紅の魔術師の追想
クリムゾン目線です。
クリムゾン=カタストロフィが、初めてレイラ=ヴィヴィアンヌと遭遇したのは、光の魔力の持ち主について探ろうと学園内に入り込んだ時だった。
受けていた命令は、リーリエ=ジュエル厶を取り込むための足がかり。
彼の主は闇の魔力の持ち主であるクリムゾンたちでは飽き足らず、光の魔力の持ち主を求めていた。
──全て光の魔力の持ち主に押し付けてしまえば良い。
クリムゾンを含めた闇の魔力の持ち主たちにとっては、それが1番だった。
ただ、クリムゾンは真実を偶然、知ってしまった。
もちろんそれを己の主に言うつもりはないが、前提条件がひっくり返るような真実だった。
だから、光の魔力の持ち主にそれ程、期待しなくても良いような気がする。
リーリエ=ジュエル厶の周囲はガッチリと守りを固めているし、リスクに見合う結果になるかは……微妙だ。
光の精霊と契約していたとしても、恐らく……。
──だけど、精霊持ちだ。
精霊持ちというだけで興味がある。自分が交友を深める相手は、そういう相手が良い。
リーリエ=ジュエル厶が話を聞いてくれそうだったら積極的に取り込むことに決めたクリムゾンは、異界を通じて、学園内に潜り込んだ。
誰にも気付かれるはずのない侵入のはずだった。
まさかクリムゾンの侵入に気付く者が居るとは。
駆けつけて来た女子生徒こそが、レイラ=ヴィヴィアンヌ。伯爵家令嬢の魔術師だった。
傍らに居るのは、こちらの界隈では有名な赤目のノエル。
彼らの魔術の行使を見て、骨がありそうだからついでに少し遊んでいこうかと思った。
クリムゾンは物事を楽しいか、楽しくないかで捉えている。
まあ、現実逃避の果てにこのような考え方をするようになったのだと思う。
馬鹿になってしまう方が楽だと気付いてからは大体このスタンスである。
基本的につまらないことばかりだったので、少し骨のある相手をからかっていたクリムゾンだったが、度肝を抜かれることになる。
──闇の精霊!?
珍しく表情を崩したクリムゾンはレイラの契約精霊のルナと呼ばれた黒狼を凝視する。
予想外のところで精霊と出会うとは。
リーリエ=ジュエル厶以外にも精霊持ちが居たのだ。
しかも、これは逸材だ。
現在はクリムゾンには及ばないものの、恐らく鍛えれば、強力な精霊使いになる見込みがある。
──面白い。
こちらの侵入を察知する程の──己の契約精霊であるアビスに匹敵する程の精霊と契約をしているレイラ。
魔力が足りないなりに上手く消費を抑えて工夫している点も素晴らしい。
精霊が傍に居るということは、精霊に気に入られたということ。
自分以外にあまり精霊持ちと出会わないだけあって、物凄く興味が湧いた。
──精霊持ちが2人も居るとは。
それと直感。
レイラの大人びた空気に同族めいた何かを感じた。実年齢と乖離した精神の持ち主だということは何となく分かる。
アビスとルナという精霊の気質も似ているのだから、恐らく主の性質も似ている。
自分と似た魂の持ち主。おまけに精霊持ち。
──これは、面白い。
新しい玩具を見つけた気がした。
光の魔力の持ち主はどうだか知らないが、レイラと気が合うのは確実だ。
──リーリエ=ジュエル厶のことも探るけれど、レイラ=ヴィヴィアンヌのことも知りたい。今、決めた。
思わぬ拾い物をした気分だった。
紅の髪は地毛だ。目立つ髪色を魔術で染めて、学園内に入り込んだクリムゾンは、己のやることを果たしつつも、遠くから近くから噂から、レイラという人物を吟味した。
優しく落ち着いた物腰で聡明な才女。
女子生徒、男子生徒双方から一定の評価を得ている少女。
それだというのに。
独特な空気を持つ美しい少女だというのに、不自然な程、浮いた話が出なかった。
いや。観察していて分かるのは、どの生徒とも仲良さそうに話しているということか。
積極的に話しかける訳でもないのに、彼女は様々な人間と話をしている。
多くの人間と交流し、皆と仲良くしている……言い換えれば、特定の誰かと会話するのを避けている。
違和感は他にもある。美しい双眸を眼鏡で隠しているのは、目立たないようにとの配慮だろう。
だが、眼鏡をしていても隠し切れない美貌を持っているのに、彼女に言い寄る男が少ないのは何故なのか。
眼鏡の認識阻害魔法の効果もあるけど、それだけではない。
──特に男を遠ざけている?
