60
本編に戻ります。
いつものテンションです。
温度差注意。
夜会当日の朝、目を覚ますと私は泣いていた。
「あれ?」
濡れた頬を撫でてくれた手。零れた涙を拭ってくれたのは、人間姿をしたルナだった。
「なんで……涙なんか。何の夢を見たのか覚えていないのに」
「そうか……。覚えていないのか」
起き上がった私はごしごしと目元を拭い、首を傾げた。
「聞きたいことがある」
ルナはやけに真剣な顔をして問いかける。
狼姿じゃない分、感情が読み取りやすい。
「ご主人は、どうしても人を信じられないか?」
え? 何でこの質問なのだろう?
蘇るのは随分と昔の、前世の記憶。
記憶を思い起こして哀しくなりつつも、私はコクリと頷いた。
「私は、信用出来る人と出来ない人の区別はつくし、今私の周りに居る人たちは良い人ばかりって知っているし、ある程度信用はしているけど……」
「けど?」
「心からの信用は出来ないと思う。心を預けるのは怖い」
この人は信用出来ると今までの経験上、頭では分かっていても、心がついて来ないのだ。
きっと大丈夫と思っても付いて来ない。
信頼し合える関係に憧れるのに、私がそれを出来ない。
そういった関係になりたくとも、躊躇するもう1人の私が居る。
心のどこかで一線を引いて、結局のところ信用し切れなくて、自己嫌悪してしまう。
さらにルナは、痛ましそうに尋ねた。
「王太子のことは? 好きなのだろう?」
「……好き、だけど。それとこれとは別。確かに好きだと思ったのに。……私はそういう関係にはなれないと思うの。だから、今日の夜会でも見つかりたくない」
友人でいさせて欲しかった。
お互いの心を全て許し合うことがなくとも、成立する関係の方が安心出来るのだ。伴侶は、無理だ。
それに友人としてなら、ある程度の信頼関係を結ぶことが出来る。
「私が私だって知れたら、前みたいになる……」
フェリクス殿下が怖かった。
確かに信用出来る大切な友人を、私は心の底では怖がっている。
もし、バレた時はどうしたら良いのだろう。
「私も、そろそろキツイかなって思っている。隠し続けるのが無茶なことも分かってる。この先、どう答えるか考えないといけない時期に来ているのも知ってる」
「ご主人、いつもより感情が乱れている」
あれ? 何故、こんなにも感情がさざ波を立てているのだろう?
何故、今日の朝はこんなにも泣きたくなるのだろう。
「書物で読んだ。人間には無意識というものが存在していると。精霊とはそこが違うらしい。精霊は昨日見た夢を覚えているんだ、ご主人。……それと主の見た夢も」
「……?」
後半は私には聞こえないくらいの小声だった。
私は控えめに笑みを零した。
「もしかしたら、私は悲しい夢を見たのかもしれないわね」
ルナは私の頭を撫でて、背中を摩ってくれている。
「あのね、ルナ。今日の夜会、協力してくれる?」
「ご主人が望むのなら……」
複雑そうにルナは頷いた。どうやらいつも以上に私を心配してくれているらしい。
「殿下は……私が心の底から助けを求めている時に来てくださる……。私から何も言っていないのに寄り添おうとしてくれる優しい方なの。私が振り回してはいけない」
寄り添ってくれることが、こんなにも嬉しい。
きっと殿下は私の面倒くささに気付いたはずなのに。
「好きなら離れなければ良いと言うのに」
「好きだから離れるのよ」
いくら尽くしたところで、恋人を信じない女なんて厄介なだけだもの。
