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婚約した時に貰ったネックレスと、対の指輪にチェーンを通したネックレスを、あの日から服の中に重ね付けして忍ばせている。
傷が付かないようにトップが重ならないように調整をして、いつでも身につけられるように。
仮の婚約とはいえ、形に残るものがあるのは、何だか嬉しい。
破棄したいとか思っているくせに。
学園内の様子は表向きはいつも通りだった。
ただ、私が婚約したらしいという情報が出回っているため、私が学園内を歩くと、皆は興味津々といった様子で挨拶に来てくれる。
特に楽しそうで興奮しきった様子なのがご令嬢の皆様で、少し呆然とした様子なのがご令息の皆様。
皆、この婚約に驚いているのだろう。
少しは反発はあるだろうと思っていたのだが、今のところ祝福の挨拶ばかりだ。
驚いたのは、ユーリ殿下が私に会うなりお礼を言っていたことだ。
それは今日の昼頃。
「ありがとう! レイラちゃん、本当にありがとう! 兄上のこと俺からもよろしく頼むよ! 本当に兄上がフラれたらどうしようと思って、夜も眠れなかったんだ。兄上は良い人だよ。ちょーっと愛が重いこともあるかもしれないけど、そんなの些細なことだと思うくらい、完璧超人だから!」
「え、ええ……。そうですね」
「趣味も良いし、装飾品の贈り物も外すことはない。ダンスも上手い。頭脳明晰、容姿端麗、品行方正! 性格も良いし、紳士的だよ! 手先も器用だし、魔術の扱いもピカイチ! 剣の扱いも騎士団並みだし、さらに外面も良い!」
最後のそれは褒めているのだろうか?
それにしてもユーリ殿下はブラコンである。
何故、私に自分の兄のPR活動をしているのだろう。
長々とフェリクス殿下の騎士団での武勇伝を聞かせた後。
「色々とあるとは思うけど、頑張ってね!兄上とも仲良くね!」
そう言って私の手にハイタッチをして去っていった。
『ご主人。私は既視感があるのだが』
なんだろう。波動がお兄様そっくり。
呆然としていれば、後ろから足音。
うわあ……という目を去っていくユーリ殿下に向けているノエル様と、慣れているのか目で追っているだけのハロルド様。
たまたま通りかかったらしい。
「婚約おめでとう。フェリクス殿下の婚約者となったからには、俺と訓練をしよう」
何故いきなりそうなった。
「いきなり何を言い出すかと思えば、相変わらずだな、ハロルド。言っておくが、それをするくらいなら僕と薬草や昆虫の調合をしていた方が良いに決まってるだろ」
『どちらも婚約と関係なくないか?』
うん。ルナの言葉が正論すぎて、もはや私は何も言う必要がなくなった……。
「お前は訓練なんかしなくてもそのままでも十分に強いだろ。それに殿下が守ってくれるんじゃないか?…………その、婚約おめでとう。祝ってやらんでもない」
と言って渡されたのは、アルカロイドを打ち消す効果を持ったキノコを乾燥させたもの。
それらが袋詰めにされていて、可愛らしいラッピングとリボンが飾り付けられている。
「これは……ありがとうございます。解毒として有名なのになかなか手に入らないという代物の……」
まさか実際に手に入れることが出来るとは。
アルカロイド系の成分を打ち消すキノコだが、このキノコそれだけではなく、魔力を含有することも出来るらしい。それがどういう化学変化を起こすのか……。
これって、叔父様の研究に使えそうじゃない?
「このキノコが大量に取れる場所を見つけた。これはほんの一部なんだけど」
「ありがとうございます。取ってきてくださったんですね!」
顔を逸らしながらも耳が真っ赤なノエル様に微笑ましくなりながらも、私は満面の笑みでお礼を言った。
「俺からは最近開発された銃だ。かなりの遠距離から狙えるから、魔獣の素材を安全に手に入れるには必須だろう」
「わっ……ありがとうございます」
最新式の猟銃を手に持たされて、私は事態に驚きながらも目の前のそれに目が吸い寄せられる。
これは、アサルトライフル並の大きさで持ちやすいけれど、魔術で加工されているためか飛距離が普通のライフル並だという。
しかも、これって騎士団の中で開発されたばかりの新型モデルで、様々な魔力弾を込めて臨機応変な戦い方が出来るという噂の。
確かに素材を剥ぎ取りに行く時に重宝するかもしれない。
この世界にも銃はあるけれど、こういった弾丸は防御系の魔術で簡単に防がれてしまうため、この世界で1番の殺傷力を持つのは、やはり魔術だった。
遠距離攻撃の魔術も存在するため、あまり脚光を浴びることはなく、使われる機会も稀だ。
とはいえ、魔獣から距離を取ったまま遠方から仕留められるという点で素晴らしいし、魔力持ちでない人が扱う場合や、魔力を温存するなどに重宝される。
それと今回もらった銃の場合、弾丸にかけられた魔術のおかげで、味方への誤射がなかったりと便利すぎる代物である。
まあ、魔獣と突然遭遇してしまったなら、魔術で戦うしかないけど、遠くから見つけてしまった時は先手必勝出来る。
これなら体力温存しつつ、低コストで魔獣の核や体の部位を手に入れることが出来る。
そうしたら、珍しい薬が作れるし、それを売れば、医務室の予算も……?
