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  見慣れた医務室。叔父様の研究室の奥にある冷蔵庫。

  人の姿に変化したルナはごそごそと探り、ふと小瓶を出して、ドヤァ!とした顔を向けて振り向いた。

「見てくれ、この魔力回復薬を」

「え? 何これ。レイラ専用魔力回復薬?」

  専用って何。

「そなたの叔父が睡眠時間を削って開発したそなた専用の魔力回復薬だ。原料として私の血が使われている代物だ」

「うわあ……」

  叔父様がハイテンションな様子が目に浮かぶようだ。精霊の血を使って薬を作れるなんて、一生あるかないかだろう。

  いつ作ったのか聞いてみれば、試験前だという。私が少し居ない間に、ルナとの間で何があったのだろうか?

  試験問題をギリギリまで作っていなかったのって、この薬を作っていたせいなんじゃ……?

  新たな新事実に呆れる。叔父様らしいと言えばそうなのだけど。安定の叔父様だ。

「今の今まで正直忘れていたが、王太子の血に対抗出来るのは、精霊である私の血くらいだろう。この薬を飲むことで王太子の魔力の気配を精霊の魔力の気配で塗り替える……。より大きな魔力の方が主張するだろう?」

  とりあえずはそれで対処するようだ。

「まあ、出会った時に強大な精霊の魔力に呆気に取られるだろうが、そんなことは些事だろう。王太子に会うことがあったら釘を刺しておこう」

「ルナ? その程々にね?貴方のことだから、おかしなことにならないと思うけど」

  瓶の蓋を取り、その薬を口にすると、何故だか知らないがミルクティーの味がした。

「何この味」

「味については、そなたの叔父が楽しそうにしていたから止めなかった。ミルク感を大事にしていたと言っていた」

  叔父様は何を目指しているのか、どこに向かっているのか。

  薬を口にした途端、全身に行き渡るルナの気配。

  普段傍に居るから馴染んだ気配。

  何故か安心した私はその場に思わず座り込んだ。

「安心したら腰が抜けた……」

「とりあえず寝ておくと良い」

  今日は色々なことがあって疲れてしまったのかもしれない。

  窓の外は既に夕方になり暗くなり始めている。

 最終日は試験の科目は少なかったので、ここを出たのは昼と夕方の間くらい。

「あ……仕入れを忘れた」

「色々なことがあったのだから仕方ないだろう。そなたは頑張った」

「ルナも今日は色々とありがとう。貴方が守ってくれたおかげで、私は憂うことなく思いきり戦えたわ」

  お礼を言っていたら、横抱きにされて、研究室にあるソファの上に寝かされた。

「仮眠を取れ」

「うん……」


  そうして魔力の回復はしていたけれども、肉体的な疲労は回復していなかった私は、毛布をかけられると、すやすやと寝入ってしまった。

  髪を優しく梳いてくれていた感触が気持ち良かった。


  そして、学園内の様子は忙しなくて、夜になるまで騎士たちが動き回っている気配を感じていた。

  きっと、外の事件との兼ね合いとか、学園内の防犯とか情報共有とか、殿下たちがまだ動いているのだろうとか、考えれば想像がつくけれど。

  私は明日からもやることは変わりなくて。

  医務室の助手として出勤して、いつもの日常の中を生きるのだ。


  仮眠を終えて、夜中に目を覚ました私は、自分の持ち金で取り寄せた素材を使って、今回消費した分の調合をもう一度作り直した。

  仕入れと予算や薬そのものの数字が合わないと、後々面倒になるので今回の消費に関しては私のポケットマネーだ。

  貯めておいて良かったと切実に思う。

  通しで薬を作り終わり、部屋の空気を入れ替え、早朝に私はまたもやビーカーでコーヒーを作っていた。

「ふふ、黄金比があるのよね……」

  キラーンと眼鏡が光る。

  砂糖とミルクを入れないと、今日の私は胃がやられそうだ。