身の回りの支度をしようとベルを鳴らそうとした瞬間、侍女が声をかけて来た。
「レイラお嬢様。お支度のお手伝いをさせていただきます」
「お願いね」
身の回りのお世話をしてもらうのは久しぶりで、少しくすぐったい。
最近は寮生活だったので、自分が出来ることは自分でやっていた。
この日は夜会の準備に追われた。
案の定、お母様とお兄様が物凄くテンションを上げていた。
というよりも会話内容がおかしい。
色と形は早めに決めなくてはならなかったので、今更だったけれど、何故だか私の胸元について揉めていたのだ。
「レイラ。せっかくの華舞台なのだから、こちらのアクセサリーを試してはどうかしら? ペンダントは瞳の色と合わせるのです。きっとその美しい白銀が映えるわ。胸元もせっかくだから強調して」
「母上。駄目だ! さっき気付いたんですが、ここまで胸元が開いていたら男たちにとって眺めが良すぎます! 僕だけが踊るならともかくとして、他の男が居たら駄目です! レイラの胸の大きさは、このお兄様だけが知っていれば良いのです」
『変態だ……』
ルナはお兄様にいつものようにドン引きしていたし、お母様は己の息子を遠い目で見ていた。
「ああ……メルヴィン……。貴方は犯罪者にでもなるつもりなの……?」
『分かるぞ。とても良く分かるぞ』
ルナが隣で頷き、その隣で叔父様がルナの尻尾をガン見していた。
カオスである。
そんなこんなで私も1人の令嬢として、お母様の手伝いをしながら将来のために学んでいた。
趣味の良いお母様は、賓客のための持てなしの術を心得ていた。
「レイラ。もう貴女も知っていると思うけど、王家の方々が来られるのよ。張り切ってめかしこみましょう?」
こんなにもウキウキとしたお母様を見るのは初めてだ。
私の周りをそわそわと歩き、ジュエリーボックスを開けたり閉じたり、閉まったり、落ち着かないように見える。
「ああ。娘を産んでおいて良かったわ! ねえ、レイラ。貴女の髪には、こっちの色も良いと思うの」
金色のアクセサリーを手にして、私の髪に当ててくるお母様。
「ところで、お兄様はどうされたのですか?」
先程まで私たちの背後にくっついて来ていたというのに。
「金魚のふ──鬱陶しいから、適当に魔術で縛って来たわ。罪人用の縄を使っているからメルヴィンでも解くのに30分かかります」
今、金魚の糞って言いかけた!?
『その通りだろうに』
気持ちは分かるけど、私の周りの人々はお兄様に厳しすぎる!
お兄様に突撃される前に、お母様は場所を度々変えて、私は着せ替え人形にされ続けた。
「これにしましょう!」
お母様の気の済んだ頃、おずおずとお父様が扉から顔を覗かせた。
「そろそろ、良いだろうか……?」
「あら、貴方。居たの?」
「最初から居た。レイラに来てもらいたくてな」
弱ったお父様に連れられて、複数あるうちの1つ客間に顔を出すと。
「こんにちは。ヴィヴィアンヌ家のレイラ嬢だね。サンチェスター公爵家の当主のジェラルドだ」
「レイラ。こちらは公爵家のジェラルド=サンチェスター閣下と──」
闇色の長い髪をした壮年の男性が微笑みながら立っている。
その横には──。
「初めまして。レイラ嬢。ブレイン=サンチェスターと申します。遠縁から後継ぎとして養子に入りまして、実は今夜が初の顔出しとなります」
髪色は茶色だが、どこからどう見てもクリムゾンの顔をした男が機嫌良さそうに挨拶をしていた。
はい?
