49
「何故、そうなったのかしら」
現実逃避をしたくなるのを堪えて、固い声で問いただす。
「昨日、あの付近の薬屋に向かったレイラが事件解決のために協力したでしょう? その時に、ルナ様を使役している姿をチラッと見たという方が居たらしいですよ? 騎士の中には魔道騎士も居ましたし」
単純なことだった。
基本、契約者しか見えない精霊ではあるが、同じ属性の場合、魔力が高く熟練した魔術師ならばその姿を目にすることが出来る。
魔道騎士は能力がなければ、なることの出来ない花形職。
つまり、魔術のエキスパートの中に闇の魔力の持ち主が居たという訳だ。
なんという簡単すぎるオチ。慌てていたせいで気付かなかったが、迂闊すぎたのだ。
「で、でも、それが私だって何で分かったの?」
「昨日の騎士たちの中に、レイラを社交界で見たことある方が居たようですよ」
うん。当たり前すぎる程当たり前だ。
王太子殿下と出会わないようにと努力していたとはいえ、夜会の参加がゼロな訳ではない。
社交は必要最低限は行っていたので、私の顔を知っている者が居るのは当たり前の話。
どうやら、精霊が見える人と、私を知っている人が同時に居合わせたらしい。
必要最低限挨拶して即帰っていたというのに、何故! 私のことを覚えている人が居るの!?
「レイラは自覚していないみたいですが、貴女は相当目を惹きますからね」
『それは私も前から思っていたぞ。眼鏡はその対策なのかと思っていたが』
違います。フェリクス殿下対策です。
ルナが私の足元に寄り添っていたので、とりあえずモフモフしておいた。
極上な毛並みだなあ。
『どうやらご主人は現実逃避しているようだ』
「この後の話はもっと衝撃的ですが、聞きますか?」
『聞く』
「分かりました。ではまず、今朝の話です」
待って。私は何も言ってない。
何も言ってないのだけど!?
セオドア叔父様は容赦なく続けていくことにしたようだ。
私を来客ソファに座らせ、自分もその正面に腰をかけた。
「そういう訳で、騎士の方から陛下に報告が行き、僕は今朝その件で王城に呼ばれ急ぎ向かったところ、陛下は突然僕の記憶を読み取り始めました。ええ、何も言わずに突然。唐突に」
それより、陛下に直接会えてお近くに寄れる程、叔父様が信頼されていることの方が気になる。
この国有数の研究者で国に貢献してきただけあるなあ。コミュ障、引きこもり、魔術オタクだけど。
「直後、平然と陛下はこう仰られました。黒い狼は強そうだな、と」
ごくり、と私とルナは息を飲んだ。
叔父様はルナを見ることが出来る。その記憶ごとどうやら記憶を読まれたらしい。
えっと、その魔術で気軽に使わない方が良い魔術というか、使い手もそれなりにダメージを受けるのでは。平然って。王家怖い。
「今、レイラの傍に居る身内は僕ですからね。妥当な人選ですね」
あっはっはと笑っているが、たぶん笑い事ではない。
「それにしても、記憶を読み取る魔術行使のプロセスは興味深かったです。陛下に色々とご教授いただいたのですが──」
『とりあえず話を戻してくれ』
脱線しかかった話をルナが押し戻す。
この人がこんなに楽しそうなのはその下りで全部チャラになったからではなかろうか。
生粋の魔術オタクの探究心は侮れない。
「ああ。すみません。それでこの情勢だし、知っている者も少数だということで、陛下はレイラの身を案じて箝口令を敷いてくれました。あまり広まらないようにレイラには眼鏡の着用をこれまで通りしてもらいますが」
私はほっと安堵して、ゆっくりと息を零した。
精霊持ちはそもそも珍しい。光の魔力の持ち主が渦中にありながら、さらに闇の精霊持ちが現れたら事態がさらに混乱すると考えたのだろう。
「その代わり、学園内でおかしなことがあったらレイラの協力を頼みたいと仰っていましたよ。貴女の監督役は今まで通り、僕が務めることになりましたし」
「なんだー。大したことではないわね。驚いて損してしまったわ」
それくらいならおやすい御用だ。むしろ、陛下のお墨付きで動きやすくなって感謝だ。
『ご主人、私は知っているぞ。前にご主人が言っていたではないか。前フリ、と』
まさかそんな訳はあるまいと、タカを括っていた私だったが、叔父様はサラッとこんなことを言った。
「ただ、陛下がこう仰っていたんですよね。ヴィヴィアンヌ家は侯爵家になる予定で、レイラ本人も優秀な成績、確かな戦闘能力、幼い頃からみっちり仕込まれている淑女教育、そして珍しい精霊持ち。さらに、王太子と歳が同じ、と」
「…………」
待って。
待って待って待って!?
『ご主人が言っていたフラグが立つというのは……』
待って!?
