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「騒がせてしまってごめんなさい」

  リーリエ様は開口一番そう言った。

  本当に申し訳ないと思っているのか、涙を零してはいないが、今にも泣きそうだった。


「リーリエ様……」

  本当に謝りに来てくれたんだ。


「私は分かっていなかったの」

  リーリエ様は意気消沈したように呟いた。

  フェリクス殿下に言われて、ようやく何がマズかったのか分かったのだろうか。

  リーリエ様が淑女に近付けば近付く程、フェリクス殿下の仕事も減るし、私の死亡フラグも減るだろう。

「大丈夫ですよ。今からでも──」


  今からでも充分に間に合う。まだ決定的な失敗をした訳ではないのだから。


  安心しきった私はリーリエ様の次の言葉で、戦慄することになる。




「貴族の皆の意地の悪さを理解していなかった私が悪いの」




「え?」


  呆気に取られた私に、リーリエ様は自らの体を抱き締めながら言った。


「皆が皆、粗探しをしてるなんて、貴族の人たちは心が汚いよ。身分なんて関係ない。同じ人間なのに。それを知らなかったから、私はレイラさんに迷惑をかけてしまった」


  ああ。この娘は、貴族の根本を理解していなかったのだと、私は知ってしまった。


  リーリエ様は恐らく実感していないし、まだ理解が乏しいのだ。

  裕福な生活を享受している貴族だが、彼らの一言で、多くの人間の人生が左右され、多額の金銭が動くということが何を意味しているか。

  爵位を持つ貴族の身1つでどれだけのことが変えられるのか。

  多くの者の人生を背負った彼らが、数々の信用という目に見えないモノを基盤にして生き残っていることも。

  何よりも信用出来るのはお金と確かな契約だが、そのどちらも信用とは切って切り離せないのだから。


  リーリエ様は知らない。

  それ故に、ほんの少しの醜聞でさえも貴族にとっては致命的で、そこを狙いすまされてしまえば一溜りもないという現実を。

  既得権益のために弱みに付けこもうとする者たちがゼロでないという真実も。

  出し抜き出し抜かれたりという、貴族社会に渦巻いている闇も。

  結婚の意味も。

  それに、条件の良い結婚相手を見つけるならば、己の振る舞いに気を付けなければ足元を掬われ、気が付けば他の貴族に全てをかっさらわれていることがあることも。


  粗探しをしているだけではない。

  見極めているのだ。

  どこの派閥に属すれば安寧を得られるのか。どうしたら破滅しないのかを。

  もちろん、全ての貴族がそれを理解しているとは言えないし、例外もあるのだけど。


  それに貴族の性格が悪いことは、本当だし。


  そんな貴族社会だからこそ、瑕疵はなるべくない方が好ましいに決まっている。

  案の定、醜聞に過敏になる。誰しも付け込まれたくなどないからだ。

  ある意味では薄氷の上を貴族たちは生きているのかもしれない。

  令息や令嬢たちの起こした醜聞は、彼ら自身の家に泥を塗り付け、自らがツケを払う日はやがてやって来る。

  そんな世界で暮らして来た貴族たちの中で、奔放に振る舞えば、白い目で見られてしまってもおかしくない。


  リーリエ様が問題を少し起こしたとしても、まだ受け容れられるのは、彼女自身の光の魔力のおかげであり、もしも彼女が普通の令嬢なら一溜りもないのだ。


  もし、他の光の魔力の持ち主が現れて、それが貴族なら……。


  リーリエの立場はきっと、危うくなる。


  男爵令嬢として彼女は、まだ何も貢献していないのだ。

  庇護されたままのお姫様で居られるのは今だけなのに。


  ハッピーエンドのその先は、誰も知らないのに。


  彼女の人生もまた、ゲームなどでは決してない。






  ちなみに、この話題がフェリクス殿下の耳に入ったのは随分と後だった。