「あ、あと、こんなのもあるぞ」
「ノエル様! この幼虫は、水を魔力に変換する特殊な子では……?」
瓶の中にうねうねとした生き物が大量に捕まえられていた。
1度実物を見てみたかったので、実はかなり興奮している私を後目に、ルナはぽつりと零した。
『ご主人は喜んでいるように見えるが、総じて女性に渡すものではないと思うのは私だけだろうか』
確かにキノコと幼虫とアサルトライフルみたいな銃を抱える女は異様だったかもしれない。
驚きに目を見張りながらも喜んでいる私を、2人は満足げに見ていた。
それにしても、この幼虫とキノコ。ここまで大きいものって珍しいのでは?
虫?気持ち悪いことは気持ち悪いけど、素材の効果が素晴らしいので、もはやどうでも良い。
「うん。やっぱ、お前僕の工房で将来働かないか?虫も嫌がることもないし、その素材の価値を知っている奴は貴重だからな」
「何を言っている。ノエル。彼女はフェリクス殿下の婚約者だぞ。鍛錬をすることが最優先だ」
『婚約の祝いとはなんだったのか』
少なくとも私は嬉しかったのだから、それで良いと思う。
それに、気持ちがこもった贈り物が嬉しくないはずがないのだ。
2人と別れた後、医務室に戻る途中のことだった。
それらを受け取ってホクホク顔な私は、ふと足を止めた。
『ご主人。修羅場の気配を感じるぞ』
角を曲がった先の廊下。人気がないその場所で。
見知らぬ男子生徒と……フェリクス殿下が並んで立っていて、2人の正面には。
「リーリエ様?」
フェリクス殿下が噂を嘆いていたことを思い出しながら、私は、その噂の張本人であるリーリエ様へと視線を移していった。
「どうして……!?」
リーリエ様は悲痛な叫び声を上げていた。
私は思わず身を隠した。隠形魔術を発動しつつ、後退していく。
光の精霊のことはよく分からないけど、ルナはともかく私の魔術程度ではバレそうな気がしたので、足も忍ばせる。
「今までずっと一緒に居たのに納得出来ないよ!」
読めない表情を浮かべるフェリクス殿下と、修羅場に巻き込まれたらしい一般生徒。社交界で会ったことがないから、恐らく貴族ではない魔力持ちなのだろう。
学園に通うことがなければ会うことすら叶わない王太子殿下と今話題の男爵令嬢に囲まれているなんて、彼も運が悪い。
「悪いけど、リーリエ嬢。貴女の傍に居ることは出来なくなった。私も婚約者が居る身でね。……ああ先に言っておくと、束縛されているとかではないよ。婚約者を大事にしたいと思うのは当然だろう?」
何かを言おうとしたリーリエ様を遮って、彼は先周りした。
そう。学園が再び始まって、大きく変わったこと。
リーリエ様の傍からフェリクス殿下の姿が消えた。
他の皆様の姿も皆。ユーリ殿下もハロルド様もノエル様も。今まで護衛についていた人たち皆。
リーリエ様の傍に居ることは出来ないと、フェリクス殿下は彼女から離れた。
その代わりに男爵令息や令嬢、子爵令息や、令嬢の者たち、さらに平民がリーリエ様の傍についていることが多くなったらしいと噂で聞いた。
もしや、今、2人の傍に居る男子生徒もそういった者たちのうちの1人だったりするのだろうか?
医務室に居ると耳に入ってくるのだ。今日半日だけだというのに。
リーリエ=ジュエル厶に近付く者たちが複数居る、と。
リーリエ様を気遣っているようにも見えるし、監視しているようにも見えるらしい、とも。
だが、彼らは光の魔力を目当てにしている者たちでは決してないという。
彼らの家柄に共通しているのは、いずれも没落寸前だったり借金を背負って傾き始めた家だということ。
おまけに光の魔力を利用する程、魔術についての造詣は深くない貴族ばかり。光の魔力を目的としない者たち。
それが何を意味するのか。
全ては噂。憶測。どれも信憑性はない。
細かなものもあるけど、噂としては主に3つ。
1つ目。
王家の手駒説。傾いた家の援助の代わりに絶対的な忠誠を誓わされた手駒としてリーリエ様の近くに配置されているとか。
2つ目。
身分差を鑑みて王家に采配された説。理由としては、光の魔力の持ち主と懇意にすることで、低い身分のものも貴族社会に参加させ、貴族全体の均衡を保つためとも言われている。王家に采配されているので、これもまた王家と繋がりがある。
そして、3つ目。これは……流した人の悪意が感じられるような……?
リーリエ様に脅されている説。王家が彼らを庇護してくださっているらしい。そして脅された者たちはそのままリーリエ様の監視をして脅された振りを演じ続けている。リーリエ様の罪を影で把握し、生殺与奪権は王家が持っているとか。この噂は、ほとんど意味が分からない。
突拍子のない、この噂たち、朝の時点で何故か広まっている。
……どの噂でも、王家との繋がりがあるのは、偶然だろうか。
でもこんな噂を流すなんて無理な話だよね……と思った瞬間。
『噂とか色々とあるとは思うけど、頑張ってね! 兄上とも仲良くね!』
ユーリ殿下の一言が蘇る。
ま、まさか?
いや、でもユーリ殿下なら出来る……かも?
つまり、光の魔力の持ち主と深い繋がりを得ているのは、今のところ王家のみということになって、それは変わらないまま、フェリクス殿下たちはリーリエ様の傍を離れ、且つ手綱を取る事に成功したのだ。
恐らく事前に入念な準備があったのだろう。
では、そんなリーリエ様が何故、今フェリクス殿下に突撃しているのか。
『あれはいつもの突撃暴走だろう』
リーリエ様は変わらなかった。