「光の魔力の持ち主とはいえ、男爵令嬢で教育も十分でないリーリエ様を王家に入れたくはないから、出来ることなら早急にとも仰っていましたよ。ほら、兄上も侯爵の爵位を賜るじゃないですか、ちょうど良いと機嫌良さそうでした」
「待ってくださる!?」
私の悲鳴混じりの声は相当珍しかったらしく、ルナが何故か焦っている。
『落ち着け、魔力が乱れているぞ。ご主人。私のもふもふなしっぽを触らせてやるから──』
そんなことをしている暇はない。
動揺しきり、全身がぷるぷる震え出した私に、叔父様はついでのように言った。
「まあ、それ以上は特に何も。とにかく今はリーリエ様の機嫌を損ねたくないから、今は提案だけと仰ってましたし、この話も私たちの間の戯言だそうです」
私は、王家の言う戯言を信じない。
王族のお願いとは命令という意味だと私は知っている。
「フェリクス殿下にはお伝えしていないですし、レイラが卒業する前にどうにかなる訳ではないと仰っていましたから安心してください」
つまり、保留……と。
学園を卒業してからなら、シナリオ通りに死ぬ可能性もない。
死亡フラグとは関係なくなるような気がするけれど……。いや、でも、そういう問題じゃない。
「無理よ、叔父様。だって私は……」
「侯爵家令嬢になりますし、まあ……身分は問題ないでしょう。まあ、うちは派閥争いもしていない伝統ある白い貴族ですから、クレアシオン王家としても都合が良かったのかもしれませんね。他の公爵家との軋轢が一切ないですからね」
ゲームでは彼の婚約者だった。
ああ。この世界でも私は、侯爵令嬢になってしまった。これはお父様の功績だから変えられない運命。
おまけに我がヴィヴィアンヌ家は伝統ある名家で、おあえつらむきな理由が揃ってしまっている。
それでも。
私が拒否をする理由は身分の問題とかそういう問題ではなかった。
死にたくないというのも、もちろんあるけれど。
「いえ、あのそういうことではないの。私はあの方に相応しくない。……人間不信な上に、男の人を信用出来ない私が殿下の隣に立つ資格なんてない」
王は孤独だ。どうあっても孤独だと思う。王の立場にある者の心情を全て理解することなど不可能だと思う。
だって、自分の言葉が最終決定で、一言で国の命運が決まってしまうなんて!
そんな立場になった方の心なんて普通推し量れるものではない。
どう考えても次元が違う!
少なくとも私の貧相な想像力で想像してみたら、体が震えそうになった。
王族の方が日々、その重圧をどうやって受け止めているのか、想像出来ないけれど、とてつもない精神疲労があることはさすがに分かる。
殿下は15歳であんな風に粉骨砕身の想いで国のために働いていて身をすり減らしている。
その事実だけは知っているのだ。
だったら、殿下の隣に居る人はこの国の中で最高の女性であるべきだ。
その最高の女性は私のような人間などでは、絶対にない。
もし、フェリクス殿下が将来この国を背負っていかれる立場になったとして、その隣に立つ女性は、彼の絶対的な味方で居られる方が良い。
上に立つ者の苦しみを、その重圧も、責任も、恐怖も、その全てを理解することが叶わなくとも、隣に居続けて寄り添う覚悟を持った女性が良い。
私のような男性不信が、殿下を信じきれない女が、彼の隣で王妃をやるなんて有り得ない。
「私よりも高潔で、殿下を信頼して唯一絶対の味方で居てくれる女性が良い。何があっても殿下を信じる強い女性。それで、殿下が悩んでいる時も甘やかすことが出来て暖かい人。貴族社会を上手く渡り合えて、社交的で色々な人と笑顔で話すことが出来て、それで──」
「拗らせてますね」
『歪だらけの魂だからな』
「それに、2人とも。今から私に決めなくても、まだ時間があるわ。他の貴族の状況を調査して時間をかけて判断してからでも遅くないと思うの」
選択肢をわざわざ狭める必要がどこにある?
私でなければならない理由は果たしてあるのだろうか?
それとも各公爵家同士の不仲は、私が思っているよりも酷いのだろうか?
どこかの公爵家が突出してしまっただけで均衡が崩れてしまいかねないくらいに。
でも、そういえば。フェリクス殿下ルートだと、ドロドロしていたかも……?
そんな中を、2人の恋人たちが手を取り合って前に進んでいく物語。
頭の中で情報を整理していれば、ルナが私だけに聞こえるように頭の中に念話をして来た。
『好きなのではないのか? 好きな男と番えるのなら、幸せになれるのではないのか?』
至極真面目な問いかけ。
私もルナに念話で返すことにした。
私の恋心はリーリエ様のように真っ直ぐではない。ルナが思っている綺麗なものではない。
『……ルナ。猜疑心と好意は両立出来るよ』
きっと、それらの想いの根源は全く別物で。
だからこそ、人を信じられなくとも、人を好きになることは出来る。
『人の心とは複雑怪奇だな。訳が分からん』
念話を止めたルナは首を傾げて呟いた。
「この話は終わり!私、薬でも作っています!」
「あ、では、記憶を読み取る魔術の話をしましょう。人の精神に干渉するからには、それなりリスクがあるものですが、陛下はそのリスクを己の魔力と技巧で克服したのです。色々とご教授いただきまして、そもそも生活習慣からですね──」
叔父様がぺらぺらと語り始め、いちいち頬を染めている様を真顔で眺めてしばらく付き合っていたのだが。
突然、床に寝そべっていたルナが飛び起きた。
『まずい』
ルナが慌てて私の影の中へと入って行き、気配を殺した。
扉の方から物音がしている。
「……? 何でしょう? ものすごくノックされていますが」
叔父様は話を邪魔されたのが不服だったのか、あからさまに顰めっ面をしている。
「私、嫌な予感がするのだけど……」
こういう時の予感とは当たるもので。
『光の精霊の気配がする……』
決定的なルナの一言。
突撃、意外と早かったですよ。ハロルド様。




