フェリクス殿下の焦燥
ヴィヴィアンヌ侯爵家の夜会は盛大に行われている。
予告通り、フェリクスはヴィヴィアンヌ侯爵家の夜会に参加者として立っていた。
王都の屋敷。細かなところにも気配られた会場は程良くきらびやかで、どこか上品なつくりの品々が配置されている。
趣味の良い壁紙や置物、そして庭園で摘まれたばかりの生花。
豪奢なシャンデリアも上品な灯りを放ち、会場の者たちが身に付ける宝石を美しくきらめかせる。
魔術で少し調整され、絶妙な美しさだ。
王家としてはフェリクスとユーリが参加し、他のメンバーもそれぞれの家として参加していたが、リーリエの想いを汲む形となり、結局はいつも通りに彼女の周りへと集まることになった。
いくらか時間を過ごした後、フェリクスは気付いた。
──ああ、これは避けられているな。
ヴィヴィアンヌ侯爵家の令嬢となったレイラは挨拶回りをしていたが、フェリクスがちょうどリーリエに引っ張り回されている間に、すれ違うように挨拶に来たらしい。そこでユーリが対応して王家と侯爵家令嬢の挨拶は終わった。
その後は、何故か一定の距離以上近付けないのである。
物理的障害がある訳ではなくて、近付こうと試みれば、彼女はその場を自然に離れていく。
まるで、彼女に何者かが知らせているとしか思えないくらい正確に、だ。
「……ふぅん」
フェリクスは軽く頷いた。
今日はつまりは、そういうつもりらしい。
遠目でしか見れないのは残念すぎるので、誰にも気付かれないように最小限の魔力で視力だけを強化して眺めることにした。
まさに、月の女神だった。
白銀の髪は後ろでまとめられ、編み込みと共に幻の植物である月花草を模した髪飾り。
白と蒼を基調としたドレスで、繊細なレースのフリルが布の端や袖を飾っている。
背中を流れる豪華な縦ひだが華奢な背中を覆っている。
その反面、彼女が振り向くと胸元が大きく開いていて、彼女の白い肌が余計に艶めかしく感じる。
上から眺めたら、……色々と目に毒だと思う。
背中を見せていないからか、大きく開いていても上品さは失われていない絶妙なデザインである。
その胸元を飾るのは、ラピスラズリの上品な宝石。
夜の色は彼女自身の美しさをより強調しているし、ささやかな小物も1つ1つが素晴らしい品であることが分かる。
ちなみにこれらを嬉嬉として選んだ母親と兄が居ることは、さすがのフェリクスも知らない。
──それにしても、今日のレイラは……。
完全にフェリクスは動揺していた。
そもそも彼女が会場へと姿を現した瞬間、空気が変わったのだ。
静謐な空気を纏い、優雅に歩く姿は遠くからでも分かる。
見惚れる者が多数で、ただただ彼らは見入っていて一瞬時が止まった後、ざわめいたのをフェリクスも覚えている。
あの一瞬、レイラ=ヴィヴィアンヌがその慎ましく優美な立ち居振る舞いだけで、この会場を掌握した。
ますます、王族に向いていると思うのだけれど、それを言ったらますます逃げられてしまいそうだった。
今はとにかく見守るだけにする。
美しい姿を遠目で見ることが出来ただけでも、今日は来た甲斐がある。
まあ、魔術を使っているので、余すところなく確認しているのだけれど。
レイラは自分の正体がバレていないと未だに思っているので、彼も律儀に付き合うことにした。
レイラの涙ぐましい努力が非常に可愛い。
バレていないと思って何やら画策しているのを見る度に、頭をよしよしと撫でたくなる。
──ある程度は泳がせておかないと、警戒されるだろうし。
逃がす気など毛頭ないということを、ほんの少しでも察した瞬間、彼女はどんな手を使っても逃げ出すのではないか。
まるで小動物か何かのようだ。
彼女は表情を隠すのが上手い。焦った時も顔には出るけれど、恐らくほとんどの者は気付かない程度だ。
感情を隠すのがよっぽど上手いのだろうが、じっくり観察していれば彼女の小さな顔の変化が分かって来る。
遠目にレイラを観察しながら、適当に挨拶回りをして、適当に情報収集をして、適当に社交をこなす。
その全てをこなしながら、レイラに視線を移し、眺める。
