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 婚約して、様々な注意事項を叩き込みつつ、慈善事業の引き継ぎのために屋敷と孤児院を駆けずり回ったりと、休暇だというのに全く休暇でなかった夏季休暇は終わった。


 社交もこなさなければいけないけれど、今更ながらあることに気がついた。


 学園に生徒たちより一足先に戻り、医務室で今期の予算と睨めっこしながら、私はルナに零した。

「そろそろ、私も向き合う時が来たのよ、ルナ」

『何がだ、ご主人』

 机の横の簡易冷蔵庫の下でルナは、仕事をしている私を眺めている。

「フェリクス殿下の婚約者になったということは、私は社交も最低限こなさなきゃいけない訳なの。つまりは、眼鏡で雲隠れ出来るのもそろそろ終わるということ」

『………………………………そうだな』

「え、何今の間は」

『今更過ぎないか?』

 ルナはにべも無い返事。

「何を言ってるの。重大なことだと思う。深夜の不審者が私ってバレたら色々と関係性も変わってしまうし……。うう……今まで後回しにして逃げてきたツケが回ってきたのよ」

『覚悟を決めることだな。さすがに今度は逃げるのは許されないぞ、人として』

 正論である。

 友人同士なんて、もう言ってられないのも、婚約者同士になってからは当たり前の話。

 今まで通りで良いとフェリクス殿下は言ってくれたけど、それを真に受けて甘えるのは失礼である。

「うう……分かってはいるの。分かってはいるんだって……」

『ご主人はどうしたい?』

「いずれ、婚約破棄したい」

『直球だな……。それは言わない方が良いぞ。……ならば、何故ご主人は婚約破棄をしたい?』

 何故って。そんなのは決まっている。

 好きだと思いつつも、この思いは消えない。

「殿下を信用しきれない私では、彼に相応しくないから」

『それをそのまま伝えれば良い。ついでにこう言えば良い。誰に何を言われてもこの思いは消えないと。当の王太子が、そんなこと気にしなくて良いと言ったとしても、ご主人にとってはそうではない。そうだろう?』

 諭すように紡がれるルナの声は、落ち着いていてその低い声に安心した。

 ルナは私の身の安全だけではなく、精神までも守ってくれるのだろうか?

「ありがとう、ルナ」

『そう難しく考えることはない。あくまでも誠実な対応で落ち着いて居れば良い。普通にしていればそれで良い』

「普通に……」


 雁字搦めになっていた私に染み入っていくルナの言葉。

 そうだ。まずは普通に接するところから始めるんだ。


『あの王太子は気が長いと思う。待てと言えばいつまでも待つだろう。忠犬だな』

「それはとても失礼なのでは?」

 精霊であるルナにとっては、国の重鎮とか王太子とか関係ないのかもしれないが、私の心臓に悪いので是非、止めて欲しい。


 止まりかけていた手をまた動かした。

 仕事をして、ドキドキと高鳴り出した胸を誤魔化しながら、ふと思う。


 ええっと。私、痛くない? どう考えても痛い女じゃない?


 ルナと今、色々と話していたけど、ふと我に返ればこれは自惚れすぎというか、ある意味では殿下に失礼というか、「もしかしたら私のこと好きなのかも?」とか考える恥ずかしい人間になってしまったのが辛いというか、とにかく痛い。痛すぎる女である。