「叔父様が居ないのは何故かしら」

  大方、昨日の件で対策本部に呼び出されているのだろうなと思う。

  ふわぁあと近くにのっそりと座っていたルナは欠伸をしている。

  医務室で私たちだけしか居ないからか、ルナはリラックス状態だ。

  平和だ。平和すぎる。


  のほほんとしていた私だったけれど、そんな私の平穏は、早朝からのノックで破られることになる。

  ルナがすんっとした表情になり、私の影の中へと入っていくのを確認してから、扉へと向かう。たぶんルナと似たような表情だと思う。

  こんな早朝から誰がどんな用なのかと、警戒することなく扉を開けて後悔した。

  私は馬鹿だ。その可能性を忘れていた。


「灯りがついていたから顔を出してみたけれど、早いね」

「オハヨウゴザイマス、殿下」


  いやいや、待って、落ち着いて、私。

  私には何も疚しいことはない。ルナがくれた薬で気配は消した。

  ただ、単に調合してたからこの時間に起きているだけで、別に怪しいこともないのだ。


  だらだらと内心嫌な汗をかいていたが、表情は淑女らしく微笑んでいた。

  目が合わせられないので、ちょうど首の当たりをガン見して誤魔化す。あからさまに俯くのはマナーに反する。

  だから彼が今、どんな顔をしているか分からない。

  分からないまま、口を開いた。

「どうされたのですか?お早いですね」

  そう。昨日のことは知らないから、私は普通のことしか言わないのだ。

  ああ。何を話せば。

「私は夜中から調合をしておりまして……」

  待って。これは言う必要あったのか? 余計な情報だろうか。

『落ち着け、ご主人。魔力の乱れが著しいぞ。そなたは何も知らない。そして今何か起こってることを知ったのだ』

  ルナの落ち着いた声を聞いて、私は自分を取り戻す。

  傍から見ると何も分からないかもしれないが、今の私は大分取り乱していた。

  だって、昨日。あんな、あんなことがあった相手が目の前に居て。

  駄目だ。そういうことは考えてはいけない。

  落ち着くことが先決だ。

  うん。問題ないはず。魔力の気配は消したもの!

「今日は、少し学内も色々な噂が飛び交うと思う」

  殿下は疲れたように言った。疲労感が増したような声だった。

「……そうなのですか。そういえば、昨日の夜も何やら学園内が騒然としていた気がします」

  白々しい。我ながら非常に白々しい。

「昨日の昼頃から色々あってね」

「それで何か私に御用でも……?」

  おそるおそる見上げてみて驚いた。

  疲れきって目の下に大きなクマをこさえた殿下が居た。

  顔色も若干悪いというのに、このお方はいつものアルカイックスマイルを維持している。

  彼の麗しさは損なうことなく、むしろ憂いを帯びているせいで、男の色気のようなものが滲み出てしまっている。

  もしかしなくても寝不足?

  昨日の騒ぎは思っていたよりも大事になったのかもしれない。

「うん。少し確認したいことがあって……」

  殿下は目を細めて私をじっと見つめていたけれど、ふと何かに気付き驚いたように瞬きをした。

「え? この気配」

  来た。精霊の気配を感じ取ったのだろうか。困惑している雰囲気に私はしれっと返した。

「はい? それより、殿下はお休みになられた方がよろしいのでは……」

  この雰囲気だとこのまま仕事をしそうだ。

「……ああ、うん。大丈夫だよ、レイラ」

  訝しげにしていた殿下だけど、すぐに切り替えて、私を安心させようと微笑んでいる。

  うーん。それにしても、どう見ても疲れているようにしか見えない。

「殿下、あのクマが……」

「大丈夫だから。心配しないで」

「……」

  彼がそういうのに、しつこく聞くのもどうかと思い、私はそれ以上は聞くのを止めた。

  こんなに疲れていそうなのに、わざわざここまで私に何の用なのだろう?

