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ここ数日、叔父様の姿が見えない。
部屋に篭っているらしいが、ルナに見てきてもらったところ、よく分からない笑い声が聞こえてきたという。
叔父様が職務怠慢すぎて、私は医務官助手と名乗りたくない。医務室助手と名乗りたいくらいだ。
研究は大いに結構だが、私が居るからって完全に投げている。
そして夕方頃に、美味しいケーキを持って来るのだから、私の扱いが上手い。
許してなんかないんだから。
今日も今日とて、薬剤調合をして、貼り薬の魔力を込めて、医務室だよりを制作する。
こんなの誰が読むのか。
誰も読まないなら好きにして良いよね?
叔父様に了承を取ったところ、過激な内容じゃなければ良いと答えが帰ってきて、また先程、部屋に引きこもった。
それから物音一つしないのだけど、もしかしたら居ないのではないだろうか。
「給料が入っているから良いものの、これでタダ働きだったらグレてたわ……」
そして放課後のこと。数日前に煎った豆を使って抽出し、ビーカーでコーヒーを作りながら、私は椅子の上で膝を抱えた。
沸騰させるために火を調節していたら、ドアをコンコンコンと忙しなくノックされた。
「開いてますよー」
とりあえず姿勢を正しつつ、火を止めていれば、入室してきた生徒二人が目を丸くした。
「ご機嫌よう。レイラ嬢。ええと、私の見間違いでなければ、ビーカーでコーヒーを?」
今日も今日とて麗しい金髪碧眼の王子様──フェリクス殿下は、最近よく顔を見せる。
「薬品で中和したので大丈夫なはずです」
酸性とアルカリ性を混ぜて中和した水を飲めるかと言われれば困るが、液体を捨てた後のビーカーなので私は気にしない。
良い子は真似をしてはいけない。
「それは、腹を壊したりしないのだろうか……?」
そしてこちらも常連となった騎士団長候補のハロルド様は、今日も仮面を着用している。ひょっとこの。
それを付けていることによって、真剣な話をする際に怖がられることはなくなったらしい。
隣の殿下は目を向ける度に笑っているけど。
「理論上は問題ありません」
「なんかその台詞、狂科学者か何かの台詞に聞こえるんだけど」
「まあまあ、お気になさらず。この部屋には薬品がたくさんあるので、万が一腹痛になっても対応出来ますので」
にこやかな私を見て、肩をすくめるた彼は慣れたようにソファに座り、ハロルド様は近くに立ったまま静かに控えた。
「ローズティーを入れてくれないか?」
殿下はつい最近、王室御用達の紅茶をたんまり持ち込んで来た。種類は多岐に渡る。
つまりは自分が飲む用でもあるらしい。
「何故、お二人はここを溜まり場にするのでしょうか?」
「ここならピーチクパーチクほざく輩も居ないだろう?」
仮面を外したハロルド様の顔は整っている。何を今更と言わんばかりなのが解せぬ。
「私たちは昨日の休暇に街へ出たんだけど、とにかく疲れたんだ」
「お疲れ様です。これ、疲労回復効果を付与しておきますので」
奥で紅茶を入れつつ、二人は愚痴を零していく。
「最近、正式にリーリエ嬢と交友を深めることになったのは知ってる?」
殿下が言う通り、ゲームのシナリオのように、ヒロインの周りに攻略対象が集い始めた。
「はい。大体五人で行動されていると聞きました。事情が知れてからは、生徒たちも『まあ仕方ない……』といった派閥と、『庶民の癖に』派閥で分かれております。一部の女子はリーリエ嬢に反感を抱いているようで、嫌がらせの対処を行って行くべきだと思います」
厄介そうな生徒を上げてみれば、感心したように見つめられる。
「すごい情報網だね?」
「ここで暇潰しにお話されていく方がいらっしゃいますので」
「ふむ……諜報か……」
ハロルド様。そんなつもりは一切ないのだけれど。
やはり有名な人たちが固まっていると注目を浴びるらしく、今日だけで二人は疲れているようだ。
ローズティーを二人にお渡しして、自分が先に口にする。
「一応、先に口を付けました。変なものは入ってないですよ」
「あはは。そこまで神経質にならなくても良いよ。お茶入れてるのは見てたし、そもそも私が持ち込んだものだし」
フェリクス殿下、ここまで気安くて良いのだろうか?
朗らかすぎやしませんか?
