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  召喚陣から魔獣はまだ召喚され続けている。

  召喚された端から、蒼の炎に飲み込まれ氷漬けにされて、氷の欠片となって崩れ落ちていく。


  その炎は傲慢に召喚陣へと居座り、生み出される命を出現した傍から食い散らかしていくようだった。

  消費されていく度に、描かれた召喚陣は威力が減じて薄くなっていく。

  召喚陣は物理法則に反した魔術に為す術もない。


  雷を纏わせた攻撃をしていたハロルド様の魔力の属性は実は火属性。

  フェリクス殿下が今使っていた魔術も火属性。

  火というものは、個体でもなく、液体でもなく、気体でもない。

  物理的解釈としては、どちらもプラズマという性質のはずだが、魔力の使い方でこうも変わるとは誰しも思わないだろう。

  氷ならば、水の魔術から氷へと変化させるのが1番楽だが、そこをフェリクス殿下はあえて炎から変質させていった。

  何気に使っているが、やっていることは超難易度すぎる。


「後は召喚陣ごと燃やしていれば終わりかな?」


  何事もなかったような、それが当たり前のような、この場の凄惨な光景には似合わない落ち着いた声が響いた。


「フェリクス殿下。被害者は奥の方に。防御膜がしっかりと張られているので死傷者はゼロかと」

  ハロルド様の視線の先を追うと、今も燃え盛るこの空間を生み出す主が、騎士を従え佇んでいる。


「……被害者の保護を頼む」

  フェリクス殿下は、後ろに居た騎士たちに低く一言命令する。

  ルナはそれを耳にすると、防御膜をすっと解いて私の元へと、音もなく近寄ってきた。

  気付いたら、手にもふっと鼻が触れ、咥えていたらしいそれを受け取った。

「……?」

  受け取った硬質なそれ。


  眼鏡だった。


  あ、まずい。

  そう思った瞬間に、こちらに気付いたフェリクス殿下と目が合ってしまって、彼は驚いたように目を見開いた。


  はい。どう考えても私は素顔ですね。


  ニッコリと微笑みを浮かべるが、これはもはや条件反射である。

  私の顔を凝視しているフェリクス殿下をよそに、こっそりと手に持っていた眼鏡をポーチに仕舞う。


  どうしよう。遭遇してしまった……。

  さっきからこちらをガン見しているのが分かるので、そちらを向くことが出来ない。

  熱い視線。燃え盛る蒼の炎と、獣の断末魔の叫びが、やけに響き渡っている気がする。


  こっそりとさりげなく移動して、ハロルド様の背中に隠れてみる。最後の足掻きである。

「ハロルド。そちらの女性は、お前の知り合いか?」

  私が彼を盾にしたせいで、剣呑な目を向けられるハロルド様にはとても申し訳ない。

  ハロルド様は何を言っているのか分からないようで、首を傾げる。

「殿下?何を仰っているのか……。この人は……むぐっ……!」

  横から飛びかかり咄嗟にハロルド様の口を抑えた。

  淑女としては失格だが、そうも言っていられない。

  こそりと耳打ちする。


「色々あって素顔を知られたくないので、言わないでください」


  早口で言ってすぐに離れて、ハロルド様の後ろにサッと隠れる。

  ハロルド様はジロリとフェリクス殿下に睨みつけられるが、それに屈することなく踏ん張り、私の必死さに何かを察したのか、合わせてくれる。

「……俺の、知り合いです。……その、不審人物などではないので。今回も、俺の戦闘に協力してくれましたし。腕は確かです!」

  かなり目は泳ぎながら。

  そんなハロルド様を冷たい視線で射抜きながら、背中に隠れる私に近付いてくる殿下。

「知ってる。先程、戦っているのは遠くから見えたからね」

「……っ!」

  ぐっと手首を掴まれて、ハロルド様の背中から引きずり出され、私はたたらを踏んだ。

  声は怒っている訳ではないし、態度からも彼が不機嫌ではないと分かる。

  掴む手は強く、逃がさないと言われているようだったけれど、私が痛そうにした瞬間、すぐに掴む手は優しくなった。

  緩やかで私が振り払うことの出来るような拘束だった。

  しかも私と目が合うと、何故か優しく微笑んで来る。

「やっと貴女と会えて嬉しいよ」

  そんな様子を目を白黒とさせながら、見つめるハロルド様。

  うん。貴方は私の素顔を見ているから訳が分からないよね。

  眼鏡とはいえ、これは立派な魔道具なのだから。


『ご主人。注意事項だ。声を出したら正体が知れるぞ』


  そう。前回の遭遇の時、眼鏡を外しているだけだったのに、私があの夜の不審者と同一人物だとバレた。

  私の声をフェリクス殿下は既に知っているから、声を出したら1発でバレる。


「被害は少ないが、ここから少し離れた地点で召喚陣から出てきた魔獣が一部、被害を出したらしい。召喚陣の破壊を確認したら出よう。状況報告をしながら、そちらの地点へ向かおうか」