綺麗すぎる。胸元の布が少々心もとないのではないかとか、誰にでも笑顔を振り撒きすぎなのではないかとか、気になって仕方ない。
彼女も挨拶回りをしているし、令嬢としての責任を果たしているのは分かる。
気を抜いていたせいでリーリエとは、ファーストダンスを踊ることになってしまったが、終始レイラの姿が脳内をチラつくせいで集中出来なかった。
目の前の女性を通り越して、奥の方で他の男性とダンスをするレイラが気になって仕方ない。
リーリエと何か会話をしていた気がしたが、内容が全く思い出せないまま、ファーストダンスが終わった。
ダンスは完璧にこなしていたが、正直記憶が曖昧だ。
予めフェリクスの護衛であるリアムに、リーリエのことも頼んで置いて良かった。
──距離を保っていてもこんなに平静でないなら、あのレイラを目の前にしたら私はどうなってしまうんだ……。
抱き締めて腕の中に閉じ込めたくなるが、そんな権利はないし、ましてや他の男たちを牽制する権利もフェリクスにはない。
──彼女の恋人でも何でもなくて、友人だからな。
愛の告白は、気になっている異性を意識させる1つの手段だが、それをするのが躊躇われる理由が1つ。
──レイラはそれを望んでいないようだし、何より……まさか彼女があそこまで喜ぶとは。
フェリクスがレイラに「友人だ」と告げた瞬間、彼女は目に見えて喜んだ。
珍しいことに、彼女の周りに花がぽわぽわと浮かぶような錯覚。
つまりレイラは些細なことだというのに、完全に浮かれていた。
恋人になりたいなら、今までと違った関係になりたいなら覚悟を持ってぶつからなければ何も始まらない。
今までの関係性を壊す覚悟で。
それをする覚悟はフェリクスは出来ているが、レイラの方は、それを望んでいない。
無理やり告白でもしてしまえば、本気で逃げられて余計に距離を取られるのは目に見えている。怯えさせたい訳じゃない。
どう見ても彼女の方に時間が必要だと悟ったフェリクスは、今のところ様子を見るだけに努めている。
フェリクスから一定の距離を取り続けるレイラを見て苦笑する。
──前途多難だな。
「フェリクス殿下。どうされたのですか?見る限り、いつもとご様子が……」
相変わらずの仏頂面で声をかけて来るのは、ハロルドだ。
傍目には分からないくらいに取り繕いたかったが、今日は大分動揺していたらしい。
「そんなに私の様子はおかしかった?」
「殿下にしては珍しく上の空だな、と思いまして。ダンスも社交も完璧ですが、気もそぞろなのは見て分かります」
「やっぱり?」
王太子としての義務は果たしているし、実際するべきことはしているはずだが、傍目から見れば様子がおかしいらしい。
「リーリエ嬢が拗ねました」
「あー……」
やってしまったな、と思った。
「殿下。何か執務で厄介事を抱えているのですか?」
「まあ、厄介と言えば厄介ではあるけれど」
今日のレイラは綺麗すぎて、ある意味厄介だ。
ハロルドは頷いた。
「……なるほど。それならば、殿下のお気を煩わせないためにも、ユーリ殿下の加勢に行って参ります」
どうやら、機嫌を損ねたリーリエの相手をしてくれるらしい。
フェリクスが何か言う前に目の前から消えていた。
「早……」
──今日の私は使い物にならない、な。
もちろん、気は抜いているようで抜いていないけれど。
それにしても、だ。
「あの男は、何者だ」
サンチェスター公爵家の跡取りになったブレインとかいう青年が先程からレイラの隣に居るのである。
ファーストダンスをレイラと踊っていたことも気に食わないけれど、レイラが一段落ついてからついてから、彼がずっと隣に陣取っているのは何故なのか。
周りに魔術を発動していることに気付かれるのも問題なので、今度は聴力だけを上げてみる。
どちらか一方だ。
視力か、聴力か。
両方底上げしていたら、さすがに周りに感知される。
ギリギリの魔力の消費で魔術を使っているのだ。
目を細めて耳を済ませる。
──大した話をしてはいないけど。
焦燥感が募っていく。
──私よりも仲良くないか?