とりあえずにこやかに笑っておきながら話を戻す。
「昨日は学園の授業もお休みだったと思うのですが、話の流れですと、リーリエ様と出かけられたのですね。何か変わったことでもございました?」
普段は休みの日は執務をこなしているらしい。
そもそも、学園に通いながら執務をしているというのだから驚きである。
王太子なので幼い頃から帝王学を始めとした英才教育を施されているはずで、学園の勉学においては、そこまで苦ではないかもしれない。
とはいえ、二足のわらじは苦労するだろうに。
一人で頷いていたら、フェリクス殿下はポツリと「……変わったことがありすぎた」と呟いた。
どうやらかなり参っているようだ。
「昨日はリーリエ嬢の護衛のために、私たち三人で街へ出たんだ。社交辞令のつもりで、何かして欲しいことはないかと聞いたら、休みに出かけたいとかいうから」
新たな新事実。確かにゲームの中の彼らは主人公を気遣ってそんな台詞を言うのだが、社交辞令だったのか。
夢を壊さないでください。いや、まあ気持ちは分かるけど。
このゲーム、選択肢によって街へと共に出る二人が変わる。
今回の場合、王道に、王太子と騎士ペアとのお出かけイベントだったらしい。
この辺りはシナリオとしてしっかり進んでいるらしい。現実なので、全てが同じとは限らないけれど。
ハロルドは不服そうに鼻をフン、と鳴らす。
「そして殿下と俺は、彼女を連れて街に出て、色々あって誘拐されて取り返して、彼女は帰り際に笑っていて『また行きたい』とかほざくからイラッとして」
そういえば、街に出たヒロインは暴漢に襲われ、誘拐されるというイベントが待ち受けていた。
そこで二人はヒロインを守りたいと自覚するはずで……。
いやいや! そこは可愛らしいヒロインの笑顔に、きゅんとするシーンでしょうが!!
誘拐犯相手にするのは大変だとは思うけれども。
とりあえず、同意しておく。
「まあ、確かに守られ方を心得ていない相手ですと、色々と面倒なのは分かります」
護衛がつくことになれていないと、無謀な行動、余計な行動を繰り返すことがある。
物語の性質上、彼女が動かないと話が進まないので仕方ないけれど。
ハロルド様の省きすぎて雑になった説明に苦笑しつつも、同情してしまう。
振り回されるのは勘弁して欲しいって思うよね。普通は。
「そうなんだよ。あっちにフラフラ、こっちにフラフラ。見るな、動くな、触るな、目立つなって思ってしまって……私たちは物凄く疲れた。ずっと彼女の傍に居たから、今日もなんか顔見るのも疲れちゃって」
「……ああ。本人に悪気がないから余計に気持ちの行き先が分からないってことありますよね」
やり場のないこの怒りっていうやつだ。
「そうなんだよ!」
王太子様が勢い込んでいらっしゃる。
大分溜まってるんだろうなあ。
前世でのトキメキの裏側を見てしまったのではと戦慄する。
バックヤードで店員が何を言ったところで客には何も分からないのと同じだ。
「無邪気と傍若無人は紙一重なんだ」
ハロルド様の世の真理をついたかのような言葉を皮切りに二人は疲れきった溜息をついた。
この主従、息がピッタリだ。
それにしても、何故、こんなにも彼らは冷めているのだろう。
フェリクス殿下は、リーリエの曇りなき純粋さに癒されるはずだったし、ハロルド様はリーリエが強面顔に怖がらないことを喜んで距離を縮めるはず。
プチハーレムっぽくなっていてもおかしくないのに、彼らはげんなりしている。
リーリエはあんなにも可愛いのに何故不満なのかと純粋な疑問から尋ねてみる。
「大して仲が良い訳でもないのに、『貴方のことよく分かるわ』とか言われるのも不躾ではないか? 知り合ったばかりで、それはなくないか?」
ハロルド様の意見もごもっともすぎる。だけどゲームでは、リーリエというヒロインはこの世界に愛されている。
この作品、乙女ゲームだけあって、ご都合主義が多いのだ。
そのはずなのに、この白けた空気に混乱してしまった。
どうしよう。関わりたくない。
「事情を知らないので、私からは何かを言うことは出来ませんが、大変な思いをされたのですね。お疲れ様でした」
『完全に他人事だな』
ルナの鼻先だけが癒しだ。もふもふなんだろうなあ。触ったらガブってやられそうだけど。
関わりたくないばかりに、他人ですよーと言わんばかりの台詞を言ってしまった私に、対して何故かお二人は怒ることはなかった。
「俺たちを労わってくれるのか?」
「そういう貴女の一言でなんだか救われる思いだよ」
『そして思っていたよりも好感度が上がるという。これがご主人の言ってた好感度フラグか?』
見えないからって、横でぽそりと言われると笑いそうになるから止めて欲しい。
私もげんなりした表情をしてしまった。
「貴女は私たちに共感してくれるんだね」
「君は俺たちに気遣って……」
ごめんなさい。今のは違います。
和やかになった空気の中、棚から出したのは、何故か数日前に生徒さんにもらった有名店のお菓子の箱。
もちろん、怪しいものではないと示すために未開封である
疲れた時には甘いものが一番。
「これ良かったら。王室御用達の店のもの且つ未開封のものなので安全面では問題ないと思いますが、よろしければ」
「っ!」
甘いものと聞いて目を輝かせたのは、ハロルド様。
この人、強面ながら甘いもの好き設定なのよね。
「デコレーションケーキなのですが、ちょうど三個入りなので三人で分け合って──」
と言いかけたところで、医務室のドアが開いた。
「……」
「……」
「こんにちは」
現れた人物を見て、挨拶をしたのは私だけだ。
二人の青年が、一瞬真顔になったのを私は見逃さない。
「あー! 二人ともやっと見つけた!」
我らがヒロイン、リーリエの登場であった。




