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夏季休暇中の事件。魔力増強実験に使われた黒ローブの者たちの戦いから数週間が経過した。その間は騎士団がバタバタしていることをお兄様に聞いていたが、私は特に出張ることはせずに大人しくしていた。
何かをしたい気持ちもあるけれど、シナリオから大幅にズレているから前世の記憶は役に立たず、おまけにクリムゾンルートを私は知らない。
余計なことをして迷惑をかけるくらいなら大人しくしていた方が良いと判断した私は、お兄様の報告を聞きつつ、叔父様の助手に努めることにしていた。
ヴィヴィアンヌ家のある一角、爆裂防御措置済の実験室に、叔父様はぶっ倒れていた。
その叔父様をまず抱き起こして、部屋の隅にある簡易ベッドへと連れて行き、とりあえず点滴に繋いでおく。
点滴につながれながら、ブツブツと書物を音読している叔父様は、誰もが予想するように熱中すると食事を忘れる典型的なタイプだった。
点滴をつけておくことを思いついた私への第1声を忘れることは2度とないだろう。
『食事しなくて良いから楽!』
あ。ヤバい人だ、と悟った。恐らく研究中のこの人とは分かり合えないし、言っても無駄な気がすると早めに察してしまった。
学園休暇中の私がやるのは、研究と実験に明け暮れる叔父様のサポート。
病人相手ではないのに、完全に病人相手の気分である。
医者の不摂生とは、よく言ったものだ。
そして、私の役割はもう1つ。
「では、私も孤児院の方へと顔を出して来るから、くれぐれも点滴を忘れないように」
「抜かりありませんよ」
どうしよう。信用出来ない。
孤児院訪問。今日から任される私の仕事だ。
王都の中心にある教会に併設された、その孤児院は恐らく、この国の中で1番大きい。抱えている子どもたちも1番多いだろう。
それなのに子どもたちの識字率が低迷しているのは、予算が回らなくなっていたからだ。
中心である王都の孤児院だけに金銭を集中させるよりも、国王は各地に散っている孤児院に分散させることを選んだのだ。
王都のメンツが云々言わないところが、融通が利くというか、良い王様だと思う。
国王のことはよく知らないけれど、そういった面では、個人的に好感を持っていたりする。
その結果、各地の孤児院で飢える子どもは見事に居なくなったが、分散したために細かなケアをすることは叶わなかった。
つまりは、命を大事に。助かる命を優先した結果、王都の孤児院だというのに、金銭的には少し厳しい。寄付や修道院との連携とあるとはいえ、余裕はないらしい。
貴族たちの寄付が増えれば増える程、預けられる子どもも増えていったから尚更だ。
孤児院内の識字率は低迷中。勉学的な面でのサポートは足りていなかった。
そこで、学力的な面でもサポートしなければと、ついにテコ入れを入れることになり、学業面で有名なヴィヴィアンヌ家が異例の抜擢をされたのだ。お父様が教師を探したりと現在、奔走中だ。
それとついでに金銭的な面でも本格的にサポートしようということになって……。
簡単な話だ。
お金がない! ならば節約だ! 節約? 自給自足をすれば良いじゃない!
と、まあそんな理由である。
という訳でヴィヴィアンヌ家から医療面での技術提供をすることになった。
それも、本来は叔父様の仕事だった。
身内を招くことによって、予算削減も出来るからという理由で。
なのに、何故私がこうして向かうことになったかと言えば、簡単なこと。
押し付けられたのである。
私は医療従事者としての資格を持っているし、最近取らされた技術提供の資格も持っているため、叔父様に送り出された。
今回の私の目的は、学園の医務官助手として技術提供を行うこと。
夏の休暇の間、働いて、お父様に引き継ぎをしろとのことだ。
この瞬間、私の休暇は消えた。
15の小娘を働かせすぎだと思ったのは、ここだけの話。
学園で働くと言い出したのは、そもそも私なのだから。
技術提供としては、主に薬草の知識などである。孤児院の者は応急手当を出来るくらいの知識はあるけれど、さすがに調合については知らない。
確かに叔父様はその道のエキスパートだ。
だけど、お父様は忘れていないだろうか?
叔父様が壊滅的に教えるのが下手ということを。
もしくは、知っているけれども、そこまで酷くはないとタカをくくっているとか?
お父様も叔父様も優秀だから、お互いに勉強を教え合ったりとか、なさそうだから知らない可能性も有り得そう……。
とにかく、そんな叔父様から更にお鉢が回ってきたのが、私だ。
何が酷いって、技術提供をするのは良いとしても、ついでに子どもたちにも勉強を教えろと色々押し付けて来たことが酷い。
それも叔父様が頼まれていたことなのに。
ちょっと押し付けすぎやしないだろうか?