固まる私に構わず、クリムゾンは訳知り顔で挨拶を垂れ流していく。
「こんなに美しいご令嬢だとは思わず、その輝きに目が眩んでしまいそうです。是非、今宵のダンスのお相手になっていただけたらと」
『うわ。白々しい男だな』
ルナがぽつりと呟く。
『ワタクシの教育が行き届いているから、うちの主は外面だけは紳士なのですよ』
恐らく隠れているだろうアビスの声が聞こえる。
1つだけ言いたい。
それ褒めてないと思うの。
思わずジト目で見つめそうになったが、お父様の手前、完璧なカーテシーを披露して見せる。
「お初にお目にかかります。ヴィヴィアンヌ侯爵家のレイラ=ヴィヴィアンヌと申します。お2人にお会い出来て嬉しく思いますわ」
『ほら、見ろ。うちのご主人の方が立派な令嬢だぞ』
『ふん。発育は良いが、まだまだ餓鬼ではないですか。うちの主は成人している』
『はっ。うちのご主人はお前の主が余計なことを言うせいで精神が摩耗しているのだ。余計なことを言っている時点でまだ青い』
他の者が聞こえないのを良いことに好き勝手言い始める精霊たち。
『何を言いますか。うちの主は人でなしなのです。精神を摩耗させる程に口が回るならば──ぎにゃー!』
クリムゾンが笑顔のまま、影から出ていたらしい黒い尻尾を踏み付けた。
「どうしたのかね?」
サンチェスター公爵に問われたクリムゾンは優雅に微笑みながら、足に力を入れて踏みつけている。
「失礼。何やら黒い虫が」
「大変申し訳ありません。換気していたら入り込んでしまったのやもしれませんね」
お父様は申し訳なさそうだけど、虫は紛れ込んでいないので安心して欲しい。
その後の話の流れから分かったのは、どうやらサンチェスター公爵家とヴィヴィアンヌ侯爵家が、ある孤児院へと寄付を含めた慈善事業を共同で行うらしい。
ノブレス・オブリージュの精神で、金銭的な援助と教育を孤児院へと施すとか。
今回は試験的に行われるらしいが、いずれはクレアシオン王国全土に及ぶらしい。
クレアシオン王家も1枚噛んでいるとか。
2人きりになった途端、私は詰め寄った。
「どういうことなのですか?」
「どうもこうも、聞いての通りですよ。ちなみにブレインというのは、貴族としての俺の名です」
それは、本名ではないのだろうか?
お父様たちが何やら事業の話をし始めたので、私とクリムゾンは席を外すことにした。
クリムゾンはその場に居なくて良いのだろうか? 跡継ぎでは?
「神出鬼没すぎます。異界を通して移動したりもしますし……」
「レイラさんも出来そうな気がしますよ。異界経由の転移。精霊との供応率を上げていけば、いずれは」
「はい?」
クリムゾンが説明してくれた話によると、精霊使いは、精霊との距離を縮めて熟練度を上げることが出来るらしい。
効率良く魔力を供給し、魔法発動のタイムラグを短縮していくことにより、瞬時に魔法が使えるようになる他、精霊の力を最大限に引き出して圧倒的な魔法を行使出来るようになるらしい。
効率良い供給には、魔力を巧みに操れるようにならなければいけないらしい。
『つまりは、ワタクシと主は繋がりが密になったので、本来なら人間が行けない領域にも跳躍が可能になりました。簡単に申し上げますとワタクシのオマケのような状態ですね』
アビスが私に説明してくれた。
この精霊、思っていたよりも世話焼き気質だ。
私がキョトンとしていても、ゆっくりと言い聞かせるように説明してくれている。
確かに紳士かもしれない。
「貴方はいちいち口が悪いですねえ、アビス。まあ、レイラさんに非礼を働かなければ良いですが。何しろ、私とレイラさんは親友ですし」
『大丈夫か、この人間』
ルナがジト目をしている気がする。最近、狼姿でも良く分かる。
クリムゾンはコホンと咳払いをした。
「とにかく異界は普通の人間は入れません。まあ、例外もありますが」
「例外ですか?」
アビスは私の傍に来ると、尻尾で軽く私の足を叩く。
『現世と異界の境目が曖昧な場所もあるのですよ。レディ。精霊に縁ある人間なら、特別なことをせずとも普通に入ることが出来る空間です』
「初めて知りました……」
異界……異界か。
『そこの狼は己の主に説明すらしないとは。職務怠慢ですな』
『ご主人は勉強することがたくさんあるのだ。余計な負担をかけないようにと時期を窺っていたまでのこと。お前のように口から勝手に飛び出すような振る舞いはしないのだ』
『よろしい……ならば戦争だ』
この精霊たちは実は仲が良いのではないだろうか?
異界。ふと、フェリクス殿下と2人で会っていた精霊の湖を思い出す。
あそこも異界なのかしら?
あれ? 殿下は何故いらしたの?
ふと気になることに気付いてしまった。
ただ、それを殿下に直接聞く訳にもいかないし、ここでクリムゾンたちに聞かれるのもよろしくない気がしたので諦めることにした。
あそこは殿下が落ち着く場所と仰って居たのだから。