 自己嫌悪だし、ちょっとした黒歴史になりかねない事態。


「ルナ……。私、傲慢で自惚れ屋の人間にだけはならないように気をつける……。もし痛々しいことをしていたら、説教して欲しい」

『何がどうなってその思考に至ったのかは分からんが、ご主人。とりあえず落ち着いてくれ。体が細かく振動しているぞ』

「あ。本当……」

 ふるふるふるふるふると、謎の羞恥心に私は震えていた。


 とにかく気晴らしに、明日の分のノルマまで終わらせたのだから、本気になった人間の底力を見た。真の力に目覚めた自分、すごいと我ながら思った。



 色々あったけれど、医務室での日々が再び、始まる。

 研究漬けで日常生活すら危うくなった叔父様が戻るのは3日遅れることになったが、学園に生徒は容赦なく戻り始める。

 休暇後の学園は待ってはくれない。


 前世とは違い、始業式などはなかったが、休暇明けの学園の門付近には生徒たちがごった返していた。

 空っぽだった寮にも生徒が戻って来たし、私の滞在する寮にも人が戻ってきた。


 それは、学園が始まったその日の朝のこと。

 カフェテリアも再開し、優雅に寮の食事を堪能していれば、朝っぱらから突撃された。


「レイラ様! 今日もお綺麗ですね。婚約おめでとうございます」

「ついに! やり遂げましたのね! 私、ようやく安心いたしましたわ!」

「皆様、ご無沙汰しております」

 令嬢たちの勢いに内心驚いていたが、表面上は何事もなかったかのように控えめに微笑んだ。

 ティーカップの音を立てないように静かに置いて、姿勢を正す。

「フェリクス殿下と婚約されたと、今話題ですよ! それにものすごく愛されていると!!」

 私の周りに座り始める令嬢たち。

 ここ、一応、職員寮のカフェテリアなんだけども……。

「声が大きいですわ。皆様、声を小さくしてくださいまし。レイラ様にご迷惑をおかけしますわ」

「あら、いけない」

「気をつけないとですわ」

 朝からハイテンション。そして元気はつらつな彼女らは口元を押さえながらも、私に興味津々のキラキラした瞳を向けてくる。

 そして不自然なくらいヒソヒソ声で。


「この間、私の取引先のお知り合いが見たのです。お2人が仲睦まじいワンシーンを!キスシーンを……!」

「ええ!? どこにされたのです? それは恋人同士のキスでしょうか?」

「惜しいことに頬ですわ!」

 キャラキャラと女子特有の恋バナが展開されていく。

 当事者じゃなければ、私も混じっただろう。


 一瞬にして真っ赤になった私を令嬢たちは訳知り顔でニコニコ……いやニヤニヤと眺めている。

 とても楽しそうだ。


 とりあえず落ち着こう。うん。


 私は上品さを心がけながら、マナー講師に好評だった淑女の笑みを浮かべた。


 なんてこと。

 殿下! 思い切り、見られているんですが!?


 孤児院訪問の折、お兄様がリーリエ様を連れて離れたあの一瞬の隙を狙うように、頬に唇を付けてきたフェリクス殿下。

 何のためにあんなことをと思っていたけれど、これはもしかして!?


「社交界では2人は仲睦まじいと評判で、皆様、暖かい目で見守りましょうということになりましたの!」

「これぞ理想的なカップルですわ。あまりにもお似合いだったので、私どもの中で文字書きをしているある令嬢が本を出版することにしました」

 情報量が多すぎて、私は何も言えなくなる。

『女というのは、集まると強いな』

 若干引き気味のルナは、ぽつりと呟いた。


 というか、本を出版って何!?


「あの男爵令嬢をモデルにした恋物語に対抗するべく! なるべく! 早急に! 普及させていただく所存ですわ」


 あの……それ二次創作中のいわゆるナマモノでは……。

「もちろん、名前は微妙に変えておりますわ! 訴えられることもありません! 挿絵は超有名画家に頼む予定です!」


 なんて金のかかった二次創作……。


 私はもはや何も言えずに微笑みを浮かべながら、「ええと……精進していきますね?」と何とも面白みのない答えを返すのだった。


「あ! レイラ様! サインをくださいませ!」

「狡いです! 私にもください!」

「レイラ様。官能小説にはご興味あります?」


 困り果てた私をカフェテリアのスタッフまでもが微笑ましげに見ていた。


 誰かこの状況をどうにかしてくれまいか。

 学園生活が始まる前から、疲れ切ってしまったが、1つだけ確かなことがある。



 フェリクス殿下、これを狙っていましたね?



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