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今の何。幻覚?
自分の部屋の中に見えた2つの影は見覚えのある存在。
クリムゾンルートという隠しルートをやる前に死んだ私からすれば未知の存在。
未知ということは死亡フラグの塊が歩いているようなもの。
なんで! 部屋に居るの!?
再び開ける。
ヒラヒラと手を振る紅の髪色の青年と、毛繕いをしている黒猫が見えた。
ぱたん。
「見なかったことにしよう」
『ご主人、現実逃避は良くないぞ。こういう時は相手から情報を吐かせ──聞く絶好の機会だろう?』
「今、吐かせるって言いかけたよね?」
ルナは同じ闇の精霊がお好みではないらしい。
そうだ。そんなルナが現実逃避をしていないのに、私だけ憂鬱になっている場合ではない。
少しでも情報を引き出して、今後に備えなければいけない。
戦争の基本は情報戦なのだから。
私は覚悟を決めて、ドアを開けて中に居る招かれざる客人たちに挨拶をした。
淑女の中の淑女を目標として育てられて来たからこその矜恃で、これ以上ないくらい丁寧なカーテシーを披露する。
「御機嫌よう。クリムゾン様。驚いてしまったとはいえ、貴方様に不躾な振る舞いをしてしまい、大変申し訳なく思います。我が家にお招きの予定はありませんでしたが、どのようなご用件でいらしたのか私に分かりやすく説明していただけないでしょうか?」
完全に不法侵入である。言い訳でも聞いてやろうと隙のない微笑みを浮かべて私は問うてみた。
「はは、切り替えが早く、話の分かる女性は好きですよ。それに貴女は俺と似た匂いを持ちますし」
部屋の中に入り、ルナは心得たように防音魔術と結界のようなものを張ってくれた。
「クリムゾン様」
前口上は良いから、さっさと言えと目線で促せば、彼の目に申し訳なさそうな色がほんの少しだけ宿った。
「事故だったんです」
「事件の犯人は皆、そう言うんです」
納得出来るように説明して欲しい。
狼の姿をしたルナが私の隣ですぐに飛びかかれるように臨戦態勢を取っている。
クリムゾンの精霊である黒猫は、毛を逆立ててこちらを睨みつけている。
恐らくだがこの2匹、お互いの主を心配しているだけでなく、お互いに虫が好かないと見た。
「異界を通じて移動していたのですが、座標を間違えて、ここに出てしまったんですよ。嘘ではないですよ。ほら、私の精霊も頷いてます」
精霊であるアビスは、主が嘘をついていないとコクコクと頷いている。
精霊は嘘をつかない。そういう性質を持っているのだ。
「……なら、本来はどこへ出るおつもりでした?」
その返答次第では、こちらにも思うことがある。
「ヴィヴィアンヌ家の裏通りです」
「我が家にご用でしたか?」
ますます警戒を強めれば、クリムゾンは困ったように苦笑していた。
「用と言えば用はありますが、それは今日ではありません。俺もヴィヴィアンヌ家の夜会に招待されているんですよ。俺の保護者が招待されているもので、俺は付き添いですよ」
「え?」
彼のことはほとんど知らない。他のルートをプレイしていて時折、登場していたがそれだけで、彼自身のルートをプレイしなければ彼の事情は分からない。
とりあえず、我が家に招待されているならば、表向きは信用出来る家なのだろう。それだけは分かる。
「ただ、お恥ずかしい話で、俺は方向音痴でしてね。事前に確認しないと迷う自信がある」
『言っていることは本当ですよ。うちの主はワタクシが居なければ行き倒れることでしょう。それくらい方向音痴なので仕方ありませんな』
「うーん。否定出来ないところが辛いですねー」
つまりここに着いたのは偶然で、私と出会ったのも偶然という訳か。
「たまたま、ここに着き、どうしたことかと思っていたら、レイラさんの部屋だと気付きまして。ならば驚かせてやろうかなと思ったので、待たせてもらいました。貴女とは仲良くしたいと思っておりましたので」
「同じ、精霊持ちだからですか?」
「貴女が俺と同じような空気を纏っているからです。一目会った時から気になったのは、貴女が俺と同類だから。貴女は人間不信でしょう? 俺はそういう勘が鋭いのでなんとなく分かりますし」
「……」
「そのくせ、信頼出来る相手を見つけたいと心の奥底で思っている。だからなのか、周りに人間不信であることをなかなか察して貰えない。いくらか観察して確信しました」
あの時の図書館に居た時、話しかけられたことも思い出した。
クリムゾンは妖しげで明らかに関わってはいけないと分かっているのに、まるで子どものような表情をするのだ。
迷子で一人ぼっちだった子どもが、同じ仲間を見つけたみたいに、安堵した表情を私に向ける。
こういう人だったのね。
ほとんど、彼のことは知らないながらも、悪い人間ではないことは分かっていた。
それと、普通の人間には手に負えないということも。
「精霊は嘘をつきません。そんな彼らが保証してくれるなら、欠けた俺たちでも信頼し合うことが出来るのでは?人間不信な俺たちは一生他人を疑い続けるでしょう。それなら、そんな似た者同士が友人になれば良いのです」
この人は、私と同じ?
