第117話 冬の地区予選突破記念
来月に修学旅行を控えた11月中頃、年明けに待っている冬の全国高校駅伝本戦。その地区予選を俺達美羽高校陸上部は、無事に通過する事が出来た。
3年生の先輩達が抜けた穴を、2年生の新メンバーと柴田が見事に埋めたお陰で危なげなく終われた。
次こそは区間1位を取ると決めていた俺は、無事に夏の雪辱を晴らし2区をトップのタイムで走り抜いた。
今日はそのお祝いを美佳子さんの家で行っている。今回はマサツグも連れて応援に来てくれたので、最初から最高のパフォーマンスで走る事が出来た。
「はいと言う訳で、回ってないお寿司屋さんのお寿司でーす!」
「ま、マジで良いんですか?」
「マジよマジ~お祝いだからね!」
高校1年生の内から、そんな贅沢をして良いのだろうか? 俺は生まれてから回転寿司等の、お手頃なお寿司しか食べた事がない。
詳しい値段までは分からないが、明らかに高そうな入れ物に入っている。コンビニやスーパーのパック寿司とは見るからに違う。
心なしか寿司ネタの色味も普段見る寿司とは違っている気がする。ただ何がどう違うのか俺には良く分からない。
だって高級な寿司をこれまでに食べた経験がない。食べ慣れている人なら色艶で判断が出来るのかも知れない。
でも生憎と俺には何かが違うとしか分からない。あとは寿司ネタが気持ち分厚くて大きい様な気もするぐらいか。
「ここのお寿司はね~とても美味しいんだよ~」
「そ、そうなんですね」
「多めに買ったから、遠慮しないで」
そうは言われても、ちょっと緊張してしまう。マサツグを放置するのを嫌って、高級寿司屋に行かなかったのは正解だった。
きっと緊張して何を食べたか分からなくなるに違いない。こう言う所でしっかり稼いでいる大人と、単なる高校生の差が出てしまうんだよな。
美佳子さんは気にしていないだろうけど、俺は少し気にしてしまう。いい加減慣れないと駄目なんだけど、これが中々難しい。
美佳子さんは大人で、俺は未成年の学生だ。違いがあって当然で、真っすぐ受け止める必要がある。少しずつ確実に、俺が大人になっていくしか道は無い。
「どうしたの咲人? お寿司嫌いじゃ無かったよね?」
「いやその、回ってないお寿司って初めてで……」
「ボクしか見てないんだから、気にせず食べなよ」
これもまた経験と言うか、大人になる為の第一歩とも言える。父さんが言っていたけど、大人は経験値の差が凄く出るらしい。
人生経験の違い、磨いた価値観の違い、そして身嗜みへの意識など。それらがどれだけ年相応になれているかが重要だそうな。
他にも良い物の味を知っているかどうかは大切だと言っていた。高級なお酒や食べ物の味を知らないと、恥をかく事もあるそうな。
まだまだ先の話だけど、俺が20歳になったら良い酒を飲ませてくれるらしい。それはそれとして、先ずは目の前の寿司である。
「じゃ、じゃあ、頂きます」
「咲人のお祝いなんだから、沢山食べてね」
「美佳子さんも食べて下さいよ」
普段は俺が食べる物を作る側だから、こうして見られていると少し恥ずかしい。とりあえずは無難に、王道のマグロから頂く事にする。
多分これは中トロだと思うけど、やけに綺麗な赤色だ。高級なマグロって、こんな色をしているんだな。
スーパーで買って来る父さんの酒のアテとは結構違う。思い切って口に運んでみると、今までに感じた事のない味がした。
その名の通りとろける様な甘味というか、多分これこそ大人達が言う本物のマグロなんだ。
今さっき解凍したのが丸分かりの、やや冷たい回転寿司のマグロとは全く違う。
「ありゃ? マサツグ起きたの~? これは君にはあげないよ」
「ワサビ入りはやれませんしね」
「本能なのかな~魚が気になるんだねぇ」
マサツグに与えている総合栄養食には、マグロを含む物もある。それで匂いを覚えたのか、テーブルの上が気になるらしい。
飛び乗らない様に美佳子さんが抱き上げたら、色々と並んでいる刺身が視界に入ったのだろう。
興味津々に並んでいるお寿司をのぞき込もうとしている。その姿は可愛いけれど、大半のネタがワサビ入りなので食べさせる訳にはいかない。
犬や猫に与えてはいけない食品の1つである。ただどうしても気になっているマサツグを見かねたのか、美佳子さんがマグロの端っこを千切ってマサツグに与えた。
「あはは、やっぱり気に入ったか~」
「やっぱり猫ってマグロが好きなんですね」
「絶対って事はないけど、好きな子は多いねぇ」
美味しそうに刺身の欠片を食べるマサツグを見ながら、俺も箸を進めていく。子猫なのに贅沢な、なんて言うと俺にブーメランが突き刺さるので何も言わない。
俺もマサツグも、美佳子さんの財力に与っているだけなのだから。それにしても、高級なお寿司ってどれも美味いな。
鯛にサーモンに穴子にイカ、どれも100円のお寿司とは全く違う。たまに食べる1皿400円ぐらいのお寿司だって、この味には遠く及ばない。
何がどう違うかと問われても、上手く答える事は出来ないけれど。ただ凄く美味しくて、高級な味ってヤツを体験している。
美佳子さんと生きて行くのなら、この違いが分かる様にならないとな。俺が目指すべき大人の男は、マラソンを走るよりも随分と難しいみたいだ。
回ってるお寿司も美味しいから(庶民の感想)