お父様が手配するという本格的な教師を迎える前に基礎を覚えてもらいたいかららしい。
確かに、基礎があった方が効率が良いのは確かだけれども。
言いたいことは分かるけども!
まあ、叔父様も趣味だけじゃなくて、国の大事のための研究をしている訳だし……。
文句は言えないのよね。むしろ、頑張って欲しいし。
だから、学園外とはいえ、今も私は叔父様の助手に徹している。
黒ローブの者たちの体の中に植え付けられた魔力接続術式はいまだに解呪されないまま。
その解呪は精神干渉系魔術ではないけれど、精神に関わる部位だということで、叔父様はこちらも研究を任されたらしい。
多忙すぎる。
叔父様は試行錯誤しているし、お兄様も定期的に魔力を吸い出すために向かったりしているそうだ。
馬車に乗っている間、ルナのもふもふした毛並みを堪能しながら、私はため息をついた。
教えるのは苦ではないのだけれど、私みたいな小娘が現れたら向こうも困るのではないだろうか?
とりあえず誠心誠意謝るところからかな……?
叔父様はドタキャンしすぎである。
と、思っていた私だったけれど、予想に反して孤児院の皆様は私を歓迎してくれた。
女性院長は歓迎してくれて、美味しい健康茶を入れてくれた。
来賓室。質素な机とソファは随分と年月が経ってはいるものの、普段から手入れがされていることが分かる。
緑色の布のソファに可愛らしい花柄の布が被せられていて趣味が良い。
そっと口を付けてみると緑茶みたいな味がした。
「こんなに素敵なお嬢様に、むしろ申し訳ないくらいですよ。騒がしいとは思いますが、是非色々と教えていただけると助かります」
優しいおばさんといった雰囲気の院長様は、恐縮しきった私に優しく声をかけてくれた。
「早く経験を積みたいと最短で学園を卒業されて医療に従事されているとお聞きしましたよ。お若いながら医療で役に立ちたいと素晴らしい理想を掲げられたお方だとか」
おや?確かに自分の出来る仕事を選んだつもりだったけど、何か思っていたよりも物凄い美談になってるような?
「貴女の叔父上とお兄様が、熱心に語っておりましたよ。仲の良いご家族なのですね」
『ご主人に仕事を押し付けたいと叔父と、妹狂いの兄の図だな』
ルナ……。微妙な気分になってくるから止めて……。
気を取り直して。
「この度は、私の叔父が大変ご迷惑をおかけして申し訳ございません。私では力不足ではありますが、精一杯努めさせていただきたく存じます」
「ふふ! こんなに綺麗なお方に勉強を教えてもらえるなんて、なかなかない経験ですよ? そんなに畏まらないでくださいな」
「ありがとうございます」
精一杯頑張ろうと思った。
魔法薬の調合ではなく、普通の調合薬を教えることになっていたので、必要なものなどを詳しく書き出していく。
「魔力持ちのシスターが何人かいらしたとのことなので、基本的な魔法薬をいくつか完璧に覚えてもらいます。人工魔石結晶があれば、治癒魔術も少し使えるようになりますので」
「それなんですが、レイラお嬢様。魔力持ちとはいえ、素人がほとんどです。普通の薬ではいけませんか?」
「併用していこうと思います。普通の薬品が8割、緊急用として魔法薬が2割程です。魔法薬ですと、重症化しても持ち直すことが出来るので、あると便利です」
「成程……」
育てる薬草と、場所の確保の話。効率の良い栽培方法などを語って、試しに空いた空間に畑を耕してみることになった。
『ご主人。魔術は使わないのか?』
持ち込んでいた使用人用の動きやすいワンピースに着替えて、畑を整えるべく土を慣らしていれば、ルナに不思議そうに聞かれた。
すぐ隣には院長様が居るし、独り言を言う怪しい人間になってしまうのも嫌なので、念話で答える。
『魔術は使っているわよ。身体強化の魔術。でないと、私に鍬なんて振るえないもの』
『いや、そうではなく』
ルナの言いたいことは分かる。私は服の下に人工魔石結晶を身につけているので畑を耕すために土属性の魔術を盛大に使うことが出来る。
それをしないのか、と言っているのだ。
使うつもりは、ない。先程からチラチラと子どもたちが覗いている。
薬草を育てるのは、私ではなくてここの人たちなのだ。魔術で解決する姿を見せてしまうのは違う気がした。
