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夏季休暇。学園の寮に残る生徒以外は皆、自分の屋敷に帰っていくため、学園内は少し寂しい。
私も王都にある屋敷に帰ることになっており、おまけに侯爵家としては初の夜会が待っていた。
普段は夜会に出ない私だけれど、この日は出て挨拶をしなければならない。
きっと動き回る羽目になるから、前日までに配置を頭に入れなくては。
ドンドンドンドンドン!!
「ひっ!」
寮で荷物をまとめ、医務室に寄って手帳を詰めていたら、突然ドンドンドンドンドンと医務室のドアをやたらめったら叩く音がした。
突然、誰だろう?
急病人?
学園内に生徒は残っていないから教師か事務員だろうかと思っていたら、返事をする間もなく、勢い良く扉が開け放たれた。
「レイラ────────!!愛しのお兄様が迎えに来たよ!!」
『なっ、不審者!?』
手を広げて、私に正面から抱きつくのは私の実の兄、メルヴィンだった。
ルナに不審者とか言われているのは、まあいつものことだ。
『やはり、この兄こそが危険人物だ。時折、目がイっているからな』
ルナは本気で慄いているらしく、声が震えている。
そこまで?
影の中へと潜り込んだルナは、何かこの兄にトラウマでもあるのだろうか?
よく分からないまま、メルヴィン兄様の腕の中で、再会の挨拶をした。
「お久しぶりですね! 兄様! 領地の方がお忙しいようですね」
お父様とお兄様の活躍は度々聞くことがあり、隣の領地に跨って不作の問題の解決したり、新たな肥料を開発したりと、特に第一次産業に力を入れているようだ。
常にプラスアルファを無理なく蓄えられるように工夫された農作業のプロセスや、絹織物の名産品を他国にも注目してもらえるようにアレンジしたりと、肥沃でない土地でもやって行けるように手を尽くしているらしい。
『投資すべき折には躊躇わず、私財をも注ぎ込め』というお父様の英断により、領民たちに技術を学ばせるために投資することがあるくらいなのだ。
後で何十倍にもなって返ってくるのだから良いだろう?と躊躇わないのがお父様方式。
裏を取り確実に損をしないと分かった瞬間にそうなる。
知は財産だというヴィヴィアンヌ家らしい思い切り良さである。
さらに、技術を学ばせる際は、他の領民たちも招き、良心的な価格で技術提供の契約に勤しんだりと隣の領主に恩を売ったりと抜け目ない。
そんなお父様に学ぶべく、領地の一部を任されたお兄様は普段はバリバリと働いているというのに、今のシスコン状態からは見る影もない。
私を抱き込み、上から頭に頬擦りをして、「ふふふ……」と時折幸せそうな笑い声が零れる。
どこか陶然としたお兄様は、声に熱のようなものが篭っている。
「夢にまで見た本物のレイラ……。抱き心地の良い体に、柔らかな髪。丁度いい高さの背……。もちろん大きくても小さくても良いけれど」
『変態だ……』
ルナはお兄様が何か行動する度にドン引きしているようだった。
「今日も僕の妹は麗しいね。戸惑いがちな視線を向けられる度に胸に湧き上がってくる感情をどうしたら良いのだろう?レイラの傍に居られるなら、この想いを形にしなければ……! どうしよう! 言葉じゃ表せない! 何を言えば良いのか、僕には……分からない! レイラ、どうしたら良い? この僕としたことが! 胸の高鳴りのせいで、空気を上手く吸えないんだ……」
『ならば、息をするのを止めれば良いのではないか?』
遠回しに酷いことを言っているが、何がルナをそこまでさせるのだろう。
「レイラ。久しぶりの夜会だね! 今度こそは、レイラをめいっぱい飾りたい! いつも、嫌がるけど、今度こそ最上級に着飾ったレイラを見てみたい。もちろん、普段から可愛いし美しいし、僕の女神であることに変わりはないけれど。レイラには際限がないから。ね? 嫌かもしれないけど、ここは久しぶりにあったお兄様のためにも──」
「良いですよ、お兄様の好きになさって」
「え?」
「お兄様の言う通りにします」
「レイラ!!」
お兄様が数秒間固まった後、私の体をさらにぎゅうううううっと抱き締める。
く、苦しい!!死ぬ、死ぬから!