自らの名を捨てた彼は、精霊を介さなければ人を信用することも出来ない人。
「友人になろう」という言葉が甘い蜜のように甘美で仕方なかった。
それは私も同類だから。同じ穴の狢。
本当に、似た者同士だ。
自嘲するような口調には確かに覚えがあって。まるで鏡を見ているようだと思った。
確かに、これはある意味では運命の出会いだ。
「信じられる誰かが居て、初めて人は立っていられる。それを知っているからこそ、俺たちは苦しい。ね? 俺と唯一無二の友人になりましょう? 切っ掛けはどんなものでも良いのです。ここで友人になって仲を深めていけば、確かな絆になる」
確かな絆を求めているのに、己の質を知っているからこそ自分には無理だと分かっていて、それでもまだ信じてる。
怯えているのに、拒絶しているのに、欲しくて仕方ない。
絶望しながら、希望に縋っている。
その希望に、私のような女を必要としている。
同胞。ソウルメイト。そんな言葉が頭に浮かんでは消えていく。
なんとなく、悟った。彼の唇から紡がれる一言一言。
うん。私たちはよく似ている。
決定的な違いは、私は友人の作り方を知っていて、彼が知らないということ。
友人とは「なろう」と言ってなれるものではないと私は前世を生きた分だけ知っていて、彼はそれを知らないからこそ、こんな言葉を並べ立てることになる。
もし、私が友人の作り方を知らなかったら。
恐らく、似たような言葉になるだろうと思う。
私たちはよく似ているが、同じではない。
『歪だな』
ルナがぽつりと呟いて。
『黒狼。お前もワタクシと同じように、その歪な魂に惹かれたからこそ、契約をしたのではないですか?』
『そなたに語ることでもない』
『それはそうですね』
この2匹は主人の性質をよく知っていた。
「共依存なんていりません」
「当たり前ですよ。レイラさん、俺たちは己の足で立つんですから」
「……」
お互いに病んでいる訳では決してないのに、傷の舐め合いをしている訳でもないのに、己の足で立とうとしているのに、どこか歪に感じてしまうのは何故か。
たぶん、お互いに少しだけおかしいからか。
クリムゾンは友人の作り方を知らない。
私は、前世の記憶を持っている。
「クリムゾン様。1つだけ。友人というのは、なろうと言ってなるものではないですよ」
「……なるほど? つまりは暗黙の了解と?」
「友人という定義に形はありませんよ」
大魔術師が、初めてものを知った子どものように、きょとんとした目で瞬いた。
私はこの人を知らない。
何があって、私とそっくりな気質なのかは知らない。
ふと、リーリエ様のことを思う。
嘘をつかない精霊。嘘を看破する光の精霊の力。
ああ。なんとなくゲームで彼がヒロインに近付く理由が分かった気がした。
クリムゾンは、信用出来る誰かが欲しいと執着している。
誰よりも人を信用出来なくて、その実、誰よりも絆を欲しがっている。
私は、大人になって成長した前世の記憶がある分、ある程度現実が見えて心の整理をつけてしまっていた。
誰かを信用したくて欲しくて仕方なくても、世の理を受け入れて、普段は心の奥底に望みを沈め、ある意味では大人になってしまったのが今の私で。
見たくないことから目を背けて、とりあえず日常を過ごすことにして、生まれ変わった今もなお、拗らせたまま放置している。
どうにか出来る気もしないし、今更どうにかするつもりもない。
クリムゾンの言った通り、私はきっとこの記憶を抱えている限り、人を疑い続けるだろう。
クリムゾンは、前世の、とある時期の私と性質が近いのかもしれない。
渇望して、絶望して、恨み、焦っていたあの頃の──前世の私と。




