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フェリクス殿下激怒事件から1夜明け、指定の昼休憩に、手紙の通りの地点へと向かった。
「何の用だろう? 昨日の話でも思ったけど、私と殿下は会ったらいけない気がするの」
『あの男のことだ。抜かりないだろう。出し抜かれないように気をつけろ、ご主人』
「あはは。まさか。変な噂はあるけど、大丈夫。お互い様だもの」
この時の私は浮かれていた。昨日の今日で、殿下と会うのは気まずいような気もしてたけれど、やはり好きな人と顔を合わせるのって嬉しい。
結婚とか考えたくはないけど、やっぱり好きだなあって思う。
結婚はしたくないけど。
生垣の迷路を通り抜けるのは、地図があったから問題なかった。
全体図があるから余裕持って歩いて行ける。
行き止まりを覗いて見たくなりつつも、お待たせするのは申し訳ないのでなるべく急いで進んでいく。
こんな迷路にまで庭師の腕が入っているなんて、この学園の予算はどうなっているのだろう。
隅から隅まで手入れされているし、薔薇も綺麗。
「えっと、この先かな」
迷路を出ると視界が開けた。
広がる芝生の空間の中、花壇にはない天然の花が何種類も咲いている。
ところどころ木が生えていて、林みたいな雰囲気だ。
1本だけある細道以外、道はなかった。
奥へ進めば記念石碑があって、そこの近くに大きな木が佇んでいて。
「えっと、この木だよね」
この木の下で待つって、ここに殿下が来るってことなのかな?
そっと木に手を当てた時だった。
ふわり、と銀の髪が舞い上がり、何かの魔術が発動して、ぴちゃんと微かに水が跳ねる音。
木の根っこの近くに見知らぬ魔法陣が広がり、その中心へ、水が流れる涼しそうな音と共に水で出来た鏡が出現した。
アンティークを模しているのに全て透明な水で出来ていて、しゃがみ込めば私の姿を映すことが出来る鏡。
「これ、魔術……。水の魔術?」
そっと水で出来た鏡部分に触れてみると、表面に斑紋が広がった。
こういうところは水面みたいだけど、何故か
指は水の中に入らなかった。何か固いものに指がコツンと当たるのだ。
でも指先は冷たい水の感触だから不思議だ。
「しかも指は濡れてない……?」
ますます不思議だと思っていたら、鏡に薄らと人が映り、だんだんと明瞭になっていく。
鏡の水面の揺らぎが収まり、そこへ見慣れた人の顔が映し出された。
「フェリクス殿下?」
「レイラ、……聞こえる?」
鏡の中のフェリクス殿下は、確認するように問いかけて、楽しそうに手を振っていた。
昨日の姿を知る身とすれば、違和感しかないが今の殿下はご機嫌だ。
きょとんとしていた私は、はっと我に返ってから、思わずコクリと頷いた。
「うん。聞こえているようで良かった」
どうやら私にはフェリクス殿下の姿が見えるけれど、彼の方には私の姿が見えるらしい。
「似たような魔法陣がもう1つ設置してあって、そことレイラの居る場所がこうして繋がっているんだ。鏡を通り抜けたりは出来ないけど、こうして会話が繋がってる」
つまりテレビ電話みたいなものっていうことか。
「この魔法陣は、私たち以外の者が一定の距離にまで近付くと一時的に魔術が解けるようになっているから、誰か来たとしても大丈夫。まあ、そもそも人はなかなか来ない場所を選んだんだけどね。私が居るのは、立ち入り禁止の屋上だ」
「凄い……。鏡だけですごいのに、色々な機能が……」
「ヴィヴィアンヌ医務官の作った術式だよ」
「あっ!! もしかして、作っては見たけれど魔術レベルが高すぎて一般の魔術として広まらなかったシリーズ!」
「ご名答! 私としては使い勝手が良いんだけど」
鏡の中の殿下は昨日とは違った笑顔を振りまいている。
貼り付けた笑みとは違う、私の見慣れた温かみのある笑顔で。
「良かった」
誰ともなく私は呟いた。
私は確かに何かに安堵した。
鏡は腰を下ろさないと全身が映らないそれなりの大きさをしたものだった。
ポーチの中から敷物を出して叢に引いて、ちょこんと座り込む。