しかも周囲に気付かれないように偶然を装って。
レイラの口調は、同じ年頃の女性というよりは、年上の──大人の教師のものに近く、落ち着いた物腰がそれを助長していた。
少なくとも令嬢らしい物言いではない。元々柔らかい声音だが、それをわざと落ち着けていて、どうやら声が少女らしく高くならないように気をつけている。
優雅な物腰は、王妃教育でもしたのではないかと疑ってもおかしくないくらいに完璧で付け入る隙がない。
高嶺の花すぎて近付けない典型的なタイプを演出して見せているようだ。
さらに口調は基本的に凪いでいるため、教師要素も相まって。
──あれだ。マナー講師のような。……だけど時々、素が出る時があるな。口調も表情も少女のような一瞬を見せる時がある。
それだけ男子相手に気を持たせないようにしながらも、彼女に惚れる猛者が居る。
その場合の対処も舌を巻いた。
一目惚れや恋慕の欠片を見つけると、本人が自覚する前に振り払うのだ。
違和感なく牽制する様は見事としか言いようがない。
言い寄ろうとした男子生徒がそういった雰囲気を作ろうとした時も上手いこと会話を切り上げていく。会話を続けられないように会話を切っていく手腕は見事で。
さらに女子生徒相手には、男子生徒を相手にするよりも、少し気安い態度になる。
女性の来訪を喜び、少しだけ態度を軟化させ、友人に気を許して見せるような態度をチラリと見せつつも媚びない態度を徹底することにより、彼女らのツボをどこか突いたらしい。
マスコット化の成功である。
誰に対応するとしても彼女は自らの性を意識させないように徹底している。
それは共通している。
──純粋にすごいのは、悩み相談みたいなことをしているのに、一線を完全に引いているところか。
多くの者と付かず離れずの距離を保ちつつ、それなりの評判を得ているという神業。
それを意識的に行っていると同時に、どうやら
人と関わりたいと思っているのに、それが出来ないという矛盾も抱えているようだ。
──知れば知る程、面白い。
時折、生徒たちを羨望の目で眺めていることに本人は気付いているのだろうか?
踏み込んで来ようとする者を相手にすると、レイラは様々な種類の怯えが入り混じった複雑な空気を纏う。
ちなみに、レイラを観察しながらリーリエのことも確認していたが、実際に彼女とその精霊を見ても興味を惹かれることはなかった。
彼女に接触するのも面倒だったし、レイラを知ってからはどうでも良くなっていた。
レイラからは目を離せなかった。
──触れるのも、触れられるのも怖いのか。そのくせ、焦がれる。
ああ。とても覚えがある。
『我が主にそっくりな令嬢ですね』
「恐らく、彼女と俺は似たような境遇ですね」
クリムゾンは見逃さない。
裏切られた者特有の怯え。
羨望する者特有の焦がれる目。
絶望を知る者特有の気配。
自覚していながらも、変わることの出来ないまま時を過ごしていくだろうという諦念の欠片。
彼女を思う存分観察して、思う。
──俺以外に彼女に相応しい人間は居ないだろう。俺以外に理解出来る人間など他には居ない。
クリムゾンとレイラはソウルメイトだ。
半身。伴侶。運命の相手。
どんな言葉が正しいのかは分からない。
恋人。きょうだい。親友。どのような形であったとしても、レイラに相応しいのはクリムゾンだけだ。
それだというのに。
『我が主。殺気立つのは程々に。魔力の気配が漏れ出ますので』
「アビス。分かっています」
周りから一線を引くレイラだが、例外があった。
レイラが意識をしている相手は5人。
フェリクス=オルコット=クレアシオン。
ハロルド=ダイアー。
ノエル=フレイ。
ユーリ=オルコット=クレアシオン。
リーリエ=ジュエル厶。
この5人を何故か、レイラは意識していた。
この中でも特にフェリクス=オルコット=クレアシオンという存在が厄介だ。
このクレアシオン王国の王太子で、リーリエ=ジュエル厶のお守りを務める齢15の青少年。
この男は駄目だ。
レイラの本心など知らないくせ、多くを知ったつもりで居る。
傲慢にも手のひらで転がしていると愚かな勘違いをしている男だ。
実際にレイラを翻弄しているのが尚更気に食わない。
彼女の素の表情を引き出す多くは、彼だった。
──レイラに好かれているのか?
フェリクスがレイラに向けている感情は確かな恋慕。
そして執着。
齢15だというのに妙に達観した化け物のような男。
完璧で非の打ち所のない様は、綺麗すぎて妖しい程で、何をどうしたらこのような男が生まれるのかと本気で王家に対してある種の恐怖を覚える。
王家にとって都合の良い、絵にかいたような神童がここに居た。
ただ、レイラに対しては性格が悪い。
レイラを前にすると人間味のようなものを感じる。
ただ、何が理由なのかレイラはフェリクスから逃げ続けているように見える。
それをフェリクスは承知であえて逃がしてあげて──。
──気に食わない。レイラと何の関係もないはずの男のくせに。
少しずつ彼女を囲おうとしている。虎視眈々と獲物を狩ろうと画策している。
非常に目障りだと思った。
レイラが心から嬉しそうに笑うのは、この男の前らしい。
それからはフェリクス=オルコット=クレアシオンが目障りな存在になった。
だからヴィヴィアンヌ家の夜会の折、王太子と話す機会があった今、宣戦布告をしてやったのだ。
「彼女を本当に理解出来るのは俺だけです。決して貴方ではない」
悔しがってこちらを睨み付けるだろうと思った。
焦がれる想いに身を焼かれ、叶わない想いに苦悩してしまえ、と思った。
フェリクスは、凪いだ瞳でこちらを見据えて真っ直ぐに、念話ではなくて直接口に出してこう言った。
「お互いを理解し合った同士でなければ、共に居てはいけないのか?」
当たり前だろう!と叫びたくなった。
フェリクスの開き直った態度が腹に据えかねて仕方ない。
最後は念話で会話は終了した。
『不愉快ですね』
『奇遇だね。私も不快な思いをしている』
──この男は、やはり目障りだ。
それから先、この日はお互いに口を利かなかった。




