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「たわいないなあ。レイラが活躍する間もなかったじゃないか」

「お、お兄様……それくらいで……」

 黒ローブの男が3人、巨大な植物の(つる)に巻き付かれて空中に浮いていた。

 ギリギリと締め付ける蔓は容赦なく男たちの体から魔力を吸い上げている。

 まるで養分だと言わんばかりに。

 男たちの顔色が悪いのと裏腹に、植物たちの葉は生き生きとした緑色。風に吹かれて気持ち良さそうに、そよいでいた。

『なんだ、ただの不審者妹狂いではなかったのだな。この男、魔術師としては優秀だ』

 ルナの暴言も慣れたものだ。お兄様にそれを聞かれたらと思うと少し怖い。


 怒るとかではなくて、妹狂いの部分を聞かれたら、たぶんまた訳の分からないことで喜び始める気がする。

 私の自意識過剰とかではなく、この兄は予想を裏切らないので、兄に対しては私も自意識過剰という概念を捨てた。


 お兄様は優秀だ。


 吸収植物(ドレインプフランツェ)


 お兄様の魔力属性は土属性。

 土、すなわち地を意味するその属性は、植物すら掌握する。

 お兄様が土属性の中でも、植物を選んだのは「レイラに綺麗な花を見せようと思って!」という相変わらずな理由だったが、魔術を強化していった結果、なかなかエグいことになった。