「ああ。僕の女神がついに微笑んだ!特別綺麗に着飾ったレイラをエスコート出来るなんて、なんて栄誉なのだろう!僕は次の日死んだって良い!」
『ほう……?』
ルナの変な殺気は気のせいということにした。
「今回は、特別ですから。たまには周りの皆様の言う通りにしようと思いまして」
普段、私は控えめに着飾り、目立たないように帰ってくるのが通例だった。
お兄様をはじめ、お母様、侍女たちはいつも残念そうにしていて、少し申し訳なかったりもして。
だけど、今回は事情もある。
数週間経って、沈静化してほとぼりも冷めてきた銀髪の少女の噂。
恐らく、あの場所に居た者たちは私の顔をよく覚えていないだろう。元々私を知っていた人は別として。
フェリクス殿下との会話も皆の前では数週間していないため、皆は噂だと信じ切っている。
眼鏡着用は、主に殿下対策となっているに等しいのである。
そして、さらに念には念を入れる。
化粧とは、化けるという字のごとく、女性の印象を大きく変える技術なのである。
今回の夜会だけは、侍女たちの熟練した技を存分に奮ってもらうことにして、メイクとドレスで普段のレイラ=ヴィヴィアンヌとは違った印象の淑女へと変身させてもらう。
今回、眼鏡をかけられないのは心もとないが、まあ……その辺はどうにかするとして。
「お母様もお喜びになるでしょうか?」
「当たり前だよ!!」
お兄様は上機嫌のまま、迎えの馬車に乗るまで、私の手を離さなかった。
『ご主人、早めにこの男をどうにかした方が良いと思う。王太子のことよりも、最優先事項はこの兄だ』
最近、ルナの口癖になってしまっている気がする。
王都の屋敷に戻るとお母様が出て来なかった。
「あの、お母様はどちらに?」
「レイラお嬢様がドレス選びを全て任せるとのことで、それを聞いた奥様ははしゃいでいらっしゃいます」
「お兄様?」
「いやー。こんな機会ないから、さっき魔術で早めに連絡送ったら、母上張り切っちゃってね。まあ、レイラを着飾れるんだから気持ちは大いに分かるけど。女神よりにするか、妖精よりにするか、どっちにしようかなあ。レイラの場合、胸も育って来たし──ごふっ!」
お兄様がセクハラめいた発言をした瞬間、ルナが私の影から触手を出して、物理的にお兄様の鳩尾に一発入れた。
る、ルナ……。
『犯罪の芽は摘まねば……』
あああ。ルナの目が本気だ……!
突然呻き声を上げたお兄様には、周りから訝しげな視線が集まっているし。
『周りからおかしなやつと思われるのも、精神攻撃の1種だな』
本当に、お兄様とルナの間に何があったのか?
「と、とにかく、私は1度部屋に行って、荷物を置いてきます」
お兄様の腕も外れたことだし、早く部屋に戻ろう。
王都の屋敷はたまにしか来なかったが使い勝手は分かっている。
途中、侍女たちに何度か質問をされた。
内容は皆同じ。
『レイラお嬢様! 今回は私たちが全身コーディネートをさせていただいても構わないのですよね!?』
皆、鼻息荒く迫って来るので若干引いた。
これでも人並みに着飾ってきたのだけれど。
そう言うと皆、決まって同じことを言った。
『お嬢様の素材を生かさないなど、それは罪です!』
正直、大袈裟だと思う。
何か一大イベントみたいになってるのも解せない。
何やら思いやられるというか、何故私本人よりも周りが盛り上がっているのだろう?
こんな機会でもなければ、そこまで着飾るつもりもなかったのに。
恐らく、お父様もホクホクしながら騒動に混ざっているらしく、お母様の暴走を止めない。
ストッパー的な役割の両親が今回はノリノリなのだ。
1番酷いのは、お兄様な気がするけど。
可愛がってもらっているのは、とても嬉しいけれど。
ふうっと溜息をついて、自室のドアを開ける。
「あっ。こんにちは。部屋の窓が空いていたので、入らせていただきました。お久しぶりですね、レイラさん」
どこかで見たことのある紅の髪をした男と、どこかで見たことのある黒い猫の精霊がソファで寛いでいた。
パタン。
思わず自分の部屋のドアを閉めた。