「……はい。かしこまりました」

  困惑したハロルド様の声。

  その目は私に「大丈夫なのか、これは」と語っている。

  ハロルド様に指示を出しながらも、私の手首を掴む手は離れなかった。

  先程からさり気なく振りほどこうとしていたのだが、抵抗はすぐに止めた。

  フェリクス殿下は、私の腰に手を回して抱き寄せつつエスコートらしきことを始めたのだから。

  そんな時、ルナが一言。

『後ろの騎士が混乱しているようだ』

  騎士? ハロルド様? いや、付き従って来た騎士たちも全員だろう。


  逃げようと身動ぎつつも、好きな人を振り払うことも出来なくて。

  私はフェリクス殿下に弱い。


「こうしていれば、前みたいに逃がすことはないよね?」

  前みたいに。2度、遭遇して私は彼から2度逃げ出した。

  ビクリと身を震わせる私を見て、うっそりと笑う殿下は、獲物を狙う獣みたいな目をしている。

  じゅわぁ……と音がしたので振り返ると、召喚陣が消滅しているのが目に入る。

  魔獣の残骸が氷漬けられ、粉々になり蒸発していけば、後にはもう何も残らなかった。

  慌ただしく被害者を運び込む騎士たちの声だけ。


  怪我をしたらしい一般市民が集まる地点へと向かう最中、フェリクス殿下とハロルド様は情報交換しつつ、近くの住民へと聞き取りを行うことが分かった。

  騎士の皆様にも指示を飛ばし、何人かは先行して行った。

  ハロルド様が報告する際に、殿下は私を何か言いたげに見つめていたが、それを私は無視した。

  その度に私の肩を抱き寄せる手はほんの少しだけ強くなる。


  そして後を続く騎士たちは、その光景に誰も何も言わなくなった。

  慣れって怖い。


  もう、囚われて抜け出せないと思っていた私だったけれど、被害者が出たという地点へ向かい、怪我人へと対応する人々を見て、私は咄嗟にフェリクス殿下を振りほどいた。唖然とする殿下。

「え?」

「っ……!」

  振り解けるくらいの拘束とはいえ、本当に振り解かれるとは思わなかったらしく、フェリクス殿下は意外そうにしていた。

  うう。私が拒否出来ないの、この人は知っているのかもしれない。

  そんな気がするのだけど気のせいだろうか?


  とにかく、怪我人の手当の手伝いへと混じった。

  応急手当をするなら一刻を争う。魔力耐性のない一般人相手なら尚更。

「……彼女は応急処置が出来るのか」

「……ま、まあ。それは、はい」

  いつになくしどろもどろなハロルド様の声を背中にしつつ、私は持って来ていた医療資格を出しつつ、応急手当に奔走することにした。

  私の必死さが通じたのか、とりあえず好きにさせてくれるようだ。

 大分後ろでフェリクス殿下が指示を飛ばしていて、忙しそうにこの場を後にした。

 きっと、聞き取り調査や事件の把握、黒幕の有無の確認など、やることは山積みだ。

 私は医療関係者らしい人に声をかけ、手元の証明書を提示した。

「魔力や瘴気などの障りに関しての処置方法ですが──」

  神秘で傷付けられたものは、通常の傷とは一線を画すものだ。

  特に瘴気や呪いや悪意のある攻撃的な魔力による傷は、処置をしなければ被害者の体を苛む。

  解除しなければ、じわじわと火傷は悪化していったりもする。

  私が今日向かうと言っていた薬屋へ使いを出し、魔法のポーチに入れてきた常備薬では足りないものは補充するように手配をした。


  そして応急処置をした後に提案をする。


「応急処置はし終わりました。即座に回復させるために、治癒魔法を使いたいのですが、効果はゆっくりですし、いきなり痛みを消すものではありませんが……」

  光の魔力の持ち主ならば、あっという間だけれど、私たち闇の魔力の持ち主による治癒魔術はそこまで効果が強い訳ではない。


『ご主人、大掛かりな魔術の気配がする』

  私の影の中に居るルナが呟いた。

  こんな時に何事かと思いきや、転移魔術が私の真ん前に出現した。


  ふわりと風が巻き起こり、私はさっと後ろへと下がって防御膜を展開させようとしたけれど。


  風の中心から現れたのは、無表情のノエル様と、何かを決意した様子のリーリエ様だった。


  え? 何でここに?


  そう思っていたら、リーリエ様がにっこりと笑ってこう言った。

「光の魔力の持ち主の話は有名でしょう?私は大掛かりな治癒魔法が可能なんです」


  リーリエ様が光の魔術師として開花していることを私は知っていたけど……。


  まさかここに来るとは思ってもみなかった。


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