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裏の庭から、そろりそろりと抜け出しながらも、私は正直まだ怖かった。
クリムゾンの後をテクテクとついていく。
2人が居るところまで、移動しながらも私はまだ臆していた。
「…………」
「おや?」
クリムゾンが私を振り返り、その時、自分の指が彼の服の裾を掴んでいることに気が付いた。
無意識に、何をしているのだろうとすぐに離す。
「掴んでくれたままでも、俺は良かったんですけどね」
「申し訳ありません。今のはなかったことにしてください」
「そうですか?」
クリムゾンは嬉しそうに微笑んでいる。
普通の青年が照れているような。この人らしからぬ表情。
私と似た精神構造をしているとはいえ、彼の考えていることは、よく分からない。
いくら似ていても、彼は彼で、私は私。100パーセント、理解出来る訳がない。
人が人を完全に理解するなんて不可能だ。
魔術で覗き見たところで、感情は個人のものだからだ。
結局のところ、「貴女のこと分かるよ」なんて言われたところで偽善だとしか思えない。
そう言われたら腹が立ってしまう。
貴方が私の何を知っているの?と。
被害者ぶりたくないやら、そんな言葉をかけて欲しくないやらと、面倒な性格をしている私をクリムゾンはよく知っている。
彼は私のことを、同じだとは称していない。
同じような。似たような。似たもの同士。
なんとなく分かる。
どれも曖昧な表現だった。
本当に私の扱いを心得ている。……もしくは、彼自身もそうだからか。
自分がされて嫌なことは人にしない。そういうことだ。
『我が主が普通に笑っているとは……何とも気色悪い──ふにゃあああ!』
アビスの吐いた毒に、クリムゾンの制裁が下った。どこからか出現した鎖がアビスの首元に巻き付いていた。
「調教したりませんでしたかね?」
『……っぐぅ、た……たいへん、もうし訳ございませんでし……た』
うわあ。この鎖、禍々しい闇の気配……というか、あれに触れたら呪われそうなんだけど。
「よろしい」
鎖が外れて、鎖がクリムゾンの影の中へと消えていった。
え? どういう構造!?
「この鎖はですね、私の闇の魔力で創られた鎖です。魔術発現を阻害する鎖なので、巻かれたら抵抗出来ないのですよ」
「魔術を打ち消す魔術でしょうか?」
「あくまでも阻害なので、完璧にとは言えませんが、大体は打ち消せます。もし阻害出来なくても、鎖で物理攻撃が出来るので問題はありませんよ。思い切り首を締めてしまえば関係ないでしょう?」
「確かに」
鎖で締め上げたり、攻撃を防いだり出来そうだ。
『ご主人と似た脳筋な思考の持ち主だな……』
「失礼な」
『ほほう。ワタクシの主と似て、狼殿の主もまた物理攻撃信者なのですか』
皆、脳筋とか言うけど。
だって、複雑な魔術を捏ねくり回すより。
「殴った方が早いわ」
「殴った方が早いです」
私とクリムゾンの声が見事に被った。
『…………』
『……………………』
そして無言な精霊たち。その何やら言いたげな顔は何なのか。
クリムゾンも心外だったのか、何やら語り始める。わざわざ足まで止めて。
「そもそもですよ。俺は術式を扱うことは得意ですし、特に苦はないです。ただ、目立つんですよ。目立たずに、効率的に且つ有効なのって闇討ちしかないでしょう? 声を出されても面倒ですし、鎖が1番有効なんです。この鎖は俺の手足のように動かせますし、長さも本数も自由自在ですし。使い勝手が良いので使用頻度は増えますし、そうしたら最終的に熟練度が上がっていて──」
「……結局は使用頻度ですよね。私も何だかんだ逃亡ばかりしていましたので、攻撃魔術の使用よりも物理攻撃の方が正直慣れていて──」
『…………』
『……………………』
何だろう。そのジト目。ちょっと可愛いとか思ってしまった。
「まあ、気を取り直しまして。この辺ですかね」
フェリクス殿下やリーリエ様から数十メートル離れた地点で、壁際へと引っ張られ、クリムゾンの手が私の手をしっかりと握った。
「え?」
「このまましばらくお待ちください」
「……?」
何やら魔術の気配が伝わって来る。ぶわっと、魔力の奔流が私の中へと流れ込んでくる。
ぱちり、と私の視界が切り替わった。
まるでテレビでも見ているかのように、私の瞳はどこか別の光景を映している。
まず、目の前に子どもたちの足が見えた。
小型の生き物の目線みたいな風景。
ゆるゆると続く映像は、上へと上がって行って。
「……殿下? ……とリーリエ様?」
「そう。猫の目を借りてみました。あの猫はね、人の傍が好きだからしばらくあの場所に居ると思いますし、それとそろそろ……」
『お客様だー! こんにちはー!』
『王子様! 王子様!』
ガヤガヤと子どもたちの声が聞こえて来た。
耳の中にイヤホンでも入っているように鮮明な音で。
「これは?」
「猫の耳も借りてみました。ちなみに手を繋いでいるのは、俺に伝わってくる視覚情報と聴覚情報をレイラに伝えるためです」
「諜報向きの闇の魔術ですね」
ともかく盗み見と盗み聞きは、こうして行うらしい。
「……ねえ、レイラ見えますよね。リーリエという女。満面の笑みで。こちらの気持ちなんて何も知らないで、呑気に笑っています」
「……何も知らせるつもりはないので、それで良いんですよ」
「しかもあの女、子どもたちの前で大っぴらに魔術を使っていますね」
リーリエ様は子どもたちの前で光の魔術を使い、光で出来たアートや、美しい虹の結晶を作り出したりしている。
光の魔力で作り出した光るシャボン玉。それに映る可愛らしい絵柄。ぬいぐるみや、お人形の柄のシャボン玉。
光を作り出せるリーリエ様の魔術。
その映像は色濃くて、本当に目の前にあるみたいに見える。
ふわふわとしたぬいぐるみが空から降ってくる。それらは、ファンタジーな魔術ばかり。
しかも、本当に現実に現れている?