 人体の血や魔力を吸い上げる魔の植物。

 強力な魔獣ですら、酸で溶かしてしまう巨大な食虫植物。

 触れるだけで火傷のように爛れる毒花、神経をおかしくする胞子を持つキノコ。


 あれ? 綺麗な花は?と思ったのは私だけではないはずだ。


 遠い目をしながら呟いてみる。

「お兄様の魔術は相変わらず強力ですよね……」

「食虫植物の方もさらに大きな種に進化したんだよ。レイラに近付く悪い虫を食べてしまうためにね」

 どうしよう。冗談に聞こえない。比喩であって欲しい。切実に。


『もう既に巨大な虫に捕らわれかけている気がするがな』


 私は何も聞こえない。


「うう……。ここは?何故、俺はここに?」

 蔓に捕らわれた2人の意識が戻らない中、1人だけ正気に戻った。


 先程までおかしな笑い方しかしなくて、ただ襲いかかって来ていた者だった。


『ふむ。体内に大量の魔力が押し込められていたようだ。一時的に、正気を失う程に、な。無理矢理流し込まれたため、自分の魔力とする以前の問題だ』

「もしかして、正気を失っていたのは、膨大な魔力を処理しきれなかったせい?」

 魔力と精神の関係は密だ。

「なるほど。僕の魔術で魔力を吸い取られたから、正気になったとか?」

「お兄様! お手柄ですね!」

「レイラに褒められた!?」

『本当にこの男はどんな時でも気色悪いな』

 ルナの一言に苦笑しつつ、蔓に巻き付かれた者の元へと私たちは向かう。


 お兄様が魔術で操り、蔓がしゅるしゅると外れていき、やがてドサッと男が地面に落ちた。

「あいったっ!!」

「と、とりあえず、傷を手当します。うちの兄が手加減をせずに申し訳ありません……」

 正気に戻った男は、きょろきょろと辺りを見渡している。

 お兄様は他の者たちの様子を見ながら、攻撃を調整していた。上手く行けば正気に戻るかもしれないからだ。

 その間に、私の方が彼から情報を聞き出すことにする。

「ここは、どこなんだ? 俺は何故、ここにいるんだ?……しかもこの格好は……」

「貴方は正気を失っていました」

「は?」

 治癒魔術をかけながら、彼に端的に告げた。既に戦意などなくなった彼の目には疑問が浮かんでいる。

 とりあえず事情を軽く説明して知ったのは、彼は偶然にも魔力を持つ平民だったということだ。


「ある夜、港からの帰りに後ろから殴られたところまでは覚えているんだ」

「そして目が覚めた時、ここに居たんですね?」

「記憶がないんだ」

「そう……ですか?」

 とにかく、騎士団に保護してもらうのが先決だ。


「レイラ。他の男たちだけど魔力量は通常に戻って──」

「お兄様!」


 お兄様が何かを言いかけた瞬間、彼の後ろで空気を切り裂く音が聞こえた。

「っ……!」

 お兄様はすぐに目の前、辺り一面に障壁を発動させる。

 ザシュッという音が聞こえてきたが、お兄様の発動させた土の障壁の表面が少し削れただけだった。

「後ろから狙うなんて卑怯だね?」

 ふと、真上から殺気を感じ取った。

『ご主人! 上だ!』

 跳躍した何かが降ってくるのを音と空気で感じ取った私は、懐から草刈り鎌を取り出して大鎌へと変化させて応戦した。


 何者かが空から降ってくる。


 ガキンッ、と鋼と鋼がぶつかるような音。

 背後に被害者の男を庇いながら、私は衝撃を受け止めた。

 ぶわりと風が揺らぎ、魔力が膨れ上がる感覚に私は目を細める。


 衝撃が第1波2波と連続で襲ってくるのを大鎌で無理矢理、捌いていきながら、目の前に居るのが貴族の男だということが分かった。


 この人、貴族名鑑で見たことある。


 風属性の魔術を使ってる。

 風がナイフとなって連続で襲ってくるのを、大鎌で払い除けると、目の前の男が「ちっ」と舌打ちをした。


「レイラ!」

「はい! お兄様」

 お兄様の魔術の蔓が伸びてきて、私の足をひょいっとつまみ上げると空中へと放り出した。

 体勢を直しつつ、植物の大きな葉が下からしゅるしゅると伸びてきて、私の足元に足場を作った。

 貴族が襲いかかって来る訳など分からないけれど、やられる前にやる!

