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いつものようにシンプルな衣と眼鏡を着用したところで、ようやっと安心出来た。
朝食をいただき、食後のスムージーを口にして一服している中、隣に居たお兄様がこんなことを言い出した。
「昨日、ユーリ殿下とお話していたら、僕の魔術の技量や知識量を褒めてくださいまして。それを聞いていた周りの貴族たちが勧めてくるんですよ」
「何を勧めてくるんだ?」
お父様が尋ねると、お兄様は眉間の皺をトントンと叩く。
「この王都に滞在中のリーリエ様の護衛の任につかないかと」
「……!?」
思わず噎せるところだった。
淑女としてまずいので、すぐに取り繕いつつも耳にした情報が衝撃すぎた。
リーリエ様の周りに集まっていくゲームの攻略対象者。
偶然なのだろうけれど、そんな些細な予感に戦慄する。
「ふむ。形だけでも見せて置いた方が良いかもしれないな。我がヴィヴィアンヌ家の忠誠を。此度は新たな爵位も頂いたばかりだし、他家の勧めを無下に断るのも都合が悪い。勧められたという事実が王族の者の耳に入っている時点で、命を受ける前にこちらから行動すべきか」
「それ、どう考えても面白くなさそうじゃないですか。まあ、表向きのポーズだけなら、リーリエ様の王都探索に同行するだけでも良いかもしれないですが」
お兄様は不満そうにしながらも、その任をやり遂げる気はあるらしい。
お兄様はため息をついた。
「幸い、フェリクス殿下が同情的でこちらの面目を保てるように取り計らってくださったようです。1度だけの同行で済んだのが不幸中の幸いです」
「……メルヴィン。殿下が同情的だとか、不幸中の幸いとか、頼むから外では言わないでくれ」
「言いませんよ。面倒くさい。父上、ちなみに僕にそれを勧めて来た貴族一覧です」
小さな紙切れを渡して、それを見たお父様は頭が痛そうだった。
「ヴィヴィアンヌ家の恩恵を受ける気か」
「どれも我が家の腐れ縁ですからね」
「留意しておこう」
つまり、我が家と昔からそれなりに付き合いのある貴族たちは、我が家に王家との更なる繋がりを求めているらしい。
なんとなく話の流れだとそういうことか。
この部屋に張られた防音結界は隅でチョコレートケーキをつついていた叔父様によって、いつの間にかかけられていた。
お兄様が口を開いた頃からだろう。
ご丁寧にも使用人たちに聞こえないように私たち親族が囲む広く長い食卓付近だけを覆っている。
叔父様は、何やら思い出したようでポツリと呟く。
「更なる王家との繋がりか……。そういえば、あのこと言うの忘れていましたね。まあ、良いか」
前に陛下に召喚された件だろう。
明らかにヤバい案件だが、叔父様は混乱を防ぐためか、わざと口を噤んで居るのだろう……と信じたい。
むしろ、本当に忘れていたとか言わないわよね?その可能性も有り得るのが……何とも。
そこで話が終わったのを確認して、叔父様が魔術を解くと、お母様がお父様から紙切れを受け取り、「あら、まあ」と感嘆し、確認し終わってすぐに炎の魔術で燃やした。
ここでこの会話は終了して。
さらに次の話題に移っていく。
公にしても良さそうな話だが、それも家族間の共有事項で。
ちびちびとスムージーを口にしながら、私は耳を傾ける。
「サンチェスター公爵家との慈善事業だが、王家の使者が本日お見えになるから、昼頃は来賓室に近付かないように。あまり仰々しくしなくて良いとのご配慮もあってな。特別な挨拶は不要とのことだ」
公式事業みたいなものなので、王家も逐一確認しておきたいらしい。
「それは、信用出来るお方ですか?」
警戒心を抱くお兄様は、領地で色々と苦労していたのだろう。
「それは、一目見ただけで信用出来るお方だ。一時的に任を外れて来られるらしい。我が家の使用人たちは一流であるし、接待に心配はしていないがな」
「……?」
誰がいらっしゃるか知らないけれど、邪魔はしないように庭園の方で大人しくしていよう。
いつの間にか隣に居たお兄様にほっぺをツンツンされながら私は首を傾げていた。
『この兄は、いちいち触れすぎなのだ』
今日もルナはお兄様を睨んでいた。私の座る椅子の近くでお座りしていたルナを輝く視線で見つめる叔父様は、お母様にドン引きされていたのが印象的だった。
王家の使いと言うからには、それなりの人がいらっしゃるだろうとは思っていた。