彼は壁に背中を預け、片膝を立てて座っている。
そして話は、フェリクス殿下の非常に申し訳なさそうな謝罪から始まった。
「どこから話したら良いのか……。となると、まずは貴女に謝罪から始まるんだけど。……ここ最近、おかしな噂が広まっているのは、元はと言えば私の行動のせいだ。本当に申し訳ないことをしてしまった」
「殿下、顔をお上げください。貴方のような方が私などに頭を下げられるのは……。噂は噂として適切に処理すれば良いだけですから」
王族に頭を下げさせてしまったことに恐れ戦き、私は慌てた。
「……気を使わせてごめん。ありがとう。何より、1番先に謝らなければならなかったのに、こうして話せるのが遅くなってしまって。噂に振り回されて、レイラも不快な思いをしていると思う。それにほら、昨日はリーリエ嬢がそちらに突撃したらしいし」
ドキリとした。昨日、フェリクス殿下が珍しく怒っていたことも知っているし、解決したことも知っている。
今日の昼、抜け出す頃には、周囲の様子も普通だった。
恐らく、情報屋のようなユーリ殿下が手を回してくれた結果だろう。
「監督不行届なのも、申し訳ない。私の接し方が適切でなかったのかも。もう少し、方法を考えてみる」
方法をと言っても、フェリクス殿下は命を受けている訳だし、リーリエ様の傍から離れる訳にはいかない。
でもリーリエ様はフェリクス殿下のことが好きだし、距離感を測るのも至難の業だ。
今までと劇的に何かを変える訳にも行かず、となれば1番負担を強いられるのは殿下自身だ。
そしてそれを止めようとしたところで、彼は曲げたりはしないことも、その表情を見たら分かってしまった。
「……せめて睡眠時間は確保してください。あと食事も」
私からは無理をしないで、なんて無責任な言葉を言えなかった。
「あはは。レイラと会う度に、そればかり言われてる気がする。食事はしてるよ」
軽く笑っている殿下だが、睡眠は疎かにしていることが分かる。
睡眠時間が確保出来ないくらいに忙しいのか。
「……最近、私たちで開発した栄養剤、お分けいたしますね。私の居ない時間帯に、叔父に頼めば用意してくれると思います。不規則な生活で寝付くのが難しければ、アロマの類もありますし」
深い眠りにつくための医療用アロマ。これも働く人たちにと開発された代物だ。
「それにしても、殿下。私、貴方とこうして話せて良かったです」
「ん? 嬉しい言葉だね」
本当に頬を緩ませているから、私の頬も緩みかけるのを堪えて、キリッとした顔を見せる。
「殿下の顔色の確認が出来ますから」
「貴女も、ブレないね。でも、好きだよ。そういうところ」
「……あ、ありがとうございます?」
好きとかそんな簡単に言わないで欲しい!
どうしたら良いか分からなくなるから。
何の気なしに言ったのかもしれないけど、やっぱりこの人は天然ジゴロなところがあるのかも?
「……とにかく、この水鏡はレイラとの緊急連絡用として用意したものなんだ。私の魔力から編み上げられているから、レイラが触れたら私も分かるようになってる。連絡の際、本当はあまり紙に残して置きたくないから、それでこうなった。何かあった時、昼休みに来てくれれば、なるべく早めに私も応答するよ」
ふと、私は疑問に思い質問してみた。
「この手のタイプは、1週間に1度は魔力の充填が必要でしょう? このような手のかかるものより、お手軽に念話の方が……」
本当にそう思ったから、言っただけなのだが、予想に反して彼は悲しそうにこちらを見ていた。
「それは、そうなんだけど。幸い、私には大量の魔力があるし……。それに何より、おかしな噂なんかで気心の知れた友人を失うのは、嫌だ」
「……」
少なくとも、殿下は私を友人のようには思ってくれているらしい。
それが純粋に嬉しかった。
私たちの曖昧な関係に名前がつけられることが嬉しくて仕方なかった。
そっか。友人なら、素直に心配しても良いんだよね? おかしくないよね?
もう少し寝てくださいってもう一度言っても良いの?
恋愛面の好きだとかそういう感情の前に、確かな絆があったと感じられたのが嬉しかった。