こう、思ったことをポンポン言っているような。
ブレインの2回目のダンスの申し込みは、レイラによってバッサリと断られている。
フェリクスの頭の隅でもう1人の自分が「ざまを見ろ」と言っている。
苛立ちのような感情が胸の内を占めていたが、レイラがハッキリと「遠慮します」と切って捨てているのを聞いて、すっとした。
聴力強化を止めて、視力強化に戻す。
と、ブレインがちょうどこちらに振り向いて。
──は?
なんと言うことか。
今この瞬間、目が合った。
レイラに一言二言告げると、レイラは軽く頷いて、彼女の兄のところへと戻って行った。
──うん。実は気になっては居たんだよね。
先程からレイラの兄であるメルヴィンが、ブレインのことを殺意の篭った視線で見つめていたから。射殺してもおかしくないくらいの憎悪で。
メルヴィンはシスコンと有名で、フェリクスも耳に挟んだことがある。
とりあえず妹のことを褒めて置けば機嫌が直ると。
それで良いのだろうか。
レイラが兄の元へと戻るのを見届けると、何を思ってかフェリクスの方へとずんずんと歩いて来るではないか。
──どういう状況だ?
何故こちらの視線に気付いたのか。フェリクスは気配を十分に殺していたというのに。
並外れた力を持っているのかもしれない。
「初めまして、殿下」
気付けば目の前に、ブレイン=サンチェスターが立っていた。
フェリクスに突然話しかけて来るなど、度胸が据わっているとしか思えない。
作法も何もかもすっ飛ばしたブレインは、にこやかに微笑むと。
『殿下の視線が五月蝿くて堪りません。ずっとレイラさんのことを見つめているの、俺が気付かないとでもお思いですか?』
念話で突然ぶっ込んで来た。
『……そう。気付いていたのか。だが、それは貴方には関係ないだろう』
フェリクスも念話で答える。
表面上では2人ともニコニコと人の良さそうな笑みを浮かべている。
「こちらこそ初めまして。いずれ話してみようとは思っていたんだよ」
「そうでしたか。光栄ですね」
表向きも会話しながら、念話でも言葉を交わす。
──私以外にここまで魔術の扱いが上手い者が居るとは。
フェリクスとブレインは周囲に魔力の発動を気取られぬように最小限の魔力で魔術を完成させている。
気取られない程の魔力消費量でそれなりの効果を発動することは、かなり難しいのだ。
『関係大ありですよ。レイラさんは私の特別なんです。関係のない殿下が俺たちの間に首を突っ込んで来る方が有り得ない。俺たちの邪魔はしないように。殿下にはその資格もない』
『何を言っている? 私はレイラの友人だ。彼女の身を案じることくらいは出来るだろう。貴方に牽制される言われはない』
こんな会話をしつつも、当たり障りのない会話も続けられている。
表向きの会話は、まあどっちでも良い。
ブレインは、ふっと鼻で笑う。
本当に度胸のある男だ。
『レイラさんの友人? 貴方が? それこそ有り得ませんよ』
友人と口にした途端、ブレインはフェリクスに敵意に似た感情を向けた。
『何故、そう言い切れるんだ』
フェリクスが彼女を友人と口にした瞬間、ブレインの纏う空気が変わった。
酷く気分を害したのか、気付いた時には、笑顔だが目は笑っていないという奇妙な表情を浮かべている。
ブレインは、フェリクスを一瞥すると、しばらくしてから言った。
「殿下には、レイラさんの全てを理解出来るはずがないのですから」
確信の満ちた声に、フェリクスもさすがに息を飲んだ。
「殿下。貴方にはレイラさんを支えることなど出来ない。いくら彼女を好きだとしても、貴方には彼女の絶望を受け止め抱き締めることなど出来ないのです」
フェリクスの気持ちは知られていた。
彼女を恋しいと思っていることも。
彼女の傍に居たいと思っていることも。
彼女を支えるつもりで居ることも。
「彼女を本当に理解出来るのは俺だけです。決して貴方ではない」
それは、確かに宣戦布告だった。