王家の馬車が到着してから、屋敷の中が騒がしくなったので、本当に重要人物が来訪したらしい。
あまり目立つのは問題なので、部屋着の簡易的なドレスに眼鏡姿のまま、庭園の木陰の下のベンチで、青い空を眺めていた。
それにしても夜会は大変だったなあ。
ルナに逐一報告してもらいながら、ひたすらフェリクス殿下を避ける。しかも社交をしつつ、周りに怪しまれないように振る舞うのは至難の業だったが、なんとかやり遂げた。
もともと公の場で私たちが傍に居ない方が良いと話していたこともあって、殿下もそれ程違和感を覚えた訳ではないようだし。
その証拠にあれから殿下からは何もない。
言わなくても察してくれるところは本当にすごいと思う。
「それにしても、ルナ。どうして私の影にもぐっているの?」
『いや、特に意味はない。なんとなくだ』
この屋敷の中でルナを見ることが出来るのは、私と叔父様だけだ。闇の魔力の持ち主は2人だけ。
「そう?」
変なの。
特に気に留めずに、叔父様の研究レポートを読んでいた。
例の『満月の狂気』とかいう新薬開発の経過資料である。
とりあえず何通りかの調合を試したらしく、それをレポートにまとめたらしい。
叔父様は、これを本当に作る気だろうか。
「しかも、どの調合でも危ない薬よね。これを流通させるのは無理でしょう。認可されないかもしれないのに、叔父様はそれで良いのかしら?」
発狂はどうあっても避けられなさそうな雰囲気である。発狂する前提の薬って。
『本人は嬉々としていたから良いのではないか?』
まあ、ごもっともでもある。叔父様の場合は、好奇心に赴くまま研究を重ねている訳で。
趣味と実益を兼ねてしまっている理想的なパターンである。
「……そもそも、この薬を使う時なんて来るの? その状況が想定出来ない……」
「備えあれば憂いなしだよ」
柔らかな声が耳に届く。
「……そ、そうよね! 何かの役には立っ──」
ん? 私、今誰と会話した?
「彼がつくったものはいつも役に立ってきたよね。特に、人工魔石結晶は画期的だった」
隣に何故か、フェリクス殿下が座って居た。
思わず手に持っていたレポートの束をバサバサと落とした。
はい?
「ああ。これ落ちたよ」
「ありがとうございます?」
さっと集めて拾ってくれたそれを呆然として受け取った。
「出力の問題はあるけれど、使える魔術が増えて、魔術界の常識が大きく変わったのは、物凄い功績だよ。私は貴女の叔父上を尊敬してる」
フェリクス殿下だ。幻とかでもなく。
「夜会ぶりだね、レイラ。と言っても私はすれ違って会えなかったのだけど」
状況を理解出来ないながらも、ふとお父様の仰っていたことに思い至る。
「王家の使者の方!?」
「そう。父上──陛下からのね。一目で分かって且つ信用出来る使者だと思わない?」
悪戯に成功したみたいに微笑む殿下の装いは正装で、王族らしい質の良いマントを肩から羽織っていた。
思わず見惚れかけそうになったけれど、私はサッと居住まいを正す。
色々な羞恥心を誤魔化すためにも。
「大変な失礼を。殿下におかれましてはご機嫌麗しく──」
「堅苦しくしなくて良い。むしろ、敬語を取っ払って、私のことは名前で呼んでくれても構わないのに」
「それはさすがに……」
「せっかく友人なんだし」
「無理です」
このお方は何を仰るのか。そんなの自分が特別ですと言っているようなものではないか。
「どうしても?」
「無理です!」
顔が青ざめる私と、何やら不満そうな殿下。
睨み合っていた私たちだけれど、ふっと殿下が笑うことで膠着状態が解けた。
「敬語を取っ払うのはさすがに無理か。ならせめて、水鏡通話の時とかこうして2人の時だけ名前で呼んで欲しいな。友人同士ということだし、ね?」
「……それなら、まだ……」
随分と難易度が下がって、ほっとした。
タメ語で名前呼びよりは全然マシである。
2人きりの時なら、たぶん問題もないだろうし。
「レイラ、私の名前を呼んで」
「…………フェリクス様」
「ん……もう1回」
「フェリクス様……」
私が名前を小さな声で呟いているだけなのに、彼はどうしてそんなにも嬉しそうで、ご機嫌なんだろう?
そこまで特別なことなのだろうか。あまり実感が湧かない。
『ご主人……。典型的な交渉術に引っ掛か──、まあ今更か』
ルナは時折、ぼそぼそと何かを呟きかけ、何か言うのを諦めたらしい。




