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『無礼者! 私のご主人に気安く触れるな!』

 クリムゾンの腕を引き剥がそうと格闘していたら、ルナが代わりに言ってくれた。

 引き剥がそうとしても、後ろから回された腕は固く動かない。

『はは、何を言っておいでか、狼殿。人間同士の交配の邪魔をするのは無粋というものでしょう』

『胡散臭い相手に大事なご主人を渡せるものか!』


 視界の端で威嚇を始めた精霊たち。


 本当にどうしてここに、この人が居るの?


 ぐっと、手に力を込めつつ、魔力を発動させ、身体能力や力そのものを強化する。

 こればかり使っているせいで、普通の人と比べたら、かなり熟練しているのだ。

 すげなく肩に置いていた手を払い落とし、背中に張り付いていた男を振り払って立ち上がった。

 クリムゾンはこちらを見ながらもご機嫌そうに笑っていて。

「実力行使ですか。気が強いお方だ」

 今のでご機嫌になる意味が分からない。私の周りに居る人たちは、何故いきなりご機嫌になったり不機嫌になったりするのだろうか。


「ここで何をされているのですか?」

「そういえば、俺のことを名前で呼んでくださっているので、俺もレイラとお呼びしても良いですか?」

 もう好きにしてください。

 ジト目で眺めていれば、「じゃあ、そういうことで」と彼は立ち上がっていた私の髪に手を伸ばした。

「本当に、何がしたいのですか? 貴方は」

 人の髪を弄びながら、ふんふんと鼻歌を歌っている彼はご機嫌だった。

「今日の俺はクリムゾンではなく、子息のブレインとして父と共にこの孤児院に来ています。ほら、サンチェスター公爵といえば、慈善事業に熱心ですから」

「伺っております。特に貧しい子どもたちを救うための活動に熱心だと有名ですよね」

 子どもたちへの慈悲深い愛情。スラム街の名も知らぬ子どもたちの遺体を埋葬したり、戸籍を与えるために活動したりとその善行を挙げれば枚挙にいとまがない。

「そうそう。だから寄付のための定期訪問ですよ。先程、王太子と光の魔力の持ち主の姿が見えまして、それなら貴女はこの辺りに潜んでいるかと思いまして」

 ご名答である。

 本当にこの人の勘は鋭い。

 私が複雑な想いを抱えつつ、逃げ回っていることを知っている。

「しばらくこの場所に潜みたいと思いつつも、あの2人の動向が気になって仕方ないだろうことも想像がつきます」

「……」

 この人はどこまで私の考えていることが分かるのだろうか。

「こんなところでコソコソしているより、表に出て行きましょうよ。子どもたちも貴女を探していましたし。共同事業の相手であるサンチェスター公爵令息とヴィヴィアンヌ侯爵令嬢が共に居たところで怪しまれないし、何より俺と一緒なら惨めな思いにはならないですよ」

 確かに、私1人で彼らの前に出るのは、嫌だった。

 並んだ2人の輝かしい姿を見たら、否応なく惨めな気分になってしまう。

 あんな、お似合いな2人……。

 それは、殿下の隣に立つ女性に対する劣等感みたいなもの。

 後ろ向きにうじうじした自分になるのは嫌だった。

 私は地に足をつけてしっかりと自分の足で立っていたい。

「大丈夫。レイラは悲劇のヒロインなんかじゃない、ただ仕事に来ている職業婦人です。あの光の魔力の持ち主に引けを取ることのない立派な女性です。臆する必要もございません。貴女自身がそう思っていなくても、ね」

「貴方はどこまで私を知っているのですか?」

 本当に私のことをよく分かっている。私の面倒な性格を。私の性質を。

 確かに、私は大嫌いだった。

 悲劇のヒロインぶることも、被害者ぶることも。

 無意識にそんな振る舞いをしてしまったら、嫌だ。もし既にしていたなら、死にたい。

 しているかもしれない?とにかく嫌だ。



 つまり、あの2人の前に出たら無意識にそれをしそうで嫌だった。

 私より辛い目に遭っている人は他にたくさん居るというのに、私なんかが泣き言を言って被害者ぶってどうするのって思う。そんな資格なんてない。私が悲劇のヒロインなんて甘え、許されない。

 他の人は許されるかもしれないけど──。


「他の人は許されるかもしれないけど、私は許されない」

「なっ……!」


 この人は今、私の心を読んだのか?


「惨めな思いになると、人は被害者を演じてしまうところがありますよね。そうして心を守る。それをレイラ、貴女は自分自身に許さない。その資格などないと思っている」

「……」

 絶句した。私の心を明確に言語化した彼に。

「心を読んだ訳ではありませんよ。なんとなく分かる感情です。俺も似たようなものなので」

「……」

 何も言えなくなった。

 ふと気付いたのだ。この人もそうなんだ、と。


 この人は私をこうやって気遣うくせに、自分にはきっとそれをしないのだろう。

 それこそ、自分にはそんな資格なんてないと、私と似たようなことを言って。

 そんな気がした。なんとなく分かってしまう。

 本当に私とそっくりな人。


 この人の背中を押す人は誰か居ないの?


「驚く必要などないでしょう? 俺は貴女の半身みたいなものです。……とにかく、気になるなら出て行けば良い。臆する必要などどこにもない。俺が居るのですから」

「どうして、私の背中を押してくださるの?」

「他人事とは思えないので」

 ある意味、予想通りの答えだった。

 そっと見上げると、彼はふわりと笑った。こんなにも普通に笑えるんだ……。

 これは、クリムゾンの善意?

 何かしら他の思惑もあることは確実だけど、それでも善意が混じっているのは確かだ。

「隠れているのって、何だかこっちが負けたみたいで嫌じゃないですか。レイラもきっとそんな風に思うだろうと思って。だから背中を押したくなった」

「……正解、です」

 確かにこちらに後暗いところなどないのにコソコソしているなんて、なんだか悔しい。


 本当なら、何も惑わされることなく堂々と表に立っていたいところだけれど、それが無理ならせめて、平然とした顔を演じて見せたかった。


「ふふ、馬鹿になってしまえば良いのです。その方が楽になれます。レイラは真面目すぎる。あの王子と女のことだって、今後のネタとして盗み聞きしてやれくらいで丁度良い」


『ワタクシの主は、世の中楽しいか楽しくないかで判断している刹那主義ですからね』

「おや、心外です。先のことも考えてますよ一応」

 それを聞いたアビスがくつくつと笑う。


「2人の喧嘩、終わったんだ……」

『何を言う。立派な決闘だ』

 気が付けば、ルナとアビスの戦いというか、じゃれ合いらしきものは終わっていた。

 確かに犬と猫って仲良くないイメージはあるけども。

 ルナは狼の姿をした精霊。犬と一緒にされるのも困るのかもしれない。


「ね、せっかくだから覗き見をしましょう?バレたら開き直れば良いのです。2人なら怖くないですよ? …………それに、何があろうと、何を聞こうとも、レイラには俺がいるのですから」

 最後の一言はともかくとして。

 少なくとも、裏で1人うじうじしているよりは良いかと思った。


 この人は私の扱いを色々な意味でよく分かっている。


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