最近引き籠っていたからか、和彦は少し痩せた様に感じた。
そしてその表情は、今までに見た事もない程に暗かった。夏歩にフラれた後でさえ、こんなに淀んだ空気を纏ってはいなかった。
本当に何があったんだ? 和彦がこれ程落ち込んだ理由ってなんだ? こんな和彦を俺は知らないぞ。
「謝らないといけない事だ。俺が間違っていた」
「えっと、あの日の事か? それは俺にも責任があるし」
「そうじゃない! 悪いのは俺だ!」
そうして少しずつ、和彦は話し始めた。あの日からの和彦が、何を思って生活して来たのかを。
和彦はずっと、自分が身を引いて離れていけば良いと考えていた。そうすれば俺と夏歩が付き合うだろうと考えて。
しかし中々そうなる素振りを見せない俺達に、苛立ちすら覚えていた事もあったらしい。
でも自分が邪魔者である事は間違いなからと、余計な干渉はせずにそのまま中学を卒業した。
そして高校からは野球1本に集中する事に決めた和彦は、念願の甲子園に行く事が出来た。代打としてバッターボックスに立つ事が出来た。
しかもその打席でホームランだ。その時の和彦は最高の気分だった。ホームベースを踏んで、応援してくれている人達の方を見るまでは。
「そこで俺はやっと気が付いた。俺が甲子園を目指していた本当の理由に」
「本当の、理由? それはお前が行きたかったからじゃ……」
「覚えているか? 小学生の頃にした約束を」
小学生の時にした約束? そんなの一杯有り過ぎて、どれの話をしているか分からない。
大人になっても近所に住もうとか、大人になったら3人でお酒を飲もうとか、挙げ出したらキリがない程に約束をした。
プロ野球選手になったらボールにサインを書いてくれ、なんて約束もしたっけか。本当に今更だけど、子供が考えた実現性を一切考慮していない発想だ。
何かのプロになるなんてのは、そんな簡単じゃない。なりたいからなれる、そんな話ではないんだ。
それは俺のマラソン選手を目指す事だって同じで、小学生の時に掲げていたのは浅はかな夢だった。
世界陸上に出られたら2人で応援に来てくれ、なんて言った事もあったなそう言えば。本当に懐かしい想い出ばかりで…………もしかして、約束ってのは。
「お前と夏歩を、甲子園に連れて行くって約束をしただろ?」
「…………ああ、したな。そんな約束。あれは確か、小学4年生の時だった」
「それを思い出した。俺があの場に立ちたかった、本当の理由を思い出した」
和彦はその瞬間から、急激にモチベーションを失って行ったらしい。自身の夢の根源が、自分の手の届く範囲にない。
目の前の現実が和彦を苛んで、嬉しい気持ちは霧散していった。どうにか甲子園の期間中は持ちこたえたけど、終わってからは早かったらしい。
自分の核となっていた部分、己の芯が抜け落ちて目標を見失った。何をしたら良いのか分からなくなり、全てが色を失っていく。
そうなると自分には何も残っていない様に感じて、何もしたくなくなって塞ぎ込んだ。それが今回の件の真相だった。
「今更どうしたら良いのか分からなくて、許して貰えるか分からなくて」
「そんなの、俺だって同じだよ和彦。やっぱり俺達は、3人一緒が性に合っているんだ」
「咲人……俺を、許してくれるのか?」
「当たり前だろ。俺達はちょっとだけ、喧嘩をしていただけだ。仲直りには、時間が掛かったけどさ」
涙を流す和彦と、俺は再び手を取り合う。俺達は別に、取り返しのつかない暴言をぶつけ合ったのではない。
ただ少しだけ、すれ違ってしまっただけだ。やり直す方法は幾らでもあったんだ。お互いそれに、気付くのが遅れただけ。
数年ぶりに向き合い、言葉を交わし合った。それだけでこうして、また元に戻る事が出来る。それが友達って関係だと思うし、何より俺達は幼馴染で親友なのだから。