「凄いですね。あの魔力量。幻想を現実にする程の魔力。あのぬいぐるみは、本人が魔術を解くか、術者が死ぬかしなければ消えない類のものです。それと、高度な術式解除の魔術を施せば消えますかね」
魔術は幻想みたいなもの。人間が使う魔術であの域まで達することは、まずないとクリムゾンは説明してくれた。
「俺の出した鎖も物理攻撃ですが、一時的なものですし。厳密に言えば闇の魔力の塊を、一時的に硬化させて物理攻撃に使っているだけですし。俺の手から離れればすぐに霧散する」
「でも、あのリーリエ様の出したぬいぐるみは、魔力を持たない子どもたちが触っても何も起こらない?」
「まさかここまでとは。あの女。さらっと恐ろしいことを……」
「そうですね……」
思ったものを自在に出せるなんて、使い方を間違えれば恐ろしい魔術になるだろう。
それを人前でポンポン使うのもどうかと思う。
「こんな台詞言いたくはないですが、夢の力が奇跡を起こしたのでしょう」
『ふ……、我が主の口から、似合わない台詞が──ぎにゃあ!』
アビスは尻尾を踏んづけられた。
いい加減、その口を閉じていればお仕置されることもないというのに。
『懲りないな。口から先に生まれたような猫だな』
ルナは完全にしらーっとした目でアビスを眺めていた。
「夢の力……ということは。彼女の思いのまま?」
「無から有を生み出すのは、神の所業か、精霊の魔法ですよ。とにかく、この世への干渉力が強すぎた結果、神に近い奇跡を起こしてしまっているってことでしょうね。光の魔力の塊が霧散せずに留まっているとは……。いや、そもそもそういう魔術なのか……?夢を現実にするという……」
『リーリエ嬢。とりあえず魔術を使うのを止めてくれ』
焦ったようなフェリクス殿下の声。
何が起こっているか理解したらしい。
「おや。あの男、気付くのが早いですね? 今行使された光の魔術の構造を理解したようです。へえ、火の魔力と水の魔力と聞いたのに。優秀なんですねー?」
嫌味ったらしい口調。
クリムゾンは殿下に何か思うところがあるのだろうか?
繋いだ手から、伝わってくる映像と音声。
そして、子どもたちの喜ぶ声。
『お姉ちゃんすごーい!』
『ねえねえ! もっと出して! 美味しいチョコとか! ふわふわのベッドとか!』
「人の欲望に際限がないって知らないのですかね?それは子どもですら同じこと。光の魔力の持ち主が重宝される訳ですよ。あんな奇跡なんて見せられたら、この世の均衡が崩れる」
フェリクス殿下は、リーリエ様に耳打ちをしている。猫が彼らの足元に寄っていって、漏れ聞こえて来た。
『え? 戻せ……って? せっかく出したのに? 皆、喜んでいるよ?』
『良いから、戻して。それと何度も言っているように魔術を使うのはお願いだから控えてくれ』
『なんで? 今回は戦いでもないのに……』
『後で言うから!』
フェリクス殿下が珍しく焦ってその後、子供たちに「今のは一時的な魔法で、夢みたいなもの」と説明しているのを見て、クリムゾンは鼻で笑う。
「模範的な対応ですね。理解も早くて、無駄もなくて、リカバリーもきちんと出来ている。本当に彼は完璧ですね。……腹が立つくらいに」
「クリムゾン?」
フェリクス殿下に対して良い感情を持っていないことだけは分かる。
クリムゾンは口元に笑みを浮かべると、指をパチンと鳴らした。
「……!? 何をして!?」
凄まじい魔力の塊が弾ける。
私にも伝わってくるということは、フェリクス殿下の近くに居る猫の側でも、魔力反応が起こされたということで。
数十メートル先のフェリクス殿下が何かに気付いたように辺りを見渡し、数十メートル先に居るはずの私たちに視線の先を定めた。
「さすが。ちょっと魔術を解いただけなのに、すぐにこちらに気付くなんて。すごい偶然ですね」
いや、偶然なんかじゃない。
「わざと気付かれるように魔術を解いたでしょう!?」
自らバラしてどうするのだと問い詰めようとしたところで、クリムゾンは繋いだままだった私の手を引っ張ると自らの体に引き寄せた。