「なるほどね。そういうことが……」

  フェリクス殿下と恒例の鏡通話。持ち寄りのランチとコーヒーをいただきながらの優雅なお昼休憩である。

  人が居ない木陰。心なしか木々に囲まれていると空気が美味しい。

  ここで書類作成するのも捗りそうなくらいの場所。


  リーリエ様が謝罪に来てから1週間経過したのだが、どうやら、彼女が医務室に来て私に謝罪したことをフェリクス殿下は遅ればせながら本人に聞いたようで。

「昨日ね、リーリエ嬢がレイラに謝ったことを報告して来たのだけど、彼女、こちらをおずおずと窺って来ていたから、怒鳴ったつもりはないけど、当時の私は怖かったのだろうか?」

「……どうなのでしょうね」

  そっと気付かれないようにため息を零す。

  リーリエ様はフェリクス殿下本人に怯えていた訳ではないと私は知っている。

  確かに恐怖の感情だが、また違う恐怖だ。


『フェリクス殿下に嫌われちゃうよ……』


  1週間前、彼女が言った言葉だ。

  リーリエ様は、フェリクス殿下に嫌われることに恐怖し、怯えているのだ。

  もちろん、激怒した時のフェリクス殿下も怖かったし、少なくとも私は絶対に怒らせてはいけない人だと思った。


「貴族は、性格が悪い……か。確かに否定は出来ないのだけど、そういうことじゃないんだけどな」

「……リーリエ様はまだ貴族の感覚がピンと来ないのかもしれませんね」


  フェリクス殿下はため息をつきながら、ここ数日の様子を語った。


「ここ最近はリーリエ嬢から話しかけられることが減っていた。先程も言っていたように怖がっていたから」

「……」

「昨日からは以前と同じように話しかけてくるけど」

  それが不思議だと彼は語っている。


  リーリエ様は殿下に嫌われることを恐れていて、ここ数日は上手く話しかけられなかったのだ。

  だから殿下本人を怖がってなど居ないと伝えるのは容易いけれど、彼女が最も恐れていることを殿下に伝えようとは思えなかった。

  リーリエ様がそれ程までに殿下を好きだということを知って欲しくない私のエゴだ。

  だから私の口からは何も言わなかった。


  好きな人に、他の女の子の気持ちなど教えたくない。

  まあ、リーリエ様の想いはバレバレだから私が言わなくても問題ないんだけど。

  俯いているのは、一方的に私が疚しさを感じているだけだ。

  自分の女の部分に吐き気がして、意気消沈しつつも、誤魔化すように私も首を傾げていた。


  それでも少し憂鬱になっている私に、殿下は目敏く気付いた。


「レイラ、大丈夫?なんだか落ち込んでいる」

「私は、元気ですよ?」

「……そう?それなら良いんだけど、無理はしないで何か私に言いたくなったら言って」

  明らかすぎる嘘を、殿下はあえて追求せずに、すぐに引き下がってくれた。

  この人は、私の性格を良く知っている。

  ああ。好きだなあって思う。

  思わず伸ばした手は水鏡に触れて、ひんやりとした感覚が指に伝わった。

「……っ!」

  ちょうど水鏡の向こう側の殿下も、私と同じように手を伸ばし、ちょうど私の手のあるところに触れていた。

  触れ合った訳でもないのに、指先に熱を感じるのは錯覚か。

  思わず手を引っ込めてしまったせいで、妙な雰囲気になりそうなところで、殿下は何でもないように言ってくれた。

「こうして触れても、やっぱり手の感触は変わらないね」

「……そうですね」

  上手く笑えなくて困った。

  私と殿下は普段からベタベタなどしていないというのに、こうして触れられないと分かると、手を伸ばしてしまうのは何故なのだろう?


  好きな人に抱き締められたら、どんな感じなんだろう?


  友人で満足しているはずなのに、時折私は大胆過ぎる願いを抱いている。


  反省……しよう。うん。


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