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 フェリクス殿下とクリムゾンが険悪な様子で去ってから15分経過。子どもたちの相手をしていたけれど、まだ戻って来ない。


 置いてけぼりにされた私と、馬車で即送り返されたリーリエ様。

 子どもたちに、王太子と公爵令息の喧嘩をあまり見られなくて良かったと安堵するしか今の私には出来ない。

 そろそろ帰宅する時刻になったので、今日は帰ろうと来賓室へ向かい、荷物を取りに行くことにする。

「ルナ。あの2人、知り合いだったのね。というか仲悪かったのね」

『ご主人はあの2人を出会わせないように対処した方が良いぞ。………………仲が悪い理由はおおよそ、分かるがな』

 最後のボヤきは聞こえなかったが、私の身近に犬猿の仲のような人たちがいるとは。

 ゲームのシナリオではそういった記述はなかったというのに。


 貴族だし、会ったことがないとは言わないけど、あの2人の間に何があったのだろう。


「それにしても今日のクリムゾンは、毒しか吐いてないわね」

『虫の居所が悪かったのだろう』

「それに、殿下。あそこまで怒るのを初めて見た。私の方をほとんど見向きもしなかったし」

『……いや、それはご主人に自分の怒り顔を見せたくなかったからだと思うが』

 ますます分からない。

 殿下が怒っている顔を見たところで、怖がるかもしれないけど、次に会った時に引き摺ったりしないのに。

 男心は難しい。


 孤児院の裏口に向かおうとした時だった。


「おや。レイラ嬢ではないか。技術提供の件で来訪しているのかな? ご苦労様」

「サンチェスター公爵。ご無沙汰しております」

 私は反射的に淑女の礼を取った。

 私自身が会うのはあの時の夜会以来だ。

 黒髪長髪の壮年の男性──サンチェスター公爵がにこやかに微笑みながら立っていた。

「君の叔父のセオドア君も忙しくて、結果、君に負担をかけることになったのは申し訳ないけれど。聞くところによると、孤児院の皆の君への評判はうなぎ登りだそうじゃないか」

「ありがとうございます。もったいないお言葉です」

「苦労をかけると思うけど、これからも頼むよ」

「はい!」

 柔らかな声音と物腰。公爵様はどこか安心するような空気を持っていた。

 少し雑談をしながら、公爵様は子どもたちが遊ぶ姿を優しい瞳で見ている。

 私は何気なく声をかけた。

「公爵様は優しい瞳をなさるのですね」

「ああ。もし、私の子どもが今も生きていたら、あのように遊んでいたのかもしれないなと思うことがあってね……。そう思うと子どもたちが眩しく感じるんだ」

「あ……」

 公爵は、昔、ある魔術犯罪集団の事件に巻き込まれ、妻子を失った。

 その時から、妻と子を忘れることが出来ず、独り身で居るらしいというのは有名な話だった。

 跡取りを取ったのは数年前の話だという。

「すまないね。気を使わなくても良いんだよ。これでも毎日充実しているんだ。慈善事業をしているのも、なくなった子どもの分まで他の子どもたちに幸せになって欲しいと思ったからなんだ。どうも重ねてしまってね」

「そうだったのですね……」


 慈善事業の話はよく聞いていたが、そういう理由があったのだ。

 この方は、どうしてこんなにも強いのだろう?