 足場の大きな葉が蠢き、私が身を低くしたタイミングで、ぐっと足元を押し出した。

 体がギュンっと加速した。


「はっ!」

 大鎌を振るった。刃の部分でない方で貴族の男を安全に殴打するつもりだった。

 もちろん殺すつもりはなければ、倒すつもりもなかった。


 少し気絶してもらおうと思っていただけだ。


 ルナが黒ローブの男たちが集められた一角で、彼らを守るように立っていて、無闇矢鱈に繰り出されている風のナイフを影の触手の威力で相殺しているのを横目で確認する。


 地面に着地する前に、再びお兄様の操る蔓が私の足を捕まえて、足場を作ってくれる。

 私は地面に足を付けることなく、空中戦を繰り広げることになった。

 足の先に力を入れて再び跳躍して、貴族の男の振るう風のナイフが飛んでくるのを身を捩って避けた。

「……早い!」


 恐らく、正攻法で懐に忍び込むのは無理だ。

 早すぎるのだ。

 高く跳躍すれば、太陽の光で目が眩むはず。

 それに、お兄様の魔術は植物。


 植物は太陽の光の下で光合成をしながら、ますます生き生きと躍動している。


 貴族の男の風のナイフを緑色の蔦が、茎が、阻んでいる。

 風に切り裂かれることなどなく。


 無数に放たれる透明な衝撃を力技で押さえ込みながら、私の足場を作ってくれているのだ。

 お兄様は私のサポートに徹してくれている。お兄様の魔術が攻撃に転じれば、恐らく相手の命はないだろう。

 毒や酸は手加減も何もない。

 それをお兄様はよく知っている。

 相手の干渉力が不明だからこそ、殺してしまう可能性もあるのだ。


 いつもと違うのは、首を刈り取らないことだ。

 大鎌をクルクルと勢い良く回転させながら、致命傷にならないように先端を当てていく。

 いつもとは違う逆回転。大鎌は内側にしか刃がついていないからだ。

 切り裂くのは風の衝撃のみ。


 何度目かの跳躍と、空中からの突撃。

 再び空中から飛び込んで、貴族の男と目が合った。

 重力と己の体重による加速を利用して、私は大鎌を振るい、相手の男もそれを防ごうと風の魔術を行使する。


「……!」

 お兄様の作ってくれた足場を踏んで、跳躍ではなく、すぐ後ろへと下がるように跳んで、すぐに体勢を整えた。

 1寸先、私が直前まで居た場所にはナイフで串刺しにされたような跡。


「っ……」

  たらり、と頬を流れるのは一筋の血。


 まさか、攻撃が当たるとは。

 1度当たるならば、2度目もあるだろう。

 気を引き締めることにした。


『ご主人……』

「分かった」


 ルナの忠告に私は素直に従った。


 私は頬に流れる血を拭うことなく、闇の魔術を発動することにしたのだ。

 身体強化や保護魔術や防御膜ではなくて、闇の属性の魔術。


 一瞬だけ膨れ上がった魔力に、この場の空気が変わるのを感じる。

「まさか、レイラに魔術を使わせるとは、この貴族の男もやるね」

 お兄様は周囲に無数の大きな大輪の向日葵を咲かせながら言った。

 それは通常のものとは違う、巨大な花。まるで私たちが小人になったかのような錯覚を覚える程に、大きい。

「使うの、レイラは久しぶりなんじゃない?」

「……まあ、そんなところです」

 葉がさわさわと風に吹かれるのを見て、私はその緑へ、ぴょんと飛び乗って、向日葵から向日葵へと飛び移る。


 貴族の男も私について来るはず、だった。

 男は巨大な向日葵の葉へと跳躍して、ふらつきながら飛び付いた。

 男が身体強化の魔術を使っていても、ギリギリだったその動き。

 そして、それだけでは留まらなかった。

「なっ……!?」

 貴族の男は私を追うつもりだったのに、あろうことか無様に向日葵から落ちた。

 それも背中から。

「っ──!!」


 私は落ちた男の元へと向かうために、大きな向日葵の葉の上から飛び降りた。

 少し遠くから声をかける。声が聞こえる距離から。

「もう終わりですか?」

「終わりじゃない!終わるものか!」

 初めて貴族の男が口をきいた。

 手を伸ばそうとした男は、びくりと身を震わせて手を引っ込めた。

「……」

 私は静観している。男が立ち上がるのを目を細めながら眺めていた。

 立ち上がった男が呆然と立っているのを眺めて、頃合かと私が男の元へと1歩踏み出した瞬間。

 貴族の男は、大袈裟にビクゥッと身を震わせて、後退り、そろりそろりと不自然な後退をしながら再び転んだ。


 私が近付くと男はガラガラ声で叫んだ。


「来るな! 来るな来るな来るな来るな!! 来るな魔女め!!」

「魔女だなんて。悪口にもなっていないと思いますよ? 女の魔術師は皆、魔女みたいなものじゃないですか」

 罵ろうとしても咄嗟に出て来なかったらしい。

「なっ、お前のその姿。それともおかしいのは俺の方か!?」

「私が大きく見えますか? それとも、自分が小さく思えますか?」

「おっ俺に、何をした!?」


 人はどうしても、視覚情報に頼ってしまう。

 もし魔術で視界がおかしくなったら、今度は聴覚に頼る?

 いや、音にも距離というものがある。



「不思議の国にようこそ。貴族の方。今回の件について、洗いざらい吐いてもらいますよ?」

「レイラは医療に携わる者だからね。どうも傷付けるのは苦手なんだよね。優しくて可愛くて本当に僕の天使」

「私は優しくありませんよ。この魔術、私の性格の悪さが滲み出ています」


 不思議の国(ワンダーランド)。一定の空間、全ての距離感と自らの質量の感覚、それから平衡感覚などをおかしくしてしまう魔術である。私が意識的に対象から除外しない限り、誰でも、問答無用で。

 私が採取中、魔獣から逃げるために極めた魔術で、見て分かるように攻撃魔術ではない。ちなみに、私の主な攻撃方法は物理である。……だから脳筋とか言われるのかもしれない。

 とにかく、この魔術は私の戦いのサポートのために習得した魔術だ。

 相手がまともに動けなければ怖くない。

 混乱状態に陥って集中力をなくした魔術師程、怖くない。

 まあ、私の魔術に逆らって動き続ける猛者もたまに居たりするけど、隙をついて逃げればこちらの勝ちである。

 逃げるが勝ち。生きるが勝ちである。

 ただ、疲れるのであまり使いたくない魔術でもある。



『この兄も対象にしてしまえば、面白かっただろうに。きっと無様だったろうに……』

 ルナはお兄様に対して敵対心を抱きすぎではないかと思いながら、私たちは呆然とした敵へと距離を縮めて行った。


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