今この瞬間は簡単に終わらせることが出来るけれど、魔術が使えない者たちに大っぴらに見せつけるのは、いけない。
めげてしまうことがあったら、やるせなくなってしまう。
それに魔術の力に頼らずに育てた植物は、何故か強いのだ。
それを聞いたお兄様は手ずから私に花を育てて誕生日にプレゼントしてくれたことがあったっけ。懐かしい思い出だ。
たとえその花が人間のフェロモンを隠す成分を含んだ、男避け用の花だろうと、丹精込めて育てられた花は嬉しかった。
時折、現れる虫の中でも、害虫に区分されるものを取り除き、桶の中に捨てていれば、突然現れた男の子がいきなり虫をばら撒き始めたり。
鍬を持つ私の腕にしがみついて邪魔をし始める男の子たちが居たりしたが、まあ問題はない。
「姉ちゃん、虫平気なの? 虫の雨ー!!」
「……好きな女の子が出来たら、それはやめた方が良いわよ?」
慣れているとはいえ、さすがに積極的に虫を好む訳ではないので、顔を顰めていたら、院長が「この方はお客様ですよ!失礼なことをするのは止めなさい」と叱っていた。拳骨1つ。
本当に元気な男の子だ。拳骨されても構われたことが嬉しいようで、笑いながら逃げていった。その後に続いた男の子たちは、私を見て満面の笑みを浮かべて去って行った。
ああ、これは仲間を呼びに行くやつだ……。
手の空いたシスターたちが駆けつけてきた頃には、私に対する子どもたちのあだ名が、筋肉姫になっていたが、瑣末なことだと思っておく。
「姉ちゃん、そんな細いのにどこに筋肉入ってるの?」
「あっ、おっぱい!」
「筋肉ダルマおっぱい姫!」
「略して筋肉姫!」
「…………」
思い切り胸を触られたので、勝手に叱って良いものか、仕事に集中した方が良いのか、どうしたものかと逡巡していたが、即座に額にデコピンをくらい、シスターたちに廊下掃除の刑を命じられていた。
でも、なんとなく分かる。たぶんまた似たようなことをして叱られるパターンだと思う。
ちなみに、女の子たちには着せ替え人形にされることになった。
なんか言っていることがうちのお母様と似たような台詞で戦慄した。
「筋肉姫なんて酷いわ! 違うの。淑女も筋肉は必要よ。ダンスだって乗馬だって筋肉は必要だって本に書いてあったもの!」
「重いドレスをさばくためにもね!」
先程から髪をたくさん弄られ、とにかく散々好き勝手にされた。
『男の子どもにも女の子どもにも、玩具にされているぞ、ご主人……』
知ってる。知ってますとも。
数日通う頃には、畑仕事の手伝いをしてくれるようになったので、もう私は何も言わない。
年長の子に勉強を教えることになっていた理由は、年長の子が小さな子に教えてあげられるようにという理由からだ。
教える年長者も勉強になるし、その方が効率が良かった。
数日間、幼い子たちの悪戯に悩まされていた私は、年長の子が普通に話を聞いてくれたので、危うく泣きそうになった。
そうだった。そう。こんな感じだった。
「レイラ様。感想文の添削をお願いします。……あの? どうして泣いて……?」
「な、なんでもないの……なんでも」
「ハンカチ使いますか?」
年長者の女の子が差し出してくれたハンカチは、彼女の刺繍が施してあった。
この腕なら内職仕事の紹介も出来るかもしれないとふと思ったので、院長に提案をするだけしてみよう。
目まぐるしく過ぎていくが、学園で同年代と接するよりも気が楽だったのは確かで。
だけど、子どもたちを親交を深め、年長の子に基本の勉学を教えたり、畑を耕したりした結果、悟ったことがある。
『そなたの叔父に、この仕事は無理だな』
ルナは真顔でそう言った。
私もそう思う。それを知っていたから叔父様は私に押し付けたのかもしれないとも思う。
というか、元々叔父様の解説が壊滅的であることも今更ながらに思い出した。
「叔父様、新薬の開発はどうなったのかしら」
『まだ完成させる気なのだろうか』
「叔父様はそのつもりみたいだけれど」
私は遠い目をしながら天井を仰いだ。
飛ぶように過ぎていく日々。
それから、孤児院で1週間過ぎた頃だった。
孤児院にリーリエ様とフェリクス殿下が来訪したのは。
ルートなんてほとんど関係ないと思っていたが、ゲームでこんな場面があった。
リーリエ様とフェリクス殿下の仲睦まじさに嫉妬するレイラ、というスチルが。