 思わず涙腺が弛みそうになるのを堪えるために、私は瞬きを何度かした。


「ところで、ブレインは見なかったかい?」

「そういえば、先程、王太子殿下とお話を」

 喧嘩をしてました。それもかなり険悪でした。もちろん言える訳がない。


「公爵」

 適当に伝えておこうと思っていたら、ふと私の後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。

「ああ、ブレインか。どこに居たんだ?」

「少し、王太子殿下と挨拶をしていました。殿下も帰られましたし、僕たちもそろそろ帰りましょうか。……おや、レイラ嬢ではありませんか。お久しぶりですね」

 さっきまで会っていたんですけども!? 何、この変わり身の早さ。

「ごぶさたしております」

 思わず固い声になってしまうのは仕方ないと思う。


 嘘くさい満面の笑みにドン引きしながらも、私も表向きはしっかりと挨拶しておく。

 サンチェスター公爵はクリムゾンと合流するとにこやかな人好きのする笑みを浮かべながら帰って行った。


「殿下との話し合いは終わったのかしら」

『むしろ、王太子との修羅場ではないか?』

「喧嘩の痕もなさそうだったし、何もなかったということにしておきましょうか」


 ちょっと色々と不穏だったので、実は心配していた。


 荷物を取りに戻り、応接室の部屋をガチャリと開ける。

 誰かソファに座ってるなあと思って「失礼いたします」と一言声をかけたところで。


「ええと、フェリクス殿下?そこで一体何を……」

「……強いて言うなら、レイラを待ち伏せ?あと、名前。戻ってるよ」

「…………フェリクス様」

 うう……。呼ぶ度に私の中の常識が悲鳴を上げている。これ、大丈夫なの!?と。

 殿下自身がそう呼べと言っているとはいえ、慣れないものは慣れない。

 リーリエ様も心臓に毛が生えている族に違いない……。

 クリムゾンといい、リーリエ様といい、私には出来ないことをやってのける方々。


 なんと、帰ったと思った殿下が足を組んで、優雅にお茶を飲んでいた。

 音もなくカップを置いて、こちらを見る目は普段と変わりないように見える。


「どうされたのですか?」

 だから、何の警戒もしないで近寄って行った。

「警戒心が強いくせに、妙なところで無防備だよね。貴女は」

 憂いを帯びた表情の殿下にそう言われて、「あっ」と声を上げる間もなく、手首を掴まれ引き寄せられて。


「なっ……にを」

「捕まえた」


 気がついた時には、フェリクス殿下の膝の上に居て、おまけに腰を掴まれて逃げられなくなっていた。

 目線がいつもより近くて、私はすぐに離れようとした。

 これって、不敬なのでは!?

 ただの友人枠の私が、殿下の上になど……!

 全身が熱くなって、顔もかあっと赤くなる。

 わたわたと、あからさまな反応を見せてしまった。


 慌てて退くつもりだったけれど、フェリクス殿下は不機嫌な声で私に単刀直入に聞いてきた。

 私の唇を親指でなぞりながら、顔を近付けて。

「気になるから、ハッキリ聞くけど。さっき、ブレインと、口付けしてたよね?」

 どことなく、仄暗い声。

 間近で目が合った殿下は無表情だった。

 私の心臓の音はうるさい。相手に伝わってしまいそうで怖いと思った。


「ここに、あの男が触れた?」

「っ……!」

 ぷにぷにと指先でつつかれ、私は思わず息を詰めた。

 ゆ、指が……。殿下の指が。

 というか、触り方……っ!

「なんだろう。自分ではよく分からないんだけど、貴女があの男に触れられたというのが、何だか気に食わないんだ。すごく嫌だって思った……」

「え……?」

 とくとくと心臓の鼓動が速まっていく。

 それってどういうこと? 私は、月の女神ではなくて、医務室のレイラなのに?


 唇に、彼の爪が軽く立てられて、息が止まった。

 何故か、飢えた獣の前に放り出されたような気分になったのだ。

 殿下が私を喰らったりなどしないはずだと知っているのに。

 答え方を間違えたら、何かが起こるような気がした。

 空気の温度がいくらか下がるような錯覚もあった。

 同時に触れられた部分だけは熱いという、矛盾も抱えていて。

 私は、慌てて首を振った。


「し、してません! そのようなことは」

「本当に?」

 嘘など許さないとその青の瞳が告げている。

 嘘なんてつく訳がない!今の殿下に嘘をつくなんて出来る訳がない!

 目のハイライトが消えている気がするもの。

 お兄様がたまにする目と似ている。

「ただ、顔を近づけられただけです。もし、あの時殿下が来なかったら、魔術を使うところでしたし。本当に魔術を使う寸前でした」

「……してない?」

 間近にあったフェリクス殿下の目にハイライトが戻った気がした。

 こくこくと必死で頷き、何やら惚けてしまった殿下の腕から慌てて脱出し、適切な距離感へと調整させてもらう。


「クリ──こほん、ブレイン様は私が本当に嫌がることをご存知のようですから」

 私が何を嫌がるのか、彼はよく知っている分、そういうことをして来ないという点では信用出来る。

 そう伝えてみれば、フェリクス殿下の顔が険しくなり、そういえば2人の仲が悪かったことに気付いた。

 友人が、仲の良くない相手とつるんでいたら、面白くないかもしれない。

 慌てて私は付け足した。

「どうやら、人間観察が趣味のようですね。よく知らない方なんですけれども」

 あまり彼のことに詳しくないので、あながち間違ってないはずだ。


「良かった。では、ブレインとは恋仲だったり、婚約者候補だったりはしないということで良いね?」

「……? はい。そうですけれど……?」

 確認するように問われて私は頷いた。何がどうしたのだろう?


「それにしても、先程、ブレイン様にお会いした時、殿下は帰られたとお聞きしたので、驚きました」

「ふうん。あの男に会ったの?」

 あ、なんか機嫌が急降下している。クリムゾンの話題は禁止した方が良いかもしれない。

「サンチェスター公爵とお2人で帰られるところでした。その時にご挨拶させてもらったので、殿下が既に帰られたということを耳に挟みまして」

「そう。サンチェスター公爵も一緒なら良いよ」

「は、はい……」

 前世のあれ、ドミノを立てている時のような緊張感に似ている。危うい綱渡りの気分。

 殿下は、くすっと悪い笑みを浮かべる。


「フェイクだよ。帰るフリをしただけ。思っていたよりも騙すのは簡単だったなあ」

「あの、殿下?」

「彼に邪魔される前に、行動しないとだからね」

 隣に座っていた私に殿下はおもむろに体を寄せて来たので、私はビクンっと肩を跳ねさせる。


 殿下は何やら悩ましげな声と神妙な面持ちで切り出した。

「実はここだけの話なんだけど、レイラに協力してもらいたいことがあるんだ。どうか私を助けて欲しい」

「な、なんでしょうか?」

 耳に唇が寄せられて、彼は声を潜めてそう言った。

「単刀直入に言うよ? 私と婚約してくれないか?」

「え」


 婚約!?



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