53
それは、ほんのりと心が温かくなって、気が緩んでしまう単語だった。
私のことを友人だと仰ってくれたことが純粋に嬉しい。
私たちの間に何もない訳じゃないってことだもの。
その響きに頬が勝手に緩んでしまう。
友人……かぁ。良い響きだなあ。青春っぽい響きだなあ。
王太子と友人……という響きは不穏だけど、まあ細かいことは気にしない。
友人として支えることが出来るのだから。
何やら困った案件でもあった時、相談先の1つになれたら光栄だ。
友人なら、殿下の隣でなくても支えられるもの。
それに医務室勤務の者としても、友人くらいなら許されるんじゃないかな?
なら、余計に私の正体はバラしたくない。
難易度が以前より上がってしまっているけど、もう少し抗っていたかった。
そうしたらただの友人でいられるもの。
「そう言っていただけるのは、嬉しいです」
ほわりと頬を緩めながら言ったら、何故か殿下は息を飲んだ後、照れたように目を逸らした。
どうしよう。そういう態度をされると、言っている方も恥ずかしくなってくる。
というか、この人照れるなんて芸当出来たの!?
彼が照れるのはレアではないだろうか?
珍しいものを見たかもしれない。
私にもブーメランとは言え、嬉しいという気持ちを伝えられたのは良かった。
嬉しい気持ちを完全な言葉にすることは叶わず、月並みな言葉になってしまうのがもどかしいけれど、とても光栄に思っていることは本当なのだから。
「そんな顔で真っ直ぐな言葉を返して来るから、どうしようかと思った」
「そんな顔って……もしかして私は変な顔をしていましたか?」
ニヤニヤしてしまっていたら、完全に不審者である。
残念ながらニヤニヤ顔をしているか私は確認出来ない。この水鏡、自分の姿は映らないのだ。
「いや、そうじゃない。レイラはいつも変な顔なんてしていないよ。ただ、可愛いなーって思っただけだ」
「……」
殿下は友人にも可愛いというタイプの男子なのだろうか?
褒めて伸ばすタイプ? それともペット感覚的な可愛い?
いやいやいや。私に小動物じみた愛らしさなど皆無だ。
さすが天然ジゴロ疑惑浮上の王子。甘い言葉すらもサラッと言う。
先程は照れたのに、これは照れずに言えるとか、この人のツボが心から分からない。
友人だと確認し合ったばかりなので、殿下が私を口説いている訳ではないのは分かっている。
素顔ではなく、眼鏡をかけている状態で褒めて来るのだから、確実にリップサービス。
そもそも殿下の方が照れずに言っている時点でお察しだ。つまりはそういうことだ。
リップサービスに動揺してどうする!私!
ただ、眼鏡をかけている私にこんなことを言うのだとしたら、この人は自覚なく口にしている可能性が高い。なんて罪深い……。
ここは話半分に聞いて、さらっと流して大人な対応をするべきだ!
「……ありがとうございます。そう仰っていただけるなんて、光栄の極みです」
「うん。完全に信じていないよね」
「私は殿下がお優しいと知っております」
実際、彼は相手の気を使うことが出来る人だと思う。
「まあ、良いや。……話が戻るけど、私とは基本的にこのように話すことにする。学園内での接触は噂がある限り、出来ない。ここまで来てもらう分、手間をかけるから無理は言えないけど、たまにこうやって話をしてくれると嬉しいな」
「ええ。私でよろしければ! 実は、友人と仰っていただけて嬉しいのです。ほら、私は医務室にいる分、そういった機会がないですし」
「そこまで喜んでくれるとは思ってなかったな。…………かわいい」
最後だけ、ぽそりと零した独り言は聞こえなかったけれど、私たちの間に流れる空気は穏やかなものなので、不穏なものではないだろう。
近況報告として、ここ最近の話を殿下に伝えているうちに、昨日の話になった。
「なるほどね。ヴィヴィアンヌ医務官がそんなことを……。正論だね」
「理由は、魔術談議を邪魔されたからとか、そういう理由でした。あまり刺激するのは各方面に迷惑をかけると思い、遅かれながらも止めたのですが、それからリーリエ様は泣いてしまわれたのですね。人伝で聞きました」
昨日のことは知らないですよーと強調していたら、フェリクス殿下は気まずそうにこちらを見ていた。
「私も、少し感情的になってしまってね、彼女にハッキリと色々言ったんだよね」
え? 感情的? あれで?