  昨日のあれはもうルナのおかげで解決したはずだし。

  フェリクス殿下は、私と目が合うと、余裕ありげにふっと微笑んだ。

「まあ、問題ないよ、色々と」

  その直後、体の中心がほんの少しだけ熱くなったような不思議な気配がして。






「見つけた」






  そして小声で殿下は何か呟いた。

「今、何か仰いましたか?」

「いや、独り言だよ」


  私に聞こえないくらいの声だったし、まあ、良いかと見上げれば、殿下がこちらが恥ずかしくなるくらいに優しげな表情を浮かべていて。

  さっきまであんなにも疲れ切った表情だったのに。

  とくん、と胸の奥が音を立てた。

  どうしてそんな顔をされているのだろう?

  それと少し嬉しそう? さっきまで疲れきって死んだような目をしていたのに、いきなりどうしたのだろう?

  見つめる視線が甘いような。

  その甘い視線のせいだろうか?

  小さな炎が体の中で熱を持ったような感覚が一瞬だけあって。

  何故か知らないけれど無意識に手が持ち上がった。

  その手をフェリクス殿下はそっと握った。

  もしかして、今私は無意識に殿下に触れようとしたのだろうか?

  いや、まさか触れる許可も得ていないのに、そんなはずは……。

  もしかしたら疲れているのかもしれない。

「貴女も徹夜したの?」

  私の手を包む殿下の手の体温は少し低い。

  こういう些細な接触ですら、緊張しすぎて寿命を縮めている気がする。

  殿下は私に触れる時、いつも丁寧すぎるくらい気を使って触れている気がする。

  それが女の子扱いをされているようで、恥ずかしくも嬉しくなってしまう。

  今も心から労わってくれているのが分かるから、ドキドキする。

  私の手なんてすっぽりと入ってしまうくらい、この手は大きい。

  いや、そんな風に浸ってる場合じゃない。

「仮眠も取ってますからご安心を。……それより殿下も寝不足でいらっしゃいますよね?」

  むしろ貴方こそ、寝てくださいと言いたい。

  仮眠は取るつもりはあるのだろうか?

  昨日の今日なのであまり突っ込んだことは言えず、私はそこで言葉を止める。

「……?」

  少しした後、体の中の熱がふっと消えた。

  気のせい、かな?

  違和感は一瞬だったから、私はそれを気に留めなかった。

  この時のフェリクス殿下が幸せそうに笑みを浮かべていたのでそちらに気を取られていたからだ。

  先程までは疲れきって居たというのに、今はなんだか嬉しそうだ。

  不思議に思いながら首を傾げていれば、謎の質問をされる。

「ところで、薬の在庫は足りている?」

「……? 足りていますよ?」

  クスリノザイコワタリテイル?何故にこの質問?何かの暗号とか合言葉ではないはずだ。

  殿下は私の頬を軽く撫でて息だけで笑って。

「……実は仕事が山積みなんだ……。少し話したいところだけど行かないと。じゃあ、またね。レイラ」

  なんとも甘い声音で私の名前を呼んだのだった。

「……は、はい。さようなら」

  だから、しどろもどろになった。昨日から私のペースも乱れっぱなしだ。

  殿下は、私がそんな様子なのを見て、眩しそうに目を細めた後、最後は上機嫌な雰囲気で去って行った。

 ……若干、ふらついている気がするのは気の所為だと信じたい。

  殿下の体を心配しつつも、とりあえず今回正体はバレなかったようだ。

  特に何か言われることもなかったし。

「ルナ、ありがとう」

  ルナにお礼を言って、そこで彼の様子がおかしいことに気付く。

『まさか、な。いや、王家だからな……。精霊の間でも話題になっていたから眉唾ものではない話だ。いやでも、それでは』

  殿下が去った後、ぶつぶつとルナが何か言っていた。

「どうしたの?」

『いや、何でもないのだ。ご主人、大したことではない……と思う。向こうもそのつもりはなさそうだしな……。精神衛生上聞かない方が良い』

「そこまで言われると気になるわ」

『精霊同士の交流で得たちょっとした噂話だ』


  ルナはその件についてはそれ以上は教えてくれなかった。

「まあ、良いか……。ところで、殿下は寝不足大丈夫なのかしら……」

  フェリクス殿下は今日も寝不足だ。


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