怒るにしては、特殊な怒り方というか、かなり理性的というか。
本当に殿下は怒鳴ったり声を荒らげたりしない人だ。
「彼女ね、さすがに泣き喚くのは恥ずかしいと涙を堪えようとする素振りが多少あったんだけど、被害者として泣くこと自体を堪えようとはしてなかったんだ。授業中も宥めることになったせいで、変な噂がまた広まりそうになったりして、少し……疲れた」
「最近の殿下、目の下にクマがありますし……。それに、旬な噂話の登場人物になるのは、精神的に来ますからね。ほら、あからさまにじっと見てくる人もたまに居るじゃないですか」
噂の1つとして名を連ねたから分かることもある。1つの経験談として。
殿下は疲れたように「あー、あるかも」と言っている。
視線って気にしないようにしてても気になるんだよね。
不本意な噂は、精神を削っていくという事実。
これをずっと前からされていたフェリクス殿下の精神疲労は半端なさそうだなって思った。
好きではない人と恋人疑惑って。
「寝不足なせいで情緒不安定だったところはあるかも。とにかく、リーリエ嬢が医務室から出てった時に涙を零して出ていったせいで、レイラにも悪い噂が立ちそうになったりして。そんな状況なのに、お気楽なズレた発言をするから、こうプチンと」
「私のこともお気遣いいただきまして、ありがとうございます。元々は私の叔父が言葉を選ばなかったのも原因なので、皺寄せがそちらに向かってしまい……言葉って難しいですね」
「さじ加減がね……。思ったままを言えるのは羨ましいかもしれない」
殿下はその立場上、1つ1つの発言に重みがある。私たちとは違い、迂闊に何かを言うことが出来ないのだ。
王家だから、という理由もあるだろうけど。
「それは私も思います。叔父様を見ていると、羨ましいと思いつつも、ああはなりたくないと思う自分も居たりして」
「私はリーリエ嬢にハッキリ言えなかったから彼の勇姿に敬意を抱くよ」
「私は、普段から細やかな気遣いをされている殿下に1票です。叔父様の率直さは美点ですが、敵は作りやすいでしょうし、それはそれで大変そうだと個人的には思いますし」
フェリクス殿下が肩を竦めて頷いた。
「まあ、私には無理かな。ちょっと色々と差し障りが……」
だよね。伯爵家なのに気にしない叔父様が異端というか。結果を残している分、口を出せない人も多いのだろうけど。
苦笑していた殿下だけど、ふと反省するように呟いた。
「感情のコントロールが出来なかったことをちょっと反省してる。あそこまでキツイ物言いをするつもりはなかったからね。あまり見られたくない光景だったな。……レイラに幻滅されたくはない」
ごめんなさい。あの場に居ました、とはもちろん言えず。
殿下的には、私に怒ったところを見せたくなかったらしい。
その表情はどこか不安そうで、こちらを窺うような気配があった。
「ふふ、幻滅などいたしませんよ。どんな一面があったとしても、今こうしてお話している今の殿下は嘘ではないのですから、それで十分です」
思っていたのと違ったと幻滅するのはお門違いだと思う。
私が見ている殿下も殿下で、叔父様並に面倒なキレ方をしている殿下も、また彼の一面だ。
まあ、珍しいキレ方をするなあとは思ったし、私の中で怒らせたら危険な人ランキング上位に入ったけれど。
叔父様が正論を投げつけるなら、殿下は正論でじわじわと痛めつけるといったところか。
「それに、ちょっと見てみたいですね」
心配させないように明るく言った。
「レイラ……」
殿下は向かい合った私の手のひらに自分の手を重ねようとして、1寸遅れて鏡越しなことに苦笑した。
珍しい失態だ。
この水鏡。物理的に繋がっている訳ではないのだ。
そんな風に昨日のことを話しながら時間は流れていったのだが、ふいに殿下が真剣な表情で向き合って来た。
「レイラに聞きたいことがあったんだ」
「何でしょうか?」
久しぶりに殿下と話せた私の周りには、見えない花がぽわぽわと舞っていたのかもしれない。
少なくとも私は浮かれていた。
そんな私に投げられた質問がこれだ。
「前に女子の間で、担ぎ上げられている誰かが居ると言ったよね?それについてユーリに探らさせているとも」
「え、ええ……」
何故、今更それを持ち出すのか……。
内心ガタガタ震える私が居る。
「今回、色々な噂が立ったと思うんだけど、銀髪の少女がレイラじゃないかって話も出た。どこからそんな話が出たのかと不思議に思っていたのだけど、どうやらその話の出どころはその令嬢たちの間かららしい」
ごくりと私は息を飲んだ。
な、何を言われるのだろう?
というか、やっぱり出どころってそこだったんだ。
「今回、リーリエ嬢に対抗するかのように立てられた噂。それも令嬢たちの間から。銀髪の少女の特徴は銀髪という1点のみ。にも関わらず、そこに唐突に絡められるレイラの存在。立てられた噂の内容とどこから発信されたのか鑑みて、例の誰かの正体とか、その誰かが令嬢たちの間でどのように担ぎあげられているのか、これだけ証拠が揃ったらさすがに分かってしまった」
ど、どうしよう?
自信満々の表情。どう見ても確信を得てるとしか思えない。
すらすらと並べ立てていく言葉は澱みなくて。
もう知られているっていうことなの?
私が相応しいとか言われているのは本人に聞かれたくはなかったし、何かの拍子で婚約者になったら、また変なフラグが立ちそうで怖い。
でも……。
ここまで知られているというのに、今更誤魔化すなんて出来なかった。
正論をぶちかます以外、思いつかなかった。
ここでキッチリと伝えておかねば。
だって、これって単にリーリエ様の対抗馬としと擁立されただけだもの。
まさか本当に噂を流す人が居るとは思っていなかったけど。令嬢たちはあんなに水面下に拘っているように見えたのに。
不思議だったのはそこだけ。
冷静に。あくまでも冷静に。感情を押し殺すんだ。
「フェリクス殿下。令嬢たちの間で言われていることは、あくまでも令嬢たちの意向です。私が貴方の婚約者候補として挙げられたのは、リーリエ様に対抗する相手として都合が良かっただけで、公爵家の方々の事情が絡んだ結果です。殿下の婚約者ですから、令嬢たちでも公爵家でもなく、最終決定は貴方にあります」
一瞬ぽかんとした後、彼はすぐに笑みを浮かべる。
「………………うん。つまりレイラは私の婚約候補として令嬢たちの間で担ぎ上げられたってことだよね……それで?」
とりあえず私の必死の攻防を最後まで聞いてくれるらしい。
「ご存知のように、これは令嬢たちの間で勝手に言われていることですから、世に何の影響もありません。水面下で語られているだけですし、殿下はこの噂を気にしなくても良いのでは?と思いまして」
つまり、私はこの件に何も思ってないし、ただの噂みたいなものだから気にしなくて良いと伝えた。
そして言わなければいけないことはハッキリ伝えなければ!
「つまり、令嬢たちに水面下で語られているだけの話をお気になさる必要はないのですよ。単なる戯れ言です。この話に決して! 惑わされることなく、王家の方々で話し合った上で適切な婚約者を迎えてください」
よし! 言い切った!
一言で言えば、本気にしないでください! お願いします!作戦である。
「……」
え? 何この無言。怖いんだけど。
やがて殿下は何故か良い笑顔を浮かべていた。
「ユーリに探らせていた時、令嬢たちの間からなかなか聞き出せなかったらしい」
「そうですね? かなり結託されていたようで。私がこの話を初めて聞かされた時点で、ほとんどの令嬢たちが繋がっていました」
「ご婦人たちの繋がりって、時折すごいよね。男じゃ手出し出来ない時もあるから。……ところでレイラ。1つだけ嘘をついたことがあってね。謝らなければいけない」
はい? 殿下が何やら楽しそうな顔をされている?
「銀髪の少女がレイラだっていう説を立てたのは、令嬢たちじゃない。実は、私に嫉妬した貴族令息たちが、掻き回してやろうと流した噂なんだ」
「ああ、その噂の出どころは令嬢たちじゃなかったんですね。確かにあそこまで堅固な令嬢たちがそう簡単に変な噂を流すとは思えませんでしたので納得です」
何か変だなとは思っていたけど、今のは殿下の嘘だったのか。
それにしても貴族令息の誰かさん。2人の仲を引き裂こうとして、私を巻き込むのは止めて欲しい。完全に飛び火じゃないか。
フェリクス殿下は、ふふ……と笑った後、さらにこう続けてくれた。
「だから結局、令嬢たちの間でまことしやかに語られている内容を知ることは、私たちでは出来なかったんだ」
「え?」
つまりどういう?
「レイラが今、自分から語ってくれるまで、私は何も知らなかった」
「え?」
待って?
ちょっと、待って?
「銀髪の少女がレイラではないかっていう説が浮上したけど、この噂をかき消そうとしている人たちが居てそれが皆、高位の貴族令嬢だったから、何かあるかなって思った。手網を取ってくれているのがレイラかも?とも思った。だからね、かまをかけてみた」
「え?でも、先程……確信された様子で……」
あんなに自信満々に、何もかも知ってるって顔をしていたのに!?
「それは、ほら。王家お得意のハッタリだよ」
もう、王家怖い!!
顔が青ざめたのを自覚する。
待って。本当に待って欲しい!
テレビ電話ならこの段階でぶち切りたいところだが、これは私の作った術式ではない。
「さっき、私がレイラに言ったのは、出どころが令嬢たちっていう嘘と、真実が分かったっていうことだけ。……ああ、ごめん。よく考えたら全部嘘だね。嘘しか言っていなかったね」
あああああああ!!
騙されたああああ!!
あははと彼は笑っているが、私にとっては笑いごとではない。
つまり、知ったかぶりに騙されて、私は全て自分から白状してしまったってことなのだから!!
令嬢たちの水面下の噂話が、迂闊な私から露見した瞬間だ。
でも、待って欲しい。
あんなに自信満々の表情で、何もかも分かったと言われたら、信じてもおかしくないよね!?
まさかハッタリなんて思う訳ないよね!?
「私が何も知らなかったらどうするおつもりで?」
「レイラが知らないなら、それはそれで想定内かな。適当に誤魔化すよ」
「…………」
このお方、何げに性格が悪い。本人にそれを言うか。
満面の笑みですね、はい。
「レイラ。教えてくれてありがとう」
私、何でこの人のことを好きなんだろう?
遠い目をした私は悪くないはずだ。
15歳にして可愛げを全て捨て去ってしまったとしか思えない。
なんだろう。この人。何もかも狡い。
ちなみに1番救えないのは、殿下の良い笑顔を見て、きゅんとしてしまった私だと思う。
『雑談で気を抜かせてからの猛攻……。この王太子、なかなかやるな……。なるほど、ハッタリか。もう色々と諦めても良いのではないか?』
話をしている最中、見守っていてくれたルナは、一連の流れの中、殿下に対しての評価をまた1段階上げたらしい。
ちなみに最後の台詞は、聞かなかったことにした